心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

高校受験を考えている保護者の方へのアドバイス⦅滑り止め私立高校入学編⦆

「甘かった!」こんなにもお金が掛かるとは思いませんでした。

公立や私立高校を問わず、国や県の補助制度があるのは知っていました。

息子が3年になる頃から、この制度を利用し進学させようと思っていたので、少し安心していました。

また、先輩ママさんからも「制度があるから、公立も私立もそれほど変わらない」と聞いていたので、何とかやっていけるだろうと思っていたのです。

息子は滑り止めとして受けた私立校には合格し、公立校の入試を受ける数日前にコロナの陽性者になってしまい、救済制度の追試で受ける事になってしまいました。

本試験の答え合わせで手ごたえを感じていたようでしたが、追試では塾でも把握できなかった問題に悩まされ、結局不合格になってしまったのです。

息子は、我が家の経済状態の事を考えて、公立高校に絶対に受かって見せるとと思っていたらしく、かなり追い込まれた様子で「本当にごめんなさい」と涙ながらに話すのでした。

彼の悔し涙は、見ていて親としても辛い思いで、「気持ちを切り替えよう」というのが精一杯でした。

もし、コロナ等病気やケガで公立高校入試が受けられない時は、追試に備えて私立校にその趣旨を早く連絡しておかないと、不合格扱いになってしまうので気を付けて下さい。

 

以下は公立高校の追試を受け、通常よりも合否が遅れた場合の私立高校進学日程という事で、急がなくてはいけない事が沢山あった我が家の事例です。

気持ちを新たに私立高校入学に向け動き出すのですが、3月すぐに入学金の納付が必要になります。

私達の場合240.000円支払いで、このお金に関しては、カードでの支払いも可能でした。

分割も可能だったので助かりました。

その後、入学前の期間に制服や体操服の採寸が学校で行われ、通学用の靴は、その場で現金払い。

希望購入靴も、サンプル写真が前もって配布されたのですが、探すのが大変なので結局その場で購入しました。

靴だけで総額13.600円になります。

冬用の服は入学式前に代引きの宅配で支払う事になります。すなわち現金払いという事です。

女子もトータルでは、ほぼ似たような値段になると思います。

学校によっては校則等が緩やかなところもありますが、息子の高校は靴下や、ワイシャツやベルトまで指定となっていて、月に1~2回学校によるチェックもあります。

「パンツも指定か?」と冗談を言ったくらい、何から何まで指定されたものです。

特にワイシャツは最低、夏冬とも3着は用意しておかないと、アイロン等で負担が大きくなります。

また、その方が長持ちするので、結果的には良いかもしれません。

特にこの時期、身長が伸びたりしますから、採寸時のメーカー担当者の話を鵜呑みにしないで、よく考えて購入して下さい。

私の場合、服装関係で、

冬用が82.704円(入学式直前支払い) 体操服が26.700円(3月末代引き支払い)

夏用が26.499円(5月中ほど代引き支払い)

 

通学の事も考えなくてはいけません。

電車なら定期券の購入(学校から書類が渡されます)

息子の場合自転車での通学だったので、新しい流行りのクロスバイク約45.000円(防犯登録等)で購入。保険加入は義務となっているのですが自転車屋で入ったり、学校からの保険案内パンフレットで入るとかなりの出費になります。

「サイクル安心保険」だと、年に1.400円ほどで入れますのでお得です。

今加入している生命保険など付帯項目で、カバーされているかの確認してから決めるようにしないと、無駄な出費になります。

後から分かった事ですが、通学カバンは指定の手提げタイプで、それ以外は許可されませんでした。

ですから学校側からカゴをつけないと許可しないという事です。

クロスバイクによっては、カゴの取付が出来ないタイプや、カゴ専用のフレームが必要になり、約5千円ほどの出費になります。(ママチャリは安く付けられます)

自転車通学ではレインコートも用意しておかないと、傘では当たり前ですが自転車通学は出来ません。

また校則による身だしなみの縛りがある高校では、頭髪や色、ピアス等馬鹿げた検査があるので、息子は散髪にいく事になり、ここでまた出費です。

学校から総合保険加入の案内もありますが、既に他の保険に入っている場合、考えてから決めて下さい。

もし、子供さんが保険等に入っていない場合は、各種共済保険(国民、県民共済等)が安くお勧めします。共済なので少額ですが、還付金もありますよ。

その他電子辞書購入等の案内があります。

電子辞書も、学校仕様という名目ですが、どんな仕様かは書いておらず、通販では同じタイプだと3/2の値段で買えるものです。

ただ、よく読んでみると「任意購入」と書いてあり、危うく買わされるところでした。

後日タブレット端末も買う事になるので、個人的には必要は無いと思います。

兎に角、資料は穴が開くほど読んで、無駄な出費をしないようにして下さい。

ここまでが入学前の段取りとなります。

 

4月入学後に教科書販売があり、履修科目で、音楽か美術かの選択で少し差が出ます。美術の方が少し高くなります。

息子は美術選択して21.728円現金支払いとなりました。

その後、4月分授業料の支払い452.300円口座引き落としがあります。

修学旅行代に関しては、後述していますが変動する可能性があります。

諸費の中でタブレット代が含まれている為、金額が大きくなっています。

その他の内訳は、

模擬試験といった学習関係や身分証明関連費、健康診断、ロッカー代、防災用品などです。

 

息子の高校は、届け出口座からの一括引き落としとなり、この時点では国や県の補助の手続きは始まっておらず、割り引いての金額ではありませんので多額の出費が待っています。

学校からの申請によって、審理され差額が戻ってくるのは11月か12月頃になるとの事でした。

学校によっては電子申請形式で、スマートフォンやパソコンにある程度慣れていないと、一苦労する事になります。

親の経済状態確認の為の手続きは、マイナンバーカードで短絡できます。(カード読み取りのスマートフォンが必要になりますがマイナンバーだけで登録も出来ます)

書類申請や職種によっては煩雑な書類も必要となりますので、早めに必要書類を用意しておくことが大切です。

(申請期間が意外と短いですから)

また私の場合、親の収入は昨年では無く、例えば令和4年申請の場合、令和2年度分の収入で補助額が決まるという事でした。

都道府県によっては違いがあるかもしれませんので、失業や病気された方などは、注意が必要ですから、予め各市町村で確かめる事も大切です。

 

2年生での修学旅行の説明会がありますが、私立の場合海外か国内かの選択をする所もあります。

息子は始め海外(アメリカ)選択をしていました。

日本に比べ治安が悪い事もあり、移動等はバス等での集団異動で行く場所も限られており、ホテルも比較的治安のよい場所となる為、移動に時間がかかります。また行き返りの時間もかなりのロスになる上、約40万円かかり経済的にも大変です。

その点国内だと、14万5千円ほどで、自由行動やテーマパークにも行けるという事で、国内を選びました。

「大学生になってからでも行ける」と言っていた息子ですが、もしかしたらお金の事を考えての決断かもしれないと思うと切なくなりました。

ただ、保護者への学校説明会は、長い校長のあいさつやツアー会社の話など実のある話は無く、特にコロナの影響でどうなるか解らない状態での説明では、ツアー会社も模索段階で良い話はしますが、結局どうなるかは判らないという状態の話でした。

予め配られている日程表で解るので、ハッキリ言って行っても時間の無駄でした。

今の為替状況では、円の価値も下がっている上、飛行機に関わる様々な値段が高くなっているので、海外選択はかなり厳しい状態であるのも確かです。

この高校の場合、海外旅行を選ぶと、ツアー会社のサイトからの一括や分割支払いをするとの事で、手間がかかりそうです。

 

学校によって違いますが個人用のタブレットiPadやクロームブック等)を使用する事になりますが、息子はコロナの影響で、学級閉鎖になった為オンライン授業で使いました。

が、印刷する必要書類があったので、幸い我が家ではプリンターがあり出来ましたが、無いと「手書きしろ」との無茶な先生からの指示があり、大変な事になります。

あらかじめWi-Fi環境を整える必要とプリンターがある方が良いかもしれません。

USBメモリーやSDカード経由で印刷できない場合もあるので、

★端末のタブレットとプリンターをUSB端子同士直接ケーブルで繋ぐ方法

★プリンター自体がクラウド(グーグルドキュメントやドライブ、アイクラウド等)対応しているプリンターを購入すれば、Wi-Fiを使い共有出来、印刷可能です。

(同じWi-Fiを使用する事が条件です)

★パソコンがあれば、グーグルで生徒が自宅パソコンでログインすれば、学校の支給された端末(タブレット等)とクラウドで共有できますので、すぐに印刷できます。

親の会社のPCとプリンターからでも印刷出来ますが、許可をとってからにして下さいよ。(笑) その際、子供からグーグル用のアカウント名とパスワードを聞いておかないと出来ません。

生まれながらに、ネット環境にいる今の子供にとっては、そう難しい作業ではありません。

(家庭で印刷の必要があるとは限りませんので、先生に聞いて確認して下さい)

 

その後の出費は5月頃から部活動によって変わってきますが、息子はバスケットボール部に入る事になり、ユニホームなどの備品購入です。

個人的にも、ボールや靴下、空気入れや個人使用のシャツ数枚やトランクスにシューズも用意した為、学校からの請求以外にも出費が必要となりました。

息子の場合、学校からの購入に加えて個人的にプラス2万円ほど掛かりました。

学校からのバスケット部の費用は45.980円かかりました。勿論現金払いです

5月に入ると民間塾指導による学校での講習、例えば英語関連や大学受験に有利と書いてあった数学検定の案内があり、それぞれ5千円~1万円ほどかかりますが、子供さんと話し合い、必要なければ断っても大丈夫です。

大学受験等、十分話し合い、必要ならば補習として行われますので、塾に通わせるよりも安く済みますので、考えどころです。

そして注文しておいた夏服が代引きで届くので、現金が必要になります。

この頃、リュックタイプの通学カバン販売の案内が来ます。

これは任意なので、重いものを入れたりする必要(部活等)があるなら、購入した方が良いかもしれませんが、部活によっては、部活用のカバンも購入する事になるので代行出来ますから、よく考えてから買って下さい。

要するに汎用の市販品は使用できないという、時代遅れの校則で振り回されます。

私の場合、リュックがあるなら自転車のカゴを買う事も無かったはずですが、入学前や入学後にリュックの話は一切聞いていなかったし、案内も無かったのです。

1月頃から色々と補助金奨学金などの情報を集め、早めの準備をしておくことを強くお勧めします。

特に提出期限が過ぎると、手遅れになってしまうので気を付けて下さい。

制度によっては、親切に国や役所から案内があるわけでは無く、あくまでも自分が動かないと解らないことだらけなので、早めに市町村役場で、どの様な制度があるのか聞きに行く事を忘れないで下さい。

 

市によっては「奨学金貸付制度」がありますが、あくまでも貸付、借金となります。

私立高校の場合、私の市では4月と10月にそれぞれ9万円の振込(最初の授業料支払いには間に合わない)となります。

すなわち、月額1万5千円支給という計算です。

気を付けなければいけないのは、申請は3月末までで、期限があまりない事です。

中学校で、卒業見込みや推薦書等の書類も入手する事になるので、気を付けて下さい。

そして、この制度はあくまでも生徒の借金となる為、本人名義の口座を作らなければいけません。

我市では、郵便局はダメで、指定された数種類の銀行で口座を開設しなくてはならないのです。

本人が同行しないと口座を開くことが出来ない銀行が多いので、制度を利用の有無を考えるより、早めに作っておいても損はないと思います。

連帯保証人は親でも可ですが、生徒の借金になり、卒業と同時に返済が始まるので、十分考慮してから利用して下さい。

ちなみに返済は、卒業半年後から最長10年均等払いで、利子はつきませんが遅延金は発生します。

 

また「入学準備金貸付制度」がある市町村もあり、最終受付締め切りは、私の市では数回にわたり申請時期があり、最終は2月末となっていました。

保護者の収入や卒業見込み書類など、提出するモノが多くありますので、検討するのであれば早めに行動して下さい。

入学金を収める前に振り込まれます。

私学の場合50万円の貸付で親以外の保証人が必要となり、収入による審査期間もありますので、各市町村で制度の有無と詳細を聞いておくのも良いかも知れません。

これも借金ですから気を付けて下さい。

1年生の10月より1万円の支払いが始まります。

ただ、民間から借りるよりは利子もつきませんので、十分検討してからにして下さい。

 

私立高校の事と関係ありませんが、児童手当が無くなりますので、家計を維持するように計画する事も頭に入れておいて下さい。

また、一部の市町村以外、高校生から医療費が有料になります。

コンタクトや眼鏡、ニキビや歯の治療など、無料の間に出来るだけ治療しておくことも忘れないで下さい。有料化になれば、初診料などもかかったり、薬代も馬鹿になりません。

高校生活が始まり、部活等で行く時間も無くなってしまいます。

中学生の間に出来るだけ、済ましておくことをお勧めします。

 

最後に、子供達は公立高校を落ち、私立学校に行く事だけでもストレスになっています。

思い道理にいかなかった事に加え、新しい環境で友達が出来るか?イジメられないか?また子供なりに金銭的な負担も考えているのです。

つかず離れず、暖かい目で見守ってあげて下さい。

また、不登校になる事も考えられます。

そんな時はムリに行かせず、休ませてあげて下さい。

親の事を子供達は意外と見て、感じ取っていますので、明るく接してあげて下さい。

失敗や挫折から学ぶ事はとても大切な事で、将来の事を考えるあまり、余計な口出しはかえって逆効果になります。

どうしても、お金の事を考えがちになりますが、まずは子供優先で、生きていてくれるだけで幸せだと、改めて感じて欲しいのです。

今を大切にしてあげて下さい。

子供達は、あっという間に大人になりますから!

 

追記

 

授業料は私の場合、入学した年の12月に3ヵ月分が振り込まれましたが、次の年1月にまた3ヵ月分の引き落としがありました。

ですから、振り込まれても下ろさない様にしておかないと大変な事になります。

また、施設設備費と環境維持費、入学金は1学年の3月中頃振り込まれるとの事で、4月の2年生になる時にまた請求があります。

 

親の収入、個人によって補助金額も違ってきますが、振り込まれてもキープし、手をつけないようにして下さい。

国や都道府県によっても多少違いはありますので、事前に確認して下さい。

兎に角、最初にお金がかかり、戻ってくるまでに時間がかかる事と、例え補助金の振り込みがあっても安易に手を付けない事です。

事前説明会や先生に校則についてよく聞き、把握していく事も大切です。

学生服が「カッコイイ」「可愛い」の裏でかなりの出費が必要な事と、校則によって縛りがあるので、通学手段や保険、カバン等の持ち物などで無駄になってしまう事も多いのです。

本文中にも書いた、自転車保険は家族全員という付帯付きもあります。

言い換えれば親が入っていると子供は入らなくても良い場合があるという事です。

無駄のない様にして下さい。

また成長期なので、服は大きめが良いと思います。

私の息子の場合、1年もたたずに制服の上着の袖が短くなってしまいました。

業者に直しを依頼すると1万円の出費になる事もあります。

制服に限らず、必要な服装にはお金が多くかかるので、注意して下さい。

 

お子様にとって素晴らしい学校生活となります様に!

 

 

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未来への扉⦅憲法と戦争⦆

扉の向こうに何があるか?

扉のノブを回すのは、あなたです。

 

最近、どうも世界がざわつき、イライラしているように思う。

平凡な普通な人が、不健全の社会の中にいると、思っても見ない事をしてしまう。

それは、保身からくるのか、属性を確かめる為か解らないが、それほど人間は、弱いという事の表れとも言える。

 

特にこの、コロナ禍で色々な問題が見えてきた。

マスコミのTV報道を見ても、マスクをしていない人や、缶のお酒を飲む人を隠し撮りするように報道し、まるで裏警察のように振舞っていた。

マナー違反者を撮り、問題提起しているかのような昨今の報道にも疑問が残る。

そう、ドアの前に立たされ、扉の向こうにある景色の説明ばかりで、鍵をかけたまま立ち去るような感じなのだ。

その報道で、何を訴えているのか、その意図が何を意味するのか理解に苦しむばかりである。

TVがこんな状態だから、SNSでは、正義と称して他人の行動や言動を見張り、攻撃する人達の、いかに多いかが露見したように、何とも住みにくい世の中になってしまった。

 

人と人の関りが、大切な事を再認識させられた部分も沢山あったが、マスコミは表面だけをなぞって、報道し、助け、助けられなければ生きていけない人の存在に、あまり深く掘り下げない。

そして何より政治に対して、何も言ってこなかった責任は非常に大きい。

 

地球上でいつまでも続く戦争や紛争に終わりが見えないばかりか、新たな火種ばかりが目に付くようになってきた。

最近の世論調査では、日本の軍事費を増額させるべきと回答した人が「大幅に増やすべきだ」と「ある程度増やすべきだ」合わせて57%(産経新聞より)になったと報道している。

世界情勢を鑑(かんが)みての結果ではあるが、私には恐ろしい数字に写る。

なぜ同じ過ちをしようとするのか?

なぜ過去から学ばないのであろうか?

亡くなった人達は、後世に何を伝え、願ったのか?

民主主義の盲点は、自分の意志で限りなく情報を集め行動する人ばかりでは無い所だ。

感情に流されたり、一方的な情報を鵜呑みにして短絡的に答えを導き出すところの恐ろしさである。

ウクライナからの受け入れに対する、思いやり報道も決して悪い事でも無く、日本人として喜ばしい事ではあるが、移民政策一つとっても、その地位は曖昧のままで難民受け入れさえも何も変わらない。

ミャンマーウイグル問題、クルドの人達の存在は、まるで無かったかのような姿勢で、マスコミもほとんど報じない。

入管での死亡や人権に対する侵害行為も、その検証と責任を誰がどのようにしたかも、全く耳に入らない。

おまけに、これほどネットワークが発達し様々な情報が見れるのにも関わらず、自分達にとって心地よい、都合の良い情報ばかりを見てしまう。

当たり前だが、少数意見でも耳を傾ける事や十分な議論と色々な方向性の提示、それを選択する際の情報を届ける事が民主主義の基本である。

あった事を無かった事にしたり、一方的な情報を流したり、また少数派と言われるような人達の口封じを何度も繰り返し、誰も責任を取らない政治家たちと、その人達を選ぶ国民の責任は非常に大きい。

宗教がらみのお願い投票や、自身の利益の為に政治家を選ぶ事の愚かさは、やがていつか自身に跳ね返ってくる。

それは、自分達の未来である子供達と、この国に生れ亡くなっていった人達への裏切りに他ならない。

神社に詣でし、玉ぐしを捧げ、手を合わせる事が単なるパフォーマンスにならないよう切に願いたい。

(ウイキペディアより)

帰りを待つ身に

物言わぬ白黒が

帰りたいと手の中で

震え涙で曇るその幼さ

無理やり大人にさせられて

守り抜いた信念は

代わりに生きろと散っていく

帰れぬ想いは海に乗り

流れて着いた76年の風便り

今年も夏がまた訪れる

 

この機を逃すまいと、憲法改正や敵基地攻撃や司令部の攻撃まで現行法で可能という馬鹿げた意見を述べる政治家達に、責任を取る覚悟があっての発言だとは到底思えないし、自国での次期戦闘機開発の話も聞こえてくる。

他国、主にアメリカから膨大な軍備を購入し続け、新たな基地を作り、未だに地位協定の見直しすら出来ない政治家達が、どうやって責任を取れるのであろうか?

情報戦略にしても遅れをとり、基礎研究を疎かにし目先の利益ばかり求めた結果、技術者の海外転出に始まり、日本のお家芸であった技術力も低下しているのが現実だ。

私達は、重い扉を憲法という鍵で封印した国だ。

何故なら、例え他国から制定に干渉があったにしろ世界に誇れる憲法だからだ。

日本の立ち位置は何処かの国に偏る事では無い。

幸いにも日本は島国であり、陸続きの国境線が無い。

世界で一番歴史の長い国であり、様々な宗教にも寛容で、その長い歴史の中で「思いやり」と「謙虚さ」を育んできた国なのだ。

この国が世界に対してやるべき事は、武力では無く理想と希望を込めた対話と、蓄積された技術力なのだ。

食糧や環境問題、医療関係で日本が貢献できることは沢山あり、外国の人達に幸せになってもらう事をやり続ければいい。

そして、日本の国旗を見ればその願いが見えてくるはずだ。

日の出ずる国「Land of the Rising Sun」の役目だと思う。

災害も多いこの国の未来図を描ける優秀なリーダーの出現を願うばかりだ。

このままでは、残念ながら多数決という手段で同じ過ちを繰り返す事になる。

 

火災が起きている建物のドアノブを触り熱くなっている時、むやみに扉を開ける事はしないだろう。

まずどんな状態なのか情報収集する事から始め、しっかりとした装備をで現場に入る。

それは、経験や過去から学んだことからくるものだ。

前述の様な、憲法による封印された扉をもし開くのであれば、「歴史」という経験や知識という武器は意味のないものになってしまう。

きな臭い国際情勢を理由に改憲論を主張する人達に考えてもらいたいのは、今世界で起きている悲惨な数々の出来事と改憲とはまったく別次元の関係のない話であり、日本の未来を決める事を安易に、しかも早急にやるべき事では無いという事だ。

 

選択を誤れば取り返しの出来ない、後戻りできないという事実を国民全体で共有し、時間をもっとかけるべき課題なのだ。

放射能を無害化できる技術が確立された時に、災害で命が無くなる人がいなくなる社会基盤が整ってからでも遅くは無いのだ。

 

核が今最強の兵器であり、抑止力になっているが、生物兵器化学兵器も核爆弾に見劣りしないぐらいの威力を持っているのも事実だ。

ベトナム戦争でも枯葉剤による悲惨な出来事が起きた事からも分かる。

そして先の大戦で日本も、細菌兵器開発の為の捕虜に対する非人道的な扱いをやったのも事実なのだ。

(息子の小中教科書には一切載っていない。やられた被害は記載されているが、やった事は書かれていなかったし、私の時代の教育でも知る事は無かった)

今や情報も含めたデジタルによる攻撃も、大きな脅威になっている。

電力網を含めたライフラインの乗っ取りも現実味を帯びている。

もし、そうなれば日本中がパニックに陥る事だってありうるシナリオなのだ。

電気が無くなった時の事を想像すれば解るはずだ。

いざ戦争が起きれば良い戦争も、悪い戦争も無く、戦争のルールさえ形ばかり、形骸化されると考えるのが普通であろう。

犯人探しをしている間に、多くの犠牲者が出るのも解りきっている事だ。

3.11の大震災の様な災害は、人を選んだり手心を加えたり、ルールがあるわけもなく、それも突然襲って来る。

戦争や紛争、差別や民族主義、宗教や民族からくる優劣など、それらは人間自らが生み出す残忍な最悪の災害ともいえる。

自然災害よりもたちが悪く、憎しみや増悪を助長し続ける。

子供や女性が犠牲にならない戦争なんてありえないし、たとえ生き延びたとしても、自然災害ならまだしも、命を奪われた家族や親族にとっては、相手は悪魔でしかない存在として一生恨み背負い続ける事になる。

この世で一番恐ろしい兵器は、災害は人間なのだ。

残忍で愚かな人間という生物の誕生は、一方で生きる意味を問い続けてきた唯一の動物でもある。

喜怒哀楽をもたされて生まれた人間は、人に対してだけでは無くあらゆるものに対する共感や共有出来る力を持っているとも言える。

すなわち知恵で生き延びる方法を探る能力も持ち合わてるともいえるのではないか。

同じ人間だけでは無く、他の動物に対してもありがたみを感じ、死を悼む心を持っているのには、必ず訳があるのだ。

 

扉は自ら開くものだ。

だから責任を取らなければならない。

決して、誰かのせいにしても誰も責任を取らない。取れない。

過去が、歴史が証明している事であり、死んだ人間が生き返ることなど無いのだ。

だからこそ、考える頭をもって私達は生まれてきた事を、改めて認識したい。

 

そして扉は、封印した扉ばかりでは無く他に沢山あるのだ。

愚か者が持っているその扉の鍵を回させてはならないのだ。

人間の英知を結集する事で、未来という鍵を使い、開けられる扉が必ずある。

楽観論者として見られようが、私は人間を信じたい。

詩を読み、音楽を奏で、物語を紡ぐ事が出来る人間を信じたいのだ。

 

イギリスのジェリー・アンダーソン制作スーパーマリオネットで作られた国際救助隊「サンダーバード」という幼い頃から大好きだった番組がある。

ご存じに方もたくさんいらっしゃると思うが、彼らの任務は国境を超えて、災害や事故現場に急行し、命を救う事を目的としている。

いつか、国連の演説で日本のリーダーが、こう高らかに宣言する。

自衛隊は国際救助隊となり、世界中の空を飛び、海を越え命を守る組織に編成する」と。

赤の丸が入った白い機体が世界中を駆け巡るその光景を想像するだけで心が躍る。

それは、私の夢ではあるが、様々な災害で、国民の命を救ってきた自衛隊の方々。

日本はそれにふさわしい下地があるのだ。

そんな日が来ることを心から願っている。

 

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子供はタイムマシーン!⦅オリジナル曲「未来」⦆(2)

子供って幸せに一番近い所にいるんだ

だって

ポロポロ幸せを落としながら歩いているから

涙だって本物だもの

寄り道だって

アトラクションに変えちゃうんだから。

ポケットに入りきらないんだね。

ほら!また落としたよ

 

どんな未来を生きていくのか、どんな未来を作っていくのか。

いずれにせよ、「生」を楽しみ、命の歓喜を味わって欲しいのです。

それは我が子だけではなく、世界中の子供達に願う「祈り」ともいえる気持ちです。

子供たちの笑顔ほど、幸せなものはないし、

子供たちの涙ほど、悲しいものはないのです。

 

大人も、以前は子供でした。

走りたくて、飛び上がりたくて仕方がなかった子供だったのです。

キラキラした目と、時間を忘れるぐらい遊んでいた子供だったのです。

忘れ物したように時々空を見上げて、そんな風に思い出します。

子供達が不幸になるような国は、いずれ滅ぶでしょう。

 

以前住んでいた場所の近くに大きな公園があり、幼い子供を連れて沢山の人が遊びに来ていました。

その中には、日本人ばかりではなく、中国、ロシア、クルドの人達の姿も時々見受けら、子供達には何の偏見も無く、言葉は通じずとも互いに遊びながら楽しく時間を過ごしていました。

生れた時には、誰も恨みや偏見、差別する心は持ってはいません。

砂場で、オモチャの取り合いはしょっちゅうでしたが、それは単なる成長過程から生まれる執着心からで、大人の様に根に持ったり、欲を満たし続ける為ではありません。

はしゃぐ子供を、声を出して騒ぐ子供を見る事はこんなにも楽しいモノかは、若い頃には考えもしませんでした。

幼い頃に観た景色を大人になってみると、こんなにも小さな世界だったと思う事があると思います。

それは、頭が忙しく活発に動いている為、大人が差も当たり前としている景色を見過ごす事無く、味わっているからと、そして低い視線で見ていたからでしょう。

 

大人を見た時は、大きくて怖くて頼もしい目で見ていましたが、大人になった私は、バカで情けなくて頼りない存在になってしまいました。

それでも、子供の心持に近づきたい時があります。

動き回る事の楽しさや、好奇心いっぱいで見る世界。

意味もなく集めたドングリやダンゴムシセミの抜け殻。

いつまでも、流れる水にてを当ててびしょ濡れになった事。

今では砂場やブランコを見ると、何故かしら寂しい気持ちになります、

もしかしたら遊び足りなかったかも知れません。

 

日々顔を合わせていると、つい口出しをしたくなるような歳になった息子。

知り合いの家庭での子供達への愚痴を友人や妻から聞く度、いつの時代も変わらないと思いながらも、我息子にはあまり口出しをしない様にと思いとどまる様にもなりました。

我身を振り返ると、親の助言の90%は聞いていても、実行に移す事は無く、自分で失敗してからちゃんと聞いておけば良かったと思う事ばかり。

勿論、モノを大切にしなかったり、彼の行動が健康に悪影響を与える時や、汚い言葉を使った時には叱りますが、兎に角元気でいてくれているだけで幸せだと思うのです。

 

戦争や災害、飢餓、事故や病気で毎日のように子供が死んでいくニュースが流されています。

とりわけ辛いのは、虐待や育児放棄で命を落とした子供や自ら命を絶った子供達です。

やりきれないのは、その死が無駄になってしまう大人達の対応です。

順番に死んでいくのが生物界の掟でしょう。

しかしその順番が狂ってしまう事を防ぐ事が出来たにもかかわらず、毎日のように尊い命が奪われてしまう事です。

紛争や戦争も同じ事でしょう。

大人も子供の時代があったのです。

その大切さが解るはずでしょう。

 

マイケル・ジャクソンMichael Jackson)の言葉より

「When I see children, I see the face of God. That’s why I love them so much. That’s what I see.」

『子供達を見るとき、そこに神様の顔がみえる。だから僕は子供達が大好きなんだ。それこそが僕が見てるものなんだ。』

 

息子を見ていると生きていてくれているだけで幸せだと思わずにいられないのです。

何より、笑顔の瞳の奥にある、希望のキラメキを大切にしてやりたいと思うばかりです。

親はいくつになっても親だと改めて実感します。

私は両親との折り合いが悪く早々と家を飛び出しましたが、その事を両親はどう感じていたのか?と思うようになりました。

長い年月がかかりましたが。

何故なら、我が子を授かった事も理由ですが、子供達や若者を見る事のが楽しくなった事が大きな理由です。

最近も、SNSで知り合った若者と話をしましたが、思った以上にしっかりしていて、ちゃんと自分の考えを持っている若者で、まだまだ日本の若者も捨てたもんじゃないと実感しました。

いつの世も大人は「今の子供、若者は!」と愚痴をこぼしているもんです。

そう言いながら、幼い頃の純真さを捨てて、当たり前の様に愚痴りながら毎日を繰り返しています。

 

人生は何が起きるか解りません。

死の片りんも感じさせない生き生きとした若い人達を見る事が出来るのは、そこに未来を見い出すからでしょう。

裏返せば、残り少なくなった自分の人生の時間を考えるようになったからかもしれません。

子供は宝物であり、社会が大切にしない限り未来は決して来ないのは確かです。

 

以前にも載せたアインシュタインの言葉より

「Study and, in general, the pursuit of truth and beauty is a sphere of activity in which we are permitted to remain children all our lives.」

『学ぶこと。そして真実と美を追求すること。このことに関しては、ずっと子どものままでいていいのだ。』

 

『未来』オリジナル曲

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対人関係に悩まない⦅グラデーション⦆(3)

夜の街を歩いていると

影がいっぱい映るんだ

本当の影はどれだろう?

僕は独りっきりなのに

太陽の様な

まっすぐな光に照らされる影は

はっきりと一つだけ

そんな風に

誰かを照らしてあげたい

あなたが誰か迷わないように

 

歳をとると、今迄の自分のやってきた事を振り返る事が多くなりました。

多くの人との出会いや経験、一つ一つに意味があったと納得させている自分です。

若い頃には判らなかった善悪や本音と建前、人間の素晴らしさと、醜さなどなど。

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特に人間関係では病気になるくらい辛い思いもしましたが、素晴らしい人達との出会いもあり、自分と他人との間にある良くも悪くも繋がりがあってこそ、今の自分がいる事は確かです。

昔は、いい人、悪い人とハッキリ分けていた感情が、今はグラデーションの様に境目が無くなってきたのです。

自ら省(かえり)みても、ある人にとってはイヤな人間と映っていただろうし、付き合いの悪い自分勝手と思われていたかもしれません。

反面、記憶に残るような人間像として思ってくれた人もいるかもしれません。

いずれにしろ、日によって、環境によって変わっていく心の揺れがあり、確たる自分、何者なのかをハッキリとさせる事には無理がある事を学んだのです。

意地悪だったり、優しくなったりと白黒では無いグラデーションの中で行ったり来たりしている心があり、それは自分だけでなく他の人も同じように揺れ動いているのでしょう。

 

フィリピン人の妻は毎日のように人間関係に絡む悩みの話を私にします。

愚痴をこぼす事は心の健康から考えると良い事で、私はなるべく耳を傾けるようにしていますが、

ただ妻の性格は私と違って割り切る事が得意とみて、尾を引く事はほとんどありません。

日本人なら少なくとも考えるであろう、先の事や過去の態度は気にせず、今起きている不合理に対してモノが言えるのは、ある意味うらやましく思います。

 

私自身も数々の職場での人間関係の難しさを多く経験してきました。

どの職場でも気が合わない人や、意地悪、嫌味を口にする人がいました。

イヤな思いをさせる人の特徴は大体2通りあります。

「自分のイヤな部分を相手の中に見出し、不快感が増す」

例えば、ハッキリと意思表明が出来ない人がいると、自分もそのような事で嫌な思いをしたことがある為苛立ち、同じようなタイプの人を見つけると攻撃するのです。

すなわち相手を見ると、まるで情けない自分の事を見ているようで嫌になるのです。

「自分が持っていないものを相手が持っている事に対するジェラシー」

上司から親しくされていたり、同僚と楽しく過ごしていたりと自分には無い部分として、やっかみもあり何かと言って来るのです。

そして、言えない相手と言い易い相手を区別し、反抗や反撃してこない人に対しうっぷんを晴らす為に攻撃するのです。

相手を鏡として見て自分を確認しているので、自分に自信が無い人なのでしょう。

共通して言えるのは、地位が上の人や権限を持っている人に対する態度と、それ以外の人に対する接し方に大きなギャップがある事でした。

「長い物には巻かれろ」という生き方を選んでいるのかもしれません。

ただ、その長いものがいつまでもあるわけでは無い事に気付いていない場合が多く、その為に急におとなしくなった人も何人も見てきました。

 

以前も書きましたが、世間では人付き合いに関する情報があふれかえっています。

御多分に漏れず、私もその様な本を読み漁りましたが全く意味の無いものでした。

何故なら、皆違う人間であり、どんな助言や心構えを習っても実践として役に立たないモノばかりでした。

そうなんです。誰でも頭では解っているのです。

ただそれが出来ないとか勇気が無い等の理由をつけて、なんとか自分を保っているだけなのです。

いまだに格言やことわざ、名言が読まれ続けている事を見ると、人間はさほど進化していないという事です。

 

残念ながら、人はすぐに変わる事は出来ませんし、むしろ変わらない生き方を望む人の方が多いかもしれません。

まして、周りが変えようとしても本人の気付き無しにはほぼ不可能で、歳と共に難しくもなります。

一生嫌な人で終わる人生もあるでしょうし、後悔しながら終わる人もいるでしょう。

もしくは正しいと信じて、自分本位を貫く人生もあるのです。

 

このブログで「人生は苦である」と書いてきました。

楽を求める事から始める姿勢は間違っているとも言えます。

苦の連続であり、垣間見せる小さな明かりが「幸せ」とも書きました。

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私達はグラデーションの世界で生きています。

負の方に時に善の方にと留まってはいませんし、境界線があるわけでもないのです。

一概に外国人の考え方として比べることは出来ませんが、白と黒、正義と悪、天国と地獄といったハッキリとした振り分けでは無い、日本人が育み持ってきた曖昧さもグラデーションと言えるもので、決して悪い事では無く、逆にこんな世の中だからこそ見直し、大切にしなければいけないものなのです。

イヤな想いをしている人も勿論の事、させている人もグラデーションの中で生きているのです。

泣きたい時や悔しい時、自分が情けないと嘆く時もあれば、人を傷つけ、怒り、嫉妬する事もグラデーションの心の中で行ったり来たりしています。

ですから、気を付けなければいけない事は、自分にとってイヤな人を「こんな人」と決めつけない事です。

私も経験がありますが、決めつけてしまうと自分の心が狭まってしまうのです。

例えば嫌な人から離れたり無視をしたりする事は一時避難としては有効ですが、その時のあなたはグラデーションの悪い方向に傾いているかもしれないからです。

「仲良くしろ」「もしかしたらいい人かも」「私が我慢すればいい」と思う必要はまったくありません。

あなた自身の心の動きを観察し、負の方向に行かない様にする事

その為に泣くのもいいし、誰かに話し、愚痴を聞いてもらうのもいいでしょう。

空や海といった広い空間を見る事でもいいでしょう。

大好きな音楽や、映画を観るのも手です。

あなたが、負に巻き込まれる事が一番良くないのです。

負に書き込まれてしまうと、あなた自身を傷つけるばかりか、大切な人まで辛い思いをさせてしまうかもしれません。

負の方に傾いた状態で、さらに深追いしてしまうからです。

「心」はそれがとても得意なのです。

もし、子供さんがいるなら抱きしめたり、手を握ったり、頭を撫でる事でも心が落ち着きます。

子供は、良い方向に導く力を持っているからです。

もしお子さんがいない時は、近所の保育園や公園で遊ぶ子供達を見るのもいいかもしれません。

すなわち、「可能性」を感じさせてくれる人やモノと接する事です。

小さな世界から抜け出すのです。

心は、思っている以上に広いのですから。

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今、人間関係で悩んでいる人に私の経験から言える事は、例え良しとしない方向に行ったとしても、良い方向に変えられる力を持っているという事、すなわち弱さや痛みを経験すればするほど、深みのある色のグラデーションを持っているという事の「気付き」です。

その気付きが同じように修正する力を持った人を、あなたの周りに集めてくれるからです。

磁石と同じで、自然の成せる素晴らしい摂理と言ってもいいでしょう。

だから、自分にとって好ましくない人の側に居たくなくなるのです。

すなわちイヤな思いをさせる人は、グラデーションの中という意識が薄く、悪い方向から良い方向に戻す力が弱い人で、線引きをしたがる本当に可愛そうな人なのです。

そして、自ら意味のない線引きをする人を引き寄せてしまいます。

線引き、境界線を作ると、それが人の判断の独自基準となり思うようにいかない事を他人にぶつけてしまう、要するに短絡的な考えに陥っているのです。

言い換えると、在りもしない線引きや境界線を引く事の愚かさです。

 

心はいつも明るくニコニコしている状態を持続する事なんてそんな簡単に出来ません。

ていうか、無理なのです。

たった一時間の中でも嫌な、情けない自分や、はたまた褒めてやりたい自分がいるのです。

もし線を引いてしまうと自分を卑下するか、もしくは天狗になるかの短絡的な思考になってしまうからです。

 

生きていく中で経験や学び、そこから生み出される様々な感情。

それは、人生という色の積み重ねです。

例えば、幼い頃はピンク色辺りをウロウロしているのですが、赤、すなわち危険な方向に行きそうになると、周りの親や大人がピンクの方に引き寄せてくれます。

けれども、大人になるにつれ、安全な、良い方向に引っ張ってくれる人は減っていきます。

それでも色の積み重ねは続いていきますが、優しさや、人を思う気持ち、痛みが解る人間であればあるほど、暖かい色が重なっていくのです。

反対に、自分を顧みず人の気持ちを考えられない人は、沢山の色を欲しがり、やがて闇の色になってしまうのです。

絵具を全部混ぜると、ダークになる事と同じです。

そして、自ら作り出した白と黒、良し悪しといった、ありもしない線引きに苦しむ事になるのです。

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誰でも人間関係で悩み、眠れなかったり辛い思いをしたりするものです。

自分の弱さもイヤなところも全てグラデーションのあなたです。

心はグラデーションであり、自分を「こうだ!」と決めつけない事です。

行ったり来たりするものですから。

暖かい色のグラデーションを重ね、まるで虹の様にする事だって出来るのです。

何故なら、いつも出発点にあなたは立っているからです。

あなたは常に新しいのです。

 

過去の嫌な思いをした事や悩んだ事も、振り返ってみると「大した事でも無かったなぁ」と思うようになります。

時間はかかるかもしれませんが、ただし、その時その時の選択は大切にして下さい。

揺れ動く心でも優しい人でありたいならば、ずっと優しい人でいて下さい。

優しさの方向に近づくように、常に心を見張っている事です。

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「良い方向」「悪い方向」「負」「正」その意味を決めるのはあなたです。

「これだ!」と断言できるものは無いのです。

もし迷うなら一歩下がる、すなわち「謙虚になる」という事でしょう。

頭(こうべ)を垂れないと見られない世界、見上げる世界は子供の視線と重なり、きっと大きく広いものです。

その時に同じように、見上げている人が必ずいます。

 

あなたの「気付き」は、新しい出会いを呼び込む事でしょう。

そして、知らずに誰かの支えになる存在となります。

それは偶然では無く、あなたが引き寄せた必然だからです。

今日もどこかで誰かが過去を振り返っています。

あなたが、その誰かの過去の素敵な一部として残りますように。

 

余談になりますが、

人類が誕生して以来、中性化が徐々に進んでいる事をご存じでしょうか?

最近では、精子の奇形や現象、異性に興味が持てないといった人、いわゆる草食系が、クリニックを訪れる様なニュースも流れていましたが、攻撃的な性格(性差を決めたり、筋肉を大きくするといった作用もあります)をつかさどる男性ホルモンであるテストステロンの量が少なくなり続けているのです。

すなわち、集団生活する上で、攻撃的な性格人は必然的に孤立してしまいます。

結果、そのような人の子孫が減り、より同調性が高い脳を持つ人の遺伝子が残っていったという訳です。

 

反対にテストステロンの量が増えている女性が、多くなっているとも言われています。

なかには、このままだと人口が減るとさえ言う学者もいるのです。

自然は私達人間に、何を求め、何をさせようとしているのでしょうか?

平和を望んでいるのか?

人類を排除したいのか?

結果を見る事は私の歳では無理ですが、いずれにせよ、いつか地球は無くなってしまいます。

自らか?

自然にか?

宇宙(そら)というはるか遠い過去を見上げながら、私の探求の日々は、まだ終わりそうにありません。

 

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人生って何?⦅努力と運⦆(3)

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20代の頃から音楽に夢中になり、自宅に小さなスタジオもどきの様な資材を置き、毎日のように打ち込みというコンピューターによる音の貼り付け作業をしていました。

昼頃から始め、気が付くと真夜中だった事もあり、振り返ってみると好きな事をやっている時間は、努力でも無ければ、勉強でも無い一種のアドレナリンの放出時間だったように思います。

結果作業も早くなり、色々なアイデアやテクニックを学んでいました。

こんな時間を過ごせたことは、私にとっては大切な青春の1ページで、と同時に夢中になる事の楽しさと、努力や勉強は別なものと理解したのです。

30代頃、素敵な彼女ができ、車の無かった時なので彼女に会いにいく為、電車で1時間かけてよく会いに行ったものです。

そして恋愛をした方は解ると思いますが、時間はあっという間に過ぎ、何度も終電に間に合わず、40キロメートルの道を歩いて帰っていましたが、それは苦痛でも何でもありませんでした。

白みかけた空を見ながら、幸せをかみしめていたからです。

 

どちらかというと面倒くさがりの私は、努力や才能には無縁でしたし、自ら行動を起こすタイプでもなく、まあ世間でいうとありきたりな人間でした。

自分に自信を持てない、夢見の馬鹿と言ってもいいくらい、世間とはかけ離れた先を考えない生き方をしていました。

 

ふと我身を振り返った時、自分の人生は自分のものだったのか?と疑問が湧いてきた時がありました。

自由気ままに40代後半まで独り、定職につかず暮らしてきた中で、何度も生まれてきた意味や人生について考えてきましたが、結婚し子供が生まれ、人生とは?という問いに対する答えも変わっていきました。

自分で何事も決め、やりたい事をやって来た生き方から、相手の事を考え話し合い、時にはぶつかり合い、物事に対する決断や生き方が重くなっていきました。

家族と言えども、一人一人人間として独立した存在で決して自分の思い通りにはなるものではありません。

自分が描く人生の在り方は、もはや他の人間を左右する存在になったと自覚したのです。

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人生の意味や生き方について考える動物は人間だけです。

そして「心」という概念を私達は生み出しました。

心は、想像力をもってすれば、見上げる空よりも広い空間となります。

ただ、空間は人それぞれで、詰め込むものも違います。

同じように人生の意味を考えた時、何かの指針があるかの様に思うかもしれませんが、一人一人みんな違うのが当たり前でしょう。

目の前の事や少し先の未来に対する夢や目的は、多かれ少なかれ誰しも持っているでしょうし、自己啓発本を読み、環境を変え、断捨離をして方向を変えようとする事もあるでしょう。

ただ、人生という大きな捉え方をすると、ハッキリと「こうだ!」とは言えないのが現実なのです。

 

明日どうなるか解らない生活をしている人がいるかと思えば、帰る家が無く新宿辺りでうろつく若者達。

死を選ぶ事でしか救われないと考えている人もいれば、「何色がいい」と着ていく服に悩んでいる人もいる。

この違いは、決して本人だけの責任でも選択でもなく、あくまで環境や運によるものが大きいのです。

生れた所や教育、出会う人達や住んでいる地域と、一つでも違えば、今まさにビルから飛び降りようとする気持ちになる事だってあるのです。

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人生に意味付けする事は簡単です。

「誰か人の為」「奇跡の確率で生まれたから」「何となく生きていきたい」「自分でしか出来ない事がある」「夢を叶える為」等など、人の数だけあるでしょうが、それは生きていく中で見つけてきたものであり、人生というひとくくりでの意味では答えにはなっていません。

この世には、自分の力ではどうしようもない事が沢山あります。

コツコツやる事が出来る人や端折(はしょ)るのが得意な人、運動に長けた人や挑戦するのが好きな人など持って生まれたこと以外にも、運不運もあります。

同じ教育を受け、同じ先生に習ったとしても、全く同じ人生を送る事はありません。

例えば努力する事の大切さは解っていても、向き不向きな人がいるのも事実です。

努力すれば報われる為には、運や環境、お金や素質など様々な要因が上手く絡まらないと、そもそもが難しい事であり、皆がみんな報われる事はほとんど無いし、努力が水の泡になる事の方が多いのです。

夢を持てと言われても、その夢さえ描けない人やその他の要因であきらめざるを得ない人も沢山います。

いくら運動能力が高くても、環境や運でオリンピック選手になるか、ただの凄い人だけで終わるかの違いは、本人だけの力ではどうしようも出来ない要因次第で、言い換えればラッキーかアンラッキーだったという事だけかもしれません。

高いモチベーションを維持し、問題をクリアにしていける人達は、努力ではなく夢中になっているからだとも言えます。

すなわち偉人達が言う努力は、本人が夢中になっていた時期を指すかもしれませんし、「諦めるな」「頑張れ」は、人によっては逆に苦痛でしかない言葉かもしれないのです。

でもそれが現実で、名を馳せ、功績を称えられる様な人はほんの一握りなのです。

努力や夢を持つ事を無駄だとか否定している訳ではありません。

同じ価値観で物事が進む事が、万人に通用するという考え方の怖さと愚かさを知ってもらいたいのです。

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考えたような生き方が出来なかったり、夢が叶わなかったりする事は、多くの人が多かれ少なかれ経験していると思います。

だから来世に希望を持ったり、輪廻に願いを込めたり、宗教に運命としての受け止め方、心構えの意味を見い出したりと、それぞれのやり方で、納得させているのかもしれません。

奇跡が起きると思う事も、何か判らない見えない力が働くという感覚も、願望であるにすぎず、歯車がたまたまかみ合ったともいえる時かもしれないのです。

また普段の行いや学びによって、意識せずとも身体が動いている状態の事を指すかもしれません。

突然、災害や事故で無くなる人達にもし奇跡が起きるなら蘇らせて欲しいし、見えない力があるなら事前に知らせて欲しものです。

 

私達は「努力せよ」「あきらめるな」と言われながら、能力や素質に加え、「運」という自分ではどうしようもない事だらけの世の中に暮らしているのです。

たまたま通りがかった道で交通事故に会う人と、一枚だけ宝くじを買って大当たりする人の違いは、運というその人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせによるもので、常にその「運」に左右されながら生きているのです。

血液型や星座など、持って生まれた「運」もどきは、心の持ちように影響を与える事はあっても、どうなるかは、誰にも解らない根拠のないものであり、それが故に逆にそうあって欲しいという願望が信じたくなる気持ちにさせ、物事が動くと運不運を持ち出しているのです。

それを題材にした映画などが多いのも、信じたいが為の題材だからです。

と、言いいながらも「運」がいい生き方はしたいものです。

人知を超えた「運」はさておき、今やれるような事柄でいうと、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の言葉もある様に、沢山の出会いや多くの行動に関係していて、色々とやればやるほど、確率的に良い結果も増え選択肢も広がり、効率性が良くなり経験がマイナス面を補ってくれ、失敗を回避出来る様になるからです。

結果、運が良かったと感じられるのです。

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例を一つ出して見ましょう。

「犬も歩けば棒に当たる」ということわざがあります。

繋がれたままの犬にとっては、何の刺激も無く弱っていくだけです。

そして犬がジッとしていれば、勿論棒には当たらないでしょう。

そして棒に当たる事は、犬にとっては不運な事かもしれませんが、歩く事で好みの異性と思わぬ出会いがあるかもしれないのです。

散歩の回数が多ければ多いほど確率も高くなり、棒をよける能力も高くなるという訳です。

この場合、犬は散歩の回数をこなす事が努力となり、結果好きな相手と出会う確率が高くなり、すなわち「運」が良くなったという事です。

 

TVでよく見るバラエティー番組で運動選手が的を射抜く競技を見ますが、彼らは一般の人よりもはるかに練習量が違い、的に当てる確率が高いのは当たり前です。

そして、練習そのもが努力と思われがちですが、やりたい事だからという前提があるからこそ練習してきているのであり、他人から見ると努力と見えているだけで、本人にすれば夢中になってやってきただけかもしれません。

ただ人間なので、心理状態や環境に少なかれ影響され、結果によっては運がいい悪いを判断しているにすぎないだけで、いわゆる「この人は持っている」と言われるような得体のしれない力が作用したわけでも何でもないという事になります。

 

何かに夢中になり、続けてきた事が振り返った時に「努力してきた」という表現になるのでしょう。

何かを始めるキッカケは人それぞれで、たまたま興味がそそられたり、湧いたり出来るものに当たった人は、幸運と言えるのです。

そして夢中になる事で、いわゆる「運」が良くなると思えるような事が必然的に起きるのです。

 

結局「オギャー」と生まれた途端、未知なる世界が始まり、運命という名の元、誰かの人生を参考に生きているだけかもしれません。

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時計だったり、車だったり、置物や家具と人それぞれ大切にしているモノがあると思います。

愛着やお守りといった意味合いで大切にしているモノです。

ですから、傷をつけないように壊れないように丁寧に扱っている事でしょう。

私達の身体も、そのようなものなのです。

生れて与えられた身体に愛着を持ち磨き上げ大切にして、月日に、時間に委ね、壊れるまで責任をとらなくてはならないのです。

すなわち、身体を借りていると捉えてもいいかもしれません。

ですから乱暴に扱ったり、誰かを傷つけたりする事を良しとしないのです。

この星に人間という器を与えられ生まれたという、どの人種にも当てはまる共通認識の感情の部分であり、それこそが「人生」というひとくくりでの意味なのです。

 

人生は、あなただけのものでは無いという事が前提であり、

何か目的を達成する為や、良い行いをする事、

社会に貢献する為や幸せになる事の前にある、「意識」すなわち人間として生まれたからこそ持ちえた、共感共鳴謙虚さ想像力といった感情が、

人間という器に組み込まれている事への「気付き」なのです。

 

自分の事として感じられる心や、守ってあげたい気持ち、居て欲しいと願う祈りや死んで欲しくないという根本部分の事です。

その気付きこそが、人生に対する肉付けの源になり、一人ひとりの生きがいや目標になるのです。

 

ヘイトや憎悪、差別は過去何度も繰り返されてきました。

国や民族という大きなくくりだけでなく、身近でも、容姿や考え方の違う人、外国人や障害者の方たちへの差別やイジメといった恥ずべき事は相変わらず無くなってはいないのです。

「ありがとう」「ごめんなさい」を言えない、人間の皮を被ったまがい物です。

「気付き」が出来ない心無い人達にとっては人生を語る資格もなく、生まれたその訳を勘違いしている可愛そうな人達なのです。

そして、そんな人達には、ハッキリと「気付き」の大切さをもって、毅然とした態度で接する事が、心ある人に変わるキッカケにもなるのです。

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人生は人それぞれの時間と長さがありますが、コントロールする事はムリです。

この限られた大切な時間を、借りている大切な身体を使って何をするか?

それは、苦の中で一瞬輝く幸せを味わう事であり、人生を遊ぶ事です。

だから個々に人生の意味なんかはありませんし、探っても答えは見つかりません。

仲良く遊び、やがて還るだけなのですから。

何が起きるか解らない危険な場所でもある自然の中に身を置き、陽が落ちるまで大好きな人達と遊ぶ時間はスリルに満ち、かけがえのない時になるでしょう。

その為には、例え束の間の時間だとしても、生きる続ける事が必要なのです。

何があっても生き続ける事。

そして人生を遊ぶ。

遊びは夢中にさせてくれる最高の題材だからです

 

いくつになっても

夢中になれるものはある

つまらないものでも、何でもいい

役に立つか立たないかなんて、どうでもいい

ルールも無いし、自由なんだから

いつの間にか

楽しくなって

自然と身体が動き出すような

踊りたくなるようなモノなら

もっといい

遊ぶような気持なれば

もっといい

 

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信じる事、信じ続ける事

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理想と現実は生きていく中、誰しもぶつかる問題でしょう。

世の中を見回しても、なぜこんな事が許されるのか?なぜ人間同士がいがみあうのか?

日常でも、真面目に生きても報われない?正直者では損をする?というような方向に考えが生きがちです。

 

たった一度きりの人生

大切な時を刻みながら

毎日毎日飽きるほど

奇跡を味わって

先の見えない連続を

僕らは当たり前だと装って

いったい何を求めているのか

何を期待しているのか

こんなにも切なくなるほど

生きているのに

 

世の中には理不尽な事が沢山あります。

偉人達はその理不尽さをどう理解し、どの様な心持でいるべきかを様々な言葉で残しています。

アインシュタイン

「If people are good only because they fear punishment, and hope for reward, then we are a lot indeed. 」

『もしも人々が罰を怖れ報酬を求めるというただその意味でだけ良い人間であろうとするのなら、私たちは本当に哀れな集団である。』

と残しています。

 

生きている中で、また何かの困難に見舞われた時、名言や言葉が正しい方向を示し導いてくれます。

例えば、聖書や孔子の言葉である『罪を憎んでも人を憎まず』すなわち「人は元来、善なもの」とも言えますし、

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ウィキメディア・コモンズより

『独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐るる者は必ず人に諂(へつら)うものなり。

常に人を恐れ人に諂う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。』

という福澤諭吉の言葉には、「自己の中に確たるものを持ち貫く大切さ」を表しています。

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ウィキメディア・コモンズより


また、アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt)アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)の言葉

「Learn from the mistakes of others. You can’t live long enough to make them all yourself.」

『他人の失敗から学びなさい。あなたは全ての失敗ができるほど長くは生きられないのだから。』

からは、「流されるのではなく、時間を大切にし日々学びなさい」という意味が読み取れます。

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ウィキメディア・コモンズより

「Live your life as though your every act were to become a universal law.」

『自分の一つ一つの行為が普遍的法則になるかのように生きるのだ。』

イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、ドイツの哲学者の言葉

「模範となるような、名誉となるような生き方をしなさい」という意味になるでしょう。

 

「Have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become.」

『あなたの心と直感に従う勇気を持って下さい。それらはどういうわけか、あなたが本当になりたいものを既に知っている。』

ティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)アップル社で有名なアメリカ合衆国の起業家のあまりにも有名な人の言葉。

「周りに流され、我慢している事の愚かさと、元から兼ね備わっている自分という代えがたい存在を無駄にしてはいけない」という意味にもとれます。

 

有名なアリストテレス( Aristotelēs)古代ギリシアの哲学者

Courage is the first of human qualities because it is the quality which guarantees the others.」

『勇気は人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるから。』

文字通り、勇気の大切さを語っているものであり、「何事も信念を貫く勇気を持ち、自分の行動一つで変わっていくものだ」という意味に捉える事が出来ます

 

『金がないから何もできないという人間は、金があってもなにも出来ない人間である。』

江戸時代を代表する俳諧師の一人である小林 一茶の言葉です。

「お金に囚われる事なく、違う価値観を持て」ともとれる言葉でしょう。

 

今まであげてきた偉人達の言葉は今なお通用する言葉ですが、多くの人達は「解っているんだけれど……」「現実は違うんだよなぁ……」という捉え方になってしまいます。

映画や本などの世界では、正義が勝つし、勇気を持って挑んだ事柄には、ちゃんとそれに見合うような、言い方は悪いですが対価も得られる設定が多く、名誉や高潔さに対する賛美も多くみられます。

お金に関しても、お金が全てでは無いという事は頭では解っているのですが、現実問題としてお金が必要だと、大半の人が考えるのも当然だと思います。

また「愛」についても永遠なるモノであり、真実の愛こそが何事にも打ち勝つ力であると思ってはいるのですが、実際に自分の身の回りでの「愛」に対する捉え方とのギャップに開きが大きく、それは映画や芝居の世界の出来事として、あくまでも理想という形で解釈しているのでしょう。

いわば理想と現実があり、私達はその狭間の中で揺れ動いているのでしょう。

 

儒教に、五常(仁、義、礼、智、信)という言葉が出てきます。

一つ一つの漢字を見れば想像が出来ると思いますが、改めて、漢字の持つ力には驚きますし、その文化が今もなお受け継がれている事に感謝です。

個々の意味は、調べればすぐ出てきますので、ここでは省きますが、読んで字のごとく、人として生きて生きていく上での大切な言葉ですが、その元になる素質は生まれながらにして持っているものであり、だからこそ、身に付け、自分のモノとして磨き上げていく事の大切さを説いているのですが、私達は色々な理由をつけ、いつの間にか理想、そうでありたいと言い訳をするようになってしまいました。

そして知らず知らずのうちに、自らの世界を狭めていているのです。

諦め、妥協する数がどんどん増えていき、先延ばしにしチョとしたことで悩み苦しむようになってしまっているのです。

自ら問題を抱え込み、それも次から次へと。

安心できないのです。問題が無くなる事が。

落ち着かないのです。

周りがまるで置いてきぼりを食わしているように見えるのです。

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私達は子供に対して「嘘をついてはダメ」「正義の味方は必ず悪に勝つ」「やる気を出せ」「夢を持ち、いつか必ずあきらめなければ叶う」「愛は地球を救う」と教えてきました。

しかし同時に子供達は、夢の無い大人の後ろ姿を見続けながら大きくなっていくのです。

あくせくしながら毎日文句を言い、見えない所でズルをして誰かのうわさ話をし、自らか叶えられなかった夢を子供達に押し付けるのです。

そう、小さな大人なの世界を見せ続けながら。

 

狭い世界からの抜け出る唯一の方法は、「謙虚さ」です。

謙虚さには、想像力が伴います。

何故なら、既に思いやりが隠れていて、想像力が痛みや悲しみを共有させてくれるからです。

共有は、やがて喜びと変わり世界が広がるのです。

自信の無さからくる謙虚な行動や、優しさを謙虚さと勘違いしてはいけません。

謙虚さに自信があるか無いかの裏打ちなんて関係ない事です。

「謙虚な人だけど物足りない」「謙虚な態度だけど、自分の意見を言えない人」

それは、謙虚さと何の関係もない、謙虚の意味を解っていない人の言葉に過ぎず、

そもそも謙虚さは他人を必要としない、自分自身の力なのです。

学びの源にもなり、自制心を作り出し、相手の良さを引き出す事が出来るものです。

自身の世界が広がる事は、見方を変える事が出来るという事です。

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毎日通学路に立つ、歳をとられた70代ぐらいの女性の交通安全員の方を見ます。

自転車で季節を問わず同じ時間に同じ場所に行き、旗を掲げ、ドライバーに頭を下げ、子供達の安全を見送るその方の事を考えている人は、きっと一握りの人しかいないでしょう。

風景の一部としてただ、流れていくだけかもしれません。

決して夢を与えている訳でも、正義を振り回している訳でもありませんが、ただそこには、暖かな優しさに溢れた空間があるのは事実です。

この国は、そんな名も無き人達で成り立っている事を忘れてはいけません。

 

私達は現実とのギャップを感じながらも、理想とするものを持ち続ける事の大切さを知っているはずです。

それは、人間として生まれた、人としての本質の部分であるからです。

例え現実がそうでなくとも、絵空事であったとしても、そうありたいと願い続ける事を諦めてはいけないのです。

そこに見出されるものは、他人や社会という基準ではない自分に対する自分の想いだからです。

自らが尊いものを持って生まれ、それは善の素質を持ち、勇気が後押しをする夢や希望は、例えその通りの世界でなくとも、例え大人になろうとも、持ち続け、死ぬまで信じ通すべきなのです。

だからこそ、その想いが「魂」となって受け継がれてきているのです。

それはまた、滅びる事では無いという裏打ちでもあります。

 

君がいずとも、地球は回る

でも

君がいれば、世界が変わる

君という基点は、常に新しく

方向性を指し示すだろう

それは繋がりによる可能性であり

君無くしては、始まらない

君がいる奇跡は、既に用意され

そうあるべきして

この世に産み出された

だからこそ、命の連続は

君無くしては、始まらない

 

もしかしたら信じる事は、時には嘘をつく事になるかもしれません。

しかし人間であるならば、可能性を持ち続ける力は備わっているはずです。

例え理不尽であろうとも、理想と程遠くても自身に問いかけ、人としての「道」に軌道修正しても遅くはありません。

 

尊厳という言葉があります。

死者に対する弔(とむら)いにも通じる重い言葉で、広辞苑大辞泉では、「とうとくおごそかで、おかしがたいこと。気高く犯しがたいこと。また、そのさま」と説明されています。

尊厳は、人から与えられるものでは無く、自身を律する「憲法」の様なものです。

歴史が積み上げてきた、知恵と勇気の賜物なのです。

どの時代にもその様な心を持った人がいたからこそ、今私達が存在しているのです。

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信じる事、信じ続ける事

子供達に教える大切なメッセージは、大人にこそ必要なメッセージなのでしょう。

あなたの肩から後ろになびく、赤いマントの様に!

 

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今、私達が考えなければいけない事

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生きる全ての源は

この星の寛大さと果てしない時間で

謙虚という秩序の下に許される

なぜ、分かり合えない?

なぜ、認めあえない?

憎しみや、悲しみを

生み出すのは、なぜ?

この星は、そんな事の為に

時間を使う事を嫌う

もういいだろう

十分だ

愚かさは血の色で

日が沈む色

悔い改める為にまた陽が沈む

 

昨年から始めたこのブログ、週に2回記事を更新するつもりで書いてきました。

記事の元になるテーマや内容は、20代後半から書き溜めたノートがあり、自問自答した内容を書き止めていて、それを記事として構成しながら書いてきました。

今年2022年になり、身近ではコロナに息子がかかり濃厚接触者になったり、息子の進学等、金銭的にもかなり追い詰められていて、なかなか記事を書くことが出来ませんでした。

加えて戦争や子供の虐待など暗いニュースが毎日のように流れ、自身の病気(精神的な)も重なり精神的に不安定になってしまいました。

記事のストックもあるのですが、今の世の中に対して実生活を照らし合わせた時のギャップが大きく、なかなか更新する事をためらっていました。

 

これほど毎日のように沢山の命が脅かされ、奪われていく惨状をリアルタイム同様流れているのは、私の記憶では無かった事です。

今までも数多くの紛争や戦争もTV等のニュースで流れてはいましたが、どこか遠い国の出来事として捉えていた気がします。

ただ大きく違う点は、依然と比べ圧倒的な普通の人々による情報発信のせいで、より身近な出来事として受け止められるようになった事で私の受け止め方もかなり変わってしまいました。

普段と変わらない生活と同居している戦争という非現実な世界を目の当たりにし、心が落ち着かなく、そわそわし、追い立てられるような毎日となっているのです。

 

TVでは相変わらず、消費を促すような宣伝や大食いばかりですし、ニュースの中でもグルメやチェーン店の宣伝の肩代わりするような番組構成で相変わらず放映され、どうしてもマスコミの在り様に納得が出来ないのです。

 

物価やモノ不足による値段上昇等、値上げの話には敏感ではあるのですが、ではなぜそのような事が起き、何が原因でどうすべきかの政府の危機管理や方向性の指針がほとんど伝わらない、いや伝えようと奮闘しない公共放送を始めとしたマスメディアに、正直あきれ返っています。

一方で輸入に多くのモノを依存している日本という国に対する私達も含めて、あまりの危機感の無さに驚くばかりです。

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そして、戦争に関する問題も、地理的にも西側諸国に近く白人(偏見ではありません)という事もあり、マスコミやネットでは大きく取り上げています。

それは、民主主義を守る上で、とても大切な事ですが、戦争や紛争、人権侵害は世界中あちらこちらで起きている現在進行形であるという事を私達は忘れてはいけないのです。

北朝鮮の拉致に関しても、全く進展していない事も思い出して欲しいのです。

シリア難民や香港やウイグルミャンマーといったアジア圏の問題もしかりです。

この報道の在り方は、情報量や目にする時間も含めあまりにもその温度差、違いすぎる事にも注意を向ける必要があるのです。

また、国内ではこの機会を利用し、どさくさに紛れるように核保有や核共有の話まで出てきています。

日米地位協定といった他国とは圧倒的に不利な条件で、変えようともしない現実を横に置いたまま、核の議論を持ち出す愚かな人達。

今起きている事実を直視し分析し、過去から学ぶという当たり前のことをせずに、いったい何をやりたいのか私には理解できません。

 

日本国憲法(前文)抜粋

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことにのみ専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達することを誓ふ。』

 

そして、日本国憲法第九条には、以下のように記されています。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

世界に誇れる憲法を持ったこの国。

憲法は、この国の理念を表すとともに、権力を持った人間や組織が暴走しない為にあるものです。

理想主義者のたわ言と思われるかもしれませんし、上辺でしかモノを見る事が出来ないと批判があると思いますが、誇れる日本の憲法の理念をこれからも持ち続けていきたいのです。

 

こんなご時世だからこそできる事、伝えられる事が沢山あるはずです。

SDGsを絡めても良いし、食品廃棄や規格、賞味期限などの問題を深く掘り下げる事も、いい機会になるはずです。

一例をあげて見ましょう。

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日本に給食が導入されたのは1889年で、徐々に制度が作られていくのですが、一説によると戦後ごはんではなく、コッペパン等の小麦を使用したのは、幼い頃から小麦の味を覚えてもらい、将来にわたって輸入してもらう為のアメリカの戦略という見方があります。

またファーストフードも同じ理由で、幼い時の記憶を次の世代に伝え、消費してもらう為だとも言われています。

仮面ライダーウルトラマンドラえもんと同じ理屈です。

したたかな戦略と言わざるを得ないこのような事も、食糧事情や国の行方と合わせて考え、見直す機会にもなるはずです。

 

娯楽番組が悪いとは思いませんし、笑いや心が暖かくなる話題は、精神的な意味からも必要な事ですが、まるで横にならえの様に公共放送までが同じ内容なのです。

例でいうと毎日のように、TVやSNSでペットの可愛い映像を流していますが、2020年4月~2021年3月の間に殺処分された犬猫は、減少傾向とはいえ23,764頭に上るのです。

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例えばフランスでは、ペットショップで2024年から犬や猫の店舗での販売が禁止されることになりました。

このような事実も合わせて報道する、伝える義務があるのですが、「可愛い」という情報ばかり垂れ流しているだけです。

 

課題として考えなければいけない事は沢山あります。

コロナで奪われた若者達の時間は、大人の時間とは比べようがないほど大切な時間です。

今の大人達が失われた時間を、どう補ってあげられるのか?

経済低迷やコロナなどでの生活困窮者の増加や、増え続けるお年寄りと老後、家時間の長さで生じる、様々な負の問題も顔を覗かせています。

だからこそ、子供達の未来や食べ物の大切さ、電力資源問題など多くの事を取り上げ、考えていくチャンスであるにも関わらず、なぜこんなにもマスコミは偏った見方ばかりなのでしょうか?

本来マスコミが持たなければいけない力がなぜ無くなってしまったのでしょうか?

なぜ深堀し、問題提起をしないのでしょうか?

今回のウクライナで起きている戦争で、ロシア側のマスコミが自由に発信する事を規制されました。

ロシア国内の一般人が一方的な情報しか得る事が出来無くなったという事です。

これは、情報統制という権力側に都合の良い常套手段で、過去の日本でも同じような事が行われてきました。

歴史を振り返ると湾岸戦争もしかり、北朝鮮や中国も今なお行われている事です。

いかにマスコミの力が弱くなると、とんでもない事になるという事例で、日本でも森友・加計問題や厚労省の統計不正、国土交通省の「建設工事受注動態統計」のデータの書き換えなど、政府に都合の良いデータの改ざんを、もし見抜けなければ国民にとっては大きな損失になるばかりか、情報操作、統制に繋がる危険な事になる可能性があるのです。

 

例え日本が戦争という悲惨な出来事に巻き込まれなくても、大災害が起きる確率は高いままです。

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日本という立地上、火山国であり四つのプレート(地球の表層部を覆う非常に硬い地塊)の境界線に位置し、日々地下では変化し続けている現状を忘れてはいけません。

今、色々な問題をあぶりだし、解決の糸口を見つけるチャンスではないのでしょうか。

先の食糧、経済、エネルギー問題に加え、原発の在り方も含め、電気の依存度が高い今の生活をどの様にしていくのか、もっと社会全体で議論してもいいのではないでしょうか?

戦争に見るライフラインの寸断は、決して他人事ではなく、我身に置き換えて考える事でその大切さをより感じる事が出来ます。

カードは、ただのプラスティックになり、タワーマンションは孤島になります。

夜は暗く信号機も点きませんし、情報は運が良ければ他国からの放送を聞く事が出来るかもしれません。

オール電化住宅では、食べ物にも事欠くでしょうし水もすぐ手に入らなくなり、商店からモノが全て無くなるでしょう。

怪我や病気になっても、助かる確率は数パーセントになり、一部外国の様に高速道路を滑走路として使用できるような造りになっていない為、大量の物資を遠くまで運ぶ事は困難になり、やがて物流も止まり、電源喪失による原発メルトダウンが始まり、後は死を待つしかなくなる事だってありうる話なのです。

 

日本は、資源や食物も、経済までも輸出入無くしては成り立たない国となっています。

維持するその前提となるのは何より平和であり、信用なのです。

ビザ無し渡航国数、最強のパスポートと、しっかりとした裏打ちのある「円」という通貨を持つ国が日本です。

それは、様々な国に貢献してきた、そして今なお活動している名も知らぬ人達のお陰なのです。

加えて、唯一の被爆国であるこの国の役割は、非常に重く大切な事なのです。

 

全ての人と仲良くする事は出来ないでしょう。

まして、殺された側の気持ちを考えると、報復や逆襲をする事を頭から非難する事は出来ません。

軽々しく、争いを悪と決めつけられないのも解っています。

私がもし家族を殺されたと思うと、許せるほどの心持もありませんし復讐するかもしれません。

ただ、この国に生れた意味と自分の中の人間性に、希望があるような気がするのです。

だからこそ、それでも武力という未来を描けない手段に頼ることなく希望を持ち、意志を貫く覚悟と、憲法が指し示し、誓う言葉の重みを忘れない事が、世界に対するこの国の大きな役割だと思います。

世界中から尊敬される国であるべきなのです。

数多くの様々な戦争や災害で命を無くされた方の想いは、後世に託した魂は、平和の大切さと生きる事の素晴らしさであり、もし、その意に反する事が成されるなら、その方向に進むとしたら、亡くなった人達の想いを踏みにじる事になるのです。

それが、亡くなった多くの人達への供養であり、誓いと私は信じています。

 

この美しい、かけがえのない地球。

きっと、悲しんでいる大きな存在がいる。

私達は、何の為に、何をする為、ここにいるのか。

この星が、望んでいる事は、今のような世界ではないはず。

与えられた、命を、夢を、灰色の絵具で塗りつぶして、

誰が、喜ぶだろうか。

 

この星の拡散する青色の下には、深くまで届く豊かな彩りがあり、

調和に満ちた光に満たされている。

それは、この星自らの、住人達への贈り物。

 

気付くと、答えてくれるこの星の忍耐に、

いつまでも甘えてはならない。

願わずにはいられない。

奇跡の星が望む、かけがえのない命の継続を。

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Gerhard JansonによるPixabayからの画像

 

余談ですが、TVや映画でみるSF作品のスタートレック宇宙大作戦)の世界では、貧困や戦争などが地球上から根絶されており、容姿や無知から来る偏見、差別も存在しない理想的な世界感で描かれており、貨幣という概念はなく、富や欲望とは無縁で、人間性重視で働いている為、無給なのです。

新たなる世界を求め、宇宙へと飛び立っていく夢に溢れた未来。

帰って来た時に、国境線の無い青い地球がある事を信じ、こんな日が、いつか来ることを願って!

 

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