子供って幸せに一番近い所にいるんだ
だって
ポロポロ幸せを落としながら歩いているから
涙だって本物だもの
寄り道だって
アトラクションに変えちゃうんだから。
ポケットに入りきらないんだね。
ほら!また落としたよ
どんな未来を生きていくのか、どんな未来を作っていくのか。
いずれにせよ、「生」を楽しみ、命の歓喜を味わって欲しいのです。
それは我が子だけではなく、世界中の子供達に願う「祈り」ともいえる気持ちです。
子供たちの笑顔ほど、幸せなものはないし、
子供たちの涙ほど、悲しいものはないのです。
大人も、以前は子供でした。
走りたくて、飛び上がりたくて仕方がなかった子供だったのです。
キラキラした目と、時間を忘れるぐらい遊んでいた子供だったのです。
忘れ物したように時々空を見上げて、そんな風に思い出します。
子供達が不幸になるような国は、いずれ滅ぶでしょう。
以前住んでいた場所の近くに大きな公園があり、幼い子供を連れて沢山の人が遊びに来ていました。
その中には、日本人ばかりではなく、中国、ロシア、クルドの人達の姿も時々見受けら、子供達には何の偏見も無く、言葉は通じずとも互いに遊びながら楽しく時間を過ごしていました。
生れた時には、誰も恨みや偏見、差別する心は持ってはいません。
砂場で、オモチャの取り合いはしょっちゅうでしたが、それは単なる成長過程から生まれる執着心からで、大人の様に根に持ったり、欲を満たし続ける為ではありません。
はしゃぐ子供を、声を出して騒ぐ子供を見る事はこんなにも楽しいモノかは、若い頃には考えもしませんでした。
幼い頃に観た景色を大人になってみると、こんなにも小さな世界だったと思う事があると思います。
それは、頭が忙しく活発に動いている為、大人が差も当たり前としている景色を見過ごす事無く、味わっているからと、そして低い視線で見ていたからでしょう。
大人を見た時は、大きくて怖くて頼もしい目で見ていましたが、大人になった私は、バカで情けなくて頼りない存在になってしまいました。
それでも、子供の心持に近づきたい時があります。
動き回る事の楽しさや、好奇心いっぱいで見る世界。
いつまでも、流れる水にてを当ててびしょ濡れになった事。
今では砂場やブランコを見ると、何故かしら寂しい気持ちになります、
もしかしたら遊び足りなかったかも知れません。
日々顔を合わせていると、つい口出しをしたくなるような歳になった息子。
知り合いの家庭での子供達への愚痴を友人や妻から聞く度、いつの時代も変わらないと思いながらも、我息子にはあまり口出しをしない様にと思いとどまる様にもなりました。
我身を振り返ると、親の助言の90%は聞いていても、実行に移す事は無く、自分で失敗してからちゃんと聞いておけば良かったと思う事ばかり。
勿論、モノを大切にしなかったり、彼の行動が健康に悪影響を与える時や、汚い言葉を使った時には叱りますが、兎に角元気でいてくれているだけで幸せだと思うのです。
戦争や災害、飢餓、事故や病気で毎日のように子供が死んでいくニュースが流されています。
とりわけ辛いのは、虐待や育児放棄で命を落とした子供や自ら命を絶った子供達です。
やりきれないのは、その死が無駄になってしまう大人達の対応です。
順番に死んでいくのが生物界の掟でしょう。
しかしその順番が狂ってしまう事を防ぐ事が出来たにもかかわらず、毎日のように尊い命が奪われてしまう事です。
紛争や戦争も同じ事でしょう。
大人も子供の時代があったのです。
その大切さが解るはずでしょう。
マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の言葉より
「When I see children, I see the face of God. That’s why I love them so much. That’s what I see.」
『子供達を見るとき、そこに神様の顔がみえる。だから僕は子供達が大好きなんだ。それこそが僕が見てるものなんだ。』
息子を見ていると生きていてくれているだけで幸せだと思わずにいられないのです。
何より、笑顔の瞳の奥にある、希望のキラメキを大切にしてやりたいと思うばかりです。
親はいくつになっても親だと改めて実感します。
私は両親との折り合いが悪く早々と家を飛び出しましたが、その事を両親はどう感じていたのか?と思うようになりました。
長い年月がかかりましたが。
何故なら、我が子を授かった事も理由ですが、子供達や若者を見る事のが楽しくなった事が大きな理由です。
最近も、SNSで知り合った若者と話をしましたが、思った以上にしっかりしていて、ちゃんと自分の考えを持っている若者で、まだまだ日本の若者も捨てたもんじゃないと実感しました。
いつの世も大人は「今の子供、若者は!」と愚痴をこぼしているもんです。
そう言いながら、幼い頃の純真さを捨てて、当たり前の様に愚痴りながら毎日を繰り返しています。
人生は何が起きるか解りません。
死の片りんも感じさせない生き生きとした若い人達を見る事が出来るのは、そこに未来を見い出すからでしょう。
裏返せば、残り少なくなった自分の人生の時間を考えるようになったからかもしれません。
子供は宝物であり、社会が大切にしない限り未来は決して来ないのは確かです。
以前にも載せたアインシュタインの言葉より
「Study and, in general, the pursuit of truth and beauty is a sphere of activity in which we are permitted to remain children all our lives.」
『学ぶこと。そして真実と美を追求すること。このことに関しては、ずっと子どものままでいていいのだ。』
『未来』オリジナル曲
↓ あなたの支援で助かる命
「変えたい」気持ちを形にする、 世界最大のオンライン署名プラットフォーム
↓ みんなで社会を動かす仕組み