生きる全ての源は
この星の寛大さと果てしない時間で
謙虚という秩序の下に許される
なぜ、分かり合えない?
なぜ、認めあえない?
憎しみや、悲しみを
生み出すのは、なぜ?
この星は、そんな事の為に
時間を使う事を嫌う
もういいだろう
十分だ
愚かさは血の色で
日が沈む色
悔い改める為にまた陽が沈む
昨年から始めたこのブログ、週に2回記事を更新するつもりで書いてきました。
記事の元になるテーマや内容は、20代後半から書き溜めたノートがあり、自問自答した内容を書き止めていて、それを記事として構成しながら書いてきました。
今年2022年になり、身近ではコロナに息子がかかり濃厚接触者になったり、息子の進学等、金銭的にもかなり追い詰められていて、なかなか記事を書くことが出来ませんでした。
加えて戦争や子供の虐待など暗いニュースが毎日のように流れ、自身の病気(精神的な)も重なり精神的に不安定になってしまいました。
記事のストックもあるのですが、今の世の中に対して実生活を照らし合わせた時のギャップが大きく、なかなか更新する事をためらっていました。
これほど毎日のように沢山の命が脅かされ、奪われていく惨状をリアルタイム同様流れているのは、私の記憶では無かった事です。
今までも数多くの紛争や戦争もTV等のニュースで流れてはいましたが、どこか遠い国の出来事として捉えていた気がします。
ただ大きく違う点は、依然と比べ圧倒的な普通の人々による情報発信のせいで、より身近な出来事として受け止められるようになった事で私の受け止め方もかなり変わってしまいました。
普段と変わらない生活と同居している戦争という非現実な世界を目の当たりにし、心が落ち着かなく、そわそわし、追い立てられるような毎日となっているのです。
TVでは相変わらず、消費を促すような宣伝や大食いばかりですし、ニュースの中でもグルメやチェーン店の宣伝の肩代わりするような番組構成で相変わらず放映され、どうしてもマスコミの在り様に納得が出来ないのです。
物価やモノ不足による値段上昇等、値上げの話には敏感ではあるのですが、ではなぜそのような事が起き、何が原因でどうすべきかの政府の危機管理や方向性の指針がほとんど伝わらない、いや伝えようと奮闘しない公共放送を始めとしたマスメディアに、正直あきれ返っています。
一方で輸入に多くのモノを依存している日本という国に対する私達も含めて、あまりの危機感の無さに驚くばかりです。
そして、戦争に関する問題も、地理的にも西側諸国に近く白人(偏見ではありません)という事もあり、マスコミやネットでは大きく取り上げています。
それは、民主主義を守る上で、とても大切な事ですが、戦争や紛争、人権侵害は世界中あちらこちらで起きている現在進行形であるという事を私達は忘れてはいけないのです。
北朝鮮の拉致に関しても、全く進展していない事も思い出して欲しいのです。
シリア難民や香港やウイグル、ミャンマーといったアジア圏の問題もしかりです。
この報道の在り方は、情報量や目にする時間も含めあまりにもその温度差、違いすぎる事にも注意を向ける必要があるのです。
また、国内ではこの機会を利用し、どさくさに紛れるように核保有や核共有の話まで出てきています。
日米地位協定といった他国とは圧倒的に不利な条件で、変えようともしない現実を横に置いたまま、核の議論を持ち出す愚かな人達。
今起きている事実を直視し分析し、過去から学ぶという当たり前のことをせずに、いったい何をやりたいのか私には理解できません。
日本国憲法(前文)抜粋
『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことにのみ専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達することを誓ふ。』
そして、日本国憲法第九条には、以下のように記されています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
世界に誇れる憲法を持ったこの国。
憲法は、この国の理念を表すとともに、権力を持った人間や組織が暴走しない為にあるものです。
理想主義者のたわ言と思われるかもしれませんし、上辺でしかモノを見る事が出来ないと批判があると思いますが、誇れる日本の憲法の理念をこれからも持ち続けていきたいのです。
こんなご時世だからこそできる事、伝えられる事が沢山あるはずです。
SDGsを絡めても良いし、食品廃棄や規格、賞味期限などの問題を深く掘り下げる事も、いい機会になるはずです。
一例をあげて見ましょう。
日本に給食が導入されたのは1889年で、徐々に制度が作られていくのですが、一説によると戦後ごはんではなく、コッペパン等の小麦を使用したのは、幼い頃から小麦の味を覚えてもらい、将来にわたって輸入してもらう為のアメリカの戦略という見方があります。
またファーストフードも同じ理由で、幼い時の記憶を次の世代に伝え、消費してもらう為だとも言われています。
したたかな戦略と言わざるを得ないこのような事も、食糧事情や国の行方と合わせて考え、見直す機会にもなるはずです。
娯楽番組が悪いとは思いませんし、笑いや心が暖かくなる話題は、精神的な意味からも必要な事ですが、まるで横にならえの様に公共放送までが同じ内容なのです。
例でいうと毎日のように、TVやSNSでペットの可愛い映像を流していますが、2020年4月~2021年3月の間に殺処分された犬猫は、減少傾向とはいえ23,764頭に上るのです。
例えばフランスでは、ペットショップで2024年から犬や猫の店舗での販売が禁止されることになりました。
このような事実も合わせて報道する、伝える義務があるのですが、「可愛い」という情報ばかり垂れ流しているだけです。
課題として考えなければいけない事は沢山あります。
コロナで奪われた若者達の時間は、大人の時間とは比べようがないほど大切な時間です。
今の大人達が失われた時間を、どう補ってあげられるのか?
経済低迷やコロナなどでの生活困窮者の増加や、増え続けるお年寄りと老後、家時間の長さで生じる、様々な負の問題も顔を覗かせています。
だからこそ、子供達の未来や食べ物の大切さ、電力資源問題など多くの事を取り上げ、考えていくチャンスであるにも関わらず、なぜこんなにもマスコミは偏った見方ばかりなのでしょうか?
本来マスコミが持たなければいけない力がなぜ無くなってしまったのでしょうか?
なぜ深堀し、問題提起をしないのでしょうか?
今回のウクライナで起きている戦争で、ロシア側のマスコミが自由に発信する事を規制されました。
ロシア国内の一般人が一方的な情報しか得る事が出来無くなったという事です。
これは、情報統制という権力側に都合の良い常套手段で、過去の日本でも同じような事が行われてきました。
歴史を振り返ると湾岸戦争もしかり、北朝鮮や中国も今なお行われている事です。
いかにマスコミの力が弱くなると、とんでもない事になるという事例で、日本でも森友・加計問題や厚労省の統計不正、国土交通省の「建設工事受注動態統計」のデータの書き換えなど、政府に都合の良いデータの改ざんを、もし見抜けなければ国民にとっては大きな損失になるばかりか、情報操作、統制に繋がる危険な事になる可能性があるのです。
例え日本が戦争という悲惨な出来事に巻き込まれなくても、大災害が起きる確率は高いままです。
日本という立地上、火山国であり四つのプレート(地球の表層部を覆う非常に硬い地塊)の境界線に位置し、日々地下では変化し続けている現状を忘れてはいけません。
今、色々な問題をあぶりだし、解決の糸口を見つけるチャンスではないのでしょうか。
先の食糧、経済、エネルギー問題に加え、原発の在り方も含め、電気の依存度が高い今の生活をどの様にしていくのか、もっと社会全体で議論してもいいのではないでしょうか?
戦争に見るライフラインの寸断は、決して他人事ではなく、我身に置き換えて考える事でその大切さをより感じる事が出来ます。
カードは、ただのプラスティックになり、タワーマンションは孤島になります。
夜は暗く信号機も点きませんし、情報は運が良ければ他国からの放送を聞く事が出来るかもしれません。
オール電化住宅では、食べ物にも事欠くでしょうし水もすぐ手に入らなくなり、商店からモノが全て無くなるでしょう。
怪我や病気になっても、助かる確率は数パーセントになり、一部外国の様に高速道路を滑走路として使用できるような造りになっていない為、大量の物資を遠くまで運ぶ事は困難になり、やがて物流も止まり、電源喪失による原発のメルトダウンが始まり、後は死を待つしかなくなる事だってありうる話なのです。
日本は、資源や食物も、経済までも輸出入無くしては成り立たない国となっています。
維持するその前提となるのは何より平和であり、信用なのです。
ビザ無し渡航国数、最強のパスポートと、しっかりとした裏打ちのある「円」という通貨を持つ国が日本です。
それは、様々な国に貢献してきた、そして今なお活動している名も知らぬ人達のお陰なのです。
加えて、唯一の被爆国であるこの国の役割は、非常に重く大切な事なのです。
全ての人と仲良くする事は出来ないでしょう。
まして、殺された側の気持ちを考えると、報復や逆襲をする事を頭から非難する事は出来ません。
軽々しく、争いを悪と決めつけられないのも解っています。
私がもし家族を殺されたと思うと、許せるほどの心持もありませんし復讐するかもしれません。
ただ、この国に生れた意味と自分の中の人間性に、希望があるような気がするのです。
だからこそ、それでも武力という未来を描けない手段に頼ることなく希望を持ち、意志を貫く覚悟と、憲法が指し示し、誓う言葉の重みを忘れない事が、世界に対するこの国の大きな役割だと思います。
世界中から尊敬される国であるべきなのです。
数多くの様々な戦争や災害で命を無くされた方の想いは、後世に託した魂は、平和の大切さと生きる事の素晴らしさであり、もし、その意に反する事が成されるなら、その方向に進むとしたら、亡くなった人達の想いを踏みにじる事になるのです。
それが、亡くなった多くの人達への供養であり、誓いと私は信じています。
この美しい、かけがえのない地球。
きっと、悲しんでいる大きな存在がいる。
私達は、何の為に、何をする為、ここにいるのか。
この星が、望んでいる事は、今のような世界ではないはず。
与えられた、命を、夢を、灰色の絵具で塗りつぶして、
誰が、喜ぶだろうか。
この星の拡散する青色の下には、深くまで届く豊かな彩りがあり、
調和に満ちた光に満たされている。
それは、この星自らの、住人達への贈り物。
気付くと、答えてくれるこの星の忍耐に、
いつまでも甘えてはならない。
願わずにはいられない。
奇跡の星が望む、かけがえのない命の継続を。
Gerhard JansonによるPixabayからの画像
余談ですが、TVや映画でみるSF作品のスタートレック(宇宙大作戦)の世界では、貧困や戦争などが地球上から根絶されており、容姿や無知から来る偏見、差別も存在しない理想的な世界感で描かれており、貨幣という概念はなく、富や欲望とは無縁で、人間性重視で働いている為、無給なのです。
新たなる世界を求め、宇宙へと飛び立っていく夢に溢れた未来。
帰って来た時に、国境線の無い青い地球がある事を信じ、こんな日が、いつか来ることを願って!