心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

信じる事、信じ続ける事

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理想と現実は生きていく中、誰しもぶつかる問題でしょう。

世の中を見回しても、なぜこんな事が許されるのか?なぜ人間同士がいがみあうのか?

日常でも、真面目に生きても報われない?正直者では損をする?というような方向に考えが生きがちです。

 

たった一度きりの人生

大切な時を刻みながら

毎日毎日飽きるほど

奇跡を味わって

先の見えない連続を

僕らは当たり前だと装って

いったい何を求めているのか

何を期待しているのか

こんなにも切なくなるほど

生きているのに

 

世の中には理不尽な事が沢山あります。

偉人達はその理不尽さをどう理解し、どの様な心持でいるべきかを様々な言葉で残しています。

アインシュタイン

「If people are good only because they fear punishment, and hope for reward, then we are a lot indeed. 」

『もしも人々が罰を怖れ報酬を求めるというただその意味でだけ良い人間であろうとするのなら、私たちは本当に哀れな集団である。』

と残しています。

 

生きている中で、また何かの困難に見舞われた時、名言や言葉が正しい方向を示し導いてくれます。

例えば、聖書や孔子の言葉である『罪を憎んでも人を憎まず』すなわち「人は元来、善なもの」とも言えますし、

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ウィキメディア・コモンズより

『独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐るる者は必ず人に諂(へつら)うものなり。

常に人を恐れ人に諂う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。』

という福澤諭吉の言葉には、「自己の中に確たるものを持ち貫く大切さ」を表しています。

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ウィキメディア・コモンズより


また、アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt)アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻(ファーストレディ)の言葉

「Learn from the mistakes of others. You can’t live long enough to make them all yourself.」

『他人の失敗から学びなさい。あなたは全ての失敗ができるほど長くは生きられないのだから。』

からは、「流されるのではなく、時間を大切にし日々学びなさい」という意味が読み取れます。

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ウィキメディア・コモンズより

「Live your life as though your every act were to become a universal law.」

『自分の一つ一つの行為が普遍的法則になるかのように生きるのだ。』

イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、ドイツの哲学者の言葉

「模範となるような、名誉となるような生き方をしなさい」という意味になるでしょう。

 

「Have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become.」

『あなたの心と直感に従う勇気を持って下さい。それらはどういうわけか、あなたが本当になりたいものを既に知っている。』

ティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)アップル社で有名なアメリカ合衆国の起業家のあまりにも有名な人の言葉。

「周りに流され、我慢している事の愚かさと、元から兼ね備わっている自分という代えがたい存在を無駄にしてはいけない」という意味にもとれます。

 

有名なアリストテレス( Aristotelēs)古代ギリシアの哲学者

Courage is the first of human qualities because it is the quality which guarantees the others.」

『勇気は人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるから。』

文字通り、勇気の大切さを語っているものであり、「何事も信念を貫く勇気を持ち、自分の行動一つで変わっていくものだ」という意味に捉える事が出来ます

 

『金がないから何もできないという人間は、金があってもなにも出来ない人間である。』

江戸時代を代表する俳諧師の一人である小林 一茶の言葉です。

「お金に囚われる事なく、違う価値観を持て」ともとれる言葉でしょう。

 

今まであげてきた偉人達の言葉は今なお通用する言葉ですが、多くの人達は「解っているんだけれど……」「現実は違うんだよなぁ……」という捉え方になってしまいます。

映画や本などの世界では、正義が勝つし、勇気を持って挑んだ事柄には、ちゃんとそれに見合うような、言い方は悪いですが対価も得られる設定が多く、名誉や高潔さに対する賛美も多くみられます。

お金に関しても、お金が全てでは無いという事は頭では解っているのですが、現実問題としてお金が必要だと、大半の人が考えるのも当然だと思います。

また「愛」についても永遠なるモノであり、真実の愛こそが何事にも打ち勝つ力であると思ってはいるのですが、実際に自分の身の回りでの「愛」に対する捉え方とのギャップに開きが大きく、それは映画や芝居の世界の出来事として、あくまでも理想という形で解釈しているのでしょう。

いわば理想と現実があり、私達はその狭間の中で揺れ動いているのでしょう。

 

儒教に、五常(仁、義、礼、智、信)という言葉が出てきます。

一つ一つの漢字を見れば想像が出来ると思いますが、改めて、漢字の持つ力には驚きますし、その文化が今もなお受け継がれている事に感謝です。

個々の意味は、調べればすぐ出てきますので、ここでは省きますが、読んで字のごとく、人として生きて生きていく上での大切な言葉ですが、その元になる素質は生まれながらにして持っているものであり、だからこそ、身に付け、自分のモノとして磨き上げていく事の大切さを説いているのですが、私達は色々な理由をつけ、いつの間にか理想、そうでありたいと言い訳をするようになってしまいました。

そして知らず知らずのうちに、自らの世界を狭めていているのです。

諦め、妥協する数がどんどん増えていき、先延ばしにしチョとしたことで悩み苦しむようになってしまっているのです。

自ら問題を抱え込み、それも次から次へと。

安心できないのです。問題が無くなる事が。

落ち着かないのです。

周りがまるで置いてきぼりを食わしているように見えるのです。

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私達は子供に対して「嘘をついてはダメ」「正義の味方は必ず悪に勝つ」「やる気を出せ」「夢を持ち、いつか必ずあきらめなければ叶う」「愛は地球を救う」と教えてきました。

しかし同時に子供達は、夢の無い大人の後ろ姿を見続けながら大きくなっていくのです。

あくせくしながら毎日文句を言い、見えない所でズルをして誰かのうわさ話をし、自らか叶えられなかった夢を子供達に押し付けるのです。

そう、小さな大人なの世界を見せ続けながら。

 

狭い世界からの抜け出る唯一の方法は、「謙虚さ」です。

謙虚さには、想像力が伴います。

何故なら、既に思いやりが隠れていて、想像力が痛みや悲しみを共有させてくれるからです。

共有は、やがて喜びと変わり世界が広がるのです。

自信の無さからくる謙虚な行動や、優しさを謙虚さと勘違いしてはいけません。

謙虚さに自信があるか無いかの裏打ちなんて関係ない事です。

「謙虚な人だけど物足りない」「謙虚な態度だけど、自分の意見を言えない人」

それは、謙虚さと何の関係もない、謙虚の意味を解っていない人の言葉に過ぎず、

そもそも謙虚さは他人を必要としない、自分自身の力なのです。

学びの源にもなり、自制心を作り出し、相手の良さを引き出す事が出来るものです。

自身の世界が広がる事は、見方を変える事が出来るという事です。

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毎日通学路に立つ、歳をとられた70代ぐらいの女性の交通安全員の方を見ます。

自転車で季節を問わず同じ時間に同じ場所に行き、旗を掲げ、ドライバーに頭を下げ、子供達の安全を見送るその方の事を考えている人は、きっと一握りの人しかいないでしょう。

風景の一部としてただ、流れていくだけかもしれません。

決して夢を与えている訳でも、正義を振り回している訳でもありませんが、ただそこには、暖かな優しさに溢れた空間があるのは事実です。

この国は、そんな名も無き人達で成り立っている事を忘れてはいけません。

 

私達は現実とのギャップを感じながらも、理想とするものを持ち続ける事の大切さを知っているはずです。

それは、人間として生まれた、人としての本質の部分であるからです。

例え現実がそうでなくとも、絵空事であったとしても、そうありたいと願い続ける事を諦めてはいけないのです。

そこに見出されるものは、他人や社会という基準ではない自分に対する自分の想いだからです。

自らが尊いものを持って生まれ、それは善の素質を持ち、勇気が後押しをする夢や希望は、例えその通りの世界でなくとも、例え大人になろうとも、持ち続け、死ぬまで信じ通すべきなのです。

だからこそ、その想いが「魂」となって受け継がれてきているのです。

それはまた、滅びる事では無いという裏打ちでもあります。

 

君がいずとも、地球は回る

でも

君がいれば、世界が変わる

君という基点は、常に新しく

方向性を指し示すだろう

それは繋がりによる可能性であり

君無くしては、始まらない

君がいる奇跡は、既に用意され

そうあるべきして

この世に産み出された

だからこそ、命の連続は

君無くしては、始まらない

 

もしかしたら信じる事は、時には嘘をつく事になるかもしれません。

しかし人間であるならば、可能性を持ち続ける力は備わっているはずです。

例え理不尽であろうとも、理想と程遠くても自身に問いかけ、人としての「道」に軌道修正しても遅くはありません。

 

尊厳という言葉があります。

死者に対する弔(とむら)いにも通じる重い言葉で、広辞苑大辞泉では、「とうとくおごそかで、おかしがたいこと。気高く犯しがたいこと。また、そのさま」と説明されています。

尊厳は、人から与えられるものでは無く、自身を律する「憲法」の様なものです。

歴史が積み上げてきた、知恵と勇気の賜物なのです。

どの時代にもその様な心を持った人がいたからこそ、今私達が存在しているのです。

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信じる事、信じ続ける事

子供達に教える大切なメッセージは、大人にこそ必要なメッセージなのでしょう。

あなたの肩から後ろになびく、赤いマントの様に!

 

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