心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

バイク便ライダーは、キツイ!

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バイクは、非日常の世界を体感できる、最高の乗り物です。

視界360度、マシンとの一体感、アクセルやクラッチ、ブレーキとその一つ一つに応えてくれるマシン。

乗って見ないと、この感覚は解らないでしょうね。

 

ただ、危ない乗り物には、変わりありません。

30代半ば、とにかくお金が欲しくて仕事を探していました。

当時スズキのバンデット250㏄に乗っていて、折角なので好きなバイクを使っての、この仕事を選びました。

バイク便の内容は多岐にわたり、公共性のある新聞やテレビ局などからの依頼や電話会社や部品メーカーなど会社からの依頼。個人から、例えば、空港でパスポートを忘れた事に気付き、取りに行ってくれ等様々な仕事依頼になるべく早く時間内に届ける仕事でした。

基本給はあるのですが、歩合制で、件数をこなし、それも長距離を走れば、お金になる仕事でした。

ですから、数をこなす為、スピードも上げて走るのです。

当時大阪は、東京と違って、バイクは片側2車線でも一番左を走るのが常識で、渋滞していても、左の路側帯をものすごいスピードですり抜けるのが、バイク便ライダーの常でした。

同業者のバイクが走っていようものなら、意地でもその前に出るという、大変危険な馬鹿野郎ばかりでした。勿論私もその中の馬鹿野郎でした。

速さが売りのこの仕事。

当時はナビもスマートフォンも無いので、ポケベルを持たされ、地図をタンクの上のタンクバッグに乗せ走り回り、雨の日は、特に危険でかなり過酷でした。

当時、横断歩道はハシゴのような路面標示で、中に水が溜まって、とても滑りやすかったのです。

同僚の中にも転倒してる奴がいました。

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少し慣れた頃、事務所で待機していた時に同僚からの電話が。

「今どこにいるか解りません?!」

届け先を把握していたバイク便の責任者が

「周りに何が見える?」

同僚「草原が見えます!」

その場にいた皆が大笑いでした。

彼は、浄水場の上の芝生を見ていたらしく、その人は勿論クビになりました。

地図が読めないと、仕事にならないからです。

 

またある日、当時出回りだした携帯電話を届ける仕事の依頼がありました。

電話会社から顧客へ届ける仕事です。

この頃、携帯電話の修理依頼が多く、毎日のように依頼があったのです。

言われた住所に着いても、建物が解らないのです。

すると、少し離れた所に止めていたベンツがパッシング。

そして中から体格の良いお兄さんが

「待っとったんやでぇ!もうちょっと遅かったらえらい事やでぇ~!」

私はビクビクしながらお金をもらい帰りました。

その後も、怖い系の人達には悩ませられました。

今でこそ笑い話ですが、恐ろしかった経験です。

 

またある日、ポケベルが鳴り、事務所に電話しようと、電話ボックスを探していましたが、その地域が悪かった!

大阪でも当時は荒れて、物騒な町があり、探せど探せど、電話の受話器の線が切られているのです。

これにはホントに参りました!

その後どうしたかの記憶はありませんが、いつの時代にも悪い奴がいるものです。

 

そのうち私は眼鏡用レンズを各眼鏡屋さんに配達するルート廻りに変わりましたが、ルートとは言え、速さが求められるのは同じ。

大阪の某眼鏡レンズ会社から、京都や滋賀県をカバーする範囲の広い仕事で、とにかく無我夢中で毎日走りまわっていました。

 

同僚のルートライダーが、事故に遭い入院したり、常に危険と隣り合わせの毎日でした。

そして起きたのです。事故が!

滋賀県の琵琶湖沿い、渋滞中の道路の左を走っていた時、前から来た車が右折。

いわゆるサンキュー事故です。

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右折しようとする車に、道を譲る為、前との車の間を開ける時に発生する事故の事で、私は、正面からぶつかって10mも飛ばされ、左腕の2本とも骨折し、足のあちこちに擦過傷。

たまたま運よく後ろを走っていた白バイ警官が助けてくれ、私の顎部分が割れたフルフェイスのヘルメットを脱がしながら「よく助かったな!もう少しでポールにぶつかっていたよ」と。

そして落ちた所が、たまたま植込みだったのも良かった事を教えてくれました。

で、そのまま救急車で入院。自宅から80㎞以上離れた病院へ。

ここで初めて看護師、いわゆる男の看護師さんと出会いました。

とても優しくしていただき、一人きりの入院生活の不安が和らいだ事をはっきり覚えています。

入院中、屋上で煙草を吸いながら見上げたオリオン座がとても綺麗で、

「俺は何をやってんだろう」とつぶやいていました。

骨折した腕の骨の中にステンレス棒を入れ固定するという、今考えただけでも痛い手術をして、約一カ月後退院。

バイクは無茶苦茶に壊れてしまい、中古のホンダ VT250に乗り変え、懲りずにまた、バイク便に復帰しました。

復帰後しばらくして、骨の中の棒を抜くため病院へ。

いやぁ~痛かった。

ところがその後リハビリしても、手首がうまく回らないのです。

要は手のひらを上に出来なくなってしまい、お釣りを受け取る際も、体をひねらないといけない状態でした。

その結果、骨を削る手術をする羽目に。

災難は続きました。

そして、また現場へ。

相変わらず事務所では「俺のここには、棒が入っている」とか「寒いと、うずくんだよね」と言って大きな傷跡を見せる奴とか。

とても普通の会話ではなかった記憶があり、私もその仲間でした。

とにかく危ない仕事でした。

それでも乗っていたのは、バイクが好きという理由が一番大きかったと思います。

そしてまた事故。

今度は車の左横を走行中、車がいきなり左折。

右手小指が、車と自車のハンドルに挟まれ骨折。

仕事を辞めるきっかけになりました。

 

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グローバル Web アイコン警視庁公認 交通安全情報サイト TOKYO SAFETY ACTIONより

 

車を運転している方へ

対向してくるバイクは小さく、遠近感で遠くに見える為、右折の際、大丈夫と思われがちです。

また、バイクに乗っていない人には判りにくいのが、考えている以上にスピードが出ています。

交差点での右折やUターン時は、十分意識して車を操作して下さい。

また、対向してくる車のすぐ後ろに走っている時があります。

特に大型車の後ろは見えにくいので、注意が必要です。

左折時や助手席のドアを開ける際、バックミラーの死角に入る事があるので、気を付けて下さい。

昨今の、あおり運転もバイクでは死んでしまいます。

実際にも起きましたが、バカな真似は絶対にしないで下さい。

 

バイクもまた進化していますが、ライダーは生身で、事故の際は車と違い、かなりリスクがあるのは、昔と同様です。

たとえ原付バイクでも、ライダー自身が身を守る「もしかしたら運転」に気を付けて、バイクとの素敵な、時間を過ごしてください。

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「スズキ バンディット250」水冷DOHC4バルブ並列4気筒・最高出力40PS / 14,000rpm・最大トルク2.5kgf・m / 10,000rpm・車重146kg - 147 kgのネイキッドバイク。

鋼管丸パイプを強調したダイヤモンド構造のフレームが、とても美しいデザインの車で、4ストローク水冷4気筒エンジンは、かなり高回転まで回す事が出来る楽しいバイクでした。

マーブルピュアーレッドの色も相まって、一目ぼれしました。

後に、カウルの付いたバージョンが発売になり、仮面ライダー気分を味わえるバイクでもあり、

このカウル付きが欲しくて仕方がなかったバイクです。

 

「ホンダ VT250スパーダ」水冷4ストDOHC4バルブV型2気筒・249cc・40PS/12000rpm

2.6kg-m/9000rpm・車重140kg V型エンジンの為、車幅が細く、すり抜けに適していたのと、ホンダカブから受け継がれている、エンジンの耐久性、燃費の良さで、バイク便のバイクと言われるほど、需要がありました。

個人的には、万人受けで個性の無い印象の車でしたが、信頼できるバイクでは、トップクラスでした。(冒頭の写真)

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最近、宅配やデリバリーで、スクーターや自転車が町中を走り回っています。

一部の心無い人達が、交通法規を無視したり、事故を誘発するような光景を、私も見るようになりました。

運んでいるのは、品物だけではなく、自分の命も乗せている事を忘れないで欲しいものです。

二輪は、車との事故では必ず怪我や、最悪死ぬこともあります。

対歩行者では、加害者となり一生の後悔が残る事を忘れないで下さい。

また、スリッパやサンダル等は、指や足を守る意味でも、非常に危険です。

ちゃんとした靴と長袖長ズボンで乗って下さい。

 

大切なあなたを含め、誰かが悲しむような事にならないよう、毎日惰性ではなく、新たな気持ちで運転して下さい。

勿論、スマートフォン見ながら運転は、危険極まりない行為です。

情報のほとんどが、目から入ってきます。

目隠しをして運転なんか出来ません。

取り返しのつかない事を起さないよう、安全運転で走って下さいね。

 


最新バイク図鑑 2021-2022 (ヤエスメディアムック675)

 

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幸せの見つけ方

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誰かを傷つけ

嘘をついてその場しのぎをし

恨んだり、憎んだり

怒ったり、羨(うらや)んだりした時

その手に握っていた鍵で開ける

思い出の引き出しの中に

何が入っているのでしょう?

 

あなたが持っている鍵はきっと

逆上がりが出来た時

友達と、倒れるほど飲み明かしたり

心揺さぶる音楽との共鳴

新しい命との出会い

そして

誰かを必死で愛している時の鍵

 

引き出しを開ける度

幸せの笑みがこぼれ落ちる

 

多くの人が幸せになりたいと思って生活し、

様々な媒体を使って、生き方や、悩み、人生論を読んだり、聞かされたり。

その時は「ん-ん、そうだったのか」と思い、自分の糧として、取り込むようにします。

偉人たちが残した言葉も、親が伝えてきた教えも、

頭では理解していても、なかなか実践には至らない。

断捨離をし、偉いお坊さんの話に納得をし、

テレビの有名人の話に共感を得たり……

けれど、いつの間にか、それは理想になり、

自分には無理だと思い始め、日々の中に埋もれていくのです。

そして後悔し、再び情報に救いを求め始める。

それの繰り返しが、実情なのでしょう。

 

人間は、飽きっぽいし、欲もあるし、自分が可愛い。

常に、刺激を求め、他人と比較するもので、

でも、その感情が無ければ、進歩も向上も無かったのも事実です。

そして、その感情を利用して、商品が売れ経済を回しているのです。

次から次へと、人々の欲求を満たそうと、企業も必死。

 

タワーマンションに住み、高級外車を乗り回す人がいれば、

ホームレスの方が数百円の収入を得る為、アルミ缶を集めていたり、

虐待され施設に預けられたられる子供がいるかと思えば、

有名小学校に通い、習い事をしたりと、本人が望む、望まないを別として、

公平で、平等ではない社会に、私達は暮らしていて、民衆主義でも共産主義でも、一律の「幸福」それは不可能な事です。

 

一昔前まで、ご飯一つ焚くのも、洗濯するのも、もっとさかのぼれば、日々の糧を得るのも時間がかかり、労力を伴いました。

移動も徒歩から、今では様々な移動手段があり、行動範囲も格段良くなっています。

スーパーで食品をいつでも買う事ができ、様々な家電が、時間の節約に貢献しているにも関わらず、私達は、日々生活に追われ、時間が無いと嘆いているのです。

 

沢山の情報が手に入り、物事が短絡的になり、時間に余裕が無くなったと感じるようになり、

あれもこれもと、やらなければいけないような強迫感がつきまとい、落ち着きが無くなっています。

一つの物事が、成し終えると、また次々と欲求を満たさなければ、ならないという性(さが)からかもしれません。

 

人間の幸せは、何処に行くのでしょうか?

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外から与えられるのか、内なるものなのか。

神や仏の言葉と称し、また哲学者が幸せの定義を論じ、

時にそれは本質を見失させてしまい、

その言葉だけが独り歩きしてしまいます。

なぜなら人間は、一つの法則、

例えば宗教や伝える人達を信じる事から、スタートし、

その範囲内で「幸せ」になる方法を学ぼうとするからです。

自らの世界、視野を狭くして「幸せ」が見つかるでしょうか?

人間は一人では生きていけない動物であり、繋がりを持とうとします。

そして、シンボルになるモノを提示し作り、結束しようとします。

行動は制限され、考え方も一方向になり、従わなければ排除してしまう事も起きます。

良い方向に向けば、少しは世の中に平和を生み出しますが、残念ながら歴史はそう見てはいないようです。

 

一人一人が、幸せという概念を持ち、価値観や環境が違う中で、

「幸せ」とは?を定義する事は、なかなか出来ないのです。

何か、目標に到達した時や、成し遂げた時、その折々には「幸せ」を感じていても、次なる幸せという価値観が変わっていき、持続しないのです。

ただ、過去形として人は「幸せだった」「不幸せな人生だった」と語る事は出来るのです。

それは、「欲」が消えた時に発せられる言葉です。

見方を変えれば、望む事が出来なくなってしまった状態であるかもしれません。

体力的な理由や老い、病気や死に直面した時など、自分の力ではどうにもならない時かもしれません。

 

元気で、日々生活している中で、「幸せ」を感じる事が出来れば、感じる回数が増えれば、生きがいにも、活力にもつながります。

 

幸せは、モノに頼ると、所有欲や優越感という、幸せとはかけ離れた要因が入り込み、一時的には感じるかもしれませんが、いつまでたっても、幸せを味わう事はありません。

一時的に満たされたように感じるだけで、モノが手に入るとまた次のモノへと、際限なく欲求を満たす事に「幸せ」が置き換わってしまうのです。

 

では、「幸せ」を人を通して、見つけようとしましょう。

多かれ少なかれ人生において、人間関係という繋がりは必ずあります。

ほとんどの人が、孤独で寂しい人生を送りたいとは思っていません。

親や友人、パートナーとの出会い、子供に囲まれる事は、人生においてエッセンスのように、「心」を豊かにしてくれます。

ただ、誰もがその出会いで、幸せになる、味わえるわけではありません。

関係性が深ければ深いほど、心配事が増えたり、裏切りや不満、嫉妬など、人間関係で崩れてしまう人達が多くいるのも事実です。

幸せになる為という行動が、不幸せな結果になってしまう事だって沢山あるのです。

 


アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

心理学者『アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)』は

「人間は、対人関係の中でしか幸福を実感することができない。」

という言葉を残していますが、はたして本当でしょうか?

アドラーが考える幸福という概念が、正しいのでしょうか?

人間も自然の中の一部でしかありません。

 

人間が「火」を手に入れた時、どれほどのありがたみを感じたでしょうか?

食べ物の食べ方も変わり、夜を照らし、暖をとりと、まるで魔法のように、神のように考えていたでしょう。

キャンプファイヤーも、暗い中、火を囲み歌い、談笑するたったそれだけで、暖かくなります。

身体を温める事は、心が暖まる事とよく似ています。

誰かに抱きしめられている時や、手から伝わるぬくもり、沢山の人達に囲まれる安心感。

あなたが「幸せ」と感じた事を、思い出してみて下さい。

友達と遊んだ時? 好きな人といる時? 子供が生まれた時? 仕事がうまくいった時?

人の数だけ、沢山の「幸せ」と感じた時間があったはずです。

その時、あなたの心に、暖かいものが流れていたはずです。

そして、優しくなっている自分に気付いたと思います。

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結局「幸せ」は、心の持ちようという事になります。

けれどそのような気持ちを持ち続ける事は、なかなか人間はできません。

一時的には、モノや人で満たされ「幸福感」を得られても、

それは「幸せ」の本質では無いのです。

 

人間関係だけに限らず、

道に落ちているゴミを拾っただけで、温かい気持ちになれます。

花を育てている時も、ペットと散歩する事でも、

困っている人を助けた時も、誰かを励ました時も同じです。

それは、欲しかったモノを手に入れたり、仕事や競争で味わう満足感では得られない、温かみであり、

受け身ではなく、自らの働きかけによって、得る事が出来る心の動きです。

目標を達成した時に得るモノより、そこまでに至る過程で得られる心の動きです。

 

どうすればいいのでしょうか?

それは自ら「幸せ」を見つけに行く事です。

例えばあなたがコンサートや映画を何の為に見に行くのでしょうか?

そこに 楽しみや幸せを見出しに行くのではないでしょうか?

それと同じように人も含めて、様々な事に対して、あなたからその中にある幸せを見つけにいく事です

あなたが普段目にするものに対し、あなたから働きかける事で得られることを、ただ見逃しているだけです。

大切な人がいる事、元気でいるだけで、十分。

あなたが発する言葉で、元気にも、楽しくにもする事が出来ます。

雨でびしょ濡れになっても、実りの雨に打たれたと思う事だって出来ます。

息を思いっきり吸い込む事が出来る事。

色で溢れている世界を見られる事。

あなたがその中に入っていくだけで、沢山の温かみが流れ込んできます。

その連続を途切れないように、あなたから働きかけるのです。

たとえ小さな事でも積み重なっていくのです。

 

人間以外の自然は、あるがままであり、不幸せではありません。

ですから「幸せ」もないのです。

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一つ例を出して考えてみましょう。

身近であるペットの犬です。

役に立つよう、用途に合わせて人間が、品種改良してきた動物です。

家の中で飼われて、時には抱かれている犬を見て、ある人は

「大事にされて良かった」と思い、

「可哀そうに!外で走り廻させてあげるべきだ」と考える人もいます。

人間が、勝手に思っているだけで、犬は、あるがまま受け入れているだけです。

人間を楽しませ、役に立つよう品種改良され、

血統という価値を付けられ、ペットショップで売られ、

飽きたら捨てられる。

それでもあるがままなのです。

 

犬の仲間である狼。

日本ではニホンオオカミが、狂犬病という理由(その他、狼信仰も)で、殺され絶滅しました。

結果、食物連鎖の輪を壊すことになり、そのツケを払わされているのが人間です。

動物に「幸せ」の概念があれば、なんと不幸せな動物たちが多くいるのでしょう。

きっと、人類の敵になってもおかしくないくらいです。

 

「幸せ」という感情は人間だけが追い求め、感じ、原動力する事が出来ます。

と同時に共感し、分け合う事も出来る素晴らしい能力です。

だからこそ、自ら「幸せ」を探すのです。

自ら、幸せを見つけに行動するという事は、

命に対する「尊厳」であり、その為の「謙虚さ」なのです。

 

日常の中で、逃さないように少しずつ見つけた、上辺だけでは無い「幸せ」は、

やがて心を満たし、あなたからこぼれ落ちます。

それは、まるで乾いた大地を潤すように。

そこから芽生えた若葉が、あなたの知らないうちに大きく育つのです。

「幸せ」は連鎖していくのです。

 


アインシュタインにきいてみよう アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「Tables and chairs, fruit and a violin. Besides this, is there anything you need for people to be happy?」

『テーブルとイス、フルーツとバイオリン。これ以外、人々が幸せであるために必要なものがあるだろうか?』

 

振り返ると昔、レコードを買い、盤を拭き、静かに針を落とし、ジャケットを眺め、コーヒーを飲んでいたあの頃のような、プロセスの音楽の聴き方が、何より大切な時間でした。

遠回りもまた、「幸せ」を見つけるチャンスが増える事になるかもしれませんね。

 

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見方を変えなくてはダメになる!

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空を見上げた時、雲は、どんな色ですか?

白や灰、黒と様々ですが、あなたを雲に例えるなら、

沢山集まれば集まるほど、色は濃くなります。

すなわち、人が多く集まり集団になればなるほど見通しが悪くなり、中では激しい空気の流れが生まれるのです。

上や下にと、大きな流れに逆らう事も出来ません。

一方、

白い雲は、風に逆らわず、

形にこだわらず、ゆっくりと身を任せ流されています。

「孤独』では無く、「独り』なのです。

何かに属し、安心を得ようとすれば、するほど、

あなたの望む方向には、行けなくなるのです。

 

時に、雲は命の糧として

恵みの雨を降らせます。

その為には、沢山の雲が、集まりないと、降らす事は出来ません。

自然の中には、「教え」が沢山隠されています。

 

「日が沈む」「日が落ちる」は、地球が回っている実感し、まるで太陽が地球の周り廻っているように思え、一日の終わりを感じる表現です。

「日が暮れる」は、廻りの様子を表していて、もの悲しさや名残惜しさを感じる事でしょう。

それは、あなたの心の持ちよう次第で、同じ現象を使い分けているのかもしれません。

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上を向いて顔に当たる雨は、大地が清らかにし、湧き水になり川となって大海に流れていきます。

山から海までの道のりが短いこの国の川は、時に暴れ出し、多くの犠牲を生んできました。

水が無いと、人は生きていく事が出来ませんが、甘く見ると命を奪う恐ろしさも兼ね添えています。

物事は、どちらが良いか悪いかを決めてかかることは出来ないのです。

一つの事象が全てではなく、一方向からばかり見ていると、いわゆる西洋的な善と悪のような、区別の仕方になってしまいます。

 

蜘蛛(クモ)を見ると「キャー」と叫び、何とか排除しようとする人が多くなりました。

殺虫剤まで出ていますが、蜘蛛は、人間に害をほとんど及ぼしてないばかりか、人にとっての害虫を食べてくれるありがたい存在です。

彼らは地球上のあらゆる場所で生息でき、一部は赤外線も感知できる能力を持っています。

一番人間の命を脅かしている生物は「蚊」です。

マラリアデング熱の媒介役で、多くの人達を死に追いやっています。

温暖化で、日本にハマダラ蚊など、危険な虫が住み着いてもおかしくない状況です。

日夜、蜘蛛達は、蚊やダニを食べて働いてくれているのに、ひどい扱われ方をしてるわけです。

人と共存し、生き延びていく事を選んだ挙句、殺され、無念だったでしょう。

それでも、彼らはあるがまま、そこにいて生きています。

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葉っぱにイモムシが付いていると、

グロテスクな形や動きに、気持ち悪いと思うでしょう。

例えあなたにとって大切な植物でなくとも、排除してしまいたいと思うでしょう。

でも、そのイモムシはやがて蝶になります。

あのグロテスクなイモムシを見て嫌悪感を抱いてたことが、嘘のように親しみを覚えるのです。

彼らにとっては、醜いか綺麗かなんてどうでも良く、そうあるべき姿でそこにいただけです。

人間は、そこに物語を作ろうとします。

まるで「みにくいアヒルの子」のように。

頭は、そのたとえ話でいつの間にか、見方が偏っていくのです。

「あるがまま」に対し、良し悪しのレッテルを貼り付けて見てしまいます。

 

天国と地獄

正義と悪

美しさと醜さ

線引きは誰がする?

自然界には二択は無い

神も仏も二択はしない

 

運も運命も

生き方や選択も

決められた法則は無い

誰もが奇跡のように生きれば良い

自然界には秩序はあるが

神も仏も関与しない

 

子供の頃から絵本やお話を聞いて、

いつの間にか「善」と「悪」、

「天国」と「地獄」の二者に分類され、

価値観も植え付けられていきます。

この世界は、そんな二択の選択で成り立ってはいません。

そもそも線引きすら人間が出来る事では無いからです。

赤ずきんちゃんを飲み込んだオオカミもテーマランドにいるネズミも、

一方的な人間の見方で、コロコロ良し悪しを都合の良い生き物に変えさせているのです。

 

「普通」や「当たり前」「常識」に囚われているに過ぎない、すなわち習慣のようにあなたに作用しているだけで、何にも見ていないのと同じ事です。

自然は、多数決では動いていません。

もし多数決なら、昆虫たちの勝ちでしょう!

 

何も考えず、誰かの後を言われるまま歩く事。

ツアーだとガイドがいて、危険な場所を避けてくれます。突然のアクシデントにも、知識を与えてくれ、対処してくれるでしょう。

でも、人生にはいつもガイドがいる訳でも、目印がある事でも無いのです。

廻りをよく見て、自分で判断する事が常に求められるのです。

生きる事自体が、危険に満ち溢れ、生き抜くことは、奇跡に近い事だという事を、忘れてはいけないのです。

自然は、筋書きを持って人間を導いてはくれません。自然の一部であり、どんなに足掻(あが)いても思いどおりにはなりません。

ですから、私達人間も、本来備わっている力を使って生き延びていかなくてはいけないのです。

 

与えられた「力」。

過去から学ぶ事や想像力

それは、見方を変えて考える事が出来るという事です。

見方を変える事とは、「当たり前と思わない」事です。

 

あなたが持っている「心」という「感覚」を磨いておく事で、

諦めや失敗、偏見などで閉ざさないようにする事です。

閉ざしてしまうと、同じところをグルグル回るしかないのです。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

アインシュタインの言葉より

「The most incomprehensible thing about the world is that it is comprehensible.」

『この世界で最も理解しがたいことは、この世界が理解できるということである。』

 

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夏のポラロイド

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失恋は、淡い波の泡のように、

打ち寄せては引いて消えていく。

手にする事が出来ない、淡い泡。

思い出の先にある、青く広い視界が、

ちっぽけな自分を際立させ、

時折、ほほを撫でる風が、想いをさらっていく。

 

ほろ苦い海の水は、心を潤せず、

ただ、ただ打ち寄せては、引いていく

見つめるだけの時間

大切な、自分だけの誰もいない心の海

 

『夏のポラロイド』オリジナル曲

聞いてみて下さいね 

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待たせたままのタクシー ハザードランプが揺れる

急に見たくなった海 潮風が弧を描くよ

君がふとつぶやいた 言葉が今も残る

平凡な暮らしがいい ただそれだけだと

あ~選んでた君 夢 何も知らずに愛交わしてた僕

 

夏のポラロイド ちぎって波にさらわれるよ

引き寄せる 寄せる波が 君への想いと重なり還す

 

さらわれる砂のもろさより 傷つきやすい心 

素直になれず泣かしたね いたずらに長すぎた夏

色褪せた写真の君 寄り添う僕見つめて 

幸せそうに笑ってる 逢いたくて切なくなる

 

あ~永遠に君だけ

 

さよなら君 夢 何も語れず 愛失くした僕

 

夏のポラロイド ちぎって波にさらわれるよ

引き寄せる 寄せる波が 君への想いと重なり還す

 

小さくなる海鳥の陰 誰もいない海

寄せては 還す

 

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落とし物して怒られた

探し物して日が暮れた

遠い記憶の宝物

忘れ物した思い出を

たどって夏がまた終わる

物案じの風鈴が

壊れ物を扱うように

夏が鳴らした物語

 

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心は何処にでもある!

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「心」は人間が生み出した概念です。

心は感覚です。(このブログ「心は何処にあるの」を見て下さいね)

人間であるあなたを、皮をむくように、

例えば肩書や地位、職業や年齢、誰かさんのあなたという立ち位置や血筋等、

どんどん剝いていくと、何が残るでしょう?

きっと「自分て何だ」と思うでしょう。

結局、空「くう」のような「無」のようもので、

自分が何者であるかも解らずに、心の存在を、あーだの、こーなど考えても、いつまでも答えは見つかりません。

人間が考える「心」という概念、捉え方を変えて考えてみましょう。

 

例えば、木に心があるか?

あなたが、木を見て意識すると、心があり何かを伝えている様な感覚になります。

御神木として、日本のあちこちにあるのも、祖先が何かを木に感じたからです。

魂が宿っていると考えたのでしょう。

 

人間が考えるような「心」ではない「心」が存在しているのです。

「心は感覚」と書きました。

木もまた、感覚を持ち、根を張り、枝を伸ばし、静かに「木」の時間で流れているのです。

人間の想いを、捉え方を当てはめる事は出来ないのです。

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誰でも、海を見ると心が落ち着き、開放されたような気分になります。

海は生命の源で、人間は身体という箱に、海という環境を閉じ込めながら生きているのです。

そして、月との引力での満ち引きをしているように、

様々な存在の奇跡的なバランスに組み込まれています。

海にも「心」は存在しています。

あなたが、受け取る感情が、その海の想いだからです。

 

自然は、決して優しくありません。

人間の為にあるわけでは無いからです。

先祖達は、その事を海から学び、畏敬の念を持ち崇高な存在として、向き合ってきました。

風習や儀式、伝説を伝承という形で、後世に繋いできたのです。

もし、「海」に何らかの意思があると祖先が思わなければ、多くの犠牲を払ったに違いありません。

 

万物は全て、それぞれの世界の中で、「心」を宿し存在しています。

それは、私達が考える想像を超えての「心」の存在です。

互いに、釣り合うように作用しあって、それぞれの時間で存在しています。

 

人間もまた、そのような存在で生きてきましたが、

脳の進化と共に理論や哲学、科学で、考えるようになってしまったのです。

宗教の影響も大きかったに違いありません。

ですから、疑いもなく「心」というモノの正体を、一方向からばかり探り、定義しようとしてきたのです。

第六感や胸騒ぎも、本来持っていた感覚「心」だったのです。

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ある番組で、視覚障害のダニエル・キッシュさんが、舌打ちによるクリック音を出し、その反響音で周りを把握する映像を観ました。

いわゆるエコーロケーションという、コウモリやイルカ達が使う能力を手に入れているという内容の番組でした。

また、病気や事故で脳の一部、もしくは半分近く失っている方も、残りの脳が補い、普通の生活を送っている方もいらっしゃります。

遠い祖先達は、生き延びる為に、もっと遠くまで見る事が出来、

敵から逃げる為の、感覚も鋭く、

水がある場所を探知できる能力を持っていたでしょう。

自然の中で、万物と向き合い対話し、生きる術を身に付けていったのです。

ですから「心」の捉え方も現代人とは、違う見方をしていたと思います。

 

当たり前と思い込んでしまうと、肝心な事を見逃してしまうのです。

「心」とは「感覚」と書きました。

失ってしまった「感覚」の原点に戻り、

「心」というモノが何であるかを考えなければいけないのです。

 

この世界は、人間が中心に廻ってはいません。

何より、人間自身は、「自然」であり、生命という流れの一部でしかないのです。

職場や学校、近所と、狭い世界観の中で生活していると、些細な事で腹を立てたり、不満に思ったりしてしまいがちです。

そんな中で、宗教や、思想に救いを見い出そうとしているだけなのです。

 

どんな小さな虫にも「心」があり、一生を全力で全うしています。

私達は、たとえ弱く、儚い小さな虫からも、まだまだ学ぶ事があるのです。

私達は、その虫すら作り出せないのですから。

ネズミからゾウやクジラ、そして人間の一生に打つ、心臓の鼓動は、

大体同じだと言われています。

人から見て、短命だとしても、時間の流れ方が違っているのです。

このように、人間中心に物事を考えると、本質が見えてきません。

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「心は何処にでもある」

それは、「感覚」であり、「霊」であり、

あなたが目にするもの全てに存在するのです。

人間が持てる時間は、宇宙から見れば塵にも満たない時間です。

狭い小さな世界観で生き、ギスギスしながら生きている事を、馬鹿らしく思えるようにありたいものです。

 

全ての物に「心」があると思う生き方をすれば、おのずと自らの行動も変わってきます。

大切なのは、聞いて、調べて納得する事でも無いし、また誰かの言葉を鵜吞みにする事でも無く、角度を変えて見る「想像力」が人生を、豊かにしてくれるのです。

 

心は何処にでもあり、そのことに気が付けば、

全てが「教え」となり、「謙虚さ」を学べるのです。

そして、今よりもっと優しい人間になれるのです

 

私がフィリピンに行ったとき、自分の行動の変化に気付きました。

それは、ゴミに対する考え方です。

勿論、日本と違ってマニラやケソンという町は、ゴミが路上にも、あちらこちら、落ちています。

ホテルでも分別し、捨てるという事はありません。

そんな中で暮らしていると、いつの間にか平気で、ためらいなくゴミを捨てている自分がいたのです。

良い悪いという事を書いている訳ではありません。

 

日本は、豊かな自然に囲まれ、四季折々に見せる自然の変化を唄にし、

春雨(はるさめ)、

菜種(なたね)梅雨(づゆ)、

五月雨(さみだれ)

時雨(しぐれ)など、

雨一つとっても沢山の言い回しがあるように、自然に対し様々な言葉を育んできました。

その日本という国が、環境が、そこに住む私達にいかに影響しているかを感じたのです。

自然の中に見出(みいだ)す「心」という存在無くしては、生まれてこなかった事です。

海に囲まれ、四季が訪れるこの国の、自然が養ってきた「心」を決して忘れてはいけないのです。

感じ取れる、自分でいなくては、いけないのです。

 


アインシュタインにきいてみよう アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「My belief is, to the outstanding spirit that is present in the weakness and fragility, are made up of humble tribute.」

『私の信念は、弱さや儚さの中に存在する卓越した精神に対しての、謙虚な賛辞から成り立っている。』

 

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魂とは?霊とは?

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宗教が「魂」をどうとらえているか?の話は、ネットを見れば色々な位置付けで探る事が出来ます。

魂に限らず、霊や霊魂の違いやどのようなモノか等、様々なとらえ方があり、そのほとんどが、宗教という位置からの見方や見解です。

私が、生きてきた中でまず躓(つまづ)いたのが、「宗教」という存在と、その意味です。

色々な宗派の本等を読む度に、ますます混乱しました。

それは現在起きている、紛争や内乱の大半の原因が宗教であるという事。

そしてそのような中から生み出される差別意識民族主義と、大きく関わっている宗教に対する疑問でした。

ですから、宗教という立ち位置から見た「魂」の意味を考えるのでは無く、私自身が、私の言葉で伝えたいと思います

(宗教については、このブログ記事の「宗教とは?」で書いていますので、読んでくださいね。)

 

日本は、隣にクリスチャンの方がいても、ユダヤ教の方、仏教徒であっても、「そうなんだ」で終わるだけで、宗教に対し区別なく受け入れている稀な国です。

他の国と違って、戦後の復興が早かったのも、他の国に比べ、宗教や民族という問題に時間を割かれななかったからだという意見もあるくらいです。

 

ですから、宗教を意識せず、様々な行事、例えば、お盆や初詣、クリスマスやハロウィン、葬儀等を違和感なく、受け入れています。

「魂」という言葉は、宗教と直接結び付ける事なく、良い意味で社会の中に浸透しています。

普段生活している中では、魂の事など意識せず暮らしていますが、上記の行事や風習といった節目に、「魂」の事を考えます。

 

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では「魂」とはどの様なものなのでしょうか?

それは、「想い」なのです。

何か形として存在しているように考えますが、生きている人の中にある、形に出来ない「想い」です。

大切な人が亡くなった後、あなたの心の中に残った「言葉」や「生き方」を指すのです。

もし不幸にして、亡くなった方に無念があると、あなたの心にその無念さが残ります。

例えば、幼くして亡くなった時、これからの生きる楽しみを奪われた事や、過ごしてきた時間が、あなたの心の中に、無念さが生まれ、それが魂となりこの世から離れられないと感じるのです。

家族だけでなく、友人や他人でも、人間には想像力があるので、想いをくみ取る力があります。

ですから、寄り添うような心持になり、魂として受け止めるのです。

 

あなたの中に残った、先人達の言葉や生き方が、あなたを通して次の世代に伝わる事で、永遠の命となります。

日本には、昔から伝わる「言い伝え」や「風習」が沢山あります。

それは、自然に対し人間がいかに無力かという事と、そんな中でも、少しでも生き延びる為の知恵です。

万物に魂が宿っているという考え方は、この世にある全てのモノからの「教え」であり「戒め」であるのです。

自然を相手に生業をされている方々は、その事を常に意識して、仕事をされています。

昔話や言伝えも、子供でも理解し、もしくは記憶として残るように考えられた、いわば聖書のようなものです。

その様な中「魂」という言葉が、心の中にある想いや願いとしての代名詞にも使われているのです。

例えば「入魂」という言葉でも、ジッコン(口添えすること)やジュッコン(親密であること)、

ニュウコン(全精神を傾注すること・魂を込める)等、読み方や意味も色々とありますし、

言霊、言魂(ことだま)とも書きますが、良い言葉を発したならば、良い事が、逆に悪い言葉を発したなら、悪い事を招くという意味に使われます。

共通しているのは「想い」という事です。

魂が意志を持ち、一人歩きする事はありません。

あなたの存在無くしては、魂もまた存在しないのです。

魂が救われるというのは、神や仏といった宗教がかかわる事ではありません。

キッカケにはなるかもしれませんが、本質はあなた自身の、心の動きなのです。

誰かから、もしくは情報として入ってきた考えや行動が、魂という形で作用しているのです。

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そして「霊」は?という事ですが、

宗教的な解釈では、ネットで調べればいくつも出てきますが、「霊」とは「心」です。

「魂」の入れ物の事です。

良い方向に考え、思いやりを持ち、謙虚に、毎日を奇跡として生をとらえた魂が詰まった心という霊には、同じような霊を持った人が集まるのです。逆もしかりです。

このブログ「心は何処にあるの」の中で書きましたが、心とは感覚です。

すなわち霊とは心であり、感覚なのです。

 

ですから霊もまた、形として存在しているわけではありません。

あなた自身が持つ、身体全体で感じる感覚そのものの事を指します。

悪い霊に取り憑(つ)かれたなどという話はよく聞きますが、その意味は感覚が鈍くなり受け止め方が、狭くなった状態の事を表しているのです。

それは、自分自身の生き方や考え方から来る問題であるからです。

よく、守護霊と言われる、霊の存在を聞いた事があると思いますが、それはあなたの心の在り様の事を指しているのです。

あなたの考え方が、負の方へ傾いていると、同じような人達が集まってきます。

その連鎖を断ち切る為には、あなた自身の心持、正の方向へ切り替える事です。

守護霊がいる状態という訳です。

決して、何か霊的な悪いものが、あなたに作用するという事ではありません。

また、霊が悪い事を起す原因など、ありえないのです。

捉え方が、間違っているからです。

 

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精霊流し(しょうろうながし)という風習があります。

一般的なとらえ方としては、死者の魂を弔って送る行事とされています。

混同されがちな、灯籠流し(とうろうながし)もありますが、ニュースなどで灯籠(灯篭)を海や川に流す映像を観ますが、これも、死者の魂を弔る行事です。

どちらも、生きている私達の心の中にある、亡くなった人達の想いや生き様の区切りという意味なのです。

生きていく上で、悲しんでばかりはいられません。ですから形として表し、新たな人生の始まりとし、亡くなった方の想いを、もう一度胸に刻むという意味なのです。

魂も霊も、あなたを写す鏡です。

先人達から、あなたがその想いを、どのような感覚でどう受け止めたのか?、もしくは逃したのか?

あなた自身の心の、すなわち霊という感覚でどう受け止め、魂としての想いを刻んだのかという事なのです。

 

宗教という観点から考えてしまうと、もしくは知ろうとすると、宗教の選択から始めなくてはいけません。しかし、私達の祖先は、自然という大きな教えから学び、死生観を築いてきたのです。

霊も魂も人間が生み出した言葉なのです。

今、生きている事は、奇跡の連続であり、生きる事がどれほど大変な事なのか、生きる事の意味を、改めて考えて欲しく思います。

 

目に見えないものに対し意味付けをし、こうあるべきだと導く宗教に、違和感を感じます。

魂や霊という言葉を、布教の道具にはしてはならないのです。

もし、宗教という形が無ければ、もしかしたらこの世界は、もっと違った世界になっていたはずです。

究極のマスター達は、こんな世の中を作る為に、教えを説いたとは思えません。

彼らが今、この世界を観たら何と言うでしょうか?

 

あなたが感じる、光や風、匂いや味は、亡くなった人の面影でもあります。

あなたを包み、優しく、無言で見守っているのです。

心という感覚、心という霊が感じ取れる、素晴らしい贈り物なのです。

そして、魂として受け止め、留めるのです。

 


アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「True religion is real living.

living with all one's soul, with all one's goodness and righteousness.」

『真の宗教とは、リアルな生活そのものである。

それは、自分の魂すべて、自分が持ちうる最大限の高潔さと公正さとをもって生きることである。』

 

魂に関する、映画を少し紹介します。

ただ、どうしても宗教という観点からにはなりますが、見方も変わると思いますので、良かったら観て下さい。

 
ゴースト ニューヨークの幻 [DVD]

★1990年アメリカ映画『ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost)』

この公開の年、競合作品が多く、余り有力視されていなかったのですが、ふたを開ければ大ヒットした作品です。ご覧になった方も多いと思います。天国と地獄をはっきりと定義しているところが、アメリカらしい作品です。


シックス・センス コレクターズ・エディション [DVD]

★1999年アメリカ映画『シックス・センス(The Sixth Sense)』

最後のどんでん返しでヒットした作品です。子役のハーレイ・ジョエル・オスメントHaley Joel Osment)は、数多くの有名作品に出演し、天才子役として有名になりました。30代になっても俳優として頑張っています。


パッセンジャーズ 特別版 [DVD]

★2008年アメリカ映画『パッセンジャーズ(Passengers)』アン・ジャクリーン・ハサウェイ(Anne Jacqueline Hathawa)主演で、彼女は2012年アメリカ映画『ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises)』監督『クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)キャットウーマン役でもその美しさを披露していました。


クラウド アトラス [DVD]

★2012年の映画『クラウド アトラス』(原題:Cloud Atlas)は、複数の物語が時間を越えて、シンクロさせながら進行していく映画で、3人の監督で作られた、かなり難解な作品です。

私も3回観直しました。個人的にも大好きな俳優の『トーマス・ジェフリー・"トム"・ハンクス(Thomas Jeffrey "Tom" Hanks』の演技も見どころの一つです。

 

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大人が、大人である事の大切さ

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「大人げない」そんな大人を沢山見ます。

賽銭泥棒からクレーマー、あおり運転しかり

 行動があまりに幼稚すぎ、短絡的な思考で迷惑行為を起す人達。

人生経験もあり、それなりに失敗し、学んできたはずの人達。

感情のコントロールが出来ず、後先の事を考えずの行動

 

以前勤めていた会社での経験ですが、機械を使えば格段作業効率が上がるにもかかわらず、

「手でやれ」と命令する人がいました。

今までそうやって来たという理由からです。

そして何かと、昔話「どれほど大変だったか、だからお前たちは楽してる」そんな事ばかり。

言葉も乱暴で、地位のある人に対しては180度変わる保身的な態度をとる人でした。

同僚も、彼がいない時に悪口ばかり話していて、とにかく不愉快な職場でした。

私は、彼が年上という事もあり、出来る限範囲で話を聞き、必要以外の話をしないようにしていましたが、ある日あまりにも理不尽な事を言われ、強めに「いい加減やめてくれ」と言ったとたんに突き飛ばされたのです。

同僚が止めに入ったので、その場は収まりましたが、正直顔を見るのも嫌になりました。

幸い作業場所が違っていたので、何とか仕事を続けてはいましたが、2年ほどたったある日、彼の乗った自転車が朝壊れ、帰りに預けていた離れた自転車屋まで歩いて帰る時がありました。

私は、車だったので、可哀そうに思い、遠回り覚悟で送っていく事にしました。

無言の車内で彼から「道、よく知ってるなぁ」等、今まで聞いた事もない、おっべかの様な話を、「一応、彼なりの感謝」として受け止め送りました。

その件以来、私へのイジメのような言動は無くなりましたが、その数か月後彼は、脳梗塞で倒れ仕事をやめました。

 

対処法を書いている訳ではありません。多分どこでも日常的にある事でしょう。

 

歳を重ねると、我慢する、控える力が劣ってくるのでしょうか?

事件まで結びつくケースだけでなく、日々の暮らしに中で、横柄な態度や自己主張をする人が多く見受けられます。

自分が間違っていない、すなわち人の言う事を聞かない。

会社や経験から来る地位を、普段に持ち込む。

謝罪おろか正当性を主張し、誤りを認めない。

 

見方を変えれば孤独で、誰にも相手にされない人達が多いのです。

このような人達の欠けてる点を、逆手にとって活かせるようにすれば良いのですが、それには今の自分を振り返る作業が欠かせません。

 

歳を重ねると億劫になり、興味が無くなっていき、同時に新たな挑戦には、手を出さなくなります。

当たり前ですが、慣れた環境を失いたくない感情が強くなり、変化を嫌い、次第に自ら動こうとしなくなるものです。

結果、特に「想像力」が失われて、経験を重視するようになり、新しい考え方を容易に受け取れなくなるのです。

この事は身体の衰えも相まって、誰にでも起こる事で、仕方がない自然現象です。

大切なのは、「老いる」という事に正面から向き合っているかどうかです。

誰でも若くいたいし、歳などとりたくはありません。

現役でいたいのです。

自身が今の自分を素直に受け入れる、すなわち老いる事は自然であり、寿命があり、人から見られる自分では無く、本来の自分の姿を容認するという事です。

「本当の私は、こんなのではない」と

鏡に向かって話をしている滑稽さに気付く事です。

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人それぞれ個性を持ち、歩んできた道も違うように、老い方も違います。

誰かと比べても意味はなく、自分で老いを受け入れ、歩んでいかなくては、いつまでも心の平穏はないのです。

 

体の衰えと心の衰えは違います。

心の老いは、運が悪ければ、死にも直結します。

人間は、目的や希望が無いと、前向きに生きていけないからです。

若くても、元気でいても、心が衰えれば、生きている糧を見失っている状態になり、

一部の人達の中には、心に出来た穴を埋める為、他人に対し不快な行動に出るのです。

 

自然というマクロの観点から見ると、人に与えられた時間は、あっという間ですが、

実際、大人になってからの時間は、平均寿命から考えると、長い時間になります。

そして時間は、平等には流れません。

(このブログ「時間て何?」を見て下さいね)

 

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心の動きで時間の流れは変わります。

例えば、あなたが車を運転しているとしましょう。スマートフォンを見ながら、考え事をしながら運転すると、危なっかしくて仕方がありません。

何か、心配事があったり、怒っている時は注意散漫になり、事故を起こすかもしれません。

あなたの隣には、あなたの大切な人が乗っています。

あなたの運転次第で、同乗者まで巻き込むことになります。

車は自体は、走れば走るほどくたびれてきます。途中で休み、点検しなくては走り出せません。

なぜなら、故障してしまえば、運よく誰かが助けに来るとは限らないからです。

常に平らで、舗装されている道ばかりではなく、坂道や、崖っぷちを通る事もあるのです。

もし、そんな時、車が故障してしまったら?

何より運転手のあなたが、しっかり前を向いてなかったら?

考えただけで恐ろしい事です。

同乗者が、病気になるかもしれません。

ナビゲーションを持たない、人生のドライブで、あなたの冷静な判断力が、問われることになるのです。

 

途中、誰かが乗ってくるかもしれません。

あなたと気の合う人だと、穏やかなドライブを続ける事は出来るでしょう。

が、あなた自身が、攻撃的で不愉快であれば、途中で降りるでしょうし、勿論我慢して乗っていた同乗者もです。

運転に疲れる時もあるでしょう。

その時は信頼できる同乗者が変わってくれるのです。

やがて運転が困難になると、あなたは、ナビゲーターとして同乗し走り続けるのです。

 

車のボディーは、あなたの身体です。メンテナンス「整備」が欠かせません。

車のライトやワイパー、窓やランプは、心というセンサー「感覚」にあたります。

ちゃんと動いてないと、前が見えないし、風も入りません。

勿論、ガソリンが無くては動きません。

それは、夢であったり、希望であったりと、すなわち生きている事への感謝です。

ナビゲーションはついていませんが、地図は持っています。

それは、先人たちの残した、生き方や知恵、想いです。

大切な、その地図を持たずに、運転する事は、同乗者も含め、愚かな行為でしょう。

そして、その地図をちゃんと読む力が無いと、折角の地図も、無駄になるのです。

 

大人になるという事は、運転免許を取る事です。

講習を受け、テストに合格し、ルールを守るという前提で、車を走らせる事が出来るという事です。

この時に、しつこいほど教えられるのが、「だろう!」ではなく「もしかしたら?」という考え方です。

すなわち、想像力の大切さと謙虚さなのです。

 

ルールが守れなければ、運転は出来ません。

大人が、大人である事は、

想像力を持ち、

謙虚でいられる

その心の力を持ち続ける事なのです。

歳を重ねても、たとえ身体が衰えたとしても、忘れてはいけないのです。

 


アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「This proverb says the truth.It can be correctly wise advice to people.

However, it is difficult that I behave correctly wise.」

『この諺には、真実を語っています。

人に対して正しく賢明なアドバイスをすることはできる。

しかし、自分が正しく賢明に振る舞うことは難しい』

 


グラン・トリノ [DVD]

2008年アメリカ映画『グラン・トリノ( Gran Torino )』

監督、プロデューサーおよび主演は 『クリント・イーストウッドClinton.Eastwood)』この映画は、銃社会での子供と大人の関係を、細かく描いている、名作です。

どんな風に人生を考えるか、参考になる映画です。

 

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