心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

外国人と暮らす事⦅幸せ⦆(3)

フィリピンは14世紀後半、中国~東南アジア~インド~中東を繋ぐ航路上で海上交易を行っていたイスラム商人の影響でイスラム教が広まりました。

15世紀にマゼラン率いるスペイン船団が武力で介入し、キリスト教を強要する様になりました。その後ポルトガルが統治するようになり、その後スペインが武力により植民地化。

過去に何度も欧米諸国から植民地化されました。

15世紀には意外にも日本からも使者が派遣されたりして、日本人も入植していました。(日本でいうと豊臣秀吉がいた時代)

ガレオンの貿易航路(スペイン領マニラとメキシコのアカプルコを結んだガレオン船による貿易)の寄港地でもあった為、統治していたスペインが中国との貿易によって、多くの中国人も移住するようになりました。

この頃は、中国人が貿易に深く関与し、その名残で今も中国人が経済の一部を担っていて、妻の父親もいわゆる華僑の会社に勤めていました。

この頃はスペイン人によるキリスト教化された本土と元々のイスラム教徒の間で争いが何度もありました。

結果、ミンダナオ島には今もイスラム教の方が多く住み、本土のキリスト教徒との間で衝突が絶えません。

17世紀にはオランダからの攻撃。18世紀にはイギリスがマニラを占領。

17世紀後半にはアメリカが50年近く統治していました。

1942年の太平洋戦争では日本軍がマニラを占領しました。

ざっと歴史を書きましたが、フィリピンは侵略され続けてきた国で、搾取や宗教の強制化等翻弄されてきた国です。

ですから今でも占領や植民地化された国を日本も含め快く思わない人もいます。

私の妻の亡くなった父も表には出しませんでしたがその一人でした。

妻は少しスペインの血を受け継いでいます。

 

世界中で大国による侵略や植民地化が行われ、宗教の強制や資源の搾取、債務を背負わせ身動きを取れなくさせ服従させたり、時にはアヘンといった麻薬付けにしたりと、そのやり方は巧妙且つ大胆で、今でも世界各地で起きている紛争や戦争の原因にもなっていますし、その巧妙なやり方は西側諸国に限らず、アジア圏の大国など今でも行われているのは周知の事実でしょう。

 

上記の様な経緯や歴史を踏まえての話ですがNHKのBSドキュメンタリー「アジアに生きる子供達」2004年制作『お母さんに会いたい~フィリピン・ムスリムの兄と妹』が地上波で今年の9月に再放送されました。

ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、400年間に渡り宗教武装紛争が絶えない故郷ミンダナオ島から1.300㎞離れたルソン島のバギオに兄と妹二人が、市場で買い物用のビニール袋(10ペソ、当時のレートでおよそ20円)を売りながら、家族の元に仕送りしているドキュメントです。

戦場となったミンダナオ島から一時バギオに避難したものの、両親に仕事が見つからず兄弟と共に帰郷。

働き手としてバギオに残り、病気がちの母や仕事が見つからない父親の為に仕送りをしているのです。兄のノラルディンは10歳、父親が違う妹マニマル8歳でバギオの叔母の家に家賃と水汲み(急な坂を10mも昇る過酷な労働)を条件に同居しながら妹を学校に通わせ、ひたすら働く兄。

二人の夢は「お母さんに会いたい」というそれだけで、ひたすら働き続け、妹も手伝いミンダナオ島までの船賃を貯め会いに行くのですが、わずか数日でまたバギオに戻る事になってしまうのです。

それは母親の病気治療の病院代などで多額の借金がある為で、父親や親戚も戻って仕送りをして欲しいとの半ば強制的なお願いでした。

勿論母親は傍にいて欲しかったのですが、別れの日二人をきつく抱きしめ、泣く妹を兄がなだめながら車に乗るのです。

 

冒頭二人が稼いだお金を数えながら、お母さんに会える日を夢見ながら故郷の歌を唄っているシーンは、涙がこぼれてしまいました。

ルソン島ではタガログ語が日常的に人々の使う言葉ですが、二人の会話や歌はビサヤ語です)

前述のフィリピンでの宗教争いは、兄妹二人はムスリムなので、バギオではキリスト教徒から不当な扱いを受けるのですが、仲良くしたいと思いながら何も出来ない二人を見て大人だけでなく、子供達まで巻き込む宗教の違いからくる差別や偏見を失くす難しさを改めて考えてしまいました。

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日本では小泉首相の時期で、「冬のソナタ」をキッカケに韓流ブームが始まった頃です。

その裏で世界では、恵まれている子供達とそうでない子供達の落差はとても大きいという事実。

それは今も同じで、世界的に戦争や紛争、宗教や民族争いが多くなってきて、加えて自然災害や気象変動、人災なども加わり、経済的に豊かな国、力のある国にと、そうでは無い国との格差はますます広がっています。

 

私達日本人は当たり前の様に食にありつけるし、ほとんどの子供は安心して学校に行き勉強できます。

どんな宗教を信じようが、誰も気にする事はほとんどありません。

怪我や病気になっても国民皆保険制度のお陰で、費用も世界に比べて個人負担も少なく病院に行く事も出来ますが、このような国は数えるくらいしかありません。

しかしその裏で国際的な研究組織「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」の2023年版を発表した「World Happiness Report(世界幸福度報告書)」によると国別の幸福度ランキングで日本の順位は137カ国中47位。

また2022年の自殺者数が2万1584人と高止まりと一概には言えませんが、余り「幸せ」と感じている人達が多くないとも言えます。

 

人生は「苦」であると何度もこのブログで書いていますが、少なくとも私が関わってきた外国の人達は、私の妻も含め苦労の連続で、満足に食べる事、病院に気軽に行ける様な境遇では無かった時期を経て、今に至っている人達ばかりでした。

ですから、ちょっとした事にでも喜びや楽しみを見い出す力、すなわち「幸せ」と感じられる力が大きい人達です。

前述の兄妹二人にとって、幸せはお母さんに会える事、ただそれだけなのです。

言い換えれば、人生と言う苦の中での幸せの定義を、私達大人よりも遥かに理解していて、尚且つ「幸せ」が原動力になり人生という苦を乗り切っているのです。

 

私達は「幸せ」を見つける力が弱くなっているのでしょう。

 

子供達の写真やビデオを撮ったり、旅先でのスマートホンで景色や記念写真を撮ったり、またお店での食べ物を撮ったりする事は当たり前のことでしょう。

後から思い出として振り返る為や誰かに共有して欲しいからです。

が、考えて見れば解る事ですが、その場にいた事、居合わせた事が幸せであり、後から撮ったビデオや写真を見る事が「幸せ」でしょうか?もしかしたら勘違いしているのかもしれません。

撮る為に出かけたり食べたりしてはいないはずです。

その事ばかりに気を取られて肝心の生の体験、自分の肌で直に感じ取った感触が薄れ、機会を逃す事になり、結局幸せと感じられる瞬間を見逃している事になります。

次から次へと幸せ風なものを誰かに見せられ、定義させられ、追いかけながらため息をつく。

グルメや旅行、買い物と、争いも無く安全に楽しめる国は世界の中でも数か国に過ぎません。

それでも満足できない、幸せ感を味わえないとしたら、何かが心の中から失われているのでしょう。

それが私達の現実であり、正に苦の中に隠れた幸せを逃しているのです。

 

資源が無いと言われる日本

想像してみるがいい

 

草花の芽吹きに命を感じ

花が負けじと踊り出し

木陰が風を伴い涼を呼び

陽射しが心を解き放ち

木々が彩をまき散らし

果実が季節を体に満たし

星が天空から舞い踊り

雪が墨絵を描きだす

 

幸せの資源は山ほどある

 

在日、訪日外国人の数も増える中、普段私達が経験する機会がない数々の苦難を経ての人生を送ってきた外国の人達の存在。

その人達との直の交流からは学ぶべきものが沢山あります。

そして、世界の遠く離れた地で苦難に立ち、それでも生きようとしている人達や一人親家庭、親を失ったり貧困や介護に追われたりする子供達、今尚仮設で暮らす同じ日本の人達に想いを馳せる事、すなわち想像力こそが更に幸せを見つける力になる事を、もう一度考えなければいけないような時期かもしれません。

この世界が荒くあわただしいのは、地球がまるで人間を排除している様に感じるのは私だけでしょうか?

 

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