心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

生と死と宗教の狭間(はざま)・前編

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私は、過去に、医療廃棄物の回収と運搬のトラック運転手として働いていました。

病院から出る注射針やオムツ、透析用の使用済みのチューブ類など、特殊な管理と廃棄が必要なゴミです。

運ぶ際に黒ビニール袋に入っているモノが解らず針を刺してしまった事もありました。

また、オムツ類は水分を含んでいる為、非常に重く75ℓの箱に入っているのですが、狭い場所や病院内の中に一時保管されている為、運び出すに一苦労でした。

契約上の関係か、ビニール袋に入れてあるオムツは最悪で、破れますし、重いし、ノロウイルスといった危険性もはらんでいるので、常に気を付けなければいけないのです。

一番重いのは透析に使われた後のチューブや針が入った80ℓの箱で、トラックの荷台に上げるのが、たった一箱でも大変なのです。

トラックはいわゆる箱車というアルミで出来た箱型のトラックを使用していました。

これも法律の関係で外に出ないようにという隔離の為です。

例外もあって、パッカー車と言われる、一般ごみ回収の際などで見かけるトラックを使える時もあるのですが、パッカー車は、ゴミを圧縮してたくさん積めるようになっていて、ビニール袋のゴミを積む時には最適なのです。

が、病院によっては、早朝という事もあり、袋の圧縮時の破裂音がうるさいので、辞めて欲しいという所もあり、一か所の収集場所で、結局箱型の4トントラックで2/3まで埋まるほどの量を、全て手作業による積み込みとなります。

この時点で、ほぼ4トン近くになる重さの量です。

 

また、箱型のトラック満載にする為、色々なサイズの箱をパズルのように乗せ、さらに積みにくいビニール袋を挟んで載せたりと、かなりの重労働でした。

種類別に下ろさなくてはならないので、それも考慮して積んでおかないと、後で大変なことになるのです。

また、ブレーキ時や加速時による荷崩れもあるので、慣れない時は、四角い箱の中で、悪戦苦闘しました。

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病院の規模は、総合病院のような大きい所から、個人経営の診療所といった小さな所まで様々で、困るのは、ほとんどの病院が、2~4トンクラスのトラックの出入りする事など、考慮されていない造りで、まして診療所などは、路上駐車が当たり前です。

特に都内はビルの中に入っている為、駐車禁止の違反を心配しながら路上に2トン車を止め、回収しなくてはいけないので、神経も消耗しました。

何より悩ましかったのが、時間が病院によって指定されることです。

特に小さな病院は、営業時間の関係もあり、たった一つの医療ゴミ回収の為にコースを変えたりと、頭をフル回転させて走っていました。

毎日違うコースを走るので、慣れないと、とんでもなく時間がかかります。

当時のナビは、トラックの事を考慮してくれないので、狭くて通れない道や、くぐれない場所、時間規制などお構いなしに案内するので、とにかく感と経験が必要だったのです。

 

どんな仕事もやってみないと、その大変さは解らないものです。

そして3Kと呼ばれる仕事の多くが、今の社会の底辺を支えています。

 

仕事上、病院内に入る事が多いのですが、

胃ろう(チューブ介して胃に直接栄養を注入する医療措置の事)の為のチューブや点滴をされながら、横たわるご老人の方を、いつも見ていました。

「もし自分があの人達の立場だったらどうする?」

同僚ともよく話していたのですが、

「あそこまでして生きたくないなぁ」という同僚がほとんどでした。

病院の中は、待合でも入院患者もやはり高齢者が多く、高齢者用のホームに行く事も沢山あり、毎日お年寄りの弱弱しい姿を見てきました。

 

ある病院の管理されている方からこんな話を聞きました。

「昔と違って、今のご遺体は重い」と、

そして

「チューブで最後まで繋がれたままだから」と。

 

私の父がまだ健在でいた頃、母の葬式の事です。

母は生前ある宗教団体に入っていました。

父も母からの勧めで入信したのですが、母が亡くなる数年前から、別の似た宗派に変わりました。

というより以前信仰していた宗派に戻りました。

親戚は、この二つの宗派や団体のせいでバラバラでした。

表面上は表に出しませんでしたが。

葬儀当日、当たり前ですが、母と仲良くしていた母の叔母を呼ぶことにしたのですが、母と同じ宗教団体にいた為、結局呼ぶ事が出来ませんでした。

親戚の意見が尊重されたのです。

当日来たお坊様に

「一番良い戒名をつけてくれ!高くてもいいから」と話している親戚の言葉を、柱の陰で聞いていました。

それぞれの想いがあり、考え方があるのは、当たり前です。

自分の考える最善の事をしたいという想いは、理解できますし、お金に対する価値観が違うのも、人それぞれです。

ただ私が感じたのは、知らないという事の恐ろしさでした。

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例えば戒名は、平安時代の死生観から死後つけるようになり、本来は仏門に入った証で使われていて、生前につけられていました。

また差別戒名という暗い歴史も背負ったものなのです。

そもそもお金の価値の入る余地などありませんでした。

守っていかなければいけない、伝統や風習の大切さは理解していますが、それを行う人達がいがみ合うのでは、意味がありません。

 

これも私が実際に経験した事です。

アルバイトでイベント関連の仕事をしていた時に、お坊さんからの仕事が入りました。経緯は解りませんが、僧侶と色々な事を相談するという内容のイベントで、チラシ等を撒いたり、会場での案内をする仕事でした。

打ち合わせは、某国産高級車の僧侶が、入った事もない立派なうなぎ屋で行われました。

そして当日、解った事は、お墓の勧誘、セールスだったのです。

その後も、忘年会などで贅沢をさせてもらいました。

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引っ越しで住んだアパートの管理人さん。

この人は管理や修繕などをしていた、当時70代の方で、大変にお世話になった方でした。

コンロが無く、困っているとすぐ持ってきてくれたり、おすそ分けもしょっちゅう頂きました。

私の住んでいたすぐ横に、夫婦と息子さんの3人暮らしの方でした。

残念な事に、奥様が病気で突然亡くなり、息子さんと二人になったのですが、折り合いが悪かったのか、いつも私の家に来ては、愚痴をこぼされていました。

でも私達家族には、相変わらずとても、優しくして頂いていました。

そんな中、急に姿を見なくなったので、近所の仲の良かった散髪屋さんの叔母さんに聞くと、入院したという事で、私達夫婦は、すぐお見舞いに行きました。

弱っているように見えましたが、相変わらずの口達者で安心して帰って間もなく、亡くなった事を、散髪屋さんから聞いたのです。

すぐに息子さんに会いに行き葬儀に行きたいと言ったのですが、いつの間にか、その息子さんもいなくなってしまい、お葬式には行けずじまいになり、最後の別れが出来なかったのが悔やまれました。

管理人さんが、息子がガスの元栓を閉めて風呂が焚けないと、部屋に来てお話しされていた、あの寂しそうな顔が忘れられません。

 

いつ何が起きるのか本当に解らないものです。

どんなに立派な仏壇も、戒名も、お墓も、塔婆(立てることで故人の供養になり、善を積むことにもなる)も結局お金が関わるという事の違和感。

そして、無残に捨てられ木くずとなる現実を見た私にとっては、何の意味があるのだろうと考えてしまうのです。

後編へ続く 

 

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情報発信の危うさ(1)

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都合の良い自身の好みに合わせ、人は情報を貪欲(どんよく)に喰らい、咀嚼(そしゃく)無しに飲み込む。

それは、まるで大食い競争の様な勢いで、味覚を犠牲にし、満腹感を得ている。

そこから何を得ようとしているのか?

一体何が目的なのか?

思考の停止に気付かない。

都合の良い情報ばかりに食らいついているから。

たちの悪い事に、他者を巻き込む事が、大好きなのだ。

自ずと否定的な情報には目を背け、肯定ばかり集めては、腹を満たす。

もうお手上げだ。

 

情報の本質は、そこには無く、自分の道連れを作る事が目的となり、満足感になる。

満足感は、一時しのぎであり、消化しきれないほど食べても得られない。

なぜなら脳が刺激を求めるからだ。

はけ口が欲しいのだ。

それは、自身と向き合おうとしない弱さ。

言い換えれば他人を通してでないと、自分の存在を確かめる事が出来ない臆病さ。

さらけ出す事への恐怖から逃げ回っているだけかもしれない。

 

顔が見えない相手との情報のやり取り。

匿名性は、担保されなければならないが、責任放棄の材料であっては、ならない。

誰でも、間違いは起きる。

どんなに慎重でいたとしてもだ。

間違いは、それ自体に責任が取れない。

問題なのは、間違えを認めたがらない勇気の無さだ。

間違えた情報を正す責任を、人任せにするのは無責任だ。

 

真実は常に誰かのフィルターを通し、例え意図的では無くとも、起きた瞬間、ただの事実として、形を変えてしまう。

付加価値を付けたくなる人が大勢いる。

演出までしてしまう。

そして

情報は、思い込みへと流れ込み、無意識のなかで真実として、勝手な筋書きを描く。

真実は、事実となり、いつしか物語に変わる。

 

ほんの一部ですが、こんな例があります。

捕鯨。日本において縄文時代に、土器などの出土で鯨を食していたと思われていて、


鯨の絵巻(新潮文庫)

ノンフィクション作家の吉村昭さんの本「鯨の絵巻」にも出てきますが、江戸時代には、飢饉を救い、村を潤す食べ物や道具として、全身を無駄にする事なく利用していました。

一方、鯨の肉を食べない欧米でも、日本の江戸時代後期から明治初期にかけて、照明用の油をとるためだけに鯨を乱獲し、数を激減させました。

2015年公開映画『白鯨との闘い(In the Heart of the Sea)』でも、当時の捕鯨の実態が解る、鯨油を取る為だけの動物だった事を描いています。一方『ザ・コーヴ(The Cove)』は、2009年に公開されたアメリカのドキュメンタリー映画では、イルカ(鯨)漁を批判した映画が作られ、それに対して、今度は、

2015年日本人八木景子監督の『ビハインド・ザ・コーヴ捕鯨問題の謎に迫る〜( Behind "THE COVE" 〜The Quiet Japanese Speak Out!〜)』が公開され、食文化にも深く踏み込み、インタビューも交え、問題を丹念に描かれた映画もあります。

水族館のイルカショーやTVでも賢く、可愛いらしく映る生き物は、見方を変えると、食べ物にもなり、道具にもなるという側面があり、一方通行の情報の怖さと、妥協も含め、自らで良し悪しを選ぶ事のいかに難しいかの例です。

 

 


関東大震災 (文春文庫)

 これもノンフィクション作家の吉村昭さんの本1973年刊行の『関東大震災』で記されている、自警団の暴徒集団化や「朝鮮人が放火した」などの流言のすべてが事実無根で、一つとして朝鮮人の来襲等を裏づけるものはなかったという記述。

 

番組演出によって本人の意志とは関係のない人格が勝手に造られその結果、誹謗中傷により、命が奪われる痛ましい悲しい結末となってしまった、まだ記憶に新しい事件。

 

文化放送では、俳優の伊東四朗さんが、ドラマ「おしん」でヒロインの父親役。ドラマの中でヒロインをイジメる事があった為、視聴者から自宅前で抗議された話しをされていましたが、もしこの頃SNS が盛んであればと思うと、ゾッとします。

 

ある商品の説明をタレントが話しているTVのCM。

効果や効能を語っているのですが、よくよく聞いてみると、タレント本人が、商品をもし使ってみたら、こうなるんではないか?という感想に過ぎない事を話しているだけで、実際にタレント本人は、使ってはいないのです。ちゃんと聞いていないと、商品=タレントのイメージとして、頭に植え付けられてしまいます。

 

他にも、効能や効果は、映像として流し、マイナスになるような要因は、小さく、表示時間も短い文字表示で流して、とても読めないアンフェアな手法のCMも沢山有ります。

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 情報を、いつでも誰でも自由に発信し、受け取るが出来る事自体は、素晴らしい事です。

例え総理大臣の悪口を言っても、捕まる事は無いこの自由は、守り維持しなくてはなりません。

 

しかし情報は、常に正しいとは限らず、意図して見せないように、カモフラージュしている場合もあり、しかも人間は間違いや思い込み、錯覚をおかすという前提で考えないといけません。

そのまま流し、受け取るだけではなく、一呼吸を入れ、出来る限り信憑性を確かめてから次の行動に移るように務めたいものです。

だから、見極める力が必要になり、鵜呑みにしない賢さが必要です。

「もしかしたら?」という想像力が鍵となります。

 

想像力は篩(ふるい)となり、粗い網目から残ったモノを徐々に細かい網目へと、ふるい分けられる。

網目は、洞察力であり、網目を揺らすその腕は、追及の力となる。

 

そして情報は、恐ろしい危険性を含んでいます。

 

 


スノーデン [DVD]

 オリバー・ストーン(Oliver Stone)監督の2016年のアメリカ映画『スノーデン(Snowden)』。

世界的にもニュースになった、コンピューター技師エドワード・スノーデンが、アメリカ国家安全保障局の機密情報をマスコミに暴露した事件の詳細が描かれていて、普通の人々が、知らずに垂れ流している、個人情報までも、権力によって抜き取られ、利用される恐ろしさを描いた作品です。

映画の中で、主人公のスノーデンが、スマートフォンやノートパソコンのカメラに絆創膏を張っているのが、印象的でした。

 

日本でも、写真の瞳に映った景色から場所を特定するという事件があり、むやみに投稿する事の危険性が、ニュースになりました。

映り込むマンホールや影の長さによる時間特定、写真に埋め込まれた位置データ、電柱、看板、洗濯物と特定される危険性は山ほどあります。

悪意があれば、映像は宝の山なのです。

現に有名人が身に着けているモノを、写真から特定している人が多くいる手法と変わらないのです。

 

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よく車の後ろに「子供が乗っています」のステッカーを張っている車を見ますが、もし国が違えば、誘拐や強盗犯に、情報を見せているのと同じです。全くの無防備状態です。

 

情報を扱うのは人間で、人間はミスを犯すという前提で。

今のコロナ禍、デマや不正確、根拠が無い情報が飛び交っています。

切り取られ、加工された発信も後を絶ちません。

安易に発信し、仲介役にならないよう気をつけたいものです。

情報発信の危うさ(COVID-19コロナワクチン) - 心の道標 (kenpa.blue)

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死ぬまでの時間に(1)

私の亡き父は100歳まで生きました。

55歳で定年の時代、人生の半分近くを老後と言われる生活をしてきた訳ですが、若い頃から夫婦仲が悪く、その後悔からか、たまに母を連れてドライブしていたようです。

父との会話は必要なこと以外はほとんどありませんでした。

経済成長時代真っ盛りのサラリーマンだった父は、家庭よりも仕事一筋の人間でした。

そんな父の背中を見て育った私は、学ぶどころか反発ばかりしていました。

「外ではいい顔して、家では怒ってばかりいやがって!」と。

時には「何で生んだんだよ!」と自棄になってしまった時期もありました。

父は母の事を、母は父の事を私に向かってお互い悪口を言う両親。

夫婦の事は当事者でない限り解りませんが、子供から見ると両親の嫌な部分ばかりが記憶に残ってしまい、トラウマの様になってしまいました。

母の死後、施設で過ごしていた父ですが、後悔していますが一度も訪ねる事はありませんでした。

今、私が親となって、両親が彼らなりに苦労して育ててくれたのだと、やっと自分に言い聞かせる事が出来るようになりました。

そして、トラウマを反面教師として息子と日々向き合っています。

 

両親と過ごした昭和の時代は、もしかしたら私と同じような経験をしてきた人も多くいるかもしれません。

両親から教わった事は思い返してみると、世間体というものを考え、人様に迷惑を絶対にかけない事とお金が全てであり、その為に大企業に就職せよという事ぐらいしか思い出せません。

男尊女卑や隠れ差別、心付けや謝礼が当たり前であった時代。

出世や家電、マイホームが目標であった時代。

本音と建前の開きが大きく、常に他人の目を気にしていた時代。

私にとっては息苦しくて仕方がない時代でもありました。

 

「何の為に歳をとっているのか?」

日々、流れるニュースの中で、私がよくつぶやく言葉です。

自分自身にもつぶやいています。

良くも悪くも、様々な経験をしてきた中で、それを悪い方向へと使ってしまう浅はかな行動。

自然界では生存が全てであり、それを超える愚かな行動はしません。

命取りになるからです。

必要以上に殺生はしませんし、役割を心得て謙虚に生きています。

短命であろうが、食し食される身である事も淡々と受け容れています。

 

残念ながら人間は、「欲」をコントロールできない人がいつの世にも現れます。

「欲」は向上にも繋がる意味では悪い事ではありませんが、支配的要素を多く含んでいます。

すなわち、考え方を誤れば欲求を満たす動機となり、最悪、手段を選ばないという結果を生み出します。

「何の為に歳をとっているのか?」という疑問は、なぜそんなことがその歳にもなっても理解できないのか?

やってしまうのか?という素朴な疑問です。

 

そのほとんどが、自分が主役でしかも監督を兼ねている三流以下の作品に酔いしれている人達です。

そして、少なからず、その作品に共感する人達がいるという事です。

彼らは何処で、いつ上映するか解らないという厄介なプロモーションを行い、更に作品のわき役を採用していくのです。

舞い上がった人達は、自分の居場所を与えられたと錯覚し演技し続けるのです。

遠くから見るとまるで滑稽なのですが、自己完結してくれない事が非常に厄介なのです。

よく「老害」と言われるような事例が正にそうです。

 

「何の為に歳をとっているのか?」

人間は脳という能力を使い寿命を延ばしてきました。

考えてみると、「人工物」と「自然」は、対義語のように使われますが、人間は今のところ機械では無いので、本来「自然」という位置づけになります。

その人間が作るものは、見方を変えれば自然物とも言えます。

里山しかり、堤防も畑、同じようにビルも橋も自然物と捉える事も出来るわけです。

自ら延命する様々なモノを作り出してきた人間。

長く生きる、生き延びる事は自然の中で起きている事で何か意味があるとしか思えません。

 

通常の人間以外の生物は遺伝子の受け渡し後、もしくは生殖能力が無くなった時点以降寿命は短いものです。

一方人間は、戦争や飢餓、病気といった身近に身の危険がある場合、子供の数、出生率は上がります。

子孫を残す為です。

しかし、生きていく上での環境が整い保証される社会になると先程とは逆に少子化に向かい、長生きになります。

人間だけが子育てに長い時間をかけ、その後も長く、それも徐々に時間を延ばしてきています。

人間にとっての最大の武器は「脳」です

子育て後、医療や環境といった人工的手段を活かし、長い時間を与えられた「自然物」である私達。

そこに意味があるのです。

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いくら素晴らしい脳を手に入れたとしても、それを使いこなす事が出来なければ意味がありません。

脳を活かす為には、子孫に生きていく上で、人間という大きな枠での集団生活を営む為の基礎と知識を与える時間が必要です。

ですから子育てに時間を費やし、その後も継いでいくモノへの忠告者として、道標としての役割がある為寿命が長いのです。

 

先人達の優れた知識や技術、そして経験、これらが後世に伝わってきたからこそ生物としての人間がここまで生き延び、繁栄できたのです。

インターネットや図書館で調べれば判るのが知識ですが、それはやる気があれば誰にでも身につけることができます。

知識は力となりますが、知恵を伴わないとただの飾りものにすぎません。

まして、指でポチっとするだけで知識を得る事が出来る時代に生きています。

一方の知恵は、試行錯誤し反芻し、失敗した中から産み出てくるもので、熟練した技、現実をいかにどう乗り切っていくのか等、本やネットなどの知識では得られない事も沢山あります。

まさに経験と勇気、挫折と夢の賜物なのです。

長い時間が人に与えられているのは、人生経験が未熟なモノに対して自分たちが経験し、得てきた知識、反省や失敗やあやまちを繰り返さない為の助言を与える時間なのです。

大家族で生活をしている人達が少なくなり、核家族化がすすむ現在、年上の人との触れあいが希薄になっています。

そんな時代だからこそ、人生経験を積んできた人達が残された時間をどのように使うかにかかっているとも言えます。

それは単に家族間でのやりとりだけではなく、社会を通して、自分自身の生き方を通して伝えていかなければいけない義務です。

無関心や無視が、無知を生み育てることを忘れてはならないのです。

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そして、常に頭に入れておかなければいけない事が、「謙虚」という言葉です。

新しい考え方が溢れ出す若い世代に、自分達の経験が押し付けにならない事。

全て自分のやって来た事が正しいとは限らないという事。

自身の行動や言葉を押し付けない事。

新しい事に目を向ける好奇心をいつまでも忘れない事。

聞く耳を持つ事。

そして権力から遠ざかる事

そう「謙虚さ」を忘れない事です

残された時間の意味は、それだけではありません。

「生きる事の意味」でも書きましたが、自分の人生をより楽しむ時間、すなわち私達はこの世に遊びに来ているのです。

還らなくてはならないのです。

日が昇り、沈み、風が吹き、雨が降るのを楽しむ為、その為の自然物、人間としての意味があるからです。

生きる事の問いかけを、答えが出なくても次の世代への宿題として問い続けるのです。

「何の為に歳をとっているのか?」は「何をやっているんだ」という後ろ向きの問いかけにするべきではありません。

それは自分自身への問いかけであり、後押しの言葉にする問いなのです。

答えを追い求める事が人生でもあります。

 

歳を重ねた人を軽んじる風潮がありますが、非常に大きな人間的、社会的に損失となるのです。

単に知識や経験を得る機会を失うだけではなく、その人達から学ぶべき無言のメッセージ、すなわち「人生とは」「生きる事」というような重みさえも、受け取る機会を逃してしまう事になるからです。

「一人の老人の死は、一つの図書館を失うのと同じだ」というアフリカのことわざがあります。

敬う事、つまり謙虚になる事。

それ無くしては次の世代に明るい未来は無いと言えるでしょう。

生命短きものには感謝を

生命長きものには敬(うやま)いを

 

生命短きものからは刹那を

生命長きものからは尊(とうと)さを

命の時間は持って生まれた贈り物

 

kenpa.blue

 


グラン・トリノ [DVD]

 2008年のアメリカ映画で監督、プロデューサー、主演のクリント・イーストウッド(Clinton Eastwood Jr.)の作品『グラン・トリノ(Gran Torino)』

老人と少年の交流を描いた、悲しくも心温まる作品です。

年配の方に特にお勧めの映画です。

 

 


最高の人生の見つけ方 [DVD]

2007年のアメリカ映画『最高の人生の見つけ方(The Bucket List)』は、

ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson )」と「モーガン・フリーマン(Morgan Porterfield Freeman, Jr.)の名優二人による、ハートフルな物語で、余命を告げられて、死ぬ前にやり残したことの実現の旅に出る話です。

映画の中に出てくる言葉も素晴らしいので、お勧めの映画です。

 

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死と向き合う事

何も聞こえない。

何も話せない。

聞いておきたい事も、言っておきたい事も。

だから、今ならまだ間に合う。

 

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私が小学生の頃、

電車で2時間ほど離れた母方の祖母の家に、夏休みや冬休み行くのがとても楽しみで、休みの間ずーっと祖父の家にいて過ごしていました。

優しい祖父や祖母と、当時叔父が二人同居していて、とても可愛がってもらいました。

多分30代だった叔父達。

ふすま屋の商売をやっていたので、年上の叔父が跡継ぎとしていつも家にいた為、

私が行くと、オモチャを買ってくれたり、運転席の叔父の膝の上に乗り運転したり、

近くの酒屋さんにお酒を買いに行かされ、落ちている酒瓶の蓋を集めたり、

家の前の側溝のドジョウを採ったりと、

あっという間に毎日が過ぎていく私にとっては、楽園そのものだったのです。

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そんなある日、祖母から私の住んでいた家に電話がありました。

上の叔父の死を知らせる電話でした。

膵臓を悪くして、あっという間に亡くなってしまったのです。

当時叔父は結婚して1年もたっていませんでした。

葬儀は祖母の自宅で行われ、生まれて初めて死んだ人間の顔を間近で見たのです。

私は死をよく理解していなくて、叔父の死を受け止められませんでした。

ただ、裸にされ、白い着物を着せられ、綿を鼻や耳に詰めたりする作業をぼーっと見ていました。

火葬が終わり祖父の家に戻り、誰かからは忘れましたが、死んだ叔父の手紙を私に見せてくれました。

いつ書いたのかは判りませんが、内容は私の事で、とても可愛いく、良い子だというような内容だったと記憶していますが、

それを読んだ途端に叔父さんがもうこの世にいないという、私にとって残酷な現実が、急に襲いかかってきて、物心ついて以来、初めて大声で泣いたのです。

それ以来、叔父の魂がお化けでもいいから現れてくれるのを待つようになりました。

もう一度逢いたかったのです。

 

現代、日本においては自宅での葬儀はほとんど行われなくなりました。

死を身近なものとして感じる機会がほとんどありません。

病院で亡くなり葬儀へと、残されたものにとっては、手続きばかりで、向き合う機会を逸(いっ)してしまうのが現状です。

残念なことは、家族にとって一番必要な故人との時間が、薄れてしまっている事です。

 

人は生きていく中で入学式や卒業式など、節目節目に様々な儀式を経てきます。

ただ葬儀だけは、見送る人達だけの、本人不在の儀式です。

だからこそ、儀式ありきではなく、見送る人達の想いの節目や納得を得る為の時間であるべきなのです。

人それぞれの、死生観があり、何が正しいか悪いかはありません。

 

一人ひとり、自分に問う難しい作業で、納得できる方法はなかなか見つからないでしょう。

ただ、忘れてはならないのは、儀式はあくまでも儀式で主体ではないということです。そしてあなたの見送り方が全てであり、

何処(どこ)ででも何時(いつ)でも、儀式は出来るのです。

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私の妻の国フィリピンでは、病気をしても一般庶民は、病院で亡くなる事はありません。

理由はお金が無く高い治療費を払えないからです。

そして、病院で診てもらうために、まずお金の有無を聞かれるのです。

 

妻の弟の妻が、髄膜炎で3人の子供を残し死んでしまいました。

病院に行くことなく、祈祷師の所へ連れて行き、手遅れとなってしまったのです。

まだ20代の若さでした。

当時、日本にいた私達に連絡が早く来れば、何とか助けられたかもしれません。

彼女の無念を思うと、言い切れない虚しさが今も残っています。

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その後約1年後、今度は義父が突然亡くなりました。

喘息による呼吸器不全でした。

発作が起き、急いで病院へ知人の車で向かう途中でした。

日本のように、救急車がすぐには来ません。

もし来たとしても緊急自動車であろうと道を譲る事は無く、

渋滞に巻き込まれる国です。

葬儀はまず棺桶を買う事から始まります。当時日本円で20万円近くかかりました。

お金が無い人は買えません。

買えない人は、地域の責任者が行動する迄、そのまま放置されたままです。

また日本のように火葬ではないので、埋める土地を買わなくてはなりません。

土地が無い人の為に、コンクリートで作られた棺桶用の引き出し形式の野ざらしの建物に納められます。

勿論お金がかかります。

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もしお金が出来、幸運にも土地が見つかると、そこに埋め直すのです。

義父もまだ、その建物の引き出しの穴の中で眠っています。

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 この国ではお金が全てなのです。

ただ昔の日本のように、人々の繋がりが深く、楽天的で、

助け合いながら生きているのが、唯一の救いなのです。

 

それから1年後、今度は妻の姉の夫が、子供を残し亡くなりました。

普段から酒を毎日のように飲んでいて、黄疸も見られていたのですが、彼もまた入院治療することなく、肝臓を傷めての早すぎる死でした。

酒の飲みすぎは、彼の責任ですが、フィリピンという国は仕事がなかなかありません。あったとしても一時しのぎの仕事ばかりで、家族を養うのは大変なのです。

彼は、義姉と共に妻の母親、義母と同居していて、もしかしたら居場所が無かったかもしれません。

日本のように貯蓄する考え方も無く、そもそも貯蓄するお金が無いのです。

ですから女性たちは世界中に、家政婦として、ダンサーとして、出稼ぎをして、家族を支え、国を支えているのです。

 

妻は、たまに父親の夢を見る事があって、時には涙ぐんで私に話してくれます。

「お父さんが夢に出てきてくれた!」と。

故郷から遠く離れた日本で、一生懸命に母国の家族を今でも支えてる彼女の事を、とても愛おしく思います。

彼女は、カソリック系のクリスチャンですが、もう何年も教会には行っていません。

きっと彼女の教会は、「心の中にある」と思うようになったからでしょう。

事情があり、私は義父とは、残念ながら生前に会うことは出来ませんでしたが、

家の居間に写真があり、凛々しい視線で私達を、見守ってくれています。

 

私もまた、彼女と同じように、

見送った愛する人達に、心という祈りの場所で、

生きている事の幸せを伝えています。

 

伝えておきたい事は、今すぐ愛する人に伝えて下さい。

「言わなくても解る」というのは、

その愛する人が、この世から去ってしまってからの事です。

言葉をかけられる人が今、生きている事に、感謝。

 

新型コロナCOVID-19は、フィリピンも例外ではなく、ひどい状況です。

失業者も増え、病院すら行けない人達も大勢います。

何より、子供達が心配です。

関心を持って頂けると、幸いです。

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死はこわくない (文春文庫)

ジャーナリスト・ノンフィクション作家立花 隆(たちばな たかし)さんの訃報がありました。

80歳で4月にお亡くなりになられたというラジオからのニュースで、大変驚きました。

有名な「田中角栄研究~その金脈と人脈」をはじめ、様々なジャンルで、綿密な取材をする気骨のある方で、私も「宇宙からの帰還」など読ませて頂き、引き込まれた思い出があります。

改めて、立花さんのまだ読んでいない本を読もうと思いました。

立花さんの生前の死生観から、樹木葬という形になったとの事です。

今のこの日本に必要な、立花さんのようなジャーナリストの死は、とても、とても残念です。

今頃、天国で政治に対する痛烈な言葉を、知の巨人にふさわしく書いていらっしゃると思います。

心よりご冥福をお祈り致します。

 

 

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時を超える手紙(消えてなくなりたい若者や子供達へ)

それは、あなたのせいで、そうなったのではありません。

廻りの人達がわかっていないだけです。優しいあなたの事を。

だからあなたは、「自分がここにいる」と叫んでいる事を。

 

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 子供や若い子たちが亡くなるという事は、本当にとても悲しい事です。

まして自ら命を絶ってしまうと、残された人たちの心は苦しみや、後悔、懺悔(ざんげ)が渦巻き、かき乱して生きてられないほど苦しいものです。

いじめや差別、孤独感で苛(さいな)まれて、行き場が無い子。

それは「自由」という当たり前の権利を取り上げられた事と全く同じです。

助ける機会を見過ごす大人達。

子供や若者に罪は絶対にありません。

「みんなが仲良く」なんて、そんなきれい事が通用するなんて、誰も思っていないでしょう。

戸惑って当然です。

仲良くするためには、異物を排除(はいじょ)しなければいけないと、思い込んでしまいます。

同じ考え方や価値観、髪の長さや色、同じ靴(くつ)にカバン、スカートの丈(たけ)や消しゴムの形まで、キリがないほど馬鹿げた規則で縛る。

管理する側の都合によってです。個性の大切さを教えているふりをしているだけ?

個性を重視される社会に出た途端(とたん)、価値観が変わり、戸惑うのは当たり前です。逃げ場が無いのですから。

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外観も内面も全部、初めから個性です。

個性が無い人など何処(どこ)にもいません。

考え方や容姿が違うのは当たり前。

枠にはめて良し悪しを決めるやり方は、大人になってもきっと引きずる事になるでしょう。

 

「消えてなくなりたい」

そう思う事は他人、すなわち自分以外の人達の存在が、心の中にちゃんとあるという事。

成長しているからこそ出てくる言葉です。

あなただけが悩んでいるわけでなく、誰しもが通ってくる悩みです。

あなたのその小さな声の叫び。決してちっぽけな声だとは思いません。

それはあなたにとっては、とても辛く、悲しいという事実を伴(ともな)っているからです。

「もっと辛(つら)い想いの人がいる」

「だから頑張れ」

という言葉は無意味で、無責任だという事も。

 

あなたからは決して開けない扉を、閉じ込められている怖さに耐えて、開くのを待っているのでしょうね。

 

本当は、こんなに狭い世界で生きたくないのでしょうね。

沢山の情報が心の中に流れ込んで、どう処理していいか、何から始めればよいのか、きっと混乱しているのでしょうね。

 

何もかもが、崩(くず)れていく積み木のようにバラバラになり、手に持っていた積み木の置き場所が解らなくなっているのでしょうね。

 

時間の流れが、人と違う事を誰も信じてくれないのでしょうね。

 

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この世の中には、消えてなくなって欲しい人やモノで、たくさん、たくさん溢(あふ)れています。

独裁者(どくさいしゃ)や犯罪者や、武器に麻薬。イジメる奴や気持ちを踏みにじる人。

 

でも                                                                                                                          

「消えてなくなりたい」と思っている人が一番消えて欲しくないのです。

「消えてなくなりたい」と思っている人が一番命を大切にしている事を。

 

どんな理由があるにせよ、「消えてなくなりたい」と思う気持ちを大切に持っていて下さい。

なぜならあなたは、痛みがわかる大切な、貴重な存在だからです。

その気持ちを、決して忘れないで下さい。

なぜなら、振り返る事が出来た時、あなたは必ず誰かの手助けとなっているからです。

誰かの手助けになる事の、信じられない「充実」「奇跡」の意味を、あなたは知る事になるのです。

色々な受け止め方や考え方が多ければ多いほど、そして受け手が寛容(かんよう)であれば、あるほど世の中は、住み良く、すなわち遊びやすくなる事を、

あなたの誰にも真似(まね)られない自身の言葉で、伝える事が出来るからです。

 

今、とても苦しくて、追い込まれ、逃げ場が無いあなた。

苦しんで、もがいて、諦(あきら)めているあなたへ。

 

出来るなら、誰にでもいいから話す少しだけの勇気を持って欲しい。

一人では、決して生きていけないのが、「人間」という動物の宿命(しゅくめい)なのです。

 

学校も会社も嫌ならいく必要はありません。

どんなに苦しくとも、必要とされてないって考えていたとしても、

あなたが生き続ける事、今ここにいる事が、

あなたの、あなたの生まれた意味です。

 

何をするかを考えるのは、自分の存在の意味を問うのは、もっと、もっとこの世界で遊んでから見つけても、決して遅くはありません。

先延ばしでいいのです。

 

そしてあなたは、その答えを見つける日が必ず、必ず来ます。

だから、痛みがわかるあなたにいて欲しいのです

 

誰にでもいいから、話さなくてもいいから、抱きついて欲しい。

それも出来ない時は、大きなものを見て欲しい。

星空や海、森や木々、高い所に上って見る夜景。

ちっぽけな、どうでもいいような自分の存在を全身で溢(あふ)れるほど感じて欲しい。

あなたの事なんて、気にも留(と)めないその大きな存在達は、

あなたが見てくれているからこそ、今ここにいる事に自(みずか)ら気付きます。

そして抱きしめてくれています。

見守ってくれているのです。

あなたに生きていて欲しいのです。

 

どんなに誰からも愛されていないと感じていても、

どんなに誰からも必要とされていないと思っていても、

あなたの事を知らない私は、あなたの事が大好きです。

そんなあなたを、私が見つけるまで、

言葉をかける為に、消えてなくならないで下さい。

そして、

私が見つけやすいように少しでもいいから、

その手を上にあげて下さい。

 

誰でもいいから、黙っていても、泣いても、いいよって言ってあげて欲しい。

誰でもいいから、若者や子供に手を差し伸べて欲しい。

聞いてあげて欲しい。抱きしめてあげて欲しい。

誰でもいいから、何も出来ない若者や子供を、助けて欲しい。

無理なら誰かに託(たく)して欲しい。

 

若者や子供は、「創造」そのものだから。

この世で手にする事が出来る唯一の宝物だから。

「未来」そのものだから。

「未来」を見せてくれるから。

 

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追伸

幼い頃の私へ 心を込めて

今の私より

 

追記

SNSで、「消えてなくなりたい」と考えている人達の投稿を一晩中、読ませて頂きました。

その数の多さや、その裏にある苦しみの深さに、心が正直折れてしまいました。

ほんの一部の話に触れただけで、

もっとたくさんの人の悩みが隠れていると思うと……。

日本が国民の幸福度下位だというデータ結果も納得です。

 

自分を傷つける投稿やあきらめの言葉、生きるという事の価値観など、

投稿の裏にある心理、今の私には上辺しか、なぞれない悔しさが湧いてくるだけでした。

そして、かける言葉が見つからない無力感でいっぱいになりました。

内へ、内へと向かう感情を、どうすれば外に少しでも向けられるのか、

考えても答えが見つかりません。

 

少し私の経験を書きます。

小学生の頃、イジメから救ってくれたのは、担任の中村先生でした。

中学校の頃、色々家庭環境で辛かった時、勇気をくれたのは、体操顧問の井上先生と、本と音楽でした。

高校の頃、イジメから抜け出せたのは、音楽とバイクです。

それ以降、私の中に、音楽や映画、本、バイクがいつも傍にあり、私を守ってくれていました。

 

思い出の中に出てくるそれらの、人達やモノは、言葉よりも映像です。

思い出す度、優しい顔や必死になってくれた顔が頭の画面いっぱいに広がってきます。

そして頭の中で描いた物語を想像した数々の空想の世界。

音から伝わり、広がる様々なメッセージという映画のようなストーリー

バイクで、何時間もかけて見に行った海。

 

小さい画面を見つめているだけでなくて、このブログでも書いた、大きなモノや、広い景色。

空や山、夜景、とにかく大きく、広がりのあるもの。

一瞬でもいいから、自らの意志で、目で、自分の存在を、余りにもちっぽけな存在を見つけに、出かけて下さい

そして、語り掛けてくる無言の声を聴いてください。必ず聞こえてきます。

 

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21段の階段「産業廃棄物中間処理場」⦅SDGsを語る前に⦆

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私が、この仕事についたのは、職を失い、ハローワーク(注1)に通い、履歴書を何社に送ってもダメ。

そんなある日、ハローワークで検索していたら、

「派遣・正社員登用あり・誰でも出来る、簡単な廃棄物の仕分け」と。

仕事が見つからず、ダメもとで電話し面接。すぐ採用でした。

 

朝6時前に事務所に集合。グループごとに車で派遣先へ。

8時から18時まで働き、事務所に着くのは、19時半から20時。

 

初日、何も解らず、教えてくれるはずの、同じ派遣の同僚から、

「とっとと帰れよ」

「このバカが!」

罵声と馬鹿扱い。

4日ほど我慢して派遣会社にその事を話すと、

敷地内の別にあるコンベアの仕分けへと、移動。

流れてくる、廃棄物を種類ごとに分ける仕事でした。

10時、12時、15時と休憩があるのですが、立ちっぱなしの上、常に手を動かしているので、毎日クタクタになりました。

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産業廃棄物(産廃)とは、家庭から出るゴミではなく、

建築や解体等から出たゴミや、企業からの処分品など、

法律に基づいての処理をしなくてはいけないゴミの事で、

中間処理(ゴミを種類事に分ける)を経て、種類ごとに最終処分場へと送られ、

処理されるのゴミの事です。

 

コンベアは、屋根があるとはいえ、夏は40度、冬は指がしびれるくらい寒く、何人もすぐ辞めては、補充の繰り返しでした。

7、8人体制ひどい時には5人そんな中で社員はたったの3人 あとは派遣だのみでした。

配置位置で 運動量はかなり違っていて、私が担当したのは、木片・非鉄・プラステックなどの仕分けで、ひと際忙しい場所。

初めて作業する派遣の人は「目が回る」「気持ち悪い」「ついていけない」と、環境の悪さも相まって、大抵半日か一日で辞めていくのです。

 

毎日、コンベアがある2階へ、21段の階段を登ったり、降りたり。

勿論、掃除も毎回休憩前と最後にありました。

 

コンベアに流れてくるゴミは、「下ゴミ」と言われ、解体現場から最後に出る、土混じりのゴミの事で、ユンボという大きなシャベルがついた重機で、すくい、コンベアに流します。

最初に大きな回転する円筒形のカゴで、土や小さな金属も含めふるい分けされる仕組みになっています。

これが曲者で、埃が舞わないように、湿った状態で流す為、カゴに泥と化した土が、こびりつくのです。

終業の頃には、乾いて硬くなり、これを取り除くのが、とにかく大変なのです。

特に夏は湿気と暑さで、作業は5分ほどしか、身体がもたない過酷なものでした。

 

私達は、派遣と呼ばれ、社員と仲良くならない限り、名前で呼ばれる事はありません。

それは、人の入れ替わりの激しい事も起因しています。

 

私が所属していた派遣会社は、人手不足の為、常に募集をかけて、派遣先の要求する人数を、経験の有無なしに送り込むのです。

応募してくる人達は、履歴書も無しで、即採用。

ほとんどが高齢で、四、五十代が入れば、「若い奴が入った」てな具合でした。

とにかく変わった人が多くいて、日銭で暮らしている人や、独り身が多く、持病や病気を抱えている人もいました。

健康保険無しの人。

住む家も無い人。

腕や背中に絵が入った昔ヤンチャだった人。

黄疸なのか、目が黄色くなっている人。

朝から酒臭い人。

それでも、生きていかなければならない残酷さ。

底辺を見ている様でした。

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休憩室は、敷地内の建物の中の二階。

休憩時間になると、決まってギャンブルの話題が飛び交い、昔良かった頃の思い出話しを何度も聞かされ、日当をパチンコですって昼飯を抜いている話や、

お金を貸しても、戻ってこない事を何度も話す人。

自転車だけが財産で、何も持たない事の強みを説く人。

日々起きる人間模様が色とりどりで、私としてはある意味、面白かったのです。

 

コンベアに一部ロボット導入の話しが出て、工事の為ある日突然、仕事が変わりました。

同じ工場内で、工場に入ってくるトラックの荷の確認と誘導、落とされたゴミの仕分けと、屋根がある場所や無い場所を、所狭しと、走り回っていました。

多い時は百台ぐらい入ってくるトラック。

運転手も、様々な外国の人がいて、工事長に、日本人の様におべっかを使ったり、モノを渡したりと、なぜか、当時の私には滑稽に映りましたが、

今思えば彼なりに、必死だったと思うのです。

処理出来ない、受け入れ拒否のゴミを隠してくる運転手。

言葉が通じなく携帯電話翻訳でのやり取り。

待ち時間の長さにキレる人。

積んでいるゴミが何かわかっていない運転手。

 

ただそんな中、私達派遣に、

「大変だなぁ!ジュースでも飲めよ」

と気を使ってくれた、ぶっきらぼうな運転手に元気をもらったのが、今でも忘れられません。

 

現場では、乱暴な言葉や罵声が飛び交い、時には、ケンカもありました。

どこの会社でもある、人間関係の問題に加え、社員と派遣、外国人社員と日本人社員との確執。

宙ぶらりんのまま、その中を縫って私達は働いていました。

 

ここでは、自分で自分を守る、すなわち助けてくれる人を探し、うまく立ち回れるかが、日々問われるのです。

そして出来なければ、また違う現場に派遣され、いつまでも底辺のままバカ扱いなのです。

 

空気は光があたると、キラキラするくらいの劣悪さ。

工場全体の床は、中も屋外も鉄板が張ってあり、太陽からの反射や熱を持ち、あわせて怪我防止の為、長袖長ズボンにマスクで、特に夏は耐えられない環境になります。

その為、暑さによる熱中症で、何人かは倒れ、私も苦しんだうちの一人でした。

雨もまた私達を苦しめました。

レインコートは風を通さない為、体温を上げ、冬は厚着の上に着込む為動作が鈍り、体温が下がるのです。

それでなくとも濡れると体温は容赦なく奪われます。

 

トラックは、ダンプタイプ(注2)ばかりでは、ありません。

例えダンプタイプでも、種類の違うゴミを一度に下ろせないので、時には荷台に登り、手降ろしをしなくてはなりません。

ダンプが出来ないトラックは、重機で降ろすのですが、一種類のゴミだけを積んで来るトラックはほとんど無く、結局手降ろしになるのです。

ガラスや釘など、鋭利な破片があちこちにゴロゴロしていて、歩いても、手で掴む時も怪我を伴います。

トラックから降ろされたそれらのゴミを、鉄板のひかれた床から種類ごとに拾って所定の場所に捨てるのです。

一日中です。

腰にかなりの負担がくるのです。

 

別の中間処理場の事ですが、ニュースにもなった事件。

ある従業員がコンプレッサーからの圧縮空気を肛門に入れられ死亡した時に、居合わせた同僚の派遣の人が、報道されていない、いじめがあっての起こるべきして起きた事。会社に不利になる証言を警察にしなかった事など、痛ましい真相の話しを聞かせてくれました。

冗談混じりに話す同僚に戸惑い、ただの労働力にすぎない私達の扱いに、気が滅入ってしまいました。

 

勿論得たものもあります。

私を気遣い、優しく接してくれた人。

底辺で働く人達のむき出しの喜怒哀楽や、そこから出る言葉の重さ。

身体と忍耐だけの世界。

ゴミから読める、この国の人達の豊かさと苦悩。

結局、精神を患い辞めるまでの四年間は、ある意味、貴重とも言える日々の連続であったのは確かです。

 

コンベアまでの階段と二階の休憩室までの階段。

どちらも21段

登りも下りも私の足取りは、結局最後まで重いままでした。

 

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私が見た、様々な事例は、

LEDの普及による水銀を含む大量の蛍光灯の処分の在り方(注3)への疑問。

アスベストの扱いや処理の仕方への問題。(注4)

日時の予告されてからの検査視察の有用性と有効性のお役所仕事への疑問。

最終処分の仕方への疑惑。

慢性的な人手不足。

そこから見えてくる事は、単なる処分会社だけの問題では無く、

この日本社会の抱える負の部分、

行政の有り様や、コスト優先の考え方、

消費者である私達の、意識のありようが、問われているのです。

 

私が勤めた会社は、何も特別な会社でもなく、

日本中に、当たり前にある会社の中の一社にすぎません。

 

関連して、宅配などの「配送料金無料」の裏には、矛盾に満ちた、

どうしようもないごまかしや、低賃金で長時間働く人達の上で成り立っている事。

派遣という働き方の在り様。

加えて、本気で問題に向き合い、最後まで見届ける責任を果たしていない国や行政に目を向ける事の重要性。

商品が安ければ安いほど良いという心理の見直し。

無料では無い無料の事。

そろそろ真剣に考えないと、真の意味での先進国には、成れないのです。

 

昨今、SDGs「Sustainable Development Goalsの略」。

持続可能でよりよい世界を目指す国際目標が、取りざたされるようになりましたが、

何か買う時、

本当に必要なモノであるかどうか?

使わなくなった後、どう処分するのか?

素材は?

分解し易い組み合わせか?

という事まで考え、感心を持つ事が、ますます必要なのです。

上辺だけ、取り繕っているようにしか、私には感じられないのです。

 

まだまだ、本当の事を、見てきた残念な事実を書く事は出来ます。

が、その事はこれ以上私には書けませんでした。

それは、優しくしてくれた人を守りたい、彼らだけの責任では無いという、悲しい私のわがままからです。

 

素晴らしい未来が、子供達にきますように!

 

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(注釈1) 

失業手当をもらっている場合、ハローワーク経由で就職すると恩恵を受ける事が色々あるのですが、求人は法律によって、性別や年齢制限の記載が書いて無く、何度も無駄な時間と嫌な思いをしました。

街中で見かけるフリーペーパーの求人は、うまくヒントになる言葉や写真で、性別や年齢制限を伝えています。

例えば「20代、30代が活躍中」とか「お子様がいても安心」など。

参考までに。

 (注釈2) 

ダンプタイプとは、荷台を上げ下げ出来る、いわゆるダンプカーです。

効率が良い反面、複合の荷物を乗せる場合には向いていません。

また、アームロール型という、鉄の箱を載せたトラックもあり、アームロールで鉄箱を地面に下ろしたり、トラックにそのまま積み上げたり、また載せたままダンプ出来る車でもあります。

 (注釈3) 

蛍光灯の中には、有害物質の水銀や蛍光物が含まれており、

割れると微量ながら空気中に拡散され吸い込む危険性があり、

法に則った処分が義務付けられています。

家庭で出た場合は、各自治体の出し方を参考に、割らずに出してください。

もし割れた場合は、手で触れずホウキや、雑巾などを使い、舞い上がらないよう、袋に入れて処分して下さい。

掃除機は空気が舞い上がるのでやめましょう。

 (注釈4) 

現在、日本ではアスベストの使用はほぼ無い状態ですが、昭和の終わり近くまで使用され、古いビルや家の屋根などに使われていた為、解体の際に飛散するリスクが今もあり、問題になっています。

つい先日も、アスベストによる健康被害の補償に関する裁判で最高裁判所は、国と建材メーカーの賠償責任を認める判決を言い渡しました。

やっと救済が始まったのです。

 

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童話「アルマイトの洗面器」

小学校に通っているミーちゃん。

おうちに帰ってママに聞かれました。

「学校は楽しかった?」

「今日はね、宝物の絵を書く時間があってね、ねぇママ!見て!」

ミーちゃんは、持っていた紙をママに差し出しました。

「わぁ~きれいな、お花!上手に書けてるね!」

そう言ってミーちゃんの頭をナデナデしました。

するとママの後ろから弟のユウ君が、

「ねぇ、僕も書きたい」

と言ってママの袖を引っ張りました。

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「じゃあ、ユウも書いてごらん

さっそく色鉛筆を持って書こうとするのですが、なかなか書けません。

「どうしたの?」とママが聞くと、ユウ君は

「ちょっと待ってて」そう言って、外に飛び出していきました。

ママは、なかなか帰ってこないユウ君が心配になり探しに行くと、

近くの公園で座り込んでいるユウ君がいました。

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「何しているの?」とママが尋ねると、

「宝物探し!」と言いながら、

あっちに行ったり、こっちに来たり、ごそごそしていました。

ママは、

「もう遅いから、帰ろうね、お姉ちゃんも心配してるよ」

そう言ってユウ君の手を引っ張り、おうちに帰りました。

「ねぇママ!宝物の絵、書くぅ!」

そう言ってポケットに手を突っ込み、ごそごそごそごそ。

取り出したのは、たくさんのダンゴムシ

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ママは、

「キャー!」

と叫ぶと、

「お願いだから外に持っていって!!」

ユウ君は、

「だって見ないと、うまく書けないんだもん」

仕方なく、ダンゴムシを外に捨てに行きました。

 

しょんぼりして帰ってきたユウ君に、

「ママの宝物はね」そう言って薬指の指輪を見せました。

キラキラした指輪を見たミーちゃんは、

「私も欲しいなぁ」

ユウ君は、

ダンゴムシの方がカッコイイ」と、ボソッとつぶやきました。

 

ミーちゃんは、ママに聞きました。

「ねぇパパの宝物ってなあに?」

ママは少し考えると、お風呂場に二人を連れて行って言いました。

「この洗面器よ」

そして、

「ママと結婚する前から使ってたんだって!」

「洗面器がパパの宝物~?へんなの~?」とミーちゃん。

あっちこっち、へこんで、

所々黒くなってしまった洗面器を見ながら、またママが言いました。

「パパは、これでお湯もわかせるんだ!って言ってたわよ」と。

「ほんとかなぁ?やっぱり、へんなの~」

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しばらくすると、パパが帰ってきました。

みんなが

「パパお帰り~!」

と言ったあと、ミーちゃんが

「ねぇねぇパパ!この絵、私が書いたんだよ!宝物の絵!」

するとパパは、

「わぁ~きれいなお花!上手に書けたね!」

それを聞いていたユウ君は、

「僕の宝物!」

と言ってポケットの中に手を突っ込み、一匹のダンゴムシをパパに見せました。

ダンゴムシか~!パパも昔よく捕まえてたんだよ」

そして、

ダンゴムシは本当は虫の仲間じゃなくて、う~ん、そう、エビやカニに近い仲間なんだよ!」

 

みんな、

「本当~?‼」って声をそろえて、ユウ君の手のひらの上にいる、ダンゴムシを見ました。

パパは、

「よく見てごらん!足がたくさんあるだろう、虫の仲間は六本だよ」

するとユウ君は、

「ほんとだぁ~!やっぱりカッコイイ~!」

でもママとミーちゃんは、イヤーな顔をして見ているだけでした。

 

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夕ご飯も終わり、お風呂の時間。

パパとミーちゃん、ユウ君三人で一緒にお風呂に入りました。

「ねえパパ!パパの宝物ってこれでしょ!」と言って洗面器を指さしました。

「よく知ってるなぁ!」

「だってママが教えてくれたんだもん!」とミーちゃん。

パパは、

「この洗面器はアルマイトっていうもので作ってあるんだよ」

今度はユウ君が、

「パパ!お湯も沸かせるんだよね!」と自慢げに話しました。

ミーちゃんは小さい声で、

「ママから聞いたくせに!」とユウ君をにらみつけました。

 

「ねぇミーちゃん!洗面器にお湯を入れてみて!」とパパが言いました。

そして、

「パパとママの本当の宝物は、この洗面器の中にあるんだよ」と言いました。

ミーちゃんもユウ君も、不思議な顔をしてパパの顔を見ました。

「のぞいてごらん。何が見える?」

とパパが二人に言いました。

 

ミーちゃんは、

「お湯!」

ユウ君も、

「お湯!」

するとパパは、

「ちゃんと二人でのぞいてごらん!」

パパは洗面器を揺らさないように、二人の前に置きました。

「さあ、お湯の中に何が見える?」

するとミーちゃんが、

「カガミみたい!ユウの顔が見える!」

ユウ君も、

「ミーねえちゃんだぁ~!僕の顔も見えるよ」

パパは、

「パパとママの宝物が見えた?大切な宝物だよ!」

そう言って二人の頭をナデナデ。

 

お風呂からあがったミーちゃんとユウ君。

ママに大きな声で、

アルマイトの洗面器!大好き~!たからもの~!」って。

 

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ちなみに

アルマイトとは、人工的にアルミニウム表面に分厚い酸化アルミニウム被膜を作り処理されたもので、プラスティックよりも耐久性に優れていて、ヤカンやお弁当箱等に使用されています。

現在ではあまり見かけなくなりました。

特に洗面器は、家庭において、プラスティックが主流になり、めったにお目にかかりません。

私自身は、30年以上前に、金物屋で購入し、今でも現役です。

一度だけですが、この洗面器を使って、インスタントラーメンを作った事があります。ある意味、私の宝物です。

 

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