心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

死ぬまでの時間に(2)⦅老いと向き合う事⦆

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このブログ『死ぬまでの時間に(1)』で取り上げた「老い」という事を、掘り下げてみましょう。

人生100年と言われるようになり、定年も引き上げられたり廃止する企業も出て、昔であれば55歳定年で60歳は老人扱いでした。

勿論医療や食べ物、環境が寿命を伸ばしている要因が大きいのですが、特に日本はその意味で先進国でしょう。

ただ、前述の要因はいつ崩壊するか解らない危なっかしい上での話しです。

世界的に考えてみると、政情不安や飢餓、医療の遅れや、貧乏による不平等で若くして亡くなる人が大勢いるのも事実です。

 

最近、どうも世の中がざわつき、イライラしているように思います。

特に中高年の信じられない行動、犯罪や目に余る言動など、私が子供の頃の昭和の時代にはあまり見受けなかった事です。

勿論、昔でも酒を飲んで暴れる輩や暴言を吐く人達はいましたが。

現在は、スマートフォン等が普及している為か、その様な中高年の恥ずべき行動がよくニュースで見るようになった事も増えていると思う要因かもしれません。

チョットした事にキレるそのような人達が増えたと思われる原因として高齢化の人口増加も考えられますが、核家族化が進み、近所付き合いが減った事で話し相手がいなくなったことや、寿命が長くなり、仕事や趣味が無い人にとって毎日の張り合いが見つからない事で、不満やうっぷんを晴らす場所が無い事も考えられます。

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また、以前の仕事での地位を引きずったままの人や、毎日同じ顔を見ながらの生活、体力の衰えによる外出の減少も考えられます。

勿論、生き生きと過ごされている人達もいますが、年金や貯蓄など、金銭的な問題も不安材料になり、描いていた老後生活とのギャップに生きる意欲が無くなってしまったのも原因になっているでしょう。

そして昔と大きく違う点があります。

それは、周りの目、近所に迷惑をかけない事といった、良い意味でも悪い意味でも世間体という歯止めが薄れてしまった事です。

そして、TV等の媒体がまるで夢の様な、届かない人達の暮らしを垂れ流し、

誰もが総中流社会という概念が崩れ、持てる者と持たざる者の開きが大きくなってしまった事も考えられます。

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なぜ人間が子供を産んだ後、子育てが終わった後も長く生き続けるのでしょうか?

そして、長くなった寿命とどう向き合えばいいのでしょうか?

冒頭の医学や食物、環境を改善してきたのは他ならぬ人間自身です。

そして、人間は人工物ではなく自然な生き物す。

言い換えれば、人工物も自然なものと言えるのです。

その人間が長生きをするように、出来るようにしてきた事は、自然の中での流れの一部だと考えられます。

すなわち、自然というモノの中に取り込まれている人間の、寿命が延びた訳があるという事です。

すぐキレたり、周りに迷惑をかける為に寿命を延ばしたとは考えられません。

このブログ『人間、生物は、なぜ存在しているのか?』で書いた通り、

生物は生き残る事を目的としています。

人間も例外ではありません。

誕生以来、人間は殺戮の歴史を刻み続けています。

感情で同類を殺す生物はほぼ人間だけです。

それでも、この地球上で生物の頂点の様な位置を保ってきているのです。

 

人間は、肉体も含めて他の生物よりも弱い生き物ですが、脳の発達と集団行動という武器を持っているからこそ生き延びてきました。

例えば、他の動物は歯が悪くなると死に直結します。

自ら食物を作り出し、貯蔵する事も出来ません。

また、環境の変化にも適応する為には、時間がかかる上に、自ら環境をコントロールする事は出来ません。

人間はその様な問題も協力しながら一つ一つ克服して現在に至るのです。

それも自然の流れとしてです。

何度も書きますが、人間がやる事は自然の中での出来事であり、実際には人工物という概念は人間が生み出したもので、自然の流れなのです。

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ビーバーが作るダムも、カラスが針金のハンガーで巣を作るのと同じ理屈です。

ビーバー物、カラス物とは言いませんし、自然の成せる事として理解しているのと同じ事です。

 

医療や政治情勢も含めた環境の悪い地域では子供が沢山生まれます。

それは、例えは悪いのですが、魚が多くの卵を産み、生き残る確率を高めている事と同じ理屈です。

そしてその様な問題が解決すれば、自然と子供の生まれる数も減ります。

そして長寿こそ、次のステップであり意味がある事なのです。

自然が生み出す寿命を延ばすという流れでの人間は、何を目的にしている事なのでしょうか?

生物の目的は、種の保存と生存です。

老いと向き合う事は、自分と向き合う時間だけでなく、人間という生物としての生存に大きく関わる事なのです。

それはひとえに未来を担う子供たちへの贈り物を残す為です。

人とのつながりが、多くの災難や災害から立ち上がる源になっています。

人は決して一人では生きてはいけません。

肉体の衰えは若い時には経験する事が出きませんが、必ず誰もが訪れる事です。

肉体的に衰えたとしても、快適に生活の質を高めながら生きる事の大切さが必要になります。

歳を重ね、不便に思う事を社会に発信する事で、老人だけでなく障害を持っている方や妊婦の方などの社会生活の改善にもなります。

それはまさに歳を重ねた人達の行動が鍵になるのです。

若い時には思ってもいなかった障害を自ら経験している訳ですから。

そしてもう一つ大切な事は、人間は必ず同じ過ちを繰り返す動物です。

災害だけでなく、戦争や紛争、差別といった、人と人との繋がりを断ち切るような事の繰り返しの連鎖を断ち切る役割なのです。

若い人達に同じような過ちを繰り返させない知恵や経験を語る、残す為の時間なのです。

もし、歳を重ねていくほど生きにくい世の中だとすれば、それは今の子供達の未来を表している事と同じ事です。

だからこそ、一人一人が自分の人生について語らなければいけないのです。

例え、平凡な人生を送ってきたと思うような事でも、話す事で、語り残す事で次の世代に残せるモノが沢山あるのです。

自分の家族だけの事ではなく同じ人間として、仲間としてのつながりの大切さを教えられる事が、長生きする意味なのです。

笑ったからか

辛かったからか

どっちでできたシワなのか

もう忘れてしまったけれど

鏡に写るこのしわ寄せが                       

老いる事かと、ため息が

あとは笑って

幸せのシワだらけ

 

私達は「老い」というモノに正面からぶつからず、若さばかりに目を向けすぎているのです。

誰でも若くありたいのは当然ですが、必ず老いるのです。

そして必ず死ぬのです。

老いを認めずどう折り合いをつけていくかばかりに気を取られている事は、大切な老いの時間を無駄にしているのです。

昔の事を引きずるのも、新しい考えを受け入れられないのも、自分が老いた事実と正面から向き合わず、何をすべきか解らないからこそ起きる事です。

老害」という嫌な言葉は、身体だけ老いて精神は老いずに止まったままの状態の事です。

若い柔軟な頭のままという事では無い、大人のある時点で止まったままの状態という意味です。

「自分のいう事が正しい」といった聞く耳を持たない状態。

むしろ、わがままな子供で、大人になり切っていないのかも知れません。

精神が老いる事は、気力や精神力がなくなるようなマイナス面ばかりが強調されますが、物事に対する見方のふり幅が大きくなっている、すなわち経験をしてきた分、

色々な知識や知恵で物事を捉える事が出来るという事です。

 

勿論、気力が無くなったり、新しい事に挑戦する事や、環境を変える事が億劫になるのは誰にでも起こる当然の自然の流れです。

しかし、長く生きてきたことで、聞く力や共感する事、優しさやありがたみを十分解る事が出来るはずです。

涙もろくなるのも、経験を積んで自分の事として考えられる優しさの表れです。

命の大切さや、生きる事の意味を若い人達に伝えないで何の意味があるのでしょう。

残念ながら生活もままならない高齢者が増えていますし、独居老人もどんどん増えています。

だからこそ、社会に、若い人達に発信しなくてはいけない事なのです。

未来に対しての責任があるからです。

何気ない行動も模範になる様に、生き様を見せながら死んでいけばいいのです。

 

老いる姿を見せる事は、若い人達に希望を持たせない事ではありません。

若々しさばかり強調する事が、かえって自分もそうあらねばならないという重荷ばかり背負わせることになっているのです。

歳を重ねる事が若い人達から「いいな」と思ってもらえるような生き方の問題だからです。

姿や形のだけの若さは自己満足だけであり、そんな考えはもう通り越しているはずです。

だからこそ老いてもなお、生きたいという生(なま)の執着を見せつけるべきなのです。

若くして死を考える人達への大きなメッセージとなるからです。

散るも散らぬも木々頼り

流れ流され雲知らず

明けて沈めど日も月も

何度も何度も顔を出す

 

そんな日々の移ろいに

見飽きる事はこれも無く

数えられる暦の少なさに

気が付いてなお見飽きない

 

儚さに見る

時のなんと短い事か

命のなんと尊い事か

 

老いは生物の宿命で、新しい命の受け渡しです。

諦める事では無く、むしろ誇らしい事なのです。

その誇らしさは、どのように老いていくかで決まります。

潤滑剤の様に社会の人と人との繋がりを紡ぐ存在です。

後ろ姿や行動を見ている子供達がいる事を忘れてはなりません。

 

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