心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

生と死と宗教の狭間(はざま)・前編

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私は、過去に、医療廃棄物の回収と運搬のトラック運転手として働いていました。

病院から出る注射針やオムツ、透析用の使用済みのチューブ類など、特殊な管理と廃棄が必要なゴミです。

運ぶ際に黒ビニール袋に入っているモノが解らず針を刺してしまった事もありました。

また、オムツ類は水分を含んでいる為、非常に重く75ℓの箱に入っているのですが、狭い場所や病院内の中に一時保管されている為、運び出すに一苦労でした。

契約上の関係か、ビニール袋に入れてあるオムツは最悪で、破れますし、重いし、ノロウイルスといった危険性もはらんでいるので、常に気を付けなければいけないのです。

一番重いのは透析に使われた後のチューブや針が入った80ℓの箱で、トラックの荷台に上げるのが、たった一箱でも大変なのです。

トラックはいわゆる箱車というアルミで出来た箱型のトラックを使用していました。

これも法律の関係で外に出ないようにという隔離の為です。

例外もあって、パッカー車と言われる、一般ごみ回収の際などで見かけるトラックを使える時もあるのですが、パッカー車は、ゴミを圧縮してたくさん積めるようになっていて、ビニール袋のゴミを積む時には最適なのです。

が、病院によっては、早朝という事もあり、袋の圧縮時の破裂音がうるさいので、辞めて欲しいという所もあり、一か所の収集場所で、結局箱型の4トントラックで2/3まで埋まるほどの量を、全て手作業による積み込みとなります。

この時点で、ほぼ4トン近くになる重さの量です。

 

また、箱型のトラック満載にする為、色々なサイズの箱をパズルのように乗せ、さらに積みにくいビニール袋を挟んで載せたりと、かなりの重労働でした。

種類別に下ろさなくてはならないので、それも考慮して積んでおかないと、後で大変なことになるのです。

また、ブレーキ時や加速時による荷崩れもあるので、慣れない時は、四角い箱の中で、悪戦苦闘しました。

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病院の規模は、総合病院のような大きい所から、個人経営の診療所といった小さな所まで様々で、困るのは、ほとんどの病院が、2~4トンクラスのトラックの出入りする事など、考慮されていない造りで、まして診療所などは、路上駐車が当たり前です。

特に都内はビルの中に入っている為、駐車禁止の違反を心配しながら路上に2トン車を止め、回収しなくてはいけないので、神経も消耗しました。

何より悩ましかったのが、時間が病院によって指定されることです。

特に小さな病院は、営業時間の関係もあり、たった一つの医療ゴミ回収の為にコースを変えたりと、頭をフル回転させて走っていました。

毎日違うコースを走るので、慣れないと、とんでもなく時間がかかります。

当時のナビは、トラックの事を考慮してくれないので、狭くて通れない道や、くぐれない場所、時間規制などお構いなしに案内するので、とにかく感と経験が必要だったのです。

 

どんな仕事もやってみないと、その大変さは解らないものです。

そして3Kと呼ばれる仕事の多くが、今の社会の底辺を支えています。

 

仕事上、病院内に入る事が多いのですが、

胃ろう(チューブ介して胃に直接栄養を注入する医療措置の事)の為のチューブや点滴をされながら、横たわるご老人の方を、いつも見ていました。

「もし自分があの人達の立場だったらどうする?」

同僚ともよく話していたのですが、

「あそこまでして生きたくないなぁ」という同僚がほとんどでした。

病院の中は、待合でも入院患者もやはり高齢者が多く、高齢者用のホームに行く事も沢山あり、毎日お年寄りの弱弱しい姿を見てきました。

 

ある病院の管理されている方からこんな話を聞きました。

「昔と違って、今のご遺体は重い」と、

そして

「チューブで最後まで繋がれたままだから」と。

 

私の父がまだ健在でいた頃、母の葬式の事です。

母は生前ある宗教団体に入っていました。

父も母からの勧めで入信したのですが、母が亡くなる数年前から、別の似た宗派に変わりました。

というより以前信仰していた宗派に戻りました。

親戚は、この二つの宗派や団体のせいでバラバラでした。

表面上は表に出しませんでしたが。

葬儀当日、当たり前ですが、母と仲良くしていた母の叔母を呼ぶことにしたのですが、母と同じ宗教団体にいた為、結局呼ぶ事が出来ませんでした。

親戚の意見が尊重されたのです。

当日来たお坊様に

「一番良い戒名をつけてくれ!高くてもいいから」と話している親戚の言葉を、柱の陰で聞いていました。

それぞれの想いがあり、考え方があるのは、当たり前です。

自分の考える最善の事をしたいという想いは、理解できますし、お金に対する価値観が違うのも、人それぞれです。

ただ私が感じたのは、知らないという事の恐ろしさでした。

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例えば戒名は、平安時代の死生観から死後つけるようになり、本来は仏門に入った証で使われていて、生前につけられていました。

また差別戒名という暗い歴史も背負ったものなのです。

そもそもお金の価値の入る余地などありませんでした。

守っていかなければいけない、伝統や風習の大切さは理解していますが、それを行う人達がいがみ合うのでは、意味がありません。

 

これも私が実際に経験した事です。

アルバイトでイベント関連の仕事をしていた時に、お坊さんからの仕事が入りました。経緯は解りませんが、僧侶と色々な事を相談するという内容のイベントで、チラシ等を撒いたり、会場での案内をする仕事でした。

打ち合わせは、某国産高級車の僧侶が、入った事もない立派なうなぎ屋で行われました。

そして当日、解った事は、お墓の勧誘、セールスだったのです。

その後も、忘年会などで贅沢をさせてもらいました。

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引っ越しで住んだアパートの管理人さん。

この人は管理や修繕などをしていた、当時70代の方で、大変にお世話になった方でした。

コンロが無く、困っているとすぐ持ってきてくれたり、おすそ分けもしょっちゅう頂きました。

私の住んでいたすぐ横に、夫婦と息子さんの3人暮らしの方でした。

残念な事に、奥様が病気で突然亡くなり、息子さんと二人になったのですが、折り合いが悪かったのか、いつも私の家に来ては、愚痴をこぼされていました。

でも私達家族には、相変わらずとても、優しくして頂いていました。

そんな中、急に姿を見なくなったので、近所の仲の良かった散髪屋さんの叔母さんに聞くと、入院したという事で、私達夫婦は、すぐお見舞いに行きました。

弱っているように見えましたが、相変わらずの口達者で安心して帰って間もなく、亡くなった事を、散髪屋さんから聞いたのです。

すぐに息子さんに会いに行き葬儀に行きたいと言ったのですが、いつの間にか、その息子さんもいなくなってしまい、お葬式には行けずじまいになり、最後の別れが出来なかったのが悔やまれました。

管理人さんが、息子がガスの元栓を閉めて風呂が焚けないと、部屋に来てお話しされていた、あの寂しそうな顔が忘れられません。

 

いつ何が起きるのか本当に解らないものです。

どんなに立派な仏壇も、戒名も、お墓も、塔婆(立てることで故人の供養になり、善を積むことにもなる)も結局お金が関わるという事の違和感。

そして、無残に捨てられ木くずとなる現実を見た私にとっては、何の意味があるのだろうと考えてしまうのです。

後編へ続く 

 

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