心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

見方を変えなくてはダメになる!(1)

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空を見上げた時、雲はどんな色ですか?

白や灰、黒と様々ですが、沢山集まれば集まるほど色は濃くなります。

すなわち光が遮られ、重い色となっていくからです。

雲はやがて積乱雲となり、激しい雨と粒子の摩擦により雷を作り出し落とすでしょう。

すなわち雲を人に例えるなら、多く集まり集団になればなるほど見通しが悪くなり、中では激しい空気の流れが生まれるのです。

集団の中では摩擦が起き、争いが起きるかもしれません。

上や下にと、大きな流れに逆らう事も出来ないかもしれません。

一方、白い雲は風に逆らわず、形にこだわらずゆっくりと身を任せ流されています。

「孤独』では無く「独り』なのです。

何かに属し、安心を得ようとすればするほど意図せずとも引きずり込まれ、あなたの望む方向には行けなくなるのです。

時に、雲は命の糧として恵みの雨を降らせます。

その為には沢山の雲が集まらないと降らす事は出来ません。

積乱雲の様になるか、そうでないかは自然任せで私達にはどうする事も出来ない事象です。

権力者の元に集まる嵐の集団になるか、恵みの雨として個々が力を合わせるか。

人間であれば選択することは出来るのです。

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「日が沈む」「日が落ちる」は、地球が回っているというより、まるで太陽が地球の周り廻っているように思え、一日の終わりを感じる表現です。

「日が暮れる」とい表現は、もの悲しさや名残惜しさを感じる事でしょう。

逆に「日が昇る」は気持ちも晴れ晴れと前向きに使われる言葉です。

実際には、地球がただ廻っているだけで、自然現象の意味付けは潜在的に植え付けられた記憶や物語によって感じている心の動きです。

祖先が敵に襲われる確率が夜の方が高かった事が影響しているかもしれませんし、昔話や宗教などの話が間接的に物語として語られ、イメージが出来上がってしまっただけです。

晴れや朝日のイメージが良くて雨の日は不快だとか、夜が寂しく暗いイメージだと思う気持ちは人間の勝手であり、自然は成すがままで調和とカオスで成り立ち、良し悪しは存在しません。

人間が作り出している幻のような物です。

見聞きする事を素通りさせては、生きる知恵も得られなかっただろうし、芸術も生まれなかったでしょう。

 

上を向いて顔に当たる雨は、大地が清らかにし、湧き水になり川となって大海に流れていきます。

山から海までの道のりが短いこの国の川は時に暴れ出し、多くの犠牲を生んできました。

水が無いと人は生きていく事が出来ませんが、甘く見ると命を奪う恐ろしさも兼ね添えています。

物事は、どちらが良いか悪いかを決めてかかることは出来ないのです。

一つの事象が全てではなく、一方向からばかり見ていると、いわゆる西洋的な善と悪のような区別の二者択一になってしまいます。

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葉っぱにイモムシが付いていると、

グロテスクな形や動きに、気持ち悪いと思うでしょう。

例えあなたにとって大切な植物でなくとも、排除してしまいたいと思うでしょう。

でも、そのイモムシはやがて蝶になります。

あのグロテスクなイモムシを見て嫌悪感を抱いてたことが、嘘のように親しみを覚えるのです。

彼らにとっては、醜いか綺麗かなんてどうでも良く、そうあるべき姿でそこにいただけです。

人間は、そこに物語を作ろうとします。

まるで「みにくいアヒルの子」のように。

頭は、そのたとえ話でいつの間にか、見方が偏っていくのです。

「あるがまま」に対し、良し悪しのレッテルを貼り付けて見てしまいます。

天国と地獄

正義と悪

美しさと醜さ

線引きは誰がする?

自然界には二択は無い

神も仏も二択はしない

 

運も運命も

生き方や選択も

決められた法則は無い

誰もが奇跡のように生きれば良い

自然界には秩序はあるが

神も仏も関与しない

 

前述でも触れましたが、子供の頃から絵本やお話を聞いて、いつの間にか「善」と「悪」、「天国」と「地獄」の二者に分類され、価値観も植え付けられていきます。

この世界はそんな二択の選択で成り立ってはいません

そもそも線引きすら人間が出来る事では無いからです。

赤ずきんちゃんを飲み込んだオオカミもテーマランドにいるネズミも、一方的な人間の都合の良い見方でコロコロ良し悪しを生き物に印象付けているのです。

 

「普通」や「当たり前」「常識」は、言葉に囚われているに過ぎない、すなわち習慣のようにあなたに作用しているだけで、何にも見ていないのと同じ事です。

自然は、多数決では動いていません。

もし多数決なら、確実に昆虫たちの勝ちでしょう!

 

何も考えず、誰かの後を言われるまま歩く事。

ツアーだとガイドがいて、危険な場所を避けてくれます。突然のアクシデントにも、知識を与えてくれ、対処してくれるでしょう。

でも、人生にはいつもガイドがいる訳でも、目印がある事でも無いのです。

加えて後戻りも出来ません。

廻りをよく見て、自分で判断する事が常に求められるのです。

仮に誰かの後ろをついていくつもりでいるなら、どんな人間を選ぶかでも大きく違ってくるでしょう。

その為にも自分の持っている心の目の視野が広くなくては何の役にも立ちません

生きる事自体が危険に満ち溢れ、生き抜くことは奇跡に近い事だという事を忘れてはいけないのです。

 

自然は、筋書きを持って人間を導いてはくれません

自然の一部であり、どんなに足掻いても思いどおりにはなりません。

ですから、私達人間も本来備わっている力を使って生き延びていかなくてはいけないのです。

与えられた「力」。

人間の最強の武器である脳を使って過去から学ぶ事や想像力。

すなわち失敗から学び、未来を更に価値あるものとする、人間でしか出来ない「力」の事です。

それは、見方を変えて考える事が出来る「力」という事です。

得てして人間は、その力を権力や独裁という価値として考えてしまうのです。

本来の「力」の使い方を間違え、不幸ばかりを生み出してきました。

狭い価値観の元から生まれる愚かな見方が生み出すのです。

見方を変える事とは、「当たり前」と思わない事です。

 

あなたが持っている「心」という「感覚」を磨いておく事で視野を広げ、諦めや失敗、偏見などで閉ざさないようにする事です。

閉ざしてしまうと、同じところをグルグル回るしかないのです。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

アインシュタインの言葉より

「The most incomprehensible thing about the world is that it is comprehensible.」

『この世界で最も理解しがたいことは、この世界が理解できるということである。』

 

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夏のポラロイド

失恋は淡い波の泡のよう

手にする途端に消えていく

 

思い出の先にある藍い視界が

無理やり自分を際立させ

心を撫でる荒い風が

想いを揺さぶりさらってく

 

ほろ苦い海の水も潤せず

見つめるだけの時の間は

大切な自分だけの

誰もいない心の海

 

打ち寄せては

消えていく

 

当時、音楽仲間の友人がパブで働いていた。

パブといっても、カウンター席と二つぐらいのテーブル席がある小さな店で、タバコの煙と薄暗い照明の中、洋楽が流れている音楽好きの若者が集まってくるようなパブだった。

ある日その友人から「可愛い子が一人で来ているから来いよ!」と電話があった。

「店まで2時間か」。

気が進まなかったが、たまには息抜きで酒でも飲むかという勢いで向かった。

カウンター席の片隅に座って、友人と話をしていた彼女を見るなり一目ぼれしてしまった。

長い髪と大きなキラキラした目に釘付けになってしまったのだ。

もう、友人の事も飲む事も忘れ、普段は消極的な私は自分でもびっくりするぐらいすぐ彼女の隣に座った。

緊張して何を話したか全く思い出せないが、映画を観る約束をする事だけは出来た。

天にも昇るとはこういう事かと思いながらその日は全く眠れなかった。

当時は携帯など無かったから、翌日ドキドキしながら近くの電話BOXから彼女の自宅に電話をし、約束通り来てくれた。

デートは彼女の希望で映画館ではなく、当時ディスコと呼ばれていた場所に変更。

ダンスホールの様な広い場所で、チークタイムの曲が流れるとすかさず手を取り慣れないダンスを踊りながら、引っ越しをしてきて寂しかったからフラっと寄ったのがパブだった事や、仕事の事など彼女の話は尽きなかったが、その顔を見ているだけで本当に幸せだった。

その日を境に付き合いが始まり、数カ月後同棲生活が始まった。

挨拶に行った時、彼女の両親はかなり怒っていたが、なかば強引なやり方で両親の気持ちを考えるとひどい男だったに違いない。

彼女は仕事、私はアルバイトをしながら音楽をやり毎日が夢の様に過ぎていった。

よく二人で屋台に飲みに行き、知らない人と仲良くなっておごってもらったり、自転車での帰り道、二人乗りをしながら酔っぱらってこけたりと、何をするのも楽しくて仕方がなかった。

銭湯で壁を挟んで声をかけあったり、外で出てくるのを待っていたりと、まるでかぐや姫の曲「神田川」とそっくりだった。

そして月日が流れ、気が付くと6年目になっていた夜、アルバイト先の電話が鳴り彼女から半分泣きながらの別れの話だった。

その日会う約束をするのが精いっぱいで、仕事も手が付かなかった。

彼女は「いつまでもこんな状態だと結婚できない」という事と「帰ったらカセットのボタンを押して」と。

自宅のアパートに戻りすぐカセットを聞くと流れてきた曲は、彼女が好きだったユーミン青春のリグレット

「♪ 憎んでも覚えてて……」何度も何度泣きながら聞いていた。

ケンカしたり、将来像を描けなくて泣かせてしまったりと、後悔ばかりの私の長い長い夏が終わった日だった。

今でもその曲を聞くと思い出す。

でも、あの時の様に死にたいくらいの気持ちではなく、彼女が幸せな人生を送っていると信じながら。

 

失恋は確かに辛かったし、癒えるのにかなりの時間がかかったが、沢山の贈り物を彼女からもらった気がする。

決して彼女を憎む気も恨む気持ちも起きなかった。

確かに素晴らしい時間を過ごし、思いっきり優しい人間でいれたからだ。

そして思いっきり寂しくしてくれた。

今ではモノクロームの様な想い出になってしまったが、大切な1ページに変わりない。

 

『夏のポラロイド』オリジナル曲

見て下さいね 

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心は何処にあるの?(2)

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「心」は人間が生み出した概念です。

心は感覚です。

(このブログ「心は何処にあるの?(1)」を見て下さいね)

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人間であるあなたを、皮をむくように、

例えば肩書や地位、職業や年齢、誰かさんのあなたという立ち位置や血筋等、

どんどん剝いていくと、何が残るでしょう?

きっと「自分て何だ」と思うでしょう。

結局、空「くう」のような「無」のようもので、

自分が何者であるかも解らずに、心の存在を、あーだの、こーなど考えても、いつまでも答えは見つかりません。

人間が考える「心」という概念、捉え方を変えて考えてみましょう。

 

例えば、木に心があるか?

あなたが、木を見て意識すると、心があり何かを伝えている様な感覚になります。

御神木として、日本のあちこちにあるのも、祖先が何かを木に感じたからです。

魂が宿っていると考えたのでしょう。

 

人間が考えるような「心」ではない「心」が存在しているのです。

「心は感覚」と書きました。

木もまた、感覚を持ち、根を張り、枝を伸ばし、静かに「木」の時間で流れているのです。

人間の想いを、捉え方を当てはめる事は出来ないのです。

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誰でも、海を見ると心が落ち着き、開放されたような気分になります。

海は生命の源で、人間は身体という箱に、海という環境を閉じ込めながら生きているのです。

そして、月との引力での満ち引きをしているように、

様々な存在の奇跡的なバランスに組み込まれています。

海にも「心」は存在しています。

あなたが、受け取る感情が、その海の想いだからです。

 

自然は、決して優しくありません。

人間の為にあるわけでは無いからです。

先祖達は、その事を海から学び、畏敬の念を持ち崇高な存在として、向き合ってきました。

風習や儀式、伝説を伝承という形で、後世に繋いできたのです。

もし、「海」に何らかの意思があると祖先が思わなければ、多くの犠牲を払ったに違いありません。

 

万物は全て、それぞれの世界の中で、「心」を宿し存在しています。

それは、私達が考える想像を超えての「心」の存在です。

互いに、釣り合うように作用しあって、それぞれの時間で存在しています。

 

人間もまた、そのような存在で生きてきましたが、

脳の進化と共に理論や哲学、科学で、考えるようになってしまったのです。

宗教の影響も大きかったに違いありません。

ですから、疑いもなく「心」というモノの正体を、一方向からばかり探り、定義しようとしてきたのです。

第六感や胸騒ぎも、本来持っていた感覚「心」だったのです。

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ある番組で、視覚障害のダニエル・キッシュさんが、舌打ちによるクリック音を出し、その反響音で周りを把握する映像を観ました。

いわゆるエコーロケーションという、コウモリやイルカ達が使う能力を手に入れているという内容の番組でした。

また、病気や事故で脳の一部、もしくは半分近く失っている方も、残りの脳が補い、普通の生活を送っている方もいらっしゃります。

遠い祖先達は、生き延びる為に、もっと遠くまで見る事が出来、

敵から逃げる為の、感覚も鋭く、

水がある場所を探知できる能力を持っていたでしょう。

自然の中で、万物と向き合い対話し、生きる術を身に付けていったのです。

ですから「心」の捉え方も現代人とは、違う見方をしていたと思います。

 

当たり前と思い込んでしまうと、肝心な事を見逃してしまうのです。

「心」とは「感覚」と書きました。

失ってしまった「感覚」の原点に戻り、

「心」というモノが何であるかを考えなければいけないのです。

 

この世界は、人間が中心に廻ってはいません。

何より、人間自身は、「自然」であり、生命という流れの一部でしかないのです。

職場や学校、近所と、狭い世界観の中で生活していると、些細な事で腹を立てたり、不満に思ったりしてしまいがちです。

そんな中で、宗教や、思想に救いを見い出そうとしているだけなのです。

 

どんな小さな虫にも「心」があり、一生を全力で全うしています。

私達は、たとえ弱く、儚い小さな虫からも、まだまだ学ぶ事があるのです。

私達は、その虫すら作り出せないのですから。

ネズミからゾウやクジラ、そして人間の一生に打つ、心臓の鼓動は、

大体同じだと言われています。

人から見て、短命だとしても、時間の流れ方が違っているのです。

このように、人間中心に物事を考えると、本質が見えてきません。

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「心は何処にでもある」

それは、「感覚」であり、「霊」であり、

あなたが目にするもの全てに存在するのです。

人間が持てる時間は、宇宙から見れば塵にも満たない時間です。

狭い小さな世界観で生き、ギスギスしながら生きている事を、馬鹿らしく思えるようにありたいものです。

 

全ての物に「心」があると思う生き方をすれば、おのずと自らの行動も変わってきます。

大切なのは、聞いて、調べて納得する事でも無いし、また誰かの言葉を鵜吞みにする事でも無く、角度を変えて見る「想像力」が人生を、豊かにしてくれるのです。

 

心は何処にでもあり、そのことに気が付けば、

全てが「教え」となり、「謙虚さ」を学べるのです。

そして、今よりもっと優しい人間になれるのです

 

私がフィリピンに行ったとき、自分の行動の変化に気付きました。

それは、ゴミに対する考え方です。

勿論、日本と違ってマニラやケソンという町は、ゴミが路上にも、あちらこちら、落ちています。

ホテルでも分別し、捨てるという事はありません。

そんな中で暮らしていると、いつの間にか平気で、ためらいなくゴミを捨てている自分がいたのです。

良い悪いという事を書いている訳ではありません。

 

日本は、豊かな自然に囲まれ、四季折々に見せる自然の変化を唄にし、

春雨(はるさめ)、

菜種(なたね)梅雨(づゆ)、

五月雨(さみだれ)

時雨(しぐれ)など、

雨一つとっても沢山の言い回しがあるように、自然に対し様々な言葉を育んできました。

その日本という国が、環境が、そこに住む私達にいかに影響しているかを感じたのです。

自然の中に見出(みいだ)す「心」という存在無くしては、生まれてこなかった事です。

海に囲まれ、四季が訪れるこの国の、自然が養ってきた「心」を決して忘れてはいけないのです。

感じ取れる、自分でいなくては、いけないのです。

 


アインシュタインにきいてみよう アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「My belief is, to the outstanding spirit that is present in the weakness and fragility, are made up of humble tribute.」

『私の信念は、弱さや儚さの中に存在する卓越した精神に対しての、謙虚な賛辞から成り立っている。』

 

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魂とは?霊とは?

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宗教が「魂」をどうとらえているか?の話は、ネットを見れば色々な位置付けで探る事が出来ます。

魂に限らず、霊や霊魂の違いやどのようなモノか等、様々なとらえ方があり、そのほとんどが、宗教という位置からの見方や見解です。

私が、生きてきた中でまず躓(つまづ)いたのが、「宗教」という存在と、その意味です。

色々な宗派の本等を読む度に、ますます混乱しました。

それは現在起きている、紛争や内乱の大半の原因が宗教であるという事。

そしてそのような中から生み出される差別意識民族主義と、大きく関わっている宗教に対する疑問でした。

ですから、宗教という立ち位置から見た「魂」の意味を考えるのでは無く、私自身が、私の言葉で伝えたいと思います

(宗教については、このブログ記事の「宗教とは?」で書いていますので、読んでくださいね。)

 

日本は、隣にクリスチャンの方がいても、ユダヤ教の方、仏教徒であっても、「そうなんだ」で終わるだけで、宗教に対し区別なく受け入れている稀な国です。

他の国と違って、戦後の復興が早かったのも、他の国に比べ、宗教や民族という問題に時間を割かれななかったからだという意見もあるくらいです。

 

ですから、宗教を意識せず、様々な行事、例えば、お盆や初詣、クリスマスやハロウィン、葬儀等を違和感なく、受け入れています。

「魂」という言葉は、宗教と直接結び付ける事なく、良い意味で社会の中に浸透しています。

普段生活している中では、魂の事など意識せず暮らしていますが、上記の行事や風習といった節目に、「魂」の事を考えます。

 

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では「魂」とはどの様なものなのでしょうか?

それは、「想い」なのです。

何か形として存在しているように考えますが、生きている人の中にある、形に出来ない「想い」です。

大切な人が亡くなった後、あなたの心の中に残った「言葉」や「生き方」を指すのです。

もし不幸にして、亡くなった方に無念があると、あなたの心にその無念さが残ります。

例えば、幼くして亡くなった時、これからの生きる楽しみを奪われた事や、過ごしてきた時間が、あなたの心の中に、無念さが生まれ、それが魂となりこの世から離れられないと感じるのです。

家族だけでなく、友人や他人でも、人間には想像力があるので、想いをくみ取る力があります。

ですから、寄り添うような心持になり、魂として受け止めるのです。

 

あなたの中に残った、先人達の言葉や生き方が、あなたを通して次の世代に伝わる事で、永遠の命となります。

日本には、昔から伝わる「言い伝え」や「風習」が沢山あります。

それは、自然に対し人間がいかに無力かという事と、そんな中でも、少しでも生き延びる為の知恵です。

万物に魂が宿っているという考え方は、この世にある全てのモノからの「教え」であり「戒め」であるのです。

自然を相手に生業をされている方々は、その事を常に意識して、仕事をされています。

昔話や言伝えも、子供でも理解し、もしくは記憶として残るように考えられた、いわば聖書のようなものです。

その様な中「魂」という言葉が、心の中にある想いや願いとしての代名詞にも使われているのです。

例えば「入魂」という言葉でも、ジッコン(口添えすること)やジュッコン(親密であること)、

ニュウコン(全精神を傾注すること・魂を込める)等、読み方や意味も色々とありますし、

言霊、言魂(ことだま)とも書きますが、良い言葉を発したならば、良い事が、逆に悪い言葉を発したなら、悪い事を招くという意味に使われます。

共通しているのは「想い」という事です。

魂が意志を持ち、一人歩きする事はありません。

あなたの存在無くしては、魂もまた存在しないのです。

魂が救われるというのは、神や仏といった宗教がかかわる事ではありません。

キッカケにはなるかもしれませんが、本質はあなた自身の、心の動きなのです。

誰かから、もしくは情報として入ってきた考えや行動が、魂という形で作用しているのです。

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そして「霊」は?という事ですが、

宗教的な解釈では、ネットで調べればいくつも出てきますが、「霊」とは「心」です。

「魂」の入れ物の事です。

良い方向に考え、思いやりを持ち、謙虚に、毎日を奇跡として生をとらえた魂が詰まった心という霊には、同じような霊を持った人が集まるのです。逆もしかりです。

このブログ「心は何処にあるの」の中で書きましたが、心とは感覚です。

すなわち霊とは心であり、感覚なのです。

 

ですから霊もまた、形として存在しているわけではありません。

あなた自身が持つ、身体全体で感じる感覚そのものの事を指します。

悪い霊に取り憑(つ)かれたなどという話はよく聞きますが、その意味は感覚が鈍くなり受け止め方が、狭くなった状態の事を表しているのです。

それは、自分自身の生き方や考え方から来る問題であるからです。

よく、守護霊と言われる、霊の存在を聞いた事があると思いますが、それはあなたの心の在り様の事を指しているのです。

あなたの考え方が、負の方へ傾いていると、同じような人達が集まってきます。

その連鎖を断ち切る為には、あなた自身の心持、正の方向へ切り替える事です。

守護霊がいる状態という訳です。

決して、何か霊的な悪いものが、あなたに作用するという事ではありません。

また、霊が悪い事を起す原因など、ありえないのです。

捉え方が、間違っているからです。

 

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精霊流し(しょうろうながし)という風習があります。

一般的なとらえ方としては、死者の魂を弔って送る行事とされています。

混同されがちな、灯籠流し(とうろうながし)もありますが、ニュースなどで灯籠(灯篭)を海や川に流す映像を観ますが、これも、死者の魂を弔る行事です。

どちらも、生きている私達の心の中にある、亡くなった人達の想いや生き様の区切りという意味なのです。

生きていく上で、悲しんでばかりはいられません。ですから形として表し、新たな人生の始まりとし、亡くなった方の想いを、もう一度胸に刻むという意味なのです。

魂も霊も、あなたを写す鏡です。

先人達から、あなたがその想いを、どのような感覚でどう受け止めたのか?、もしくは逃したのか?

あなた自身の心の、すなわち霊という感覚でどう受け止め、魂としての想いを刻んだのかという事なのです。

 

宗教という観点から考えてしまうと、もしくは知ろうとすると、宗教の選択から始めなくてはいけません。しかし、私達の祖先は、自然という大きな教えから学び、死生観を築いてきたのです。

霊も魂も人間が生み出した言葉なのです。

今、生きている事は、奇跡の連続であり、生きる事がどれほど大変な事なのか、生きる事の意味を、改めて考えて欲しく思います。

 

目に見えないものに対し意味付けをし、こうあるべきだと導く宗教に、違和感を感じます。

魂や霊という言葉を、布教の道具にはしてはならないのです。

もし、宗教という形が無ければ、もしかしたらこの世界は、もっと違った世界になっていたはずです。

究極のマスター達は、こんな世の中を作る為に、教えを説いたとは思えません。

彼らが今、この世界を観たら何と言うでしょうか?

 

あなたが感じる、光や風、匂いや味は、亡くなった人の面影でもあります。

あなたを包み、優しく、無言で見守っているのです。

心という感覚、心という霊が感じ取れる、素晴らしい贈り物なのです。

そして、魂として受け止め、留めるのです。

 


アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「True religion is real living.

living with all one's soul, with all one's goodness and righteousness.」

『真の宗教とは、リアルな生活そのものである。

それは、自分の魂すべて、自分が持ちうる最大限の高潔さと公正さとをもって生きることである。』

 

魂に関する、映画を少し紹介します。

ただ、どうしても宗教という観点からにはなりますが、見方も変わると思いますので、良かったら観て下さい。

 
ゴースト ニューヨークの幻 [DVD]

★1990年アメリカ映画『ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost)』

この公開の年、競合作品が多く、余り有力視されていなかったのですが、ふたを開ければ大ヒットした作品です。ご覧になった方も多いと思います。天国と地獄をはっきりと定義しているところが、アメリカらしい作品です。


シックス・センス コレクターズ・エディション [DVD]

★1999年アメリカ映画『シックス・センス(The Sixth Sense)』

最後のどんでん返しでヒットした作品です。子役のハーレイ・ジョエル・オスメントHaley Joel Osment)は、数多くの有名作品に出演し、天才子役として有名になりました。30代になっても俳優として頑張っています。


パッセンジャーズ 特別版 [DVD]

★2008年アメリカ映画『パッセンジャーズ(Passengers)』アン・ジャクリーン・ハサウェイ(Anne Jacqueline Hathawa)主演で、彼女は2012年アメリカ映画『ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises)』監督『クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)キャットウーマン役でもその美しさを披露していました。


クラウド アトラス [DVD]

★2012年の映画『クラウド アトラス』(原題:Cloud Atlas)は、複数の物語が時間を越えて、シンクロさせながら進行していく映画で、3人の監督で作られた、かなり難解な作品です。

私も3回観直しました。個人的にも大好きな俳優の『トーマス・ジェフリー・"トム"・ハンクス(Thomas Jeffrey "Tom" Hanks』の演技も見どころの一つです。

 

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大人が、大人である事の大切さ

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「大人げない」そんな大人を沢山見ます。

賽銭泥棒からクレーマー、あおり運転しかり

 行動があまりに幼稚すぎ、短絡的な思考で迷惑行為を起す人達。

人生経験もあり、それなりに失敗し、学んできたはずの人達。

感情のコントロールが出来ず、後先の事を考えずの行動

 

以前勤めていた会社での経験ですが、機械を使えば格段作業効率が上がるにもかかわらず、

「手でやれ」と命令する人がいました。

今までそうやって来たという理由からです。

そして何かと、昔話「どれほど大変だったか、だからお前たちは楽してる」そんな事ばかり。

言葉も乱暴で、地位のある人に対しては180度変わる保身的な態度をとる人でした。

同僚も、彼がいない時に悪口ばかり話していて、とにかく不愉快な職場でした。

私は、彼が年上という事もあり、出来る限範囲で話を聞き、必要以外の話をしないようにしていましたが、ある日あまりにも理不尽な事を言われ、強めに「いい加減やめてくれ」と言ったとたんに突き飛ばされたのです。

同僚が止めに入ったので、その場は収まりましたが、正直顔を見るのも嫌になりました。

幸い作業場所が違っていたので、何とか仕事を続けてはいましたが、2年ほどたったある日、彼の乗った自転車が朝壊れ、帰りに預けていた離れた自転車屋まで歩いて帰る時がありました。

私は、車だったので、可哀そうに思い、遠回り覚悟で送っていく事にしました。

無言の車内で彼から「道、よく知ってるなぁ」等、今まで聞いた事もない、おっべかの様な話を、「一応、彼なりの感謝」として受け止め送りました。

その件以来、私へのイジメのような言動は無くなりましたが、その数か月後彼は、脳梗塞で倒れ仕事をやめました。

 

対処法を書いている訳ではありません。多分どこでも日常的にある事でしょう。

 

歳を重ねると、我慢する、控える力が劣ってくるのでしょうか?

事件まで結びつくケースだけでなく、日々の暮らしに中で、横柄な態度や自己主張をする人が多く見受けられます。

自分が間違っていない、すなわち人の言う事を聞かない。

会社や経験から来る地位を、普段に持ち込む。

謝罪おろか正当性を主張し、誤りを認めない。

 

見方を変えれば孤独で、誰にも相手にされない人達が多いのです。

このような人達の欠けてる点を、逆手にとって活かせるようにすれば良いのですが、それには今の自分を振り返る作業が欠かせません。

 

歳を重ねると億劫になり、興味が無くなっていき、同時に新たな挑戦には、手を出さなくなります。

当たり前ですが、慣れた環境を失いたくない感情が強くなり、変化を嫌い、次第に自ら動こうとしなくなるものです。

結果、特に「想像力」が失われて、経験を重視するようになり、新しい考え方を容易に受け取れなくなるのです。

この事は身体の衰えも相まって、誰にでも起こる事で、仕方がない自然現象です。

大切なのは、「老いる」という事に正面から向き合っているかどうかです。

誰でも若くいたいし、歳などとりたくはありません。

現役でいたいのです。

自身が今の自分を素直に受け入れる、すなわち老いる事は自然であり、寿命があり、人から見られる自分では無く、本来の自分の姿を容認するという事です。

「本当の私は、こんなのではない」と

鏡に向かって話をしている滑稽さに気付く事です。

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人それぞれ個性を持ち、歩んできた道も違うように、老い方も違います。

誰かと比べても意味はなく、自分で老いを受け入れ、歩んでいかなくては、いつまでも心の平穏はないのです。

 

体の衰えと心の衰えは違います。

心の老いは、運が悪ければ、死にも直結します。

人間は、目的や希望が無いと、前向きに生きていけないからです。

若くても、元気でいても、心が衰えれば、生きている糧を見失っている状態になり、

一部の人達の中には、心に出来た穴を埋める為、他人に対し不快な行動に出るのです。

 

自然というマクロの観点から見ると、人に与えられた時間は、あっという間ですが、

実際、大人になってからの時間は、平均寿命から考えると、長い時間になります。

そして時間は、平等には流れません。

(このブログ「時間て何?」を見て下さいね)

 

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心の動きで時間の流れは変わります。

例えば、あなたが車を運転しているとしましょう。スマートフォンを見ながら、考え事をしながら運転すると、危なっかしくて仕方がありません。

何か、心配事があったり、怒っている時は注意散漫になり、事故を起こすかもしれません。

あなたの隣には、あなたの大切な人が乗っています。

あなたの運転次第で、同乗者まで巻き込むことになります。

車は自体は、走れば走るほどくたびれてきます。途中で休み、点検しなくては走り出せません。

なぜなら、故障してしまえば、運よく誰かが助けに来るとは限らないからです。

常に平らで、舗装されている道ばかりではなく、坂道や、崖っぷちを通る事もあるのです。

もし、そんな時、車が故障してしまったら?

何より運転手のあなたが、しっかり前を向いてなかったら?

考えただけで恐ろしい事です。

同乗者が、病気になるかもしれません。

ナビゲーションを持たない、人生のドライブで、あなたの冷静な判断力が、問われることになるのです。

 

途中、誰かが乗ってくるかもしれません。

あなたと気の合う人だと、穏やかなドライブを続ける事は出来るでしょう。

が、あなた自身が、攻撃的で不愉快であれば、途中で降りるでしょうし、勿論我慢して乗っていた同乗者もです。

運転に疲れる時もあるでしょう。

その時は信頼できる同乗者が変わってくれるのです。

やがて運転が困難になると、あなたは、ナビゲーターとして同乗し走り続けるのです。

 

車のボディーは、あなたの身体です。メンテナンス「整備」が欠かせません。

車のライトやワイパー、窓やランプは、心というセンサー「感覚」にあたります。

ちゃんと動いてないと、前が見えないし、風も入りません。

勿論、ガソリンが無くては動きません。

それは、夢であったり、希望であったりと、すなわち生きている事への感謝です。

ナビゲーションはついていませんが、地図は持っています。

それは、先人たちの残した、生き方や知恵、想いです。

大切な、その地図を持たずに、運転する事は、同乗者も含め、愚かな行為でしょう。

そして、その地図をちゃんと読む力が無いと、折角の地図も、無駄になるのです。

 

大人になるという事は、運転免許を取る事です。

講習を受け、テストに合格し、ルールを守るという前提で、車を走らせる事が出来るという事です。

この時に、しつこいほど教えられるのが、「だろう!」ではなく「もしかしたら?」という考え方です。

すなわち、想像力の大切さと謙虚さなのです。

 

ルールが守れなければ、運転は出来ません。

大人が、大人である事は、

想像力を持ち、

謙虚でいられる

その心の力を持ち続ける事なのです。

歳を重ねても、たとえ身体が衰えたとしても、忘れてはいけないのです。

 


アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「This proverb says the truth.It can be correctly wise advice to people.

However, it is difficult that I behave correctly wise.」

『この諺には、真実を語っています。

人に対して正しく賢明なアドバイスをすることはできる。

しかし、自分が正しく賢明に振る舞うことは難しい』

 


グラン・トリノ [DVD]

2008年アメリカ映画『グラン・トリノ( Gran Torino )』

監督、プロデューサーおよび主演は 『クリント・イーストウッドClinton.Eastwood)』この映画は、銃社会での子供と大人の関係を、細かく描いている、名作です。

どんな風に人生を考えるか、参考になる映画です。

 

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死は語らず(後編)

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「死」は決して忌み嫌うものでも、勿論穢(けが)れているものでもありません。

人生の一部であり、「人類」という物語の句読点なのです。

 

誕生も死も

そして愛もあなたに起きる突然の必然で

あなたが望んで起きるモノでは無い

死ぬ為に生まれ

愛が生と死の境を取り払い

死は寄り添い共に生きる

あなたが何者であるかは

死が語る問いかけによって理解する

儚さと無力が痛いほど心を締め付け

生へと理解する

 

「死」という言葉からは、残酷で言い知れぬ不安や恐怖という印象を受けますが、

結局、何をどう生きてきたかで 「死」というものが決まってくるのです。

ですから誰も教える事が出来ない死後の事を、あれこれ考えたり悩んだりする事は無駄なのです。

死んだ後は決して何も出来ません。

誰かが、死後の世界を話したとしても、根拠のない話を聞く必要はありません。

はっきり書きますが、死後の世界はありません。

行った人が、帰ってきた事もありません。

まして何をもって線引きをするか判らない天国や地獄もありません。

(注・天国、地獄はあるのか?を見て下さいね)

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それよりも今の現実に対しどう向き合っているか、どう生きているかを考えるべきなのです。

死後の世界を考える事は意味が無いのです。

 

アインシュタインの言葉より

「Life isn't worth living, unless it is lived for someone else. 」

『誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある。』

 

塵から生み出されたものは、塵に還(かえ)る。                     

あなたが体験した事、言葉、見たり聞いたり記憶したもの、力、全てあなたと共に塵に帰る。

そこにはもう何もない。

あなたの存在した証(あかし)は、物や写真、人々の記憶やデータで残るが、あなた自身はあなたの存在を塵に帰す。

あなたが行(おこな)った全ての事、財産そして執着、何もかもあなたと共に無になり、それらはあなたを惑わせない。惑わされない。

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生(せい)に生き、愛に生き、そして創造に生きたなら、あなたは時間と次元を超える。

生に生き、愛に生きた人々の記憶によって。永遠の命として。

もしあなたが生(せい)に生きず、物や観念に執着していたとしたら、やがてあなたの存在は途絶えるだろう。

 

「死」とは、通過点です。

全てが無くなるわけではないのです。

あなたの教えや生き方が、「魂」という形で、残された人達に残るのです。

あなたが、誰かの心の中に残り、あなたが残った人達を支え続けるのです。

愛する人達だけではなく、見知らぬ誰か、あなたがかかわった事のある人全ての心の中に、あなたは生き続ける事が出来るのです。

人類が誕生して以来、殺戮の繰り返しです。歴史を見れば歴然です。

すなわち、想像するような「魂」がもしあるとするなら、恨みや無念がそこら中に存在している事になります。

人間だけではなく、殺された動物たちも、その無念がそこら中漂っている事でしょう。

「魂」とは、亡くなったあなたが、生きる事の奇跡と素晴らしさを歓喜させる為に、生きている人達へのメッセージの形なのです。

あなたが残した、言葉や笑顔が「魂」そのものです。

殺された動物達に感謝する心が「魂」なのです。

日本でも精霊という形で、自然と向き合い謙虚さを学んできました。

 

考え、大切にしなくてはいけない事は、全力で生き抜く事と、唯一永遠に残せる「生き方」「生き様」が大切なのです。

「死」は終わりではありません。

死んでからの待遇を考えても、何の意味も有りません。

死後の世界など無いからです。

天国、地獄、三途の川など、全て今をどう生きるのかという戒めであり、召される最後の時までの、あなた自身の行動が全てなのです。

奇跡の連続で、私達は生かされています。当たり前ではありません。

同じ毎日の繰り返しなどありえないのです。

もし、そう感じるなら、あなたが奇跡の連続に気付いてないだけです。

だからこそ、「死」は通過点にすぎず、奇跡の流れの通過点なのです。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

アインシュタインの言葉より

「There are only two ways to live your life.One is as though nothing is a miracle.

The other is as though everything is a miracle.」

『人生には、二つの道しかない。

一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。

もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。』

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お墓やモニュメントは、心の支えになり過去の人達との会話の場所でもあります。

ただ、魂という形でいつも生きている人の傍にいます。

いつでも、何処ででも祈り、助言を聞くことが出来るのです。

生きている、あなたの心の中に「魂」があるからです。

 

あなたが受け継いだ、先人たちの想い。

あなたは、次の世代へとつないでいくのです。

「魂」という形で。

 

「魂とは?」…この「心の道標」のブログで書く予定です。

 

 

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死は語らず(前編)

 

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中学生の頃、仲が良かった友達が転校してしまい、その事がきっかけで、彼と文通を始めました。

内容はたわいのない話しばかりでしたが、私達にとっては楽しい思い出の時間でした。

その後、彼から手紙が来なくなり、部活で忙しいんだろうぐらいに考え、気にしていませんでした。

高校生になってすぐ、彼のお母さんから手紙が来て、彼が地下鉄のホームで後ろに倒れ、死んだ事と、遺品整理できる精神的な落ち着きになり、私からの手紙を見つけ、連絡を取ったという内容でした。

彼の呆気ない死に衝撃を受け、無念さを思うと、色々な彼との思い出が一気に頭をよぎり涙が、止まりませんでした。

当時の私には、彼の両親の辛さまでは、思いが至らず、やっと子供を持ってから、その辛さが少しではありますが、考えられるようになりました。

 

幼い頃「死」を考えた時、漠然とした不安に襲われた事が、誰にでもあると思います。

そして、死後の世界がどういう所なのか?と、と同時に自分がどうなってしまうのか?と問い、答えが出ないまま毎日を過ごしています。

 

私自身も、弟の多額の負債を抱えての孤独死から色々な、考えてもみなかった問題に直面しました。

お金が何処にいくらあり、返済は?債務は?パソコンや携帯の暗証番号は?など、大変な作業を必要とします。それに加えて御近所さんへのあいさつや、残されたつながりのある人々を探し出し、連絡をしたり、リース契約の車も含めて、品々の解約だったり、実家が担保になっていた為、相続放棄やお墓の管理費問題などキリがありませんでした。

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しかし上記のような、物理的な問題より考えさせられたのは、弟の人生はなんだったのだろうか?という事でした。

最後も看取られず、浴びるように酒を飲み、現実逃避の末の死。

彼が生きた50数年は、私から見て決して幸せには見えませんでした。

兄として、余り交流が無かった事で、結局何も力になれなかった自分に、とても悔いが残っています。

本人が幸せだったかは、正直解りませんが、少なくとも彼に関わった人達が、辛い思いをしていたのも事実です。

3度の離婚と残された子供達。

亡くなる数か月間に、彼は子供達に電話を掛け、相手にされなかったようですが、とても孤独を感じていたように思います。

財産も無しで、思い出と共に親としての役割を最後まで、見届ける事なく勝手に逝ってしまう事に、無念があったのでしょう。

ただ、子供達に生を授け、今元気に過ごしている事が、私にとっての唯一の救いでした。

 

今、親との別居が進み、独り暮らしの人達も増えています。

いつ何が起きるかは誰にも分からない中、どのような最後を迎えるか、そして見届けるかを考えておきたいものですが、その「死」に対しての向き合い方を、すなわち「死」とは何かという事に向き合う事が、とても大切なのです。

 

死を尊ぶべきはあなた自身。

死は何も語らず、越えることはない。

だからこそ生命を尊ぶべきはあなた自身であり、

生命は「教え」そのものなのだ。

「神」「仏」そのものなのだ。

あなたがここに存在していないと、

死はあなたに訪れず、生命もまたあなたに歓喜しない。

 

すなわち今現在の事です。昨日でも明日でも未来でもありません。

生き延びる事をプログラムされている生物である以上、死を容易に受け容れることは難しいでしょう。

得体の知れない恐怖や不安、心細さ、だれもが考え、考えざるを得ない「死」。

そしてこの世で唯一、平等に誰にでも訪れる「死」とは何でしょうか?

科学や医学が進み不老不死が実現するのでしょうか?

はたして実現してもいいのでしょうか?

 

個の死は単に死であり死以外、何者でもありません。

しかしそれは、大きな流れの新たな可能性の一部になります。

生物にとって可能性ほど大切なものはありません。

いつまでも同じ考え方しか出来ない人間がゴロゴロしていては、変化に対する適応が低下し、生き延びていけなくなります。

いろいろな可能性を持った新たな後継者が入れ替わらなくてはならないのです。

なぜ人間は、淡々と受け容れられないのでしょうか。

人は先人達の知恵や教え、経験によって困難を乗り越え、夢を描き、希望を持つことが出来ます。

しかし死んだ後の事は誰もその経験を後世に伝えることが出来ません。

まさに「死」は、真っ暗な洞窟の中にアドバイスや知識という灯りも持たずに入るようなものだからです。

ですから時に宗教が「死」に対し、恐れ克服の知識を授け、道標となり、不安を取り除く役目を担っているのです。

(一番誰もが不安になるその事を、お金儲けの手段にしてほしくはないのですが)

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「死」は新たな 可能性の一部になると書きました。

自分が生きた証をその流れの中に少しでも留めておきたい、そんな気持ちが起きても不思議ではありません。

時にそれは、何かの作品であったり、財産であったり、モニュメントであったり、そして子供であったりするわけです。

終わりがあるからこそ、寿命がある事が解っているからこそ、自分の中にある様々な「想い」をこれから担うものに託すわけです。

そして託されてこそ、それを基にそこから新たな創造が生まれ、知恵となり役立っていくのです。

受け手が変わる事がとても大切な事なのです。

上記で書いたように、次を担うものに対し、送り手が託すモノはその人の「想い」だけでなく、時にお金や財産といった物をよく考えがちですが、それだけでは意味がありません。

 

どんな風に生きたのか、過ちを繰り返さない為にはどうすればいいのか、心を動かされた様々な事、経験、生き様。物ではなく「心」を託して初めて、新たな可能性を秘めたあなたが、受け手となるのです。たとえ誰からも看取られず亡くなったとしても、尊厳と想像をもって受け手になる、その義務が私達にはあります。

(後編)に続く

 

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