心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

心は何処にあるの?

「心は何処にあるの?」

とても簡単なようで、奥深い質問。

 

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なぜか心は、平穏を避けてしまうようだ。

何かしら不安な要因を探し出してくる。

今、幸せと感じても「いつまで?」と。

さり気ない毎日が「もっといい生き方があるはず?」と。

いつの間にか、疑う癖がついてしまう。

でも、それは心から出た言葉では無い

 

考えるのは頭であり、心ではない。

心はただ見つめているだけ。

知識は頭に蓄えられるが、心は感じているだけ。

心無い行為とは、まさに頭だけで動いている事。

ピアニストは、頭で弾いてはいない。

読んでうなずくのは頭であり、心は、知ったかぶりをしない。

 

頭で観る鏡は、心を騙そうとしている。

鏡のあなたは、太ったか、シワが増えたかの確認に過ぎない。

鏡のあなたは、あなたじゃないと言いたいのです。

 

あなたは、あなたで、それ以上でもそれ以下でも無い。

 

あなたがスイーツのお店に行ったとしよう。

まず写真を撮るだろう。

そして口に運ぶ。

そこまでは頭だ。

味わい、これは心だ。

「どう?美味しい?」と聞かれる。

あなたの口から出た感想は、頭からだ。

言葉にした途端に食リポとなり、本当の味わいが消えていく。

 

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自然の中でのキャンプで食べるカレーに食リポはいらない。

心で味わっているから。

廻りの穏やかな景色がスパイスにとなり、ワインとなる。

頭で食べていないからだ。

だから最高のご馳走になる。

 

だから、

食リポは意味が無い。

あてにならない。

頭は食リポで満たされ、騙され、その頭で食べに行ったまま、心を素通りする。

 

あなたが毎日見る、妻や夫、子供や友人は、代り映えのしない姿でいるのは、頭で見ている時だ。

時として同じ止まったままの人などいない。

今日も一緒にいてくれていると思ったのは、心で観た時。

愛おしい人だと、見た時は心で観ている。

 

そもそも、心とは何でしょうか?

 

例えば犬や猫に心はあるのでしょうか?幼少の頃、TVで見たドラマ「名犬ラッシー」や「わんぱくフリッパー」の中に登場する動物達に、心があると思っていましたし、

動物を飼われている人なら、「ある」と信じていらっしゃるでしょう。

 

今の段階では、はっきりとした答えは調べる限り、出ていません。

心の定義そのものが明確になっていないので、色々な立場からでの見解が違うからです。

飼っているペットが喜怒哀楽の表情やしぐさを、見ている飼い主が、人間に当てはめ、まるで人間のようだという錯覚と、そうあって欲しいという願望から、心の存在を見出しているかもしれません。

 

心という定義は、自分の存在を認識しているかどうか?

すなわち、今自分が生きているという認識、自覚。

パスカルの言葉「人間は考える葦(あし)」

私的解釈になりますが、

広大な宇宙の中にちっぽけな葦のように弱い存在であるが、考える事が出来る大きな存在であり、宇宙は考えないが、ちっぽけでも、人の心は、深く、広大であり、自ら自分の存在を意識し、その意味を見出し、だからこそ死を恐れるのだと思います。

 

その上で、

心は何処にあるの?その問いの答えは?

は、「感覚」なのです。

 

時に指先に、時に唇や髪。

時につま先や身体全体の皮膚。

心は、あなたの入り口。

遮るモノは、始めから何も無い。

見るモノ、聞くモノ、触るモノ全て、素直に頭へと送り出す。

余計な事をせず、心という出口から出てきたモノは、純粋で素朴な言葉や行動となる。

 

でも頭は、厄介な事が大好き

色を塗りたくり、もはや原型を留めないほど、壊していく。

心の出口から出たモノは、暴力と同じような後味の悪いモノ。

 

心という「感覚」を、研ぎ澄まし、頭で脚色無しに心の出口に送り出す事は、とても難しい。

 

「心が洗われる」鈍った感覚が元に戻る事を意味する。

「心で受け止める」それは全身で感じる事。

「心を閉じる」感覚を使えない状態の事。

心穏やかであれば、静寂の中にいたならば、感覚は研ぎすまされ、見えなかった、聞こえなかったモノが入ってくる。

ぬくもりが流れ出す。

だから、あなたはそっと誰かの肩に手をまわし、抱きしめる。包み込む。

 

愛し合う二人は、心から入り、心から出て行く。

言葉などいらない。

頭の中は、穏やかで、静寂に満たされているから。

 

ぎすぎすしていると、心は鈍り、濁っていく。

海を見つめ、空を眺め、風を受ける時、心は解き放たれ、自由に駆け巡り、解放される。

 

」を「感覚」と読み替えてみるといい。

心は何処にあるのか?それは、あなたの全てが居場所であり、あなた自身を指す。

 

 

余談ですが、

私は絵心も無く、鑑賞してもその良さが全く解りませんでした。あの人の絵を見るまでは。

 

パウル・クレー(Paul Klee)」 1879年12月18日 - 1940年6月29日)ピカソとも会っているスイスの抽象絵画画家で、短命で難病に苦しみながらも数多くの作品を残している。私自身、抽象画なんて訳が分からないし、正直多少バカにしていましたが、彼の作品を何処かで観て、心に一瞬にして染み入ってきたのです。

彼の「黄金の魚」(1925年)という作品がキッカケで、彼の作品に魅了されました。

 

 


ヨーヨー・マ(馬 友友、Yo-Yo Ma)」中国系アメリカ人でチェリスト

彼の存在は、日本のCMで知りました。

アルバム『エンニオ・モリコーネ, ヨーヨー・マ & ローマ・シンフォニエッタYo-Yo Ma Plays Ennio Morricone)』に収録されている曲「The Lady Caliph: Dinner」が私の特に好きな曲で、彼の奏でるチェロの音の奥行に今も魅せられています。

 

 

 

心から出る想いを、言葉に出来ない想いを、だから芸術家たちは形にして表しているのでしょう。

音楽や絵画、パフォーマンスや造形など、世界には素晴らしい作品があり、私達に語り掛けています。

それらに触れる事で、心がより豊かになると、私は信じています。

 

機会がありましたら触れてみて下さい。

 

追記

文化放送の(午後の三枚おろし)という番組で、アーサー・ビナードさんが「はらぺこあおむし」で有名な絵本作家「エリック・カール」が、「パウル・クレー」の絵が好きだった事を、お話しされていました。

 

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