心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

心は何処にあるの?(1)

「心は何処にあるの?」

とても簡単なようで、奥深い質問。

 

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なぜか心は、平穏を避けてしまうようだ。

何かしら不安な要因を探し出してくる。

今、幸せと感じても「いつまで?」と。

さり気ない毎日が「もっといい生き方があるはず?」と。

いつの間にか疑う癖がついてしまう。

でも、それは

 

心はただ見つめているだけ。

知識は頭に蓄えられるが、心は感じているだけ。

心無い行為とは、まさに頭だけで動いている事。

ピアニストは、頭で弾いてはいない。

読んでうなずくのは頭であり、心は知ったかぶりをしない。

頭で観る鏡は、心を騙そうとしている。

鏡のあなたは、太ったか、シワが増えたかの確認に過ぎない。

鏡のあなたは、あなたじゃないと言いたいのだ。

 

あなたは、あなたで、それ以上でもそれ以下でも無い。

 

あなたがスイーツのお店に行ったとしよう。

まず写真を撮るだろう。

そして口に運ぶ。

そこまでは頭だ。

味わい、これは心だ。

「どう?美味しい?」と聞かれる。

あなたの口から出た感想は、頭からだ。

言葉にした途端に食リポとなり、本当の味わいが消えていく。

 

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自然の中でのキャンプで食べるカレーに食リポはいらない。

心で味わっているから。

廻りの穏やかな景色がスパイスにとなり、ワインとなる。

頭で食べていないからだ。

だから最高のご馳走になる。

 

だから、

食リポは意味が無い。

あてにならない。

頭は食リポで満たされ、騙され、その頭で食べに行ったまま心を素通りする。

 

あなたが毎日見る妻や夫、パートナーに子供や友人は、代り映えのしない姿でいるのは、頭で見ている時だ。

時として同じ止まったままの人などいない。

今日も一緒にいてくれていると思った時は、心で見た時。

愛おしい人だと、見た時は心で見ている。

 

そもそも、心とは何でしょうか?

例えば犬や猫に心はあるのでしょうか?幼少の頃、TVで見たドラマ「名犬ラッシー」や「わんぱくフリッパー」の中に登場する動物達に、心があると思っていましたし、

動物を飼われている人なら、「ある」と信じていらっしゃるでしょう。

今の段階では、はっきりとした答えは調べる限り、出ていません。

心の定義そのものが明確になっていないので、色々な立場からでの見解が違うからです。

飼っているペットが喜怒哀楽の表情やしぐさを、見ている飼い主が人間に当てはめ、まるで人間のようだという錯覚と、そうあって欲しいという願望から心の存在を見出しているかもしれません。

 

心という定義は、自分の存在を認識しているかどうか?

すなわち、パスカルの言葉「人間は考える葦(あし)」私的解釈になりますが、広大な宇宙の中にちっぽけな葦のように弱い存在であるが、考える事が出来る大きな存在であり、宇宙は考えないが、ちっぽけでも人の心は深く広大であり、自ら自分の存在を意識し、その意味を見出し、だからこそ死を恐れるという意味だと思います。

 

その上で、

 

「感覚」なのです。

時に指先に、時に唇や髪。

時につま先や身体全体の皮膚。

心は、あなたの入り口。

遮るモノは始めから何も無い。

見るモノ、聞くモノ、触るモノ全て、素直に頭へと送り出す。

 

余計な事をせず、頭という出口から出てきたモノは、純粋で素朴な言葉や行動となる。

でも頭は、厄介な事が大好き。

色を塗りたくり、もはや原型を留めないほど壊していく。

頭の出口から出たモノは、時に暴力と同じような後味の悪いモノを吐き出す。

心という「感覚」を研ぎ澄まし、脚色無しに頭の出口に送り出す事はとても難しい。

 

心が洗われるとは、鈍った感覚が元に戻る事を意味する。

心で受け止める。それは全身で感じる事。

心を閉じる。感覚を使えない状態の事。

心穏やかであれば、静寂の中にいたならば、感覚は研ぎすまされ、見えなかった、聞こえなかったモノが入ってくる。ぬくもりが流れ出す。

だから、あなたはそっと誰かの肩に手をまわし、抱きしめ包み込む。

愛し合う二人は、心から入り、心から出て行く。

言葉などいらない。

頭の中は穏やかで、静寂に満たされているから。

ぎすぎすしていると心は鈍り、濁っていく。

海を見つめ、空を眺め、風を受ける時、心は解き放たれ自由に駆け巡り解放される。

心は何処にある?

それは言霊(ことだま)の居場所であり

入り口に過ぎない

 

心が狭いとは感覚が鈍くなった事

心が折れるとは感覚を閉ざした時

心が洗われるとは感覚を新たにする事

心が……を感覚と読み替えてみるといい

心の場所がわかるはず

 

Feelings.

Sensation.

Sense.

Impression.

 

感覚という英語も

心そのもの

 

余談ですが、

私は絵心も無く、鑑賞してもその良さが全く解りませんでした。

あの人の絵を見るまでは。

パウル・クレー(Paul Klee)」 1879年12月18日 - 1940年6月29日)ピカソとも会っているスイスの抽象絵画画家で、短命で難病に苦しみながらも数多くの作品を残している。私自身、抽象画なんて訳が分からないし、正直多少バカにしていましたが、彼の作品を何処かで観て、心に一瞬にして染み入ってきたのです。

彼の「黄金の魚」(1925年)という作品がキッカケで、彼の作品に魅了されました。


クレーの絵本

 

ヨーヨー・マ(馬 友友、Yo-Yo Ma」中国系アメリカ人でチェリスト

彼の存在は、日本のCMで知りました。

アルバム『エンニオ・モリコーネ, ヨーヨー・マ & ローマ・シンフォニエッタYo-Yo Ma Plays Ennio Morricone)』に収録されている曲「The Lady Caliph: Dinner」が私の特に好きな曲で、彼の奏でるチェロの音の奥行に今も魅せられています。


ヨーヨー・マ・プレイズ・モリコーネ

 

心という感覚を磨き、人とは違った受け止め方をしている芸術家たち。

溢れ出る想いを、言葉に出来ない想いを芸術という形にして表しているのでしょう。

音楽や絵画、パフォーマンスや造形など世界には素晴らしい作品があり私達に語りかけています。

それらに触れる事で、心がより豊かになると私は信じています。

 

機会がありましたら触れてみて下さい。

 

追記

以前文化放送の(午後の三枚おろし)という番組で、アーサー・ビナードさんが「はらぺこあおむし」で有名な絵本作家「エリック・カール」が、「パウル・クレー」の絵が好きだった事をお話しされていました。

 

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