「謙虚」という言葉を、このブログではよく使っていますが、謙虚な人とは、どんな人でしょう?
ただ、頭を低くしているだけでは、謙虚とは言えません。
日本国語大辞典によれば、「 謙遜で、心にわだかまりのないこと。ひかえめで、つつましやかなこと。へりくだって、つつましやかにすること。また、そのさま」という意味です。
なかなか、常にそんな風に生きていく事は難しく、息が詰まりそうになってしまいます。
学校や会社、近所付き合いと、社会の中は、色々な人間関係で、ただでさえ息苦しいのに、その上、時分に課すようなイメージを抱いてしまうからです。
確かに謙虚さは、幸せを招く糸口になり、コミュニケーションの上で大切な潤滑剤にもなります。
ここで、考えてみましょう。
謙虚さは、あなたの内なるモノで、相手の事は関係の無い事です。
普段よくやってしまう事が、必要以上にへりくだってしまい、自分自身に自信の無さを植え付けてしまう結果に陥りがちなのです。
そんな中で、人間関係の対処法を読んだり学んだりしでも、何の役にもたたないばかりか、余計な負担を自らしょい込む事になってしまい、頭を上げられない状態に陥り、精神的にも参ってしまいます。
そんな状態では、幸せを見つける事にまで心が動けなくなってしまうのです。
謙虚さは「内なるもの」という事を、掘り下げて考えてみましょう。
それは、自分に対する向き合い方ともいえるのです。
自身を取り戻す事と言っても良いかもしれません。
2020年1月11日放送のNHKスペシャル『認知症の第一人者が認知症になった』の番組内で、
認知症になった医師の長谷川和夫さん(注1)が
「僕の体や精神、心のすべてに瑞子がいてくれる。この感覚は初めてだ。なんというのだろう、いつも瑞子と共にいる感じだ幸せだと思う」
と、奥様の瑞子さんの事を書かれていました。
その長谷川さんの患者であった岩切 健さんが亡くなられた後に奥様の裕子さんが、生前に五線譜に書かれた、
「僕にはメロディーがない 和音がない 共鳴がない 帰ってきてくれ僕の心よ 全ての思いの源よ 再び帰ってきてくれ あの美しい心の高鳴りは もう永遠に与えられないのだろうか」
というメモを見つけ、涙ぐんでいらっしゃいました。
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で「心」とは「感覚」と書いています。
その感覚が、病気やストレスによって鈍くなってしまったり、失われてしまうと、共鳴する事が出来なくなってしまいます。
例えば、ギターという楽器で例えて見ましょう。
ギターには、弦やそれをチューニングする糸巻きの様なペグ。
指を押さえる部分のネックや弦を固定しているブリッジ等、色々なパーツの組み合わせで、構成されています。
ギターの外側にあるそれらが、「心」に当たる部分です。
すなわち、外側にある色々なパーツや、木のボディで作られた入れ物の中が、心の中になります。
ギター本体は、共鳴するように中が空洞になっていますが、中に何かを詰め込むと、音は小さく、貧弱に響くだけです。
心も同じように、元々は空っぽでしたが、生きていくうちに色々と取り込んでいきます。
あなたが、ギターを弾く時に、もし弦が切れていたり、チューニングが狂っていたり、傷んでいたなら、ちゃんと音を奏でる事は出来ません。
それは言い換えれば、心という感覚が、傷んでいる事と同じです。
まず、やる事は修復するはずです。音を出す為の大切な作業だからです。
そんな時、横から、「それは間違い」だの「調律がおかしい」などと、横やりが入ったらどうでしょう?
誰かの指図で直そうとしても、その人がちゃんと理解している人でなかったら?
そこで、あなたは心配になり、あれやこれやと情報を集めるのです。
でも、幼児期なら、大人が手ほどきすることは出来ますが、成長するにしたがって、本来の修復を忘れ、「おかしな調律だ」の「弦の選び方が違う」など、余計な事を聞いてしまうようになってしまいます。
「ギターは、このように扱うのだ」というこだわりばかりに囚われているのです。
大切なのは、音が出るようにする事であり、その奏でた音が自分にとって心地よければ、それでいいのです。
それが本来の楽器の姿です。
この時点での話は、内なる作業での事ですが、にも関わらず自ら他人を取り込んで、「こうあるべき」という答えばかり探しているのです。
感覚という心は、他人が介入する事ではないし、そもそも出来ないのです。
そして、その感覚で取り入れるモノ
まず取り込んでいくものは、様々な知識や社会生活を送る上で必要なマナーや倫理観です。
ギターに例えるなら、
本体ボディーの中にある補強の為の棒状の板で力木(ブレイシング)と呼ばれる、本体をしっかり支える役割を担っている大切な部分です。
(種類によっては少し構造も変わります)
そして大切なのは、ギター本体、心の中に取り込む感情です。
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の中でも書きましたが、先人達や家族の想いや、自分で経験してきた事柄、すなわち人から受ける影響や言葉等、様々な想いです。
あなたが、疎(おろそ)かに、もしくは他人のいう事ばかりでギターの修理をすれば、中に入ってくるものは、優越感や所有欲、苦しみや悲しみといった、ろくでもない事ばかり入ってきます。
しかもそれらは、重いのです。
反対に、あなたの感覚で心地よいと思った手入れの行き届いたギター。
その感覚から入ってくるものは、幸せや楽しみ、希望や夢が多くなります。なぜなら心という感覚が繊細になっているからです。
そしてそれらは軽いのです。
重いものばかり詰め込めば、奏でた音色も濁り、その状態でいくら他人の意見を聞きながら練習しても、自分の出したい音楽を奏でる事は出来ません。
手取り足取り、指図されればどうでしょう?
「横柄な上司に対する対処法」「他人と仲良くする方法」「嫌な人との付き合い方」
いくら、そんな話を聞いても、実行なんか出来る訳がありません。
どんなに、トレーニングしても「生(なま)」には勝てないのです。
だからこそ、センサー、感覚である心、ギターの手入れを自らの手でやり直せば良いのです。
沢山の音楽や本や芸術、経験豊かな人生の先輩の教えや祖先が残した歴史に想いを寄せる。
小さな世界から飛び出す事で、磨きがかかるのです。
あなたが、あなたのままでいる事であり、それが自然体なのです。
ギターは、ギターでありバイオリンではないのです。
あなたが、あなたのギターで弾き始める。
あなたが弦をつま弾くのであり、誰かに弾かせるものでは無い。
下手くそでもいい。そうしたら、だんだん楽しくなっていく。
そして耳も、指もあなたが出したい音にに近づいていく。
誰かが、歌い出すかもしれない。
違う楽器を重ねてくるかもしれない。
もっと楽しくなる。
そして共鳴が起きる。
ギターと演奏者、すなわち身体とが一体となり、溶けあい踊り出す。
宴(うたげ)の始まりになる。
心の中の魂である欲は重く、自然体は軽いものです。
重いものは響かず、軽いものほど、響き共鳴を強くしてくれます。
すなわちギターの中にある、あなたが取り込んだ素晴らしい魂が共振を呼び、それが聞いている人達に共鳴し伝わっていく事です。
心という楽器は基礎を学び、練習すればするほど上手く弾けるようになりますが、自身や人に響くような音をを出す為には、最初は模倣から始まる演奏も、あなた自身があなたのオリジナルを作りだし、奏でて初めて誰かの心に響きます。
それが「生(なま)」の力です。
誰もが、幸せになりたいと願っています。
誰でも嫌な事や辛い事から、離れたい、逃げたいと思っています。
でもそれは、誰かのマネからでは、何の解決にもなりません。
ハウツー本を読んでも、意味がありません。
まして、テクニックやトレーニングなんていい加減なものです。
もし、それでうまくいくなら、とっくにこの世から悩みなんて無くなっているはずです。
もう、あなたが既に持っている事に気が付くだけです。
あなたが、あなたでいる事
ただそれだけです。
嫌な人の世界は狭い
狭い世界の王様だ
だから、外に出たがらない
苦の椅子に座り
きらびやかな孤独の衣をまとい
バイブルを読み上げる
与え捧げよ
されば、王国に招くと
この悲しみの国は
哀れみによって
存続を許される
Fender アコースティックギター CC-60S Concert, Natural
小さな世界でギターを弾くのはやめましょう。
想像してみて下さい。
大草原や海のそば、森の中や、星の下。
そこでギターを弾くあなたの姿を。
心という楽器を鳴らす、その楽しみを。
そこには、決められたルールも、トレーニングの成果を見せる事もしなくてもいいのです。
あなたが、あなたを鳴らしているからです。
大きな世界は、あなたの想像力でいくらでも作り出せます。
心の中は、考えている以上に広く、大きいからです。
前述の認知症になられた、岩切 健さんの言葉は、認知症の患者にも、「心」がある事を、そして「心」は、自分の内なるもので、誰にもマネの出来ない、オリジナルであり、誰もが、「心」という楽器を持っていると私は解釈しています。
「あなたにはメロディーがあり 和音があり 共鳴がある その美しい心の高鳴りを 解き放つのみ」
(岩切 健 様に捧ぐ)
「幸せの見つけ方」は、生(なま)のあなたでないと、見つける事は出来ません。
何かしらの、優越感や自負心の入り込む余地が無い事なのです。
「謙虚さ」は、他人の為でなく、内なる自分自身の生き方の事です。
だからこそ、見えない大切なものが、見えてきます。
(注1)長谷川 和夫さん 精神科医。認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授で専門は老年精神医学・認知症。
長谷川さんは嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせい にんちしょう)になりました。この病気は、比較的進行が緩やかで、高齢者に多い病気とされています。
ブログ内の番組で語られた言葉は、2020年1月11日放送のNHKスペシャル『認知症の第一人者が認知症になった』より引用しております。
★フランスのバンド『ジプシー・キングス(Gipsy Kings)の』リードギター
トニーノ・バリアルド (Tonino Baliardo)は、クラプトンから賞賛されるほどのテクニックの持ち主で、
日本では、時代劇『鬼平犯科帳』エンディングテーマの『インスピレイション (Inspiration) 』
で、そのギターの素晴らしさを披露しています。彼のアルバム『Tonino Baliardo』のCynthiaという曲も、そんな彼のギターを楽しめるインストルメンタルの素敵な曲です。
★ロックバンド「ポリス」のベーシスト兼ボーカル『スティング(Sting)』の『Shape Of My Heart』という曲。映画レオンのエンディングテーマでも使われた、ギターが染みる曲です。
チョット暗い感じの曲と詩ですが、心に響きますので聞いてみて下さい。