誰のせいでもありません。自分のせいです。
でも、だからと言って自分を責める事ではありません。
その気持ちは、やり場のない気持を一時的に避難させ、先延ばしにしているだけです。
たとえ理不尽、一方的な言葉や要求であっても、一旦立ち止まり自らを省(かえり)みる事は、短絡に考える事への警告となります。
まずは自分の非、至らなかった事を考えるきっかけとし、誰かのせいにしない事です。
決して自身を否定する事ではなく、むしろ自身を高める事になるでしょう。
ただし… 一時的な避難は心を楽にしてくれます。
聖人君主でもない限り、誰にでも起きる感情です。
そんな時
1、人間に与えられた想像力をかき立て、頭が混乱するくらいの答えの出ない「一人問 答」で切り抜ける。ただし一度のみ
2、誰かに愚痴る。但し、引き延ばさない事。(注・お酒や、薬に依存しないように)
3、自分がいかに正しいか、相手がいかに悪いかを書き出してみる。(思考実験でも良し)
4、寝る。眠くなるまで起き続ける。
5、何か他のものに、わざと注意を向ける。映画、音楽、美術、読書、今までに関心が無かった分野にも触れてみる。
6、環境を変える。引っ越しや職場、学校を休む。もしくは変える。旅行する等と、普段とは違う場所に自らを置く。
難しいです。
頭で解っていてもなかなか出来ません。
例え一時しのぎだとしても、自ら行動しなければ、気持ちを楽に出来ない事の方が多いのです。
気を付けなくてはいけないのが、「一時しのぎ」のやり方であり、解決法ではないという事です。
出会いや、環境の悪い時があるのも事実です。
悔しい思いや、感情を逆なでする人は何処でもいます。
騙す人や、悪意を持つ人、容姿だけで決めつける人。
それでも「誰かのせいにする」という逃げ道に、進まないよう心掛けるのです。
よこしまな、ひねくれ者は何処にでもいます。
その様な人が、あなたを苦しめているのでしょう。
悪いのは勿論、その人達ですが、罠に引っかかってしまうのです。
「誰かのせい」それは受動的、つまり受け身であり、問題の解決を人に委ねる事です。
「自分のせい」は能動的、すなわち自身に主導権があります。
「魔が差した」「悪魔の誘惑」「アイツさえ、いなければ」「あの人のいう事を聞いたから」
数えればキリがないほど、責任を取ってくれるモノを探してしまいます。
それは自分で作り出している幻のようなものです。
そう、心の中に余計な、ねちっこい煩わしさが、根を張りだすのです。
あなたの一生を面倒見て、責任を取ってくれる人なんていません。
あなたが居なくても、会社や学校、世界は回り続けます。
隣の葉っぱが気になった。
いつかあいつの影になり、きっと光が届かぬと。
隣の葉っぱが枯れだした。
虫に喰われて穴開いて、知らぬ間に消えていた。
葉っぱは、はたと気が付いた。
隣の葉っぱが支えてた、僕らの大事な木の事を。
免許証を持っている人なら必ず習う事ですが、
「だろう!」ではなく
「かもしれない?」運転に心掛けなさいと。
正に、先手を打つのです。
これから起こりうる事柄の「自身が主導権を持つこと」が、とても大事なことなのです。
決して他人に主導権を、握らせないようにする事です。
相手を打ち負かせようとか、リベンジする意味ではありません。
もし、あなたが見方を変える事が出来たとしたら、どうでも良くなる事なのです。
弱い者ほど強がる。
弱い者ほど誘惑に魅せられ、未来を見ず、過去から学ばない。
弱い者ほど群れたがる。
進化によってせっかく手に入れた脳と心を自ら放棄し、実に悲しく愚かな事。
強がるな。
粋がるな。
心に隙が生まれ、大切な時や人との出会いを失うことになる。
己を自覚し見失うな。
常に謙虚でいなさい。
心はいつも曖昧で虚ろで意に反する事をしたがるから。
一番気を付けなくてはいけない事は、
誰かのせいにしている時に、自分の行く方向が正しく決められるわけが無いという事なのです。
この世の中、理不尽な事ばかりです。
その矛先を自分に向けたくないのは、誰もが同じです。
ただ、簡単な抜け道を、「すなわち誰かのせい」を選ぶ事ばかり続けていると、大切な機会を見逃し、大切なものを失うでしょう。
大切なのは、今のあなたの生き方です。
どう生きていくのか、何を伝えたいのかの、自らの選択権を放棄しない事です。
確かに、いつも穏やかで優しい人間でいる事は、難しいに決まっています。
ただ、主導権を他人に委ねてしまうと、あなたに訪れるであろう素晴らしい出会いや出来事を、放棄する事になってしまうのです。
苦手な相手、嫌な相手に対する対処法のレッスンをしても、出来ないから悩んでいるのでしょう。
急に、生き方や考え方を変える事が出来るなら、苦労しません。
よほど、環境や思わぬ出来事が無い限り、簡単に人は変われないのです。
あなたが、あなたでいる事で、生の答えを出していくしかないのです。
柔道や剣道、空手、合気道などの武術は、相手を倒す事を目的としていません。
日々の鍛錬の中で自分を見つめ直す事から始まります。
そして、軸となる重心を定め、それでいてリラックスした状態で、相手と向き合います。
肩に力が入るわけでもなく、とはいえスキもありません。
どれほど練習しても、心と身体が一体として伴っていないと負けてしまうのです。
「誰かのせいにする事」は、根本となる部分を学ばずに、技だけ会得しようとしているのと同じ事なのです。
技に頼ってばかりいると、失敗から学ぶ事も出来ません。
軸となるモノが無いから、何度も同じ事を繰り返してしまうのです。
剣道がだめなら、柔道の技でとか、フェンシングがいいかもとか。
誰かのアドバイスは、技を教えているにすぎません。
だから、何の役にも立たないのです。
しっかりとした軸と柔軟な頭を持つ事で、常に自分と向き合い会話をし、謙虚でいるからこそ、主導権を握れるのです。
「全て起きた事は、自分に責任があり、すなわち行動が結果を生み、だから「自業自得である」と書いているのではありません。
災害といった予期せぬ不可抗力な事や病気、事故に会う事だってあります。騙される事もあるでしょう。
自分の力だけでは、どうしようもない事だっていくらでもあります。
だからこそ日頃から、逃げ道を作るようなことを、そのテクニックを学ぶような姿勢でいると、いざという時に立ち向かっていけなくなるのです。
地震や台風はもとより、誰かに「あなたのせいだ」と叫んだところで、仕方がないのです。
災害が起きる事を想定して、日頃より備えを整えたり、家族の連絡場所を決めたり、あらかじめシュミレーションや訓練する事で、災害が起きた時に役に立ちます。
頭でだけ覚えた知識は、いざという時にとっさの判断が出来ません。
何より、人任せにしていては、逆に危険を招くことになりかねないのです。
誰かのせいにする事は、過程を省く事です。
始めと、終わりの間にある、過程こそが一番大切な事です。
それは、経験となったり、戒めとなったりと、行動を起こす為の知恵や勇気を与えてくれるものだからです。
誰かの真似事で得られるものでは無いのからです。
今まで書いてきた事は、、あなたの人生であるという、本質を見失わない事と、安易な逃げ道を作らない事です。
あなたの行動の選択や主導権はあなたにあり、他人に握らせる事の無い様にする為の事です
一旦、問題を持ち帰り、考える時間、すなわち過程を大切にするという意味です。
もし、苦しくてどうしようもない状態なら、誰かに話しをする勇気を出して下さい。
それも出来ないなら、その場から去りましょう。
それこそあなたが選べる事です。
必ず助けてくれる人が現れます。
その為に普段の自分の見直しが必要なのです。
「Madness. It repeats the same thing, to expect a different result that.」
『狂気。それは、同じ事を繰り返し行い、違う結果を予期すること。』