ヤングケアラーという言葉が、最近認知されるようになってきました。
親や祖父母、同居する家族の病気などで、介護する子供達の事を指す言葉です。
公共による援助は、介護される方に向いてはいますが、
介護する子供達の方には、援助するようなシステムが、未だ日本には整っていない、
もしくは何の支援も無いのが現状で、学業や進路など、ただでさえ人生の目標などを決めるような大切な時期に、介護という問題が重なり、多くの子供達が小さい胸を痛めているのです。
それに加え、家事や、介護に時間を取られ、友達とのコミュニケーションも希薄になり、本来の若い時期に味わえるような、友達との交流や部活動に支障が出て、満足に学生生活を送れていない現実が問題になっています。
「誰が悪い?誰のせい?」子供達に投げかけられる言葉ではありません。
それは、周囲を取り巻く大人達、市町村や国の責任であり、個人的な問題では無い事です。
子供達に責任はありませんし、勿論、個々の家庭を責める事でもありません。
子供達が現状を受け入れ、選択肢が若いうちから狭められる、
「仕方がない」という言葉を、子供達の口から出させるような社会の在り方や教育のされ方は、決して健全とは言えないのです。
介護を担う子供達や貧困で働かざるを得ない子供達の存在を、大人達が真剣に向き合う事をしなければ、未来は無いと言っていいでしょう。
自分の置かれた現状の中で、誰にも相談することなく、むしろ相談をする事自体をためらっている子供達の存在に、周りの大人達が手を差し伸べる事を、社会全体で後押ししなくてはなりません。
ヤングケアラーだけでなく、一人親の問題やイジメ、疎外感からの現実逃避、育児放棄や貧困、宗教二世問題など、子供達を取り巻く環境は、何一つ良くなっていない、むしろ表面化しにくくなっている今の日本の現状は、大人達が放置し、真剣に向き合う事をせず、誰も責任を取らない事の表れにほかなりません。
自己責任という残酷な言葉を、子供達に掛けては絶対にいけない事です。
何度も繰り返される自殺問題にしても、過去から学ぶ事をしない、むしろ目をつむるような、責任逃れの大人達の行動を子供達は必ず見ているのです。
子供達のせいではない、責任を取るのは大人であり、関心を持ち続ける事の大切さや無関心でいる愚かさを、私達個人個人はもとより、マスコミは、もっと伝えなければならないのです。
子供達へ
私のフィリピン人の妻は、昔スモーキーマウンテンと呼ばれていたゴミ山のそばの貧困地区に、両親と姉、二人の弟と住んでいました。
幼い頃、4歳頃からゴミ山でプラスティックを拾い集めたり、ビニール袋を売ってりして、家計を助けていました。
妻の姉は母方のそう遠くない祖父母の所に預かってもらい、父方の妻の祖父母は、遠く離れた田舎で生活しており、食いぶちを減らすという事で、妻は、そちらに行かされそうになったのですが、母親と離れたくない一心で、三つ下の弟を連れてゴミ拾いをする事になったのです。
その頃妻が、誤って窓の転落防止策の尖った部分が、唇の下を突き刺したことがあったのですが、勿論病院に行くお金が無い事と、恥ずかしい事もあり、手で隠して親に話さなかった事もありました。
今でも、傷跡が残っています。
学校も満足に行けず、学校で行われる行事もお金が無いので参加できませんでした。
ですから、友達も出来ず悔しい思いをしてきたと話してくれました。
家族は狭い部屋の中で、重なる様に寝ていたそうです。
妻は、それでも勉強がしたくて頑張っていましたが、進学は当然出来ませんでした。
幼い頃の彼女、妻の記憶は貧乏との闘いと、同年代の他の人達に対する、引け目や憧ればかりで、そんな中での救いは、家族で一緒にいられる事だけだったそうです。
フィリピンという国は、困っている人達に対する援助の仕組みが、ほとんど機能していません。
ですから住民同士、家族同士のつながりがとても強く、そうならずには生きていけないのが現実です。
困った時、遠慮していると死に直結する事も多いので、助けを求める事に、何の抵抗も無いのです。
助け合いが生きていく上で、欠かせないモノであり、諦めや絶望が、ゴロゴロ転がっている国なのです。
ですから、稼いだお金は、貯める事なく(実際は貯められない)使い、今日を生きる事だけを考えながら、明日を迎えるという、ある意味、楽天家でないと、とても精神が持たないという事です。
あなた達に、「もっと下の人がいる」だから「まだ幸せな方だ」というつもりで書いたわけではありません。
それは、妻が苦しい中での日本に行くという、行動があって今があるという事を解って欲しいからです。
心もとない支援しかないこの日本という国ですが、フィリピンに比べれば、はるかにマシな部分があるのも確かです。
ですから、我慢する必要はまったくありません。
声を上げて欲しいのです。行動して欲しいのです。
確かに難しい事だと思います。
周りの友達に、気楽に話せない事も沢山あるでしょう。
友達すらいない人もいるでしょう。
誰でも、言いたいけれども、素直に話せない事を経験します。
恥ずかしかったり、同情して欲しくなかったりと、理由は沢山あるでしょう。
なぜ僕が、私がと思う事もあって当然です。
でも、あなた達のせいでは決してありません。
とにかく声を上げてもいいのです。
「自分が我慢すれば」という優しい気持ちがあるあなたは、もう充分頑張っているのです。
将来に対して希望が持てるように、色々な選択が出来るようにして欲しいのです。
あなた達若者は、なによりのお金では買えない宝物で、きっと心優しいあなた達は、未来を変えてくれる存在だからです。
だから、一人で悩まず誰かに助けてもらって下さい。
自分を責める事は、何一つありません。
決して恥ずかしいことでも、迷惑かけることでもありません。
あなた達が声を上げる事で、沢山の同じような境遇にいる人達を救う事が出来ます。
運命という言葉は、諦める為の言葉ではありません。
が、残念ですが不平等や不公平は、大人になってもあり続けます。
でも、今のあなた達が経験している事が、ギスギスしている世の中の銃滑剤になると信じています。
心優しい大人もいます。
あなた達は、その様な人達を呼ぶ力をすでに持っています。それが、自然の流れ、摂理だからです。
もう一度書きます。
自分で抱え込まない事と、あなた達に今起きている現状の責任は、一切ありません。
助けを求める事は、とても勇気がいるかもしれませんが、どうか声を上げるようにして下さい。
頭が、心が疲れ、意欲が無くなってしまっても、あなた達のその若い身体は、毎日毎日細胞が、どんどん生まれ変わり、表にはじき出したいエネルギーでいっぱいなのです。
だから、その身体の声を、叫びに逆らわず、思いっきり外に出して下さい。
誰のせい?あなたのせいでは、ありません。
それは大人のせいです。
日本国憲法第二十五条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
厚生労働省ホームページ(ヤングケアラーに関する支援制度)
https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html