心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

誰が悪い?誰のせい?⦅子供達へ⦆(3)

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ヤングケアラーという言葉が、最近認知されるようになってきました。

親や祖父母、同居する家族の病気などで、介護する子供達の事を指す言葉です。

公共による援助は、介護される方に向いてはいますが、

介護する子供達の方には、援助するようなシステムが、未だ日本には整っていない、

もしくは何の支援も無いのが現状で、学業や進路など、ただでさえ人生の目標などを決めるような大切な時期に、介護という問題が重なり、多くの子供達が小さい胸を痛めているのです。

それに加え、家事や、介護に時間を取られ、友達とのコミュニケーションも希薄になり、本来の若い時期に味わえるような、友達との交流や部活動に支障が出て、満足に学生生活を送れていない現実が問題になっています。

 

「誰が悪い?誰のせい?」子供達に投げかけられる言葉ではありません。

それは、周囲を取り巻く大人達、市町村や国の責任であり、個人的な問題では無い事です。

子供達に責任はありませんし、勿論、個々の家庭を責める事でもありません。

子供達が現状を受け入れ、選択肢が若いうちから狭められる、

「仕方がない」という言葉を、子供達の口から出させるような社会の在り方や教育のされ方は、決して健全とは言えないのです。

介護を担う子供達や貧困で働かざるを得ない子供達の存在を、大人達が真剣に向き合う事をしなければ、未来は無いと言っていいでしょう。

 

自分の置かれた現状の中で、誰にも相談することなく、むしろ相談をする事自体をためらっている子供達の存在に、周りの大人達が手を差し伸べる事を、社会全体で後押ししなくてはなりません。

 

ヤングケアラーだけでなく、一人親の問題やイジメ、疎外感からの現実逃避、育児放棄や貧困、宗教二世問題など、子供達を取り巻く環境は、何一つ良くなっていない、むしろ表面化しにくくなっている今の日本の現状は、大人達が放置し、真剣に向き合う事をせず、誰も責任を取らない事の表れにほかなりません。

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自己責任という残酷な言葉を、子供達に掛けては絶対にいけない事です。

何度も繰り返される自殺問題にしても、過去から学ぶ事をしない、むしろ目をつむるような、責任逃れの大人達の行動を子供達は必ず見ているのです。

子供達のせいではない、責任を取るのは大人であり、関心を持ち続ける事の大切さや無関心でいる愚かさを、私達個人個人はもとより、マスコミは、もっと伝えなければならないのです。

 

子供達へ

私のフィリピン人の妻は、昔スモーキーマウンテンと呼ばれていたゴミ山のそばの貧困地区に、両親と姉、二人の弟と住んでいました。

幼い頃、4歳頃からゴミ山でプラスティックを拾い集めたり、ビニール袋を売ってりして、家計を助けていました。

妻の姉は母方のそう遠くない祖父母の所に預かってもらい、父方の妻の祖父母は、遠く離れた田舎で生活しており、食いぶちを減らすという事で、妻は、そちらに行かされそうになったのですが、母親と離れたくない一心で、三つ下の弟を連れてゴミ拾いをする事になったのです。

その頃妻が、誤って窓の転落防止策の尖った部分が、唇の下を突き刺したことがあったのですが、勿論病院に行くお金が無い事と、恥ずかしい事もあり、手で隠して親に話さなかった事もありました。

今でも、傷跡が残っています。

学校も満足に行けず、学校で行われる行事もお金が無いので参加できませんでした。

ですから、友達も出来ず悔しい思いをしてきたと話してくれました。

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家族は狭い部屋の中で、重なる様に寝ていたそうです。

妻は、それでも勉強がしたくて頑張っていましたが、進学は当然出来ませんでした。

幼い頃の彼女、妻の記憶は貧乏との闘いと、同年代の他の人達に対する、引け目や憧ればかりで、そんな中での救いは、家族で一緒にいられる事だけだったそうです。

フィリピンという国は、困っている人達に対する援助の仕組みが、ほとんど機能していません。

ですから住民同士、家族同士のつながりがとても強く、そうならずには生きていけないのが現実です。

困った時、遠慮していると死に直結する事も多いので、助けを求める事に、何の抵抗も無いのです。

助け合いが生きていく上で、欠かせないモノであり、諦めや絶望が、ゴロゴロ転がっている国なのです。

ですから、稼いだお金は、貯める事なく(実際は貯められない)使い、今日を生きる事だけを考えながら、明日を迎えるという、ある意味、楽天家でないと、とても精神が持たないという事です。

 

あなた達に、「もっと下の人がいる」だから「まだ幸せな方だ」というつもりで書いたわけではありません。

それは、妻が苦しい中での日本に行くという、行動があって今があるという事を解って欲しいからです。

心もとない支援しかないこの日本という国ですが、フィリピンに比べれば、はるかにマシな部分があるのも確かです。

ですから、我慢する必要はまったくありません。

声を上げて欲しいのです。行動して欲しいのです。

確かに難しい事だと思います。

周りの友達に、気楽に話せない事も沢山あるでしょう。

友達すらいない人もいるでしょう。

誰でも、言いたいけれども、素直に話せない事を経験します。

恥ずかしかったり、同情して欲しくなかったりと、理由は沢山あるでしょう。

なぜ僕が、私がと思う事もあって当然です。

でも、あなた達のせいでは決してありません。

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とにかく声を上げてもいいのです。

「自分が我慢すれば」という優しい気持ちがあるあなたは、もう充分頑張っているのです。

将来に対して希望が持てるように、色々な選択が出来るようにして欲しいのです。

あなた達若者は、なによりのお金では買えない宝物で、きっと心優しいあなた達は、未来を変えてくれる存在だからです。

だから、一人で悩まず誰かに助けてもらって下さい。

自分を責める事は、何一つありません。

決して恥ずかしいことでも、迷惑かけることでもありません。

あなた達が声を上げる事で、沢山の同じような境遇にいる人達を救う事が出来ます。

運命という言葉は、諦める為の言葉ではありません。

が、残念ですが不平等や不公平は、大人になってもあり続けます。

でも、今のあなた達が経験している事が、ギスギスしている世の中の銃滑剤になると信じています。

心優しい大人もいます。

あなた達は、その様な人達を呼ぶ力をすでに持っています。それが、自然の流れ、摂理だからです。

もう一度書きます。

自分で抱え込まない事と、あなた達に今起きている現状の責任は、一切ありません。

助けを求める事は、とても勇気がいるかもしれませんが、どうか声を上げるようにして下さい。

 

頭が、心が疲れ、意欲が無くなってしまっても、あなた達のその若い身体は、毎日毎日細胞が、どんどん生まれ変わり、表にはじき出したいエネルギーでいっぱいなのです。

だから、その身体の声を、叫びに逆らわず、思いっきり外に出して下さい。

 

誰のせい?あなたのせいでは、ありません。

それは大人のせいです。

 

日本国憲法第二十五条

1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

厚生労働省ホームページ(ヤングケアラーに関する支援制度)

https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html

 

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