私の父は再婚だった為、父方の親戚とはまったく縁が無かったし、会った記憶も無い。
以前も書いたが高校生の頃、再婚という事実を聞かされ3人の腹違いの兄がいる事を知り、ビックリしたものだ。
父は一切自分の生い立ちや親類の事を話さずこの世を去ったが、遺品整理で家系図が出てきて始めて父が養子に出された事を知った。
一方母方は、昔の家族構成である沢山の子宝だったので、母を筆頭に叔父2人を含め7人も兄弟がいて、祖父母の実家に集まる正月は本当に賑やかだった。
昨年末、尊敬し優しかった母方のもう一人の叔父が亡くなった。
人生100年時代。もう少し長く生きて欲しかった。
少年時代、祖父の家に長期の休みになると必ず泊りに行っていた。
夫婦喧嘩がイヤだった事もあり、優しい人達に囲まれての生活は夢のようだった。
当時祖父の家はフスマ屋を経営して、朝から夜遅くまで祖父と長男である叔父が働いていたが、私が泊りに行くと、手を止め小遣いを箱から出してくれたり、遊んでくれたりと、祖母も含め幸せの時間を過ごさせてもらった。
しかし叔父が結婚して間もない頃、突然倒れ他界してしまった。
膵炎(すいえん)だったらしい。
私も結婚してすぐ、急性膵炎になってしまった。
最初は軽い熱が出て、いつまでも治らない為病院へ。
風邪だという事で薬を貰い帰宅したが、いつもと違う予感がし、再度病院で検査。
即入院で丸1カ月絶食と点滴でようやく回復した。
膵臓は悪くなってもなかなか症状を出さない臓器で、発見された時には命に関わる事が多いと聞く。
叔父も、無理をして働き我慢していたに違いない。
それを考えると、今でも心が痛む。
亡くなった叔父が祖父の家に運ばれ、叔母たちを含め親族が身体を拭き、白い着物を着せて横たわせていた。
その作業をジッと柱の陰から見ていた。
叔父の鼻や耳、口は綿を詰められ布団の上で寝かされている白くなっていた顔を見た時、小学生だった私は悲しいというより「死」を間近で見て恐ろしくなったのを覚えている。
そう、息をしていない人を間近で見るのが初めてだったからだ。
同時に病院から葬儀社という今の様な一連の流れではない当時の儀式を始めて見た私は、余りにも衝撃的だった。
そして同時に死んだら全てをさらけ出さなければいけないという事と、全てが終わりになるという漠然とした想いを描いた。
叔父の死後、数日たって日記が見つかり、そこに私の名前が何度も書かれていた事、そして可愛い奴として愛してくれていた事を知り、死後泣くのを我慢していた小学生の私が大泣きしてしまった。
叔父は一人の娘が生まれたばかりでこれからという時の死。
胸中を思うと本当に悔しかったに違いない。
そして、冒頭に記した二番目の叔父が他界したのだ。
兄である長男の叔父の死後、サラリーマンを辞め実家でのフスマ屋を継いだ次男の叔父は、当時二十代後半だったが、仕事を必死で覚え祖父や祖母の死を経てフスマ屋を時代に合わせて内装にも手を広げ、ビルが建つほど大きくしていった努力家で、想像するに大変だったに違いない。
しかし私に対する態度は長兄の叔父と変わらず、いつも笑顔で優しくよく遊んでもらった。
中学生になる頃からだんだんと会う機会が減って、最後にあったのは私の母の葬式だった。
私の弟が叔父に借金をしていたり、私の実家と叔父の創価学会と日蓮宗の分裂など親族間でもめていた事もあり、疎遠になってしまったからだ。
私自身は宗教に属してはいなかったが、事あるごとに絡んでくる宗教問題に嫌気がさしていた。
それでも、電話を掛けると優しい声で近況を聞き励ましてくれた。
叔父には私の従姉妹にあたる3人の子供がいたが、ほとんど交流は無かった事もあり、叔父の死で母方ともこれで縁が無くなってしまった。
私が結婚し、子供を連れて叔父に会いにいった時の嬉しそうな顔を今でもハッキリ覚えている。
叔父の死は妹からの連絡で知ったが、その時点で死後1っカ月以上たっていて、葬儀にも行けなかった。
長年の飲酒と肝硬変、糖尿病で、最後は肝臓癌が脳に転移し亡くなったとの事だった。
その一報を聞いた時に、疎遠になってしまっていた私は後悔と、二度と会えない想いが重なり、本当に落ち込んでしまった。
叔父から沢山の愛を貰って、その恩に報いる事がちゃんとできていなかった事を改めて考えてしまい、自分に対し腹が立って眠れなかった。
いつまでも叔父が生きていると思っていただけに、改めて自分の歳と年月の流れを考えさせられた。
ニュースでも俳優やコメディアンの方の訃報を耳にする事が多くなり、昭和がどんどん遠ざかっていく様で寂しい気持ちになるが、昭和で数えると昭和98年度にもなるのだから、仕方が無い事でもある。
「死」は必ず訪れ、別れの時が来る。
人間性や道徳感、年齢など考慮もされない不公平で不平等なものだ。
死を急ぐ者がいるかと思えば、生きたいと病床で祈る者もいる。
戦争や紛争で命を落とす人達もいまだ多い。
何度も書いているが生きることそのものが「苦」であり、逃れる事は「死」以外に無い。
死ぬ為に生れたと言ってもいいかもしれないが、死ぬ準備をする為では無いはずだ。
生物は生きる事で子孫を生み出すからだ。
例え我が子でなくとも、血が繋がっていなくとも人間という生物がこの星で絶えないようにする為なのだ。
病院から葬儀社という形が定番となり、死者との対話する時間が対峙する時間が薄れてしまった現代。
私が幼い頃感じた身近な死の貴重な体験は、無駄にはなっていないと思う。
死は決して老人だけの話では無いはずだ。
しかし現実は、誰もが高齢になる事を前提で物事を考え、拍車をかけるように「信じなければ救われない」「貢献しなければ子子孫孫に遺恨を残す」等と死後の世界をまるで体験してきたかのように語る輩により、献金や墓地を買っている。
一方で、故人の遺品整理に戸惑ったり、家やお墓をどうするかという問題が、少子化や過疎化の問題も重なり、大きな問題になってきている。
当たり前だが死後に出来る事は無いし、まして生きている者に悪さをする事など出来るはずもない。
以前にも書いたが、人類は誕生して以来、様々な地域に進出し争いが繰り返されてきた。
もしルーツをさかのぼれば誰の祖先にも負の歴史があり、人を殺めた人物がいたのだ。
先祖の事やカルマ、輪廻転生という言葉で生きている者を惑わす、惑わさせられる事は、本来の言葉の意味から逸脱し、間違った解釈をしている為に起きる。
言葉の意味を調べ、知るべきだ。
お墓などのモニュメントは、生きている人の為であり、死者にとっては何の意味もなさない。
良し悪しは別としてもう昔の風習や伝統は形骸化しつつある。
お墓の代行参りや納骨堂のマンション化等の動きを見れば解る。
あくまでも私見だが、形ばかりにこだわり、やった感でいる事より、本来古くから行われてきた事の意味をもう一度考えるべきだ。
亡くなった方はその人に関わった人達の意識の中にいる。
その事を心に焼き付ける為に儀式があり、モニュメントが必要だったに違いない。
祈る場所は何処ででも出来る。
心の中の話だからだ。
勿論モニュメントがある事で心が穏やかになるのなら否定はしない。
生前の言葉や行動を自身の糧とし、幸せと感じる力を身に付ける事が、亡くなった人が一番喜ぶ事では無いだろうか?
死後の事の為にお金を使うなら、生きている今に困っている人達に寄付したり、自分も含め誰かの幸せの為に使った方が良いと思う。
優しさや思いやりは連鎖する。
その源にあるのが亡くなった人達への想いであり、連鎖は生きている人達の中ででしか起きない。
いつ死ぬかは誰にも解らない。
言い換えれば生きている時間が全てだという事であり、先の見えない未来を心配しても仕方がないとも言える。
ホスピスに勤める方が亡くなる方の多くが、「やっておけばよかった」「時間を大切にしておきたかった」という言葉を残すという話を何処かで読んだが、誰もが後悔しない人生を望んでいる。
財産や死後の話などあまり出てこないとも書いてあった。
流れていく毎日は、その事に気付くチャンスを見逃しているのかもしれない。
令和4年度の11月までの自殺者数19.902人。
交通事故による死者数は、令和3年で2.636人(警視庁ホームページより)
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死者数は2020年1月から累計で60.000人以上に上る。
以上の例の様に主に予期せぬ死を迎えた人達の数だけでも、これほどの命が奪われている。
数字に埋もれてしまった一人一人には人生があり、色々な出会いを経てきた人達だ。
誰でも生きてきた証を残しているのだ。
そして誰一人も本当は生きていたかったに違いない。
自分の歳を考え、例え不慮の死でなくとも、残り時間を照らし合わせて、亡くなられた方々と残された家族を思うと、胸が張り裂けそうになる。
日常で繰り返されるさり気ない別れ「行ってらっしゃい」「気を付けて」
もしかすると最後の言葉になるかもしれない。
思う事があれば、伝えたい言葉があるなら、口に出して後悔しないようにしたい。
あなたが望む様な人間でいただろうか?
あなたが理想とする人間に値する私でいただろうか?
あなたをちゃんと守れていただろうか?
あなたをしっかり受け止めていただろうか?
あなたの言葉を聞き逃してはいなかっただろうか?
あなたに愛される資格をちゃんと持っていただろうか?
あなたの心の中で永遠の命を持ち続ける事が出来るだろうか?
もしかしたらもっと大きな広い世界観であなたを包む事が出来たかもしれない。
日常のさり気ない場面をもっと幸せと感じられたかもしれない。
琴線(きんせん)に触れる言葉をもっと伝える事が出来たかもしれない。
たった一つの命と、片道の切符を手にした同士の出会いは奇跡だったから。
宇宙的な時間の流れから考えても、人類の歴史は塵にも満たない。
そんな人類の過去など、大きな自然の流れの中では何の意味も持たないほど一瞬の出来事に過ぎないだろう。
そう、人生は一瞬であり、また刹那の連続なのだ。
それでも、私達は血を繋ぎ生き延びてきた。
それは亡き人達から授かった謙虚さと想像力の賜物があったからこそ。
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