高校に通う息子の最近の話だが、彼は自転車通学をしている。
先日「自転車ぶつけてしまいました。ごめんなさい」と帰って来るなり謝るのだ。
これには、彼の怪我を心配するより「またか!」と。
彼は数回自転車をぶつけ、カゴを変形させたりした前科があるからだ。
理由を聞くと「ボーっとしていた」という言い訳であった。
気を取り直して怪我の有無や、ぶつけたモノが人で無かった事。
もし打ち所が悪ければ、もし人とぶつかったら死ぬこともあるから十分気を付けるようにと諭(さと)したが、うなだれながら私の話を聞いていた彼の口から「自転車直さなくていいから!」と言った途端、頭に来てしまった。
ぶつける度に変形した部分を直し、剥げた部分を塗り直してきた私だったが、それは大切に乗る事が事故を招かないようにする事に繋がると教えているつもりだったからだ。
私にまた負担や迷惑をかけるという想いがあったかもしれないが、「自転車を直さなくていいから!」は、大切にモノを扱っている人間の口から出る言葉では無いからだ。
まして、数件もハシゴして自分で気に入って買った自転車。(勿論代金は私が支払ったが)
もし彼から「出来れば直して欲しい」と言ったなら、怒る事も無かったかもしれない。
結局親ばかで、大きく変形したカゴや支柱を分解整形し修理した。
彼にはカゴが変形する事で衝撃が吸収され、怪我をしなくて済んだ事を話し、大切にするようにとクギを刺した。
昭和の時代に生きた私にとって、自転車は思い出深いものだ。
小学5年生になるまでは、自転車を買ってもらえなくて、自転車に乗る友達の後を走っていた事を思い出す。
それが逆に功を奏して走りはクラスで一番早かった。
その後親が見かねたのか、もしくは不憫(ふびん)に思ったのか念願の自転車を手にしたが、当時2万位したと思うがかなり高額だった。
両親は当時では当たり前であった、マイホームやTVを始めとする電化製品購入の為、必死でお金を貯め、支出を控えていたと思う。
念願のマイホームを手に入れてローンが始まり家計的にも苦しかったと想像する。
ちなみに、中学生の頃登場した自転車はフラッシャー付きの今では考えられないデザインの自転車で、方向指示器や変速機、その他電飾が付いていて単一電池を4本入れるタイプだったと記憶している。
値段は1976年のナショナル自転車で4~5万円。
当時の物価は大卒初任給(公務員)86.000円 高卒初任給(公務員)70.300円 牛乳:47円 かけそば:230円 ラーメン:250円 喫茶店(コーヒー):260円 銭湯:120円 週刊誌:150円 新聞購読料:1.700円 映画館:1.300円でいかに高かったかが分かるだろう。
今では、安い海外製の自転車と量販店に押され、町で個人経営している自転車屋を見かける事も少なくなったが、以前勤めていた自転車卸の会社で聞いた話だと、昭和の時代はとても儲かっていたとの事だ。
家も自転車御殿と言われるほど大きな店舗兼住宅が多かったとという話を聞いた。
当時の自転車のブレーキや変則器に指からの力を伝える方法は、今ではワイヤー(高級車は油圧もある)方式で、ブレーキレバーから伸びている黒いチューブの事だが、昔はロッド、すなわち金属の棒をいくつも繋ぐ伝達方式が主流で、今見ても昭和生まれの私にとってはカッコイイ仕組みだった。
プラスティックはほとんど使われていなく、鉄製のパーツが多かったので丈夫だったが重く、よく錆びた記憶がある。
パンクや壊れれば自分で直して使うのが普通だった時代。
親父の修理を見ながら覚えたものだ。
今は中国やベトナム製なら1万弱で買える。
前後のタイヤとチューブ交換やスポークが折れたりした場合、新しく買った方が安い位くらいだ。
いかに自転車が安くなったか解ると思う。
ただ卸の経験から、やはり安いだけあって、溶接部分等は貧弱で強度に問題がある場合が多い。
特に子供や子供を載せて乗る自転車は、値段は高くなるが「TS」マーク(自転車安全整備士が点検確認した普通自転車に貼付されるもので、賠償責任保険と傷害保険等(付帯保険)付き)や一般社団法人自転車協会の「BAA」マーク付きの自転車をお勧めする。
高度成長期の日本は、終身雇用で皆が必死で働き、今では当たり前の様な電化製品を買うのが夢だった。
そしてその一つ一つ値段が高く、壊れれば自力で直す人も多かった。
よく昭和の時代の風景として壊れたTVを叩いている様なシーンが出てくるが、本当にそうやっていたのだ。
配線や部品の接点が錆びや接触不良になる事で叩く事で、直る可能性が多かったのかもしれない。
私が車を乗るようになった頃も、キャブレター交換やオイル交換は自分でやっていたものだ。
今の車は電子制御でブラックボックス化され、素人が簡単に手を出す事も出来なくなったが。
時代は変わり手ごろな値段で、何でもそこそこの性能のものを買えるようになった。
勿論半導体を始めとする、技術力の進歩のお陰で大量に作れるようになり、加えて人件費の安い国での製造によって値段も安くなったわけだが、考えて見ると500円で、デジタル腕時計や傘が買える時代ではあるが、自力で作るのはムリだし、器用な知識のある人でも材料代や加工等でとんでもない金額になるだろう。
ポリ袋一つ自力では作れない。
そう考えると、必要なモノを今有るもので色々な工夫をし自ら作り出してきた昔の人達は凄いと思う。
最近の物価高で、我が家も大変苦しい生活を強いられているが、モノの値段が適正になるならば仕方が無い事だが、現状は経済低迷や歴代政府の無策とも言えるその場しのぎの政策が招いたとも言える。
ウクライナ戦争の影響も勿論考えられるが、もしこれが台湾有事や大災害になった時、政府はどうするのであろうか?
軍事力増強の話ばかりで、肝心の国民の生活の事は果たしてどうなるか、想定しているのだろうか?
輸入や輸出に頼っている事は、ずっと前から分かっていた事であり、ウクライナ問題で国内の諸課題に対処が出来ないようでは政府が今日まで準備を怠り、先を見据えての政策をしてこなかったとも言える。
外国人から見ると、例えばスーパーに行くとその品ぞろえや品質の良さに感心するらしいが、どの商品も厳しい審査、見た目や大きさ、決められた規格を守って売っているが、傷が付いたり規格外の商品は店頭には並ばない。
本当にこのようなやり方を続けていて良いのだろうか?
商品や売り手のブランドを守るという意味では、作る側も売る側も仕方がないと言えるが、昔は例えば曲がったキュウリ等売っていたし、ハエが飛び交う中で生の魚も買っていた。
新聞紙にくるんだり、皆カゴを持参してビニール袋など無かった。
賞味期限(注1)、規格外や値崩れの製品も廃棄するのではなく、ちゃんと消費できる仕組みを考えるべきだ。
逆にそれが企業のイメージも上がる時代になっている。
国内産が安全、安心であるならば、特に食品は規格外、傷や変形、大きさの良し悪しで商品価値を決めて切り捨てる事は、全く理にかなっていない。
店や生産者、生産地のブランドを守る事=廃棄処分と考える事を見直さなければならない。
日本国内で生産されているモノなら信用できるという事ならば、農林水産業に限らず工業製品も自国での生産性を上げるべきであり、前提として品質や規格の見直しも必要ではないか。
何より、海外に種苗や技術が流失してしまうリスクや、人が育たないという将来を考えての政策は待ったなしでは無いのか。
最近は、上記の規格外や傷物、賞味期限が迫ったモノを活かす個人や企業が増えてきたのは喜ばしい事ではあるが。
令和3年度のカロリーベースの食料自給率は38%(農林水産省より)。
年間まだ食べられるのに、捨てられてしまう食べ物が12万トンにもなる現状の中「もったいない」文化が根付いている国だからこそ、食糧の大量廃棄、いわゆる食品ロスを限りなく「0」にするようにするべきであるし、食品に限らずメイドィンジャパンの底力を発揮すべき時だと思う。
エビや貝など相変わらず食品の産地偽造のニュースが後を絶たないが、裏を返せば騙されても気が付かない、気が付けないという情けない舌を持っていると言われても仕方がない国民ばかりとも言えるのではないか。
要するに、書いてある表示を鵜呑みにして「美味しい」と脳が勘違いしているのかもしれないと思うほどである。
この事は同時に関係省庁が形だけでの監査しかしていないという情けない実情をさらけ出しているに他ならない。
ならば、偽物の入る余地もない本物を関係者が提供し続ける事が、産地や生産者を守る事にも、ブランドを維持する事にも繋がる。
合わせて、監査する側の真剣な対応と責任の所在を明確にすべきだ。
何度も起きるこのような事件は、国の体制がきちんと機能していないのと同じ事では無いか。
北海道で起きた観光船沈没事故でも、おざなりの監査が問題になったが、構図は全く変わりない。
また政府は植物の種や工業製品の特許など、国内産業を守る為に真剣に取り組んでもらいたい。
海外に流通してしまってからでは取り返しがつかない。
余りにも、今日までほったらし感が強く感じられる。
また外国資本の、国土の土地購入も本腰を入れて対策しておかないと、それこそ有事の際にどうしようもなくなる。
有事の事で出てくるのは防衛費や設備増強の話ばかりだが、守る国の食糧やエネルギーの問題を余りにも軽視しているように見える。
そろそろ賞味期限ばかり気にするより、そちらの方に目を向けて消費行動を移すべき時代だろう。
またすぐ壊れるという前提でモノを買う事もそろそろ見直さなくてはならない。
良いものはそれなりの値段がする。
いい加減気付かなくては、産業自体が衰退していくだろう。
まだ私が子供の頃は、放置自転車はほとんどなく、雨が降った後に傘が捨てられていた事も無かった。
勿論、一つ一つの値段が高く、忘れたり無くしたりする事に気を使っていたからだが、今より遥かに壊れやすかった工業製品すら10年以上大切に使っていた。
ちなみに我が家にあるラジカセ、いわゆるラジオとカセットレコーダーとスピーカーが一体となった製品の事だが、日本製で30年以上たった今でも現役で壊れた事は一度もない。
壊れれば、失くせば買えばいいという文化は、本物がすたれていく文化だ。
通販サイトでたまに買い物をするが、失敗するのは主に海外製品が多い。
裏を返せば、日本製は信頼がやはり高いとも言える。
ただサクラや悪質業者もいるのも事実で本当に残念な事だが。
以前、妻のイヤリングが安いという事で、試しに買ってみたが、2週間掛かって届いたのは片方のみ。
よくサイトを見なかった私も悪いが(小さい字で表記されていた)、まさか片方だけ買う人などいないという頭だったからだ。
どうりで安いはずだった。
苦情をサイトに伝えたが、返品にも時間がかかるし面倒な手続きの為、断念した。
妻の引き出しに眠る片方だけのイヤリングを見る度、海外業者のものは買わない、もしくは詳しく調べてからとつくづく思うようになった。
また妻の話で恐縮だが、彼女が着る服で後ろにジッパー(ファスナー)がついている服があり、私が手伝って上にあげるのだが、このジッパーが壊れるのだ。
服の値段が安いのか手で掴む金属の材質も粗悪で、エレメントと言われる互い違いの歯の様な部分も見ると不揃いだった。
100均で買ってきて全部取り換える羽目になってしまった。
勿論買ったジッパーは〇KKの国産にした。
日本のメーカーが人件費やコストを考え海外で生産しているモノもかなり多いが、日本の企業の信頼を裏切らない様にこれからも継続してもらいたい。
出来れば国内で生産してもらいたいのだ。
雇用も増えるし日本というブランド力も上がる。
国内メーカー製品の裏にmade in〇〇と他国の名が記されていると悲しくなっていしまうのは私だけだろうか?
安くて良いモノにもやはり限度というものがあり生産者、製造者の創意工夫は大切だが、やはり適正に値段を決めて欲しい。
特に人件費を削る事、据え置く事は一番悪いやり方だと経営者は強く認識してもらいたい。
人間は機械では無い。
たった一度の人生を、仕事や生産に委ねている事に社会全体が強く意識しないと、いずれ衰退してしまう。
送料無料の陰で泣いている業者も沢山いる。
結局周り廻って消費者に跳ね返ってくる事を考えるべきだ。
賃金が上がらない事にも繋がってくる。
よく一生モノという言葉があるが、失くしたりすれば後悔するような、そして長く愛用できるモノを高くても買う事の方が結局安く済む事に気付いてもいい頃だろう。
国内産業が低迷する中、貧困世帯も増え人口も減っていく日本。
軍事力を増強したところで、守るべき、働き消費する肝心の国民がいなくなってしまう事を政府は考えてもらいたい。
何も軍事力だけが国力では無いはずだからだ。
バック・トゥ・ザ・フューチャー トリロジー 30thアニバーサリー・デラックス・エディション ブルーレイBOX
1985年アメリカの映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」( Back to the Future)を見た方も多いと思うが、3部作(その後1989年と1990年)で構成されていた映画で、映画館で観た私も大変面白かった事を記憶している。
そのシーンの中でタイムマシンであるデロリアンという車の修理をしている時に、マシンを発明したドクが壊れたマシンのパーツを見て
「なんだ日本製か!だから壊れるんだ」
というセリフに主人公のマーティーが
「日本製は最高なんだよ」
と言うシーンを今でもはっきり覚えている。
(セリフはうろ覚えなので正確ではないかも知れないのでご勘弁下さい)
平成19年(2007)、第一次安倍内閣の「感性価値創造イニシアティブ」をキッカケに官民出資による「クールジャパン戦略」を始めたが、どの事業もうまくいかず、計画だけで終わったモノもあり、多額の赤字に終わってしまった。
この日本の良さを広め、ビジネスへという戦略は、税金に群がる人達や企業によって無策となってしまい、大きな損失を生み出したのだ。
国、官が主導でやるといつも同じ失敗をして、無駄な税金の使われ方をし、誰も責任を取らない。
その様な事に税金を使うのであれば、目先では無く中長期的な研究にや事業にお金を使ってもらいたい。
何故なら、結果ばかり求める社会において、国や官僚が将来を見据えて投資しなければ若い人材が育たないからだ。
日本の様々商品や食品、コンテンツはその品質やクオリティーの高さで海外では高い評価を受けている。
これは突然そうなったのではなく、製作者や生産者が長い時間をかけ発信し、その良さに気付いた海外の人達が日本発のモノに興味や魅力を感じているのだ。
それは、より良いモノを創意工夫し妥協する事無く、使用者や買い手重視で作成、生産してきた事に他ならない。
目先の利益目的だけでは出来ない伝統と言っても良いくらい素晴らしい文化なのだ。
Made in Japanを復活させ、再び世界を席巻する様な時代が来ると信じている。
細やかな心遣いが製品に活かされている日本のモノは、必ず海外でも評価される。
GAFA(ガーファ) 「Google・Amazon・Facebook・Appleの頭文字」 と呼ばれるようなアメリカ企業を始め、中国企業が世界を席巻しているが、私達は鉄腕アトムを生み出し、基礎とした国なのだ。
この国を支えている中小零細企業の技術力を侮(あなど)ってはいけないし、潰してはいけないのだ。
そして夢を持った賢くて頼もしい若者が日本には沢山いる。
だからこそ大きな壁が立ちはだかろうが、きっとMade in Japanを育ててくれると信じている。
彼らの活躍を大いに期待したい。
政治家は軍事力よりもっと若者に投資する政策を早く実現して欲しい。
誰もがお金の心配なく大学まで学べる環境を作る事こそ、国力のアップ、すなわち防衛力になる事に早く気付いて欲しいものだ。
世界中の留学生が日本に来て学ぶ環境を積極的に作り出せば、軍拡ありきという馬鹿げた歴史を学ばない考えを持つ政治家がいたとしても、日本を愛してくれる外国人が多ければ日本を攻撃などしない。
四季が豊かで、様々な表現が出来る日本語と、自然を神として謙虚に生きてきた歴史が今も脈々と受け継がれている。
西洋の考え方に理解を示す事は大切だが、同じようになる必要など全くない。
日本地図を見れば解るが、こんなに見事に調和に満ちた島々で構成されている島国は世界の中でも日本ぐらいだ。
そこから生み出すモノは世界をきっと平和にすると信じたい。
最後に前述のGAFA(ガーファ)や中国企業の話を記したが、それら企業に限らず、電気が無いとどうしようもなくなる世界に私達は住んでいる事を改めて自覚したい。
どんなに便利になってもエネルギーの供給が無くなれば、何の役にも立たないモノに囲まれて生きている。
地熱発電、水素活用などMade in Japanで必ず乗り切れると信じたい。
(注1)「消費期限」:袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「安全に食べられる期限」のこと。お弁当、サンドイッチ、生めん、ケーキなど、いたみやすい食品に表示されています。
「賞味期限」:袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「品質が変わらずにおいしく食べられる期限」のこと。スナック菓子、カップめん、チーズ、かんづめ、ペットボトル飲料など、消費期限に比べ、いたみにくい食品に表示されています。
農林水産省ホームページより。
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