心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

事故や災害に病気、犯罪や過失、そして戦争や紛争と、毎日の様に奪われていく数多くの命。

とりわけ生命に満ち溢れている幼い子や若者達の死は、心が張り裂ける。

残された者の心に浮かぶのは、まだまだやりきれていない人生への悔みや無力感に対する答えの出し方だ。

誰もが納得する答えなど持ち合わせていない。

ある人は神に問いただし、ある人は自責の念に取り憑かれ、ある人は思い出にすがる。

またある人は誰かを憎むだろう。

ただ、時間のみが救いになるだけ。

 

この世に生れ出たという事は、死ぬ為。

切り離す事は出来ず、一体だからだ。

コインの裏表と言っていいかもしれない。

放り投げ、手の甲に出る面で当てるゲームの様に、

何か大きな存在が、毎日繰り返しているのかもしれない。

もし裏が出れば全て終わる。

そう電気を消すように。

もう恐れる事も不安に思う事も

そして幸せも、愛も、自分をも感じる事は出来なくなる。

ただ塵となるだけ。

生と死の狭間の時間は、

常に苦との対話によって成り立っている。

誰にも介入できない自己との対話。

その選択は後追いの様に幸せを見せるか、

不幸をもたらすか誰にも判らない。

苦は生への賛美となるもので、

死を望んでは決していない。

むしろ、

生への執着と謳歌を引き寄せるモノだ。

 

才能が無い。

ついていけないかも。

バカにされる。

ムリに決まってる。

不安と心配。

 

キリがない。

止める理由の方が多くなる。

歳を取れば取るほどもっと理由が増えていく。

 

あれこれ理由を付けて先伸ばしするのなら、

いっそうの事やめればいい。

頭から追い出してしまう方がいい。

いつまでも考えない方が、違う方向に早く進める。

 

でも

片隅に少しでも残っているのなら、遅くはない。

みんな、そうして経験を積んでいく。

みんな、そうして変えていく。

そして…

若いと、大きく飛べる。

急な斜面も壁も登れる。

歳をとれば、ゆっくり、しかし確実に進める。

途中で休んでも、遠回りしても、また前に進む。

疲れたら、きっとあなたの手を引いてくれる人がいる。

後戻りはしない。

立ったままより、前に進むと景色が変わる。

知らなかった世界が広がり、見通しが良くなる。

色々な足跡を追うのも、足跡の無い道に行くのも、自由。

 

生を受け、歩き始めるその道は、平坦で道標がある道など始めから無い。

進む過程こそが答えそのもであり、だから歩き続ける意味がある。

愛する自身と誰かの為に。

勇気が荷を軽くするだろう。

諦め(あきら)は死を先取りするようなモノ。

諦めは愛すら殺す。

有限という避けられない死の為に生れた。

しかし生と死の狭間にある過程、時間こそが私達人間に与えられた宝物なのだ。

予期せぬことで、その宝物を手放さなければならない人がいる。

どんなに権力やお金を積んでも手に入らず、先延ばしも出来ない。

死者達がその気付きを授ける為、風を吹かし森を揺さぶり、雨を降らせ渇きを癒す。

陽が光と未来をもたらし、影が自戒と安息を与える。

過程という時間の大切さに彼らは黙ってはいられないのだ。

それほど愛おしい苦の時間だからだ。

 

誰でも一度は鳥の様に空を飛びたいと夢見た事があると思う。

勿論私もそうだったが、飛んでいる夢を見た次の日は決まって熱が出た。(笑)

それは別として、何故空を飛びたいか?。

それは自由だからだろうか。

鳥の様に広い空を、自由に生きたい場所や飛び回れるとしたら、そう考えるだけでもワクワクする。

動物園やペットショップに行くと、鳥たちがケージの中でジッとしている姿をよく見ると思うが、

彼らは飛び回る必要が無い。

敵もいなく捕食されず、食糧にも毎日ありつける。

けれども、大きな空をケージの網から見ることは出来ても、飛び回る事は二度と出来ない。

彼らはケージから出る事を望むのだろうか?

生れながらにケージの中で育った彼らの子供達は?

 

ケージの中では生と死の狭間が無い。

ただ生まれ、後は死を待つのみだからだ。

確かに人々の目を楽しめさせる事は出来るが、

彼らにとって何の意味があるのだろう。

 

外の世界では、いつも敵に狙われ飢餓に苦しむかもしれない

自然は厳しい苦の世界だからだ。

そう生きる事は苦の連続。

それでもケージが開け放たれると、彼らは飛んでいくだろう。

何故なら翼がそれを望むからだ。

多くの鳥たちが死に直面するだろう。

明日何が起きるか、死か、生き延びるか、

だが、大空を飛び回れる至福の時間を味わえる。

ぬるま湯のケージの中での生活からは決して得られない、

彼らの生と死の狭間。

飛ぶという彼らの本能は、例え瞬間に終わったとしても

何よりも代えがたい幸せの時間だからだ。

何よりも代えがたい自由がそこにある。

 

なぜ、生きなくてはいけないのか?

それは生まれたからだ。

生と死のわずかな時間に幸せが埋もれている。

苦と幸はどちらが欠けても成立しない。

苦ばかりと嘆くのは、幸を感じ取る力が足りないからだ。

陽が昇るのも、星がきらめくのも、

自然が見せる彩りも、決してあなたの為では無い。

けれども、生まれずしては決して見る事は出来ない。

生きているあなたにしか出来ない、あなたがそこに何を見出すかだ。

 

あなたの心の中には生まれながらに翼がある。

創造力と想像力の二枚の羽だ。

そこにはケージも取り巻く金網も無く

もしそれを感じているのなら、

自ら作り出している幻だ。

飛び立てば解る。

元々無かった事に。

過程を狭間を飛び回れ。

いつか翼は朽ちるのだ。

ならば、例え一瞬だとしても、

飛ぶ幸せを味わう事だ。

飛ばない言い訳は山ほどあるが

飛ぶ事自体に理由など無い。

何故ならそれが生そのものだからだ。

翼はある。

心の道標として。

そう飛べば解る。

飛び立てば解る。

 

教会にも寺院にも、そしてお墓にも

死者はそこにはいない。

死者は時を超え、形を変え、

そしてあなたに伝えたいのだ。

「後悔するな」

「それでも生きろ」

「生き抜け」と。

駐車場が家から少し離れた所にあり、街路樹や植え込みに囲まれた歩道を少し歩くのだが、植木屋さんの手入れが入っていないからか、丁度ほほのあたりに枝が張り出し、通るたびにほほを葉が撫でる。

最初は、うっとうしくて枝を折ってしまおうかと思ったが、ふと気付いた。

頬を撫でられるように触れる葉が、「今日も新しい一日だよ」とリセットしてくれている様に感じたのだ。

下ばかり見ながら歩いていた私に気付きを教えてくれている様で、何だか心が軽くなった。

いずれ剪定(せんてい)されるであろう枝葉に幸せを貰ったようだ。

それは手をそっと差出すように、温かい触感さえ感じさせてくれた。

 

何気ない日常に「気付き」が隠れている。

それは時に戒めであったり、幸せであったりと「気付き」が無ければ感じられない大切なもの。

 

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

それは生き抜く為。

生れず、また道半ばで命を無くした人、死者に対する最高の贈り物となる。

彼らはそれをもって報われるからだ。

 

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

それはこの世に遊びに来ているのだ。

危険を承知で遊ぶ為に。

思い出して欲しい。

幼い頃のはしゃぎまわっていた時を。

何も考えず、ただ夢中だったことを。

そして夕日が落ちれば、還るだけ。

月が昇れば眠りに落ちる。

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

たった一人でも幸せにする為。

そのたった一人が自分でも。

意味なんかそこには無い。

 

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

生きていないと味わえない

目に見えぬ細菌も

自然が織りなす色の移ろいも

果てしない宇宙も

まるでディナーのように

用意されている。

後は味わうだけ。

だって

席にもう座っているのだ。

なぜ、生きなくちゃいけないのか?

苦を味わい死ぬ為だ。

死者は語るだろう

死後では苦も無く

幸も無い

ただもう少し時間が欲しかったと

 

子供の頃は夢を持てと言われ、

規則を守れ、はみ出すなと叱られて

大人になるにつれ個性を出せと言われ

諦める理由をいくつも並べられ、

どんどん小さな世界に可能性を押し込んでいた。

自分が嫌いで

惨めで

憎らしくて

でも死ぬ勇気もない

世界で一番不幸だって。

 

でも私より不幸な人はいっぱいいた。

死と真剣に向き合っている人達がいた。

真面目な奴も

不公平な奴も

優しい奴も

意地悪な奴も

みんな何故か生きている。

 

これからどんな人間になるかって

人任せじゃないかも知れない。

もしかしたら

生きてみなきゃ解らない。

 

死ぬのは一回きりだけど

やり直しなら何回も出来る。

生きてさえいたなら。

 

「なぜ生きなくちゃいけないのか?」

その質問の答えは、残念ながらありません。

あの世がどんな所か、還ってきた人がいないから聞く事も出来ません。

世界中の人達が今もその答えを探し続けています。

 

初めていく所や、初めて何かをする時は緊張するし楽しみでもあります。

「もしかしたら」と負の方向に考えてしまうかもしれません。

でも、何が起きても帰る場所があります。

故郷、町や家や、友人、愛する人の胸の中。

しかし「死」には、帰る場所が無いのです。

やがて塵となり、新たな命の元となるだけです。

もしかしたら、あなたは閉じこもっているかもしれませんし、自分の居場所が無いと感じているかもしれません。

例え孤独と感じていても、あなたは、生きている「あなた自身」という帰る家があります。

あなたが考えているより、あなたの心の中はとっても広いのです。

もしかしたら、気付いていないだけかもしれません。

この宇宙にも勝るくらいの広さを持っているのです。

今すぐでなくても、いつか必ず外に出たくなる時が来ます。

だから安心して出かけて下さい。

振り返った時、自分の心の広さを感じ取れるでしょう。

苦しくなったら、帰ればいいだけ。

その時は心の中を飛び回り、広さを感じて下さい。

前よりもっと、見渡せるようになっています。

何故なら、「勇気」という名の明かりを手に持っているからです。

いずれ召される時が必ず来ます。

その日が来るまで。

でも、あっという間なんですよ。

 

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