宗教が「魂」をどうとらえているか?の話は、ネットを見れば色々な位置付けで探る事が出来ます。
魂に限らず、霊や霊魂の違いやどのようなモノか等、様々なとらえ方があり、そのほとんどが、宗教という位置からの見方や見解です。
私が、生きてきた中でまず躓(つまづ)いたのが、「宗教」という存在と、その意味です。
色々な宗派の本等を読む度に、ますます混乱しました。
それは現在起きている、紛争や内乱の大半の原因が宗教であるという事。
そしてそのような中から生み出される差別意識や民族主義と、大きく関わっている宗教に対する疑問でした。
ですから、宗教という立ち位置から見た「魂」の意味を考えるのでは無く、私自身が、私の言葉で伝えたいと思います
(宗教については、このブログ記事の「宗教とは?」で書いていますので、読んでくださいね。)
日本は、隣にクリスチャンの方がいても、ユダヤ教の方、仏教徒であっても、「そうなんだ」で終わるだけで、宗教に対し区別なく受け入れている稀な国です。
他の国と違って、戦後の復興が早かったのも、他の国に比べ、宗教や民族という問題に時間を割かれななかったからだという意見もあるくらいです。
ですから、宗教を意識せず、様々な行事、例えば、お盆や初詣、クリスマスやハロウィン、葬儀等を違和感なく、受け入れています。
「魂」という言葉は、宗教と直接結び付ける事なく、良い意味で社会の中に浸透しています。
普段生活している中では、魂の事など意識せず暮らしていますが、上記の行事や風習といった節目に、「魂」の事を考えます。
では「魂」とはどの様なものなのでしょうか?
それは、「想い」なのです。
何か形として存在しているように考えますが、生きている人の中にある、形に出来ない「想い」です。
大切な人が亡くなった後、あなたの心の中に残った「言葉」や「生き方」を指すのです。
もし不幸にして、亡くなった方に無念があると、あなたの心にその無念さが残ります。
例えば、幼くして亡くなった時、これからの生きる楽しみを奪われた事や、過ごしてきた時間が、あなたの心の中に、無念さが生まれ、それが魂となりこの世から離れられないと感じるのです。
家族だけでなく、友人や他人でも、人間には想像力があるので、想いをくみ取る力があります。
ですから、寄り添うような心持になり、魂として受け止めるのです。
あなたの中に残った、先人達の言葉や生き方が、あなたを通して次の世代に伝わる事で、永遠の命となります。
日本には、昔から伝わる「言い伝え」や「風習」が沢山あります。
それは、自然に対し人間がいかに無力かという事と、そんな中でも、少しでも生き延びる為の知恵です。
万物に魂が宿っているという考え方は、この世にある全てのモノからの「教え」であり「戒め」であるのです。
自然を相手に生業をされている方々は、その事を常に意識して、仕事をされています。
昔話や言伝えも、子供でも理解し、もしくは記憶として残るように考えられた、いわば聖書のようなものです。
その様な中「魂」という言葉が、心の中にある想いや願いとしての代名詞にも使われているのです。
例えば「入魂」という言葉でも、ジッコン(口添えすること)やジュッコン(親密であること)、
ニュウコン(全精神を傾注すること・魂を込める)等、読み方や意味も色々とありますし、
言霊、言魂(ことだま)とも書きますが、良い言葉を発したならば、良い事が、逆に悪い言葉を発したなら、悪い事を招くという意味に使われます。
共通しているのは「想い」という事です。
魂が意志を持ち、一人歩きする事はありません。
あなたの存在無くしては、魂もまた存在しないのです。
魂が救われるというのは、神や仏といった宗教がかかわる事ではありません。
キッカケにはなるかもしれませんが、本質はあなた自身の、心の動きなのです。
誰かから、もしくは情報として入ってきた考えや行動が、魂という形で作用しているのです。
そして「霊」は?という事ですが、
宗教的な解釈では、ネットで調べればいくつも出てきますが、「霊」とは「心」です。
「魂」の入れ物の事です。
良い方向に考え、思いやりを持ち、謙虚に、毎日を奇跡として生をとらえた魂が詰まった心という霊には、同じような霊を持った人が集まるのです。逆もしかりです。
このブログ「心は何処にあるの」の中で書きましたが、心とは感覚です。
すなわち霊とは心であり、感覚なのです。
ですから霊もまた、形として存在しているわけではありません。
あなた自身が持つ、身体全体で感じる感覚そのものの事を指します。
悪い霊に取り憑(つ)かれたなどという話はよく聞きますが、その意味は感覚が鈍くなり受け止め方が、狭くなった状態の事を表しているのです。
それは、自分自身の生き方や考え方から来る問題であるからです。
よく、守護霊と言われる、霊の存在を聞いた事があると思いますが、それはあなたの心の在り様の事を指しているのです。
あなたの考え方が、負の方へ傾いていると、同じような人達が集まってきます。
その連鎖を断ち切る為には、あなた自身の心持、正の方向へ切り替える事です。
守護霊がいる状態という訳です。
決して、何か霊的な悪いものが、あなたに作用するという事ではありません。
また、霊が悪い事を起す原因など、ありえないのです。
捉え方が、間違っているからです。
精霊流し(しょうろうながし)という風習があります。
一般的なとらえ方としては、死者の魂を弔って送る行事とされています。
混同されがちな、灯籠流し(とうろうながし)もありますが、ニュースなどで灯籠(灯篭)を海や川に流す映像を観ますが、これも、死者の魂を弔る行事です。
どちらも、生きている私達の心の中にある、亡くなった人達の想いや生き様の区切りという意味なのです。
生きていく上で、悲しんでばかりはいられません。ですから形として表し、新たな人生の始まりとし、亡くなった方の想いを、もう一度胸に刻むという意味なのです。
魂も霊も、あなたを写す鏡です。
先人達から、あなたがその想いを、どのような感覚でどう受け止めたのか?、もしくは逃したのか?
あなた自身の心の、すなわち霊という感覚でどう受け止め、魂としての想いを刻んだのかという事なのです。
宗教という観点から考えてしまうと、もしくは知ろうとすると、宗教の選択から始めなくてはいけません。しかし、私達の祖先は、自然という大きな教えから学び、死生観を築いてきたのです。
霊も魂も人間が生み出した言葉なのです。
今、生きている事は、奇跡の連続であり、生きる事がどれほど大変な事なのか、生きる事の意味を、改めて考えて欲しく思います。
目に見えないものに対し意味付けをし、こうあるべきだと導く宗教に、違和感を感じます。
魂や霊という言葉を、布教の道具にはしてはならないのです。
もし、宗教という形が無ければ、もしかしたらこの世界は、もっと違った世界になっていたはずです。
究極のマスター達は、こんな世の中を作る為に、教えを説いたとは思えません。
彼らが今、この世界を観たら何と言うでしょうか?
あなたが感じる、光や風、匂いや味は、亡くなった人の面影でもあります。
あなたを包み、優しく、無言で見守っているのです。
心という感覚、心という霊が感じ取れる、素晴らしい贈り物なのです。
そして、魂として受け止め、留めるのです。
アインシュタインの言葉より
「True religion is real living.
living with all one's soul, with all one's goodness and righteousness.」
『真の宗教とは、リアルな生活そのものである。
それは、自分の魂すべて、自分が持ちうる最大限の高潔さと公正さとをもって生きることである。』
魂に関する、映画を少し紹介します。
ただ、どうしても宗教という観点からにはなりますが、見方も変わると思いますので、良かったら観て下さい。
★1990年アメリカ映画『ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost)』
この公開の年、競合作品が多く、余り有力視されていなかったのですが、ふたを開ければ大ヒットした作品です。ご覧になった方も多いと思います。天国と地獄をはっきりと定義しているところが、アメリカらしい作品です。
★1999年アメリカ映画『シックス・センス(The Sixth Sense)』
最後のどんでん返しでヒットした作品です。子役のハーレイ・ジョエル・オスメント(Haley Joel Osment)は、数多くの有名作品に出演し、天才子役として有名になりました。30代になっても俳優として頑張っています。
★2008年アメリカ映画『パッセンジャーズ(Passengers)』アン・ジャクリーン・ハサウェイ(Anne Jacqueline Hathawa)主演で、彼女は2012年アメリカ映画『ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises)』監督『クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)キャットウーマン役でもその美しさを披露していました。
★2012年の映画『クラウド アトラス』(原題:Cloud Atlas)は、複数の物語が時間を越えて、シンクロさせながら進行していく映画で、3人の監督で作られた、かなり難解な作品です。
私も3回観直しました。個人的にも大好きな俳優の『トーマス・ジェフリー・"トム"・ハンクス(Thomas Jeffrey "Tom" Hanks』の演技も見どころの一つです。