心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

大人が、大人である事の大切さ

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「大人げない」そんな大人を沢山見ます。

賽銭泥棒からクレーマー、あおり運転しかり

 行動があまりに幼稚すぎ、短絡的な思考で迷惑行為を起す人達。

人生経験もあり、それなりに失敗し、学んできたはずの人達。

感情のコントロールが出来ず、後先の事を考えずの行動

 

以前勤めていた会社での経験ですが、機械を使えば格段作業効率が上がるにもかかわらず、

「手でやれ」と命令する人がいました。

今までそうやって来たという理由からです。

そして何かと、昔話「どれほど大変だったか、だからお前たちは楽してる」そんな事ばかり。

言葉も乱暴で、地位のある人に対しては180度変わる保身的な態度をとる人でした。

同僚も、彼がいない時に悪口ばかり話していて、とにかく不愉快な職場でした。

私は、彼が年上という事もあり、出来る限範囲で話を聞き、必要以外の話をしないようにしていましたが、ある日あまりにも理不尽な事を言われ、強めに「いい加減やめてくれ」と言ったとたんに突き飛ばされたのです。

同僚が止めに入ったので、その場は収まりましたが、正直顔を見るのも嫌になりました。

幸い作業場所が違っていたので、何とか仕事を続けてはいましたが、2年ほどたったある日、彼の乗った自転車が朝壊れ、帰りに預けていた離れた自転車屋まで歩いて帰る時がありました。

私は、車だったので、可哀そうに思い、遠回り覚悟で送っていく事にしました。

無言の車内で彼から「道、よく知ってるなぁ」等、今まで聞いた事もない、おっべかの様な話を、「一応、彼なりの感謝」として受け止め送りました。

その件以来、私へのイジメのような言動は無くなりましたが、その数か月後彼は、脳梗塞で倒れ仕事をやめました。

 

対処法を書いている訳ではありません。多分どこでも日常的にある事でしょう。

 

歳を重ねると、我慢する、控える力が劣ってくるのでしょうか?

事件まで結びつくケースだけでなく、日々の暮らしに中で、横柄な態度や自己主張をする人が多く見受けられます。

自分が間違っていない、すなわち人の言う事を聞かない。

会社や経験から来る地位を、普段に持ち込む。

謝罪おろか正当性を主張し、誤りを認めない。

 

見方を変えれば孤独で、誰にも相手にされない人達が多いのです。

このような人達の欠けてる点を、逆手にとって活かせるようにすれば良いのですが、それには今の自分を振り返る作業が欠かせません。

 

歳を重ねると億劫になり、興味が無くなっていき、同時に新たな挑戦には、手を出さなくなります。

当たり前ですが、慣れた環境を失いたくない感情が強くなり、変化を嫌い、次第に自ら動こうとしなくなるものです。

結果、特に「想像力」が失われて、経験を重視するようになり、新しい考え方を容易に受け取れなくなるのです。

この事は身体の衰えも相まって、誰にでも起こる事で、仕方がない自然現象です。

大切なのは、「老いる」という事に正面から向き合っているかどうかです。

誰でも若くいたいし、歳などとりたくはありません。

現役でいたいのです。

自身が今の自分を素直に受け入れる、すなわち老いる事は自然であり、寿命があり、人から見られる自分では無く、本来の自分の姿を容認するという事です。

「本当の私は、こんなのではない」と

鏡に向かって話をしている滑稽さに気付く事です。

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人それぞれ個性を持ち、歩んできた道も違うように、老い方も違います。

誰かと比べても意味はなく、自分で老いを受け入れ、歩んでいかなくては、いつまでも心の平穏はないのです。

 

体の衰えと心の衰えは違います。

心の老いは、運が悪ければ、死にも直結します。

人間は、目的や希望が無いと、前向きに生きていけないからです。

若くても、元気でいても、心が衰えれば、生きている糧を見失っている状態になり、

一部の人達の中には、心に出来た穴を埋める為、他人に対し不快な行動に出るのです。

 

自然というマクロの観点から見ると、人に与えられた時間は、あっという間ですが、

実際、大人になってからの時間は、平均寿命から考えると、長い時間になります。

そして時間は、平等には流れません。

(このブログ「時間て何?」を見て下さいね)

 

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心の動きで時間の流れは変わります。

例えば、あなたが車を運転しているとしましょう。スマートフォンを見ながら、考え事をしながら運転すると、危なっかしくて仕方がありません。

何か、心配事があったり、怒っている時は注意散漫になり、事故を起こすかもしれません。

あなたの隣には、あなたの大切な人が乗っています。

あなたの運転次第で、同乗者まで巻き込むことになります。

車は自体は、走れば走るほどくたびれてきます。途中で休み、点検しなくては走り出せません。

なぜなら、故障してしまえば、運よく誰かが助けに来るとは限らないからです。

常に平らで、舗装されている道ばかりではなく、坂道や、崖っぷちを通る事もあるのです。

もし、そんな時、車が故障してしまったら?

何より運転手のあなたが、しっかり前を向いてなかったら?

考えただけで恐ろしい事です。

同乗者が、病気になるかもしれません。

ナビゲーションを持たない、人生のドライブで、あなたの冷静な判断力が、問われることになるのです。

 

途中、誰かが乗ってくるかもしれません。

あなたと気の合う人だと、穏やかなドライブを続ける事は出来るでしょう。

が、あなた自身が、攻撃的で不愉快であれば、途中で降りるでしょうし、勿論我慢して乗っていた同乗者もです。

運転に疲れる時もあるでしょう。

その時は信頼できる同乗者が変わってくれるのです。

やがて運転が困難になると、あなたは、ナビゲーターとして同乗し走り続けるのです。

 

車のボディーは、あなたの身体です。メンテナンス「整備」が欠かせません。

車のライトやワイパー、窓やランプは、心というセンサー「感覚」にあたります。

ちゃんと動いてないと、前が見えないし、風も入りません。

勿論、ガソリンが無くては動きません。

それは、夢であったり、希望であったりと、すなわち生きている事への感謝です。

ナビゲーションはついていませんが、地図は持っています。

それは、先人たちの残した、生き方や知恵、想いです。

大切な、その地図を持たずに、運転する事は、同乗者も含め、愚かな行為でしょう。

そして、その地図をちゃんと読む力が無いと、折角の地図も、無駄になるのです。

 

大人になるという事は、運転免許を取る事です。

講習を受け、テストに合格し、ルールを守るという前提で、車を走らせる事が出来るという事です。

この時に、しつこいほど教えられるのが、「だろう!」ではなく「もしかしたら?」という考え方です。

すなわち、想像力の大切さと謙虚さなのです。

 

ルールが守れなければ、運転は出来ません。

大人が、大人である事は、

想像力を持ち、

謙虚でいられる

その心の力を持ち続ける事なのです。

歳を重ねても、たとえ身体が衰えたとしても、忘れてはいけないのです。

 


アインシュタイン150の言葉

アインシュタインの言葉より

「This proverb says the truth.It can be correctly wise advice to people.

However, it is difficult that I behave correctly wise.」

『この諺には、真実を語っています。

人に対して正しく賢明なアドバイスをすることはできる。

しかし、自分が正しく賢明に振る舞うことは難しい』

 


グラン・トリノ [DVD]

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どんな風に人生を考えるか、参考になる映画です。

 

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