空を見上げた時、雲はどんな色ですか?
白や灰、黒と様々ですが、沢山集まれば集まるほど色は濃くなります。
すなわち光が遮られ、重い色となっていくからです。
雲はやがて積乱雲となり、激しい雨と粒子の摩擦により雷を作り出し落とすでしょう。
すなわち雲を人に例えるなら、多く集まり集団になればなるほど見通しが悪くなり、中では激しい空気の流れが生まれるのです。
集団の中では摩擦が起き、争いが起きるかもしれません。
上や下にと、大きな流れに逆らう事も出来ないかもしれません。
一方、白い雲は風に逆らわず、形にこだわらずゆっくりと身を任せ流されています。
「孤独』では無く「独り』なのです。
何かに属し、安心を得ようとすればするほど意図せずとも引きずり込まれ、あなたの望む方向には行けなくなるのです。
時に、雲は命の糧として恵みの雨を降らせます。
その為には沢山の雲が集まらないと降らす事は出来ません。
積乱雲の様になるか、そうでないかは自然任せで私達にはどうする事も出来ない事象です。
権力者の元に集まる嵐の集団になるか、恵みの雨として個々が力を合わせるか。
人間であれば選択することは出来るのです。
「日が沈む」「日が落ちる」は、地球が回っているというより、まるで太陽が地球の周り廻っているように思え、一日の終わりを感じる表現です。
「日が暮れる」とい表現は、もの悲しさや名残惜しさを感じる事でしょう。
逆に「日が昇る」は気持ちも晴れ晴れと前向きに使われる言葉です。
実際には、地球がただ廻っているだけで、自然現象の意味付けは潜在的に植え付けられた記憶や物語によって感じている心の動きです。
祖先が敵に襲われる確率が夜の方が高かった事が影響しているかもしれませんし、昔話や宗教などの話が間接的に物語として語られ、イメージが出来上がってしまっただけです。
晴れや朝日のイメージが良くて雨の日は不快だとか、夜が寂しく暗いイメージだと思う気持ちは人間の勝手であり、自然は成すがままで調和とカオスで成り立ち、良し悪しは存在しません。
人間が作り出している幻のような物です。
見聞きする事を素通りさせては、生きる知恵も得られなかっただろうし、芸術も生まれなかったでしょう。
上を向いて顔に当たる雨は、大地が清らかにし、湧き水になり川となって大海に流れていきます。
山から海までの道のりが短いこの国の川は時に暴れ出し、多くの犠牲を生んできました。
水が無いと人は生きていく事が出来ませんが、甘く見ると命を奪う恐ろしさも兼ね添えています。
物事は、どちらが良いか悪いかを決めてかかることは出来ないのです。
一つの事象が全てではなく、一方向からばかり見ていると、いわゆる西洋的な善と悪のような区別の二者択一になってしまいます。
葉っぱにイモムシが付いていると、
グロテスクな形や動きに、気持ち悪いと思うでしょう。
例えあなたにとって大切な植物でなくとも、排除してしまいたいと思うでしょう。
でも、そのイモムシはやがて蝶になります。
あのグロテスクなイモムシを見て嫌悪感を抱いてたことが、嘘のように親しみを覚えるのです。
彼らにとっては、醜いか綺麗かなんてどうでも良く、そうあるべき姿でそこにいただけです。
人間は、そこに物語を作ろうとします。
まるで「みにくいアヒルの子」のように。
頭は、そのたとえ話でいつの間にか、見方が偏っていくのです。
「あるがまま」に対し、良し悪しのレッテルを貼り付けて見てしまいます。
天国と地獄
正義と悪
美しさと醜さ
線引きは誰がする?
自然界には二択は無い
神も仏も二択はしない
運も運命も
生き方や選択も
決められた法則は無い
誰もが奇跡のように生きれば良い
自然界には秩序はあるが
神も仏も関与しない
前述でも触れましたが、子供の頃から絵本やお話を聞いて、いつの間にか「善」と「悪」、「天国」と「地獄」の二者に分類され、価値観も植え付けられていきます。
この世界はそんな二択の選択で成り立ってはいません。
そもそも線引きすら人間が出来る事では無いからです。
赤ずきんちゃんを飲み込んだオオカミもテーマランドにいるネズミも、一方的な人間の都合の良い見方でコロコロ良し悪しを生き物に印象付けているのです。
「普通」や「当たり前」「常識」は、言葉に囚われているに過ぎない、すなわち習慣のようにあなたに作用しているだけで、何にも見ていないのと同じ事です。
自然は、多数決では動いていません。
もし多数決なら、確実に昆虫たちの勝ちでしょう!
何も考えず、誰かの後を言われるまま歩く事。
ツアーだとガイドがいて、危険な場所を避けてくれます。突然のアクシデントにも、知識を与えてくれ、対処してくれるでしょう。
でも、人生にはいつもガイドがいる訳でも、目印がある事でも無いのです。
加えて後戻りも出来ません。
廻りをよく見て、自分で判断する事が常に求められるのです。
仮に誰かの後ろをついていくつもりでいるなら、どんな人間を選ぶかでも大きく違ってくるでしょう。
その為にも自分の持っている心の目の視野が広くなくては何の役にも立ちません。
生きる事自体が危険に満ち溢れ、生き抜くことは奇跡に近い事だという事を忘れてはいけないのです。
自然は、筋書きを持って人間を導いてはくれません
自然の一部であり、どんなに足掻いても思いどおりにはなりません。
ですから、私達人間も本来備わっている力を使って生き延びていかなくてはいけないのです。
与えられた「力」。
人間の最強の武器である脳を使って過去から学ぶ事や想像力。
すなわち失敗から学び、未来を更に価値あるものとする、人間でしか出来ない「力」の事です。
それは、見方を変えて考える事が出来る「力」という事です。
得てして人間は、その力を権力や独裁という価値として考えてしまうのです。
本来の「力」の使い方を間違え、不幸ばかりを生み出してきました。
狭い価値観の元から生まれる愚かな見方が生み出すのです。
見方を変える事とは、「当たり前」と思わない事です。
あなたが持っている「心」という「感覚」を磨いておく事で視野を広げ、諦めや失敗、偏見などで閉ざさないようにする事です。
閉ざしてしまうと、同じところをグルグル回るしかないのです。
アインシュタインの言葉より
「The most incomprehensible thing about the world is that it is comprehensible.」
『この世界で最も理解しがたいことは、この世界が理解できるということである。』
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