空を見上げた時、雲は、どんな色ですか?
白や灰、黒と様々ですが、あなたを雲に例えるなら、
沢山集まれば集まるほど、色は濃くなります。
すなわち、人が多く集まり集団になればなるほど見通しが悪くなり、中では激しい空気の流れが生まれるのです。
上や下にと、大きな流れに逆らう事も出来ません。
一方、
白い雲は、風に逆らわず、
形にこだわらず、ゆっくりと身を任せ流されています。
「孤独』では無く、「独り』なのです。
何かに属し、安心を得ようとすれば、するほど、
あなたの望む方向には、行けなくなるのです。
時に、雲は命の糧として
恵みの雨を降らせます。
その為には、沢山の雲が、集まりないと、降らす事は出来ません。
自然の中には、「教え」が沢山隠されています。
「日が沈む」「日が落ちる」は、地球が回っている実感し、まるで太陽が地球の周り廻っているように思え、一日の終わりを感じる表現です。
「日が暮れる」は、廻りの様子を表していて、もの悲しさや名残惜しさを感じる事でしょう。
それは、あなたの心の持ちよう次第で、同じ現象を使い分けているのかもしれません。
上を向いて顔に当たる雨は、大地が清らかにし、湧き水になり川となって大海に流れていきます。
山から海までの道のりが短いこの国の川は、時に暴れ出し、多くの犠牲を生んできました。
水が無いと、人は生きていく事が出来ませんが、甘く見ると命を奪う恐ろしさも兼ね添えています。
物事は、どちらが良いか悪いかを決めてかかることは出来ないのです。
一つの事象が全てではなく、一方向からばかり見ていると、いわゆる西洋的な善と悪のような、区別の仕方になってしまいます。
蜘蛛(クモ)を見ると「キャー」と叫び、何とか排除しようとする人が多くなりました。
殺虫剤まで出ていますが、蜘蛛は、人間に害をほとんど及ぼしてないばかりか、人にとっての害虫を食べてくれるありがたい存在です。
彼らは地球上のあらゆる場所で生息でき、一部は赤外線も感知できる能力を持っています。
一番人間の命を脅かしている生物は「蚊」です。
マラリアやデング熱の媒介役で、多くの人達を死に追いやっています。
温暖化で、日本にハマダラ蚊など、危険な虫が住み着いてもおかしくない状況です。
日夜、蜘蛛達は、蚊やダニを食べて働いてくれているのに、ひどい扱われ方をしてるわけです。
人と共存し、生き延びていく事を選んだ挙句、殺され、無念だったでしょう。
それでも、彼らはあるがまま、そこにいて生きています。
葉っぱにイモムシが付いていると、
グロテスクな形や動きに、気持ち悪いと思うでしょう。
例えあなたにとって大切な植物でなくとも、排除してしまいたいと思うでしょう。
でも、そのイモムシはやがて蝶になります。
あのグロテスクなイモムシを見て嫌悪感を抱いてたことが、嘘のように親しみを覚えるのです。
彼らにとっては、醜いか綺麗かなんてどうでも良く、そうあるべき姿でそこにいただけです。
人間は、そこに物語を作ろうとします。
まるで「みにくいアヒルの子」のように。
頭は、そのたとえ話でいつの間にか、見方が偏っていくのです。
「あるがまま」に対し、良し悪しのレッテルを貼り付けて見てしまいます。
天国と地獄
正義と悪
美しさと醜さ
線引きは誰がする?
自然界には二択は無い
神も仏も二択はしない
運も運命も
生き方や選択も
決められた法則は無い
誰もが奇跡のように生きれば良い
自然界には秩序はあるが
神も仏も関与しない
子供の頃から絵本やお話を聞いて、
いつの間にか「善」と「悪」、
「天国」と「地獄」の二者に分類され、
価値観も植え付けられていきます。
この世界は、そんな二択の選択で成り立ってはいません。
そもそも線引きすら人間が出来る事では無いからです。
赤ずきんちゃんを飲み込んだオオカミもテーマランドにいるネズミも、
一方的な人間の見方で、コロコロ良し悪しを都合の良い生き物に変えさせているのです。
「普通」や「当たり前」「常識」に囚われているに過ぎない、すなわち習慣のようにあなたに作用しているだけで、何にも見ていないのと同じ事です。
自然は、多数決では動いていません。
もし多数決なら、昆虫たちの勝ちでしょう!
何も考えず、誰かの後を言われるまま歩く事。
ツアーだとガイドがいて、危険な場所を避けてくれます。突然のアクシデントにも、知識を与えてくれ、対処してくれるでしょう。
でも、人生にはいつもガイドがいる訳でも、目印がある事でも無いのです。
廻りをよく見て、自分で判断する事が常に求められるのです。
生きる事自体が、危険に満ち溢れ、生き抜くことは、奇跡に近い事だという事を、忘れてはいけないのです。
自然は、筋書きを持って人間を導いてはくれません。自然の一部であり、どんなに足掻(あが)いても思いどおりにはなりません。
ですから、私達人間も、本来備わっている力を使って生き延びていかなくてはいけないのです。
与えられた「力」。
過去から学ぶ事や想像力。
それは、見方を変えて考える事が出来るという事です。
見方を変える事とは、「当たり前と思わない」事です。
あなたが持っている「心」という「感覚」を磨いておく事で、
諦めや失敗、偏見などで閉ざさないようにする事です。
閉ざしてしまうと、同じところをグルグル回るしかないのです。
アインシュタインの言葉より
「The most incomprehensible thing about the world is that it is comprehensible.」
『この世界で最も理解しがたいことは、この世界が理解できるということである。』