心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

死は語らず(前編)

 

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中学生の頃、仲が良かった友達が転校してしまい、その事がきっかけで、彼と文通を始めました。

内容はたわいのない話しばかりでしたが、私達にとっては楽しい思い出の時間でした。

その後、彼から手紙が来なくなり、部活で忙しいんだろうぐらいに考え、気にしていませんでした。

高校生になってすぐ、彼のお母さんから手紙が来て、彼が地下鉄のホームで後ろに倒れ、死んだ事と、遺品整理できる精神的な落ち着きになり、私からの手紙を見つけ、連絡を取ったという内容でした。

彼の呆気ない死に衝撃を受け、無念さを思うと、色々な彼との思い出が一気に頭をよぎり涙が、止まりませんでした。

当時の私には、彼の両親の辛さまでは、思いが至らず、やっと子供を持ってから、その辛さが少しではありますが、考えられるようになりました。

 

幼い頃「死」を考えた時、漠然とした不安に襲われた事が、誰にでもあると思います。

そして、死後の世界がどういう所なのか?と、と同時に自分がどうなってしまうのか?と問い、答えが出ないまま毎日を過ごしています。

 

私自身も、弟の多額の負債を抱えての孤独死から色々な、考えてもみなかった問題に直面しました。

お金が何処にいくらあり、返済は?債務は?パソコンや携帯の暗証番号は?など、大変な作業を必要とします。それに加えて御近所さんへのあいさつや、残されたつながりのある人々を探し出し、連絡をしたり、リース契約の車も含めて、品々の解約だったり、実家が担保になっていた為、相続放棄やお墓の管理費問題などキリがありませんでした。

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しかし上記のような、物理的な問題より考えさせられたのは、弟の人生はなんだったのだろうか?という事でした。

最後も看取られず、浴びるように酒を飲み、現実逃避の末の死。

彼が生きた50数年は、私から見て決して幸せには見えませんでした。

兄として、余り交流が無かった事で、結局何も力になれなかった自分に、とても悔いが残っています。

本人が幸せだったかは、正直解りませんが、少なくとも彼に関わった人達が、辛い思いをしていたのも事実です。

3度の離婚と残された子供達。

亡くなる数か月間に、彼は子供達に電話を掛け、相手にされなかったようですが、とても孤独を感じていたように思います。

財産も無しで、思い出と共に親としての役割を最後まで、見届ける事なく勝手に逝ってしまう事に、無念があったのでしょう。

ただ、子供達に生を授け、今元気に過ごしている事が、私にとっての唯一の救いでした。

 

今、親との別居が進み、独り暮らしの人達も増えています。

いつ何が起きるかは誰にも分からない中、どのような最後を迎えるか、そして見届けるかを考えておきたいものですが、その「死」に対しての向き合い方を、すなわち「死」とは何かという事に向き合う事が、とても大切なのです。

 

死を尊ぶべきはあなた自身。

死は何も語らず、越えることはない。

だからこそ生命を尊ぶべきはあなた自身であり、

生命は「教え」そのものなのだ。

「神」「仏」そのものなのだ。

あなたがここに存在していないと、

死はあなたに訪れず、生命もまたあなたに歓喜しない。

 

すなわち今現在の事です。昨日でも明日でも未来でもありません。

生き延びる事をプログラムされている生物である以上、死を容易に受け容れることは難しいでしょう。

得体の知れない恐怖や不安、心細さ、だれもが考え、考えざるを得ない「死」。

そしてこの世で唯一、平等に誰にでも訪れる「死」とは何でしょうか?

科学や医学が進み不老不死が実現するのでしょうか?

はたして実現してもいいのでしょうか?

 

個の死は単に死であり死以外、何者でもありません。

しかしそれは、大きな流れの新たな可能性の一部になります。

生物にとって可能性ほど大切なものはありません。

いつまでも同じ考え方しか出来ない人間がゴロゴロしていては、変化に対する適応が低下し、生き延びていけなくなります。

いろいろな可能性を持った新たな後継者が入れ替わらなくてはならないのです。

なぜ人間は、淡々と受け容れられないのでしょうか。

人は先人達の知恵や教え、経験によって困難を乗り越え、夢を描き、希望を持つことが出来ます。

しかし死んだ後の事は誰もその経験を後世に伝えることが出来ません。

まさに「死」は、真っ暗な洞窟の中にアドバイスや知識という灯りも持たずに入るようなものだからです。

ですから時に宗教が「死」に対し、恐れ克服の知識を授け、道標となり、不安を取り除く役目を担っているのです。

(一番誰もが不安になるその事を、お金儲けの手段にしてほしくはないのですが)

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「死」は新たな 可能性の一部になると書きました。

自分が生きた証をその流れの中に少しでも留めておきたい、そんな気持ちが起きても不思議ではありません。

時にそれは、何かの作品であったり、財産であったり、モニュメントであったり、そして子供であったりするわけです。

終わりがあるからこそ、寿命がある事が解っているからこそ、自分の中にある様々な「想い」をこれから担うものに託すわけです。

そして託されてこそ、それを基にそこから新たな創造が生まれ、知恵となり役立っていくのです。

受け手が変わる事がとても大切な事なのです。

上記で書いたように、次を担うものに対し、送り手が託すモノはその人の「想い」だけでなく、時にお金や財産といった物をよく考えがちですが、それだけでは意味がありません。

 

どんな風に生きたのか、過ちを繰り返さない為にはどうすればいいのか、心を動かされた様々な事、経験、生き様。物ではなく「心」を託して初めて、新たな可能性を秘めたあなたが、受け手となるのです。たとえ誰からも看取られず亡くなったとしても、尊厳と想像をもって受け手になる、その義務が私達にはあります。

(後編)に続く

 

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