心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

対人関係に悩まない(1)

f:id:KENPA:20210814123429j:plain

SNSをはじめ、世の中には、人と上手くやる方法ばかりが私には目につきますが、

「適度な距離感」

「相手の良いところを見つけて」

「話し上手になれ」

「こんな言葉で切り抜けろ」等々。

まず、改めて考えなければならないのは、なぜ、人と上手く付き合わなければ、ダメなのか?です。

一期一会の言葉があるように、出会いはとても大切なことです。

何かの縁で引き寄せられたのかもしれません。

それと、うまくやっていく話とは別の次元の事です。

 

学校や職場、近所や様々な付き合い。

人間関係のトラブルや悩みが、大半を占めていると思います。

立場の違いや年数、誰かをかばう為、お金を得る為など仕方なく自分の意志を押さえつけながら、付き合わなければいけないのが現状でしょう。

でも、もし相手が言葉の通じない外国の人だったらどうでしょう?

 

実際、フィリピン人の私の妻は、パート先では外国人という立場で、日本人がよく使う曖昧な受け応えがイヤで、いつも「言いたい事があれば、ちゃんと言えばいいのに」と愚痴をこぼしています。

煮え切らない、どっちもつかずの事を言われるのが、たまらなく不愉快だというわけです。

本人は、ストレートに話すようにしているようですが、日本で長く生活してきたので、ある程度は、気を付けるようになってはいるようです。

ただ、日本人側からすると、おかしなもので外国人だから仕方がないというあきらめのような納得の仕方をするようです。

 

後先の事を考えての言動と、その場での感情表現。

日本で暮らしている限り、特に日本人同士難しい判断です。

 

まず相手が話す不愉快と感じる言葉対し、不快な感情を抱きイライラします。

その感情は仕方がありませんが、ここからが重要です。

f:id:KENPA:20210814123504j:plain

 考えるのは、我慢するか、反論するかの選択だけではありません。

まず、相手と同じレベルに下がらないように、

すなわち口汚い言葉を掛けてきたり、理屈ばかりの繰り返し、理不尽な事、頭ごなし等の態度を取る相手は、幼稚園児のレベルの人です。

同じように対応すると、自分も、そのレベルに下がる事になります。

相手を幼稚園児として見る事が出来れば、しめたもので、後は、可哀想な人という目で、その場をやり過ごすだけでいいのです。

 

やってはいけないのは、あなたが、相手と同じ精神状態に陥らない事です。

と同時に、その場をとりつくるような態度をせず、まるで宇宙人とファーストコンタクトしたように、もしくは夜何を食べるかを考える方がよっぽど前向きで、逆に楽しめます。

もう一つ忘れてはいけない事が、

自分を客観視出来るかどうかで、その後の流れが大きく変わります。

「謙虚さ」とも言えるでしょう。

常に、自分が正しいとは限りません。

間違いを犯し、訂正出来る力を持っていなくては、ただの自己中心的なだけです。

毅然とした一貫性のある人や、思いやりがある人は暴言を吐きませんし、感情的には話しません。

言葉使いの正しい人は、あなたにとって、大切な助言者になる人です。

もし自分に非があると気付いた時は、素直に受け止め、心を開いて話すべきです。

きっと、相手も耳を傾けてくれます。

 

アインシュタインの言葉

「Why do you blame yourself?Since gonna blame when another person is properly required Is not it nice.」

『なぜあなたは自分を責めるのですか?他人がきちんと必要な時に責めてくれからいいですよ。』


アインシュタイン150の言葉

 

自分からの視点で考えてみましょう。

何か負い目を感じてはいませんか?

「仕事が出来ない」

「遅い」

「用事で休みがち」

「自信が無い」など。

どうしても、まず「言える立場であるか」を考えがちです。

自分であれこれ負の材料を集めて、言えないと納得させる事は一時しのぎで、たまる一方です。

その負い目に対する答えを、自分にではなく相手に投げてしまいましょう。

「そんな資格はあなたには無い」と言われる事を恐れては、何も始まらないのです。

あなたが考える事では無いからです。

 

うわべだけで取り繕い、その場をごまかしてはいませんか?

自分が価値のある人間だと、認めてもらわないとダメと勘違いしていませんか?

努力している事や我慢している事を、解らそうとしていませんか?

「なぜ、私だけに」

「何でほかの人には言わない」

と思っていませんか?

他人と比べる視点を、まずやめましょう。

いつまでたっても、心が満たされず、平穏にはならないからです。

すなわち、誰かを通しての自分を自分で評価しているにすぎないからです。

もし自身に対し、偽りを演じてきていたとしたら、それはもうやめるべきです。

自分という人間を考え、見つめ直すきっかけとして下さい。

そのチャンスを逃さないようにしましょう。

自身で、不条理と思う事があるなら、愚痴っている時間がもったいないのです。

伝えたい事がある時は、堂々と伝えましょう。

最初は気が引けるかもしれませんが、たった一度の人生です。

相手が、あなたの一生を面倒見てくれる訳もありません。

勇気を出して、話す事が出来るはずです。

話す時は、言葉遣いに気を付け、余計な装飾をしないで、ストレートに話します。

誰かと比べてという意見や要望ではなく、自身が素直に思う事を話しましょう。

一度、経験すると、後は楽に話す事が出来きます。

自分が考えていたような、悪い結果にはならない事の方が、はるかに多いのです

 

f:id:KENPA:20210814123559j:plain

もし、話した事で人間関係が悪くなったとしても、それはあなたのせいではなく、相手が、自分の考えの正当性を押し付けているだけで、言いやすい人を選んで文句を言っているだけです。

あなた自身が、そんな人のレベルに下がってしまっては、同じ事ばかり続くだけです。

 

あなたが、謙虚さを持って、言いたい事を話せば、あなたの廻りに助けてくれる人が必ず現れます。

類は友を呼ぶという言葉どおり、自然と集まってくるのです。

自分が心地よいと思う人、適度な距離感をもって接してくれる、言葉遣いの良い人と、楽しく他愛のない話が出来る関係を作っていく事は、人生の栄養となります。。

嫌な人達は、自然と離れて行きます。

要は、自分を卑下しない事と、他人と比べない事。

相手のレベルに自ら下げない事です。

 

嫌な、付き合いにくい人は、どこにでもいます。

どの世代でも、どの時代にもいます。

知識や、アドバイスからのアプローチでは、何度も同じことを繰り返すだけにすぎません。

人が変わっても、また嫌な自分を引き出すのが得意な、似たタイプの人があなたを苦しめるだけです。

 

誰でも自分の事すらよく解っていません。

心は、常に変わっていきます。

ただ、その芯、軸となるものを築き、貫く事が出来るかどうか。

ダメな奴、情けない奴と人から思われようが、どうでもいいことです。

芯、軸がしっかりとしていれば、好まざる者は、去っていくでしょう。

肝心なのはテクニックを学ぶことではありません。

あなたの廻りに起きることは、あなた自身で引き寄せているのです。

流されないように、あきらめないように、

そして謙虚でいて下さい。

 

寄付・募金ならプラン・インターナショナル・ジャパン

 

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

お花のある暮らしをもっと身近に、もっと続けやすく かわいいお花の定期便 &fower https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77 ・市場で仕入れて丁寧に水揚げしたお花をお届け ・スキップ・おやすみ機能で続けやすい ・ポスト投函で受け取り要らず ・毎週・隔週・月1回、好きなペースを選べる https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

 

別れと向き合う(大切な人)

 

f:id:KENPA:20210810185727j:plain

生きていると、必ず別れを経験することになります。

愛する人や動物との別れほど辛いものはありません。

まるで自分の一部を失くしたかのように、あるいは心をもぎ取られたかのように。

 

では、どうしてこんな気持ちが起きるのでしょうか?

相手がいなくなることにより寂しくなるから?

それは、相手の心の中にいる自分が消えてしまうからです。

 

人として生まれた以上、何らかの形で人と関わり合い、助け合わないと生きていく事は出来ません。

そしてそれは一方で、他の人を通して自分を確認し自分を作り上げている側面があります。

親しくなればなるほど、その人を通しての自分の存在は大きくなるので、

その人が自分の廻りからいなくなる、すなわち関わり合いがなくなる事で、

自分というものを、自分自身の存在を、その相手を通して確認することが出来なくなり、まるで自分の一部が無くなってしまうように思うからなのです。

 

もし簡単に立ち直れたならそれは、相手の中にいる自分の存在が、それほど大した事では無かっただけの事です。

与えてもらってばかり、やってもらってばかりの出会いであり、関係だったからです。

 

ではその別れに伴う辛さや痛みからどのようにして立ち直っていけばよいのでしょうか?

自分を映す新しい人を見つけるのか、ひたすら耐え、時間の癒しに身を委ねるのか、

はたまた、気を紛らわす為に何かに没頭するのか、残念ながら良い方法はありません。

時間の経過だけが慰めとなり、新たな出会いが思い出へとしてくれます。

 

友人、仕事関連の人などの別れと、家族や親友、愛するものとの別れでは、自分の心の持ちようも、変わってきます。

 

f:id:KENPA:20210810190246j:plain

心から愛する人との別れに伴う絶望、苦悩、後悔の痛みからの立ち直りには、何より時間が必要なのです。

そしてそれは自分自身で行うより他にありません。

やがて別れは自分を見つめ直し、新たに自分を映し出す旅の始まりになります。

 

あなたのそばにいる人は、あなただけの為にいるのではありません。

あなたがその人の為にいるのです。

何をしてもらえるかよりも、何をしてあげられるかという事なのです。

そして去って行った人は、あなたの一部ではもちろん無く、またあなたの存在を証明していた訳でもありません。

忘れないで欲しいのは、あなたがどんな人間なのかを、

その人を通して、あなた自身に伝えていたのです。

だからこそ伝えなくてはいけない事、してあげたい事は後回しにしないで、今すぐやるべきです。

そして、あなたは全力で生(せい)を全うしなくてはなりません。

 

身近な人の死は別れとしては、とても辛いものです。

その人との関わっていた時間が長ければ思い出も多く、早すぎる死では、夢を叶えさせてあげられなかった悔しさや身代わりになりたいような気持になります。

時間だけが、唯一の慰めになるでしょう。

しかし、去って行った人は、あなたの心に生きています。

あなたと共に生き、楽しみ、悲しんでいるのです。

あなたが、自身で命を全うできるかどうか確かめ、

時に、助言者となり、道標になってくれるのです。

そして、あなたの中に

「生きていく」

「独りでも大丈夫」

という確信を見届けた時、彼ら彼女は、あなたから静かに離れていくのです

 

f:id:KENPA:20210810185812j:plain

逢えない君は

助言者となり

道標となり

いつもここにいてくれる

生にしがみついた

僕の独り立ちを見届けて

やがて静かに去っていく

また逢えるのは

僕が全うした後で

 

今も世界中で紛争や病気、飢餓や事故で誰かが亡くなっています。

助けられる事が出来たはずの命です。

人間が、作り出す愚かな行為からの死であれば、なおの事です。

たとえ、地球の裏側の事であっても、想いを馳せる事で、命の重みを改めて考えさせられます。

決して他人ごとではない、現実が起きている事。

愛する人に、「さよなら」と言えずに亡くなっていく人達の事を思う事は、自分の生かされている事への意味を問う大切な時間になります。

だからこそ、人に優しく、思いやりが持てる人間でいられるのです。

f:id:KENPA:20210810185654j:plain

沢山の別れがあって、沢山の悲しみの上で、今のあなたがあるのです。

それは、今を生きる私達に対しての戒めとも言えます。

歴史となり、教訓として、その別れの中に秘められた、人としての生き方を、決しておろそかにしてはいけないのです。

同じ過ちから、悲しみを増やすような事をしては、過去の人達に対しての尊厳を汚す事です。

 

いつか、どんな形であれ「別れ」は必ず訪れます。

それは、予期せぬ突然かもしれません。

大切な人がいるのなら毎日、自分の気持ちを伝えてください。

いずれ来る別れの時に、悲しみを強さに変える力を持つ、

あなたでいられる為にも。

後悔しない為にも。

 

寄付・募金ならプラン・インターナショナル・ジャパン

 

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

お花のある暮らしをもっと身近に、もっと続けやすく かわいいお花の定期便 &fower https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77 ・市場で仕入れて丁寧に水揚げしたお花をお届け ・スキップ・おやすみ機能で続けやすい ・ポスト投函で受け取り要らず ・毎週・隔週・月1回、好きなペースを選べる https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

別れと向き合う(失恋)

f:id:KENPA:20210806184304j:plain

私自身、片手ほどの失恋経験しかありませんが、今となっては良い思い出です。

30代の頃、6年ほど付き合っていた彼女に振られ、辛い思いをしました。

当時の私は、就職もせずアルバイト生活。

バンドをやっていたので就職は、眼中にありませんでした。

付き合っていた彼女は、銀行に勤め、私を支えてくれていましたが、彼女の中に結婚という言葉が浮かんだ時、きっとその日暮らしの私に不安を感じていたのでしょう。

そんな中、公衆電話から、彼女に電話をした時、何か様子が変で、口数も少なかったので、「どうかした?」と聞くと、「家に帰ったら、ユーミンの(青春のリグレット)を聞いて」

それが、彼女との別れでした。

急いで家に帰り、その曲を知らなかった私は、彼女の残したカセットを探して聞きました。

途中から、涙が止まらなくなり、孤独と、絶望感でつぶれそうになったのです。

まるで、手足をもぎ取られたように、その場で座り込んでいました。

 

今から考えると、私自身が将来の不安の穴埋めとして、彼女に依存していたのです。

そして、答える事が出来なかった私がいて、苦しんでいた彼女の気持ちを汲んでやれなかったのだと思います。

長い恋愛期間。

大切に思っていた事、幸せにしたかった事、

一生懸命、当時の自分なりに恋愛をしました。

彼女から学んだ色々な事が、今の私の一部となり、成長させてくれたのだと思います。

 

失恋は、相手が自分のことを忘れ去ろうと、もしくは排除しようとする事になるので、自分の存在を否定されるような気持ちになります。

そんな相手が離れていても存在している為、諦めきれないのです。

 

まず、失恋する為には、恋愛をしなくてはいけません

最近、なかなか出会いの機会がないと言われていますが、40年以上前でも仕事や環境のせいで、恋愛対象になる人に簡単には出会うという事は、そうそうありませんでした。

ただ当時は、周りにおせっかいおじさんや、おばさんがいて出会う機会を作ってくれたものです。

お見合いで結婚する人も多くいて、何とかなったのです。

 

当の私は、紹介のような出会いは、ありませんでした。

一時期は、お見合いパーティーと呼ばれる企画にも参加しましたし、

高校の後輩や行きつけの喫茶店、バイト先の仲間、友人の経営するショットバーと、自ら行動しないと、付き合えなかった出会いばかりでした。

運もあったのか、恋愛までこぎつけた事が何度かはあったのですが、ゴールまでとはいきませんでした。

とにかく失恋は辛いものです。そして疲れるのです。

自分がまるで価値の無い人間のように思い、落ち込みます。

私の経験からは、男の方がズルズル引きずっていました。

私も、その中の一人ですが。

f:id:KENPA:20210806184931j:plain


 「あなたしかいない」当たり前ですが、恋愛する度に、そう思い、「誰もあなたの代わりは出来ない」と信じていました。

でも、別の人ももいるし、代わりとは言えない別の素敵な人はいるのです。

夢中になっているから、見えていなかっただけの事ですが。

沢山、恋愛をして、別れを経験する事は、とても大切な事です。

ドキドキして、キラキラして、悲しみや、切なさを味わって下さい。

今は、解らないでいいのです。一生懸命に味わうだけで。

 

以前、勤めていた同僚が、トラックに同乗中、自分の事を色々話してくれました。

どうしても女性との出会いが無く、一発発起で、縁もゆかりも無いタイ国に行き、

知り合いも無く言葉も通じない中、声を掛け続け見つけたのが、今の奥さんだと、写真を見せながら話してくれました。

失礼ながら私が見てもモテそうにない同僚でしたが、子供にも恵まれ、幸せだと話していた彼も、残念ながら癌で亡くなってしまいましたが、とにかく、その行動力には、感心しました。

何事も行動次第で、道は開くと思います。

考えてみてみると、私も、行動範囲が狭い中で、右往左往していた時期がありました。

今の妻と知り合うまでほぼ10年、狭い世界の中をウロウロしていました。

 

失恋して希望も楽しみも無くなって、ふさぎ込んでいるあなた。

残されたモノや景色や音楽で思い出し、また悲観にくれているあなた。

運命の神様が、新しい出会いの為、別れさせたのです。

あなた自身を、幸せにする為に方向転換させたのです。

 f:id:KENPA:20210806184816j:plain

本当は、失恋なんて大した問題ではありません。

失恋から立ち直る方法なんか見る必要ありません。

誰かのマネや助言を聞いても、何の解決にならないどころか、

得る事が出来た、あなた自身の力も、見逃してしまうでしょう。

誰一人、あなたと全く同じ経験をしている人などいないからです。

遠回りするかもしれません。

けれど、

大切なのは、どんな事も一生懸命に向き合う事です。

誰かを好きになる事も、失恋を味わう事も、とことん一生懸命に向き合う事です。

だから、落ち込みたければ落ち込み、泣きたければ泣けば良いし、

閉じこもっていたければ、それでいいのです。

引きずるのもいいでしょう。

散々な想いを、情けないくらい、とことん味わって下さい。

そのみじめな自分と、とことん付き合って下さい。

一生懸命、心の底から受け止め、吐き出して下さい。

 

その分、あなたは優しい人間になっていく時間を過ごし、

人の気持ちが解る、大切な心を養っていく準備ををしているのです。

そして、全力で愛する人を守れる自分になるのです。

 

ただし、忘れないで下さい。

中途半端にしない事。

負の連鎖を断ち切る事。

自分を見下し、投げやりになれば、それ相応の相手が、近づいて来ます。

それは、もう一人の中途半端な自分かもしれません。

愛していた人やあなた自身をも傷つける事になるのです。

 

一生懸命、失恋を味わえば、自分に対して区切りが付きます。

後悔しても、前向きな経験にきっとなります。

人生は、思ったよりも、ずっと短いのです。

過去には、戻れません。

積み重ねです。

落ち込んで悲しんでいる時間がもったいないくらいなのです。

あなたの周りにいる年配者に聞いてみれば分かります。

 

そして

あなたは、今よりもひと回りもふた回りの精神的に成長します。

あなたに合わせるように、心の広い人と出会う事に必ずなります。

無駄な経験は、一つもありません。

人生に、近道なんてありません。

 

寄付・募金ならプラン・インターナショナル・ジャパン

 

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

お花のある暮らしをもっと身近に、もっと続けやすく かわいいお花の定期便 &fower https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77 ・市場で仕入れて丁寧に水揚げしたお花をお届け ・スキップ・おやすみ機能で続けやすい ・ポスト投函で受け取り要らず ・毎週・隔週・月1回、好きなペースを選べる https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

川の流れのように

f:id:KENPA:20210804193607j:plain

人間は自然の一部です。自然は何らかの秩序を持って、この地球を維持しています。

もし、人間という生物が、弱肉強食の摂理に沿って生きて存続する道を選んだなら、それも自然の摂理でしょう。

しかし私達はその道を選んではいません。

弱い立場の人や、危機に直面している人々、差別や偏見の中にいる人達を、助ける存在がいるという事実は、自然という摂理の選択です。

すなわち、どのような環境や境遇であっても助け、共存しなくては、生きていけないという自然の出した答えです。

その自然の一部である人間が出した答えに沿う生き方を選ばないと、やがて存続の危機を迎える事になるのです。

ほんの少しの間違った選択が、積もり積もって自然が望まない方向へ、大きく舵を切る可能性がある事を、忘れてはいけないのです。

それは日々の、個人個人の生き方とも言えるでしょう。

「助けなくては」

「何とかしたい」

と思うその気持ちが、心の底から湧き出てくるのも、自然の摂理から出てくる感情です。

社会全体が許容できる範囲を広げて、受け入れるように、自然が仕向けているのです。

それに反し、心無い中傷や、弱いものイジメ、差別をしている人達は、大きな自然の流れに逆らっている人達です。

彼らは流れにわざと歯向かう愚かな人達です。

川の流れに逆らい歩く事がたやすい事では無いことぐらいわかって当然なのにです。

いずれ、足元をすくわれ、溺れてしまうでしょう。

それが自然の摂理だからです。

しかし、そのような遡って来る人達を放任し、増えれば増えるほど、川はせき止められ、流れは鈍くなり留まります。

見て見ぬふりをする事は、彼らの行動を許している事と同じなのです。

f:id:KENPA:20210804193700j:plain

 私達はその大きな流れに流されているだけではありません。

いくつもの支流から流れ込む、川幅を広くなだらかにする責任があるのです。

私達社会は、リーダーを生み出し、その下で日々の生活を営んでいますが、私達を導くリーダーが、間違えた方向へ行きそうになった時に、正さなくてはなりません。

岐路に立った時の川の行方の選択に関わる重要な事だからです。

時に堤防を乗り越え、溢れ出し取り残されるでしょう。

狭くなった川幅で、流れが滞るでしょう。

想定外としての言い訳で逃げる事は出来ないのです。

自然は、人間が頭で考えられるような、筋書きで導いてはいません。

命の厳しさは、野生の動物たちを見れば解ります。

その事を身近として感じる事が出来なくなっただけです。

人間は集団で生きる道を、自然に則って選んだのです。

個々では弱く、貧弱でも集団で困難に立ち向かうように、導かれたのです。

その繋がりを弱め切り捨てる世の中は、牙の無いライオンや爪の無い鷹と同じ事です。歴史という地図に描かれた、川の行方は、同じ失敗をしない為の道標です。

 

残念な事に、その大切な地図を見ない、見せない人達が必ず現れ、振り出しに戻してしまうのです。学ぶ機会を失った人達は、知らぬ間に地図を持たない難民となり、置き去りにされていくのです。

大きな川の自然な流れを、絶望感で立ち尽くし、ただ眺めるだけの難民となるのです。

 f:id:KENPA:20210804193533j:plain

愛する人達から流れ込む

人生という名のあなたの支流

心の広さは川幅で

流れは、歓喜に満ちるだろう

生き方という水の

深く澄み渡る透明度に

誰もが心惹かれ流れ込む  

命という名の大きな川に流れ込む

川面に夕日が差し込んで

金貨が一面舞い踊る

 

私達は、命という大きな川に、流れ込む人生という名の支流です。

家族や友人という支流から流れ込む水は、豊かな流れとなり、あなたの川幅が、心の大きさを表しています。

その豊かな流れを受け止める心を持たないと、あなたの川はやがて枯渇するのです。

このままだと、人生という川の支流から、大きな流れへと注ぎ込む事が出来なくなるのは、時間の問題です。

ギスギスした世の中が、心を病む人達を生み出すのも、必ず訳があるからです。彼らの存在が、自然の摂理からの正しい選択に戻そうとしている存在なのです。

助けを必要としている人達の存在こそ警鐘警告であり、受け止めなくては誰も、いずれ生きていけなくなってしまうのです。

彼らからの流れ出す水は、喉を潤し自然の流れへと導いていく、大切な水源だからです。

f:id:KENPA:20210804193751j:plain

木々を育て、森を潤し災害から守ってくれる湧き水です。大切なその存在を、支えてくれている存在を、忘れてはならないのです。

そろそろ、どんな立派な堤防を作り整備しても、流れる水が無くなれば、意味がない事に気付かなければいけない時期に来ているのです。

「ヘイト」「イジメ」「差別」「蔑視」「忖度」「権力」「独裁」など、こんな言葉を生み出した私達。

こんな言葉が使われなくなる世の中は、いつ訪れるのでしょう?


アインシュタイン150の言葉

 アインシュタインの言葉より

「My belief is, to the outstanding spirit that is present in the weakness and fragility, are made up of humble tribute.」

『私の信念は、弱さや儚さの中に存在する卓越した精神に対しての、謙虚な賛辞から成り立っているという事です。』

 

寄付・募金ならプラン・インターナショナル・ジャパン

 

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

お花のある暮らしをもっと身近に、もっと続けやすく かわいいお花の定期便 &fower https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77 ・市場で仕入れて丁寧に水揚げしたお花をお届け ・スキップ・おやすみ機能で続けやすい ・ポスト投函で受け取り要らず ・毎週・隔週・月1回、好きなペースを選べる https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

 

星の願い⦅オリジナル曲⦆

f:id:KENPA:20210731145848j:plain

小さい頃からとても宇宙に興味があり、当時は今ほど都会に近い校外でも明かりが多くなく、見上げるとたくさんの星を見る事が出来ました。

 

1969年7月20日アメリカの宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが、アポロ11号で月面に着陸した映像を白黒TVで観た時の感動はいまだに忘れられません。

そんなある日、寝ながら宇宙の事を考えていた時に、もし私がこの世から居なくなっても宇宙にとっては何の変化もないんだろうと。

子供ながら自分が暗い穴の中に落ちる感覚になった事がありました。

そして死の怖さが始めて心の中まで入り込んだ時間でした。

 

そして20代の頃小さな望遠鏡を買い、月や土星を見て感動していた覚えがあります。

と同時にSF小説や映画へと、その幅が広がっていきました。

 

SF映画は覚えている限り、初期の頃はアニメーションの様に人形をコマ撮りし、実際の俳優たちの映像と組み合わせて作成されていました。

1933年アメリカ映画「キングコング(King Kong)」やギリシャ神話をベースした1981年公開のアメリカ映画『クラーケン/大海獣』が有名で、やはりレンタルのVTRで見ていました。

1954年に日本の制作で公開した白黒の特撮怪獣映画『ゴジラ』の着ぐるみ映画は、その撮影方法の工夫も素晴らしく、白黒の画面と相まって世界でも高く評価された映画です。

 

そして私が好きだった宇宙を題材にした映画がどんどん作られる様になっていくのですが、タイムトラベルや異星人という、創造力失くしては作られないそれらの作品を待ち望んでいました。

最初に衝撃を受けたのは1968年公開の『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)で、脚本はキューブリックとSF作家のアーサー・C・クラークで、監督はスタンリー・キューブリック

勿論、私の年齢的にも公開映画では無くVTRで観たのですが、コンピューターや人工重力、宇宙食など、物理科学的な検証の元、作成されていて大変驚きました。

その後、SFブームで、映画『スター・ウォーズStar Wars)1977年公開』や『E.T 1982年公開』は、私にとっては、まさに「待ってました!」と。

f:id:KENPA:20210731150007j:plain

宇宙の事を知れば知るほど、なんて地球はちっぽけで、塵のような存在なのか。

でも、広大な銀河の中の太陽系第三惑という、奇跡のような位置に存在し、命溢れる星として今がある事に、何か大きな存在がいて見守り続けているような気がしてなりません。

リンゴの木から始まった「重力」一つとっても、体重とは地球が引っ張る力の事でもあり、同じ原理で海の満ち引きが起き、太陽の回りを楕円を描きながら一年過ごしているという事に、そして太陽系自体が天の川銀河の中で回っているという殊に、未だに驚きと新鮮な思いを抱きます。

 

私達は本当に奇跡の様な存在なのかもしれません。

命そのものも、そして知的生命体としても。

数多くの人達の「想像力」のお陰で途方もない宇宙観という世界を知りつつあります。

わずか80年足らずの命の尊さを、星を見上げる度に感じるのです。

 

 

星を見るのが大好きだった

吸い込まれていきそうな

余りにも果てしない空間に

いつまでも心を委ねていたかった

自分の生と死を重ね合わせながら

小さな望遠鏡で宇宙(そら)を見ていた少年

 

今では日常に追われ

うつ向いて

見上げる事も少なくなって

 

ただ 冬になると思い出すように

都会の宇宙(そら)でオリオンを

今でも探している

ちっぽけな

可能性に満ちた

少年の自分に逢いに行く為に

  

『星の願い』オリジナル曲

youtu.be

 

 あなたの支援で助かる命

寄付・募金ならプラン・インターナショナル・ジャパン

 

「変えたい」気持ちを形にする、 世界最大のオンライン署名プラットフォーム
 みんなで社会を動かす仕組み

20221028152413

過去の過ちと向き合う事

f:id:KENPA:20210727181151j:plain

「過去の事だから、もういいんではないか」

「過去の事でも責任はある」

 

未来に対しては、想像という形で、接する事が出来ます。

過去は経験という形で、思い出せます。

未来も過去も、自分がかかわった事には、責任があります。

その責任は、済んだ事なのか、終わって見なければ判らないかの二通りですが、

時間は、事情などお構いなしに、刻まれています。

すなわち、今この瞬間、過去にになり、未来になっているのです。

責任は、あなたが生きている限り、常について回るともいえるのです。

 

例えば帰り道、あなたが石ころを蹴りながら、歩いていて、この時点では、責任は発生していません。

運悪く、石ころが子供に当たり怪我をさせてしまうと、あなたが責任を取る事になります。

もう一つの例で、車を運転する事自体は、免許があれば、誰もが出来ますが、この場合、常に責任を運転者が持たなければなりません。

凶器にもなる車の運転は、常にリスクがある為、免許というルールの下、自由裁量が認められているのです。

 f:id:KENPA:20210727181234j:plain

「イジメ」で考えてみると、運転者にあたるのは、

教育委員会や先生等、専門分野での免許等を持って子供達に接している人達と、

未成年者を監督する義務がある親で、常に責任を伴います。

一方、石けりは、蹴って歩く時に、わざと人を狙って蹴っている状態です。

それを見て注意しない人は、傍観者であり、

他の誰かが逆に狙って蹴り返してくれば、被害者にもなります。

 

イジメの場合、特に子供では一概に明確な責任の所在や取り方を決められません。

そこに根深い難しさがあるのが現実です。

 

責任という言葉は、自由と深く関係しています。

石ころを蹴る事も、運転も条件をクリアしていれば、誰でも自由に出来ます。

反面、何か問題が起きると、必ず責任を取らなければいけません。

 

問題なのは、過去の過ちの清算という難しい事です。

私自身、イジメを受けた事があるので解るのですが、イジメられた側は絶対に忘れません。

もし、その時の相手に今、会えば殴ってやりたいと正直思います。

 

TVや番組等で露出している人の中に、

「昔は悪かったが、今はまじめにやっている」とか、

「暴走族だったけど今はまともになった」という話を聞きます。

私の身近な人の中にも、過去のヤンチャぶりを面白おかしく話す人がいますが、

大抵、「立ち直って良かった」「頑張って真面目になった」「過去の事だから」などのコメントが多いのが事実です。

低い位置からの、立ち直りとして見るからですが、

その彼らが言う昔に、迷惑を被った人がいて、辛い想いをした人がいたのです。

そして、その人達は今でも記憶に残り、思い出すのです。

何より、悪い道に、誘惑に負けずに頑張ってやって来た人の方が、

「頑張った」と言われる人達です。

悪の道を逃げ道にすることは、真面目に生きるより安易だからです。

 

どうすれば過去の過ちに責任が取れるのでしょうか?

それは、一生背負って生きていく事です。

 

「過去の事だから」「許す」は被害者が言う言葉です。

許す事が出来るのは、被害者だけです。

もし自分で自分を傷つけたなら、自分自身を「許す」しかないのです。

三者が許す、許さないを決める事ではありません。

 

過去に戻れない以上、やり直しはありえません。

償う事が出来るのは、過ちをおかした本人だけです。

そして「今」と、これからという「未来」に生き方が問われ、反面教師として向き合い、

新しい自分を見い出し生きて行く事になるだけです。

自分と、過去と常に向き合う事になり、時に心が折れそうになる事でしょう。

世間という名の制約が、付きまとい、煩わしさから自分を見失うかもしれません。

それでも、生きていく事の、自分の生きている意味を見つけながら、

前に進むしかありません。

正せるのは、本人だけで、自身が気付けなければ、過去がつぶしにかかってきます。

f:id:KENPA:20210727181447j:plain

 どんな理由にせよ、人の道から外れた行いは、許されるものではありませんが、

やり直せる社会は、とても重要です。

そして、そのキッカケになる人達との出会いの場を、社会が受け止め、支援し認める事が、ひいては社会全体の質を高める事になります。

執拗に責める社会は、結果的には誰もが息苦しい社会になってしまいます。

 

生きていく上で大なり小なり、誰でも誰かを傷つけたり、

傍観者であったりと、負の記憶として残っているものです。

でも、決して忘れてはいけないのです。無かった事にしてはいけないのです。

忘れない事が、今とこれからの道の選択を正しい方向へと導くからです。

 f:id:KENPA:20210727181321j:plain

いつの世にも、権力者や組織のトップ、著名人に学者と言われる人達の責任の取り方に、疑問や不信感をいだかせる事例が多くあります。

発言や行動が、社会に大きく影響を及ぼす人達は、尚の事、自由と責任の表裏や配慮を意識しなくては、誰も信用しなくなります。

責任の所在がうやむやになり、結局だれも責任を取らない社会は、過去から学ぶ機会を自ら放棄している事になります。

言い訳になるような責任の取り方も、意味が無い愚かな責任逃れです。

f:id:KENPA:20210727181354j:plain

原発でも、自然災害でも、想定外と言えば納得できるでしょうか?

忖度も、政治家の言葉も、訂正し、無かった事にしてしまうと、ますます言葉の持つ力や重みが薄れて、人を、心を動かせなくなります。

トップとして、リーダーとして、決してやってはいけない事で、その資質を問うべき大きな問題です。

若者が、失望するような責任のなさが、将来を描きにくくしている事に気付くべきです。

 

この時代、発信する方法が個人レベルまで容易になり、時にデマや中傷を生み出しやすくなりました。

発言の自由は、責任という裏打ちが必ず伴い、また、傍観者にも拡散者も同じ意識を持たないと、安易な行動で、思わぬ方向へと導いてしまう事になります。

 

過去と向き合い、前を向き懸命に生きている人達を、応援できる社会にしたいものです。

 


アインシュタイン150の言葉

 アインシュタインの言葉より

「We cannot despair of humanity, since we ourselves are human beings」.

人間性について絶望してはならない。私たちは人間なのですから。』

 

寄付・募金ならプラン・インターナショナル・ジャパン

 

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

お花のある暮らしをもっと身近に、もっと続けやすく かわいいお花の定期便 &fower https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77 ・市場で仕入れて丁寧に水揚げしたお花をお届け ・スキップ・おやすみ機能で続けやすい ・ポスト投函で受け取り要らず ・毎週・隔週・月1回、好きなペースを選べる

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=3HE9XD+84BUSY+4QZA+5YZ77

◇◇◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇◇◇

バイクツーリングは、最低で最高!・後編

f:id:KENPA:20210724143735j:plain

「俺たちシリーズ」第1作目の『俺たちの旅

中村雅俊の主演と「ふれあい」というデビュー曲で、人気があった青春物語を見て、東京に憧れ、

その後の第2作目、勝野洋主演の『俺たちの朝』という当時、鎌倉の江ノ電近辺を背景としたドラマのロケ地に、どうしてもここだけは行きたかった場所だったのです。

後席の友人がウトウトすると、後ろに倒れそうになるので、

肘でつつきながら走っていました。

江ノ電極楽寺駅に着いたのは、迷いに迷って(当時はナビもないし、暗い上に雨。二輪走行で地図も見れない)早朝でした。

駅に着いた時何をしたかって?ただ、疲れと眠さでうなだれて階段に座り込んでいただけでした。

ウトウトしながら食パンを食べ、いざ観光…とはいきませんでした。

早朝で何処のお店も開いておらず、電車も走っていない。

結局、小雨が降る無人駅の極楽寺駅で写真を撮って少し眠り、富士山目指して出発。

鎌倉の海に沿った道に出る頃には土砂降り。本当についてない!!

f:id:KENPA:20210724144036j:plain

海沿いR134号を走行しているうちに、ようやく待望の晴れ!

海岸沿いに止めて、道路の柵に濡れた服を掛けて、長めの休憩を取りました。

そして相模湾辺りに。

天気も良く海水浴をする事に。

台風が、接近してた為か波が高く、遊んでいるうち、足が浮いたとたん波にもまれ、危うく全員溺れるところでした。本当にバカでした。

そして、やっと河口湖に夕方到着。

岸辺でいつもの野宿。寒かった!

翌日9時前に、富士山の五合目に着き、何も考えず、そのまま軽装でいざ山頂へ。

しかし、あまかった!

何も食べていない上、寝不足。

山頂が、目の前に見えているのに、足が前に進まない。

「お前が持てよ」「お前こそ持て」手に持っていた、軽い『写るんです』カメラを持つ、持たないでの、やり取り。

今考えると情けない会話です。

f:id:KENPA:20210724144129j:plain

それほど苦しい登山。

途中、50円の水と150円のあんパンを買って再び登り始めてすぐ、私は、とうとうダウン。

空気が薄く、頭がガンガン。高山病でした。

残る友人三人を残し、下山。そのスピードたるや、あっという間に五合目に着きました。

そして片隅で、うずくまっていた時「大丈夫?」の声。

中年の女性の方が、心配し声をかけてくれたのです。

よっぽどの悲惨な顔をしていたのでしょう。

経緯を話すと、千円を私に差し出し「何か、これで食べて」と。お礼をちゃんと、しなかった事、今でも後悔しています。

でもそのお金で食べたうどんの美味しかった事と言ったら!!

結局残り三人は、山頂まで行って夜7時、帰ってきました。

10時間かけての工程。すごい奴らでした。

 

五合目で野宿して出発!西へ!西へ!

ところで野宿といっても、ただ敷物の上で寝るだけでした。

天気も良く、快調に走行していましたが、今度は暑さにめげました。

バイクはヘルメットに転倒時の怪我のリスクを下げる為、長袖に長ズボンで、

加えて信号待ちで止まっていると、エンジンからの熱気で、とても暑くなるのです。

やがて浜松の手前につく頃には夜になり、閉まったガソリンスタンドの片隅で野宿。

翌朝、相変わらずの食パンを食べ出発。

f:id:KENPA:20210724143909j:plain

一応お湯が沸かせる道具だけは持って行ったので、コーヒーは飲めたのですが、さすがに食パンは、飽きました。

ジャムや、マーガリンと味を変えても、ただ腹を満たすだけで、家に帰ってからは食パンを見るのも嫌になったほどです。

 

西へと走らせ一号線から、途中脇道に入り白い砂浜の遠州灘の海にバイクを止め休憩。

しばらく眺めながらパンを食べ記念撮影。

走行中、他のバイクとすれ違う時に、ピースサインをするのですが、勿論知らない人です。

同じライダー同士の繋がりを感じる瞬間で、ライダーにしか解らないバイクならではの楽しさです。

今でもやっているのかなぁ?!

 

f:id:KENPA:20210724144233j:plain

何度か休憩を取りながら、四日市へ。

この辺りで悪臭(当時は公害問題が取り沙汰されていて、環境が非常に悪かった)と、空気の悪さに悩まされ、ヘルメットをとると、顔が真っ黒になるくらいにひどかったのです。

国道1号線をひたすら西に走っていましたが、あまりの空腹の為、ついにダウン。

近くあった畑から大根一本引き抜き(時効なので。ごめんなさい!) 仲間とかぶりつきました。

うまかった!腹が減ると、何でもうまい!!

燃料代を考えて、数百円が使える事が解って、ラーメン屋へ、四人で二杯を注文。

すると「どないしたんや?」との男性の声が。

あまりのみすぼらしい四人の格好に声を掛けて下さり、おごって頂きました。

もちろん四人分。本当に美味しくて、ご馳走様でした。

f:id:KENPA:20210724143948j:plain

 

大阪に着いたのは午後8時を過ぎていました。

振り返ってみると、観光もろくにしていない、過酷で、汚くて、飢えに苦しむ旅でしたが、事故も無く無事に帰れたのも、友人の存在は勿論ですが、旅先で出会えた沢山の優しい人たちのお陰です。

そしてカッコイイ~愛車のバイクの存在。

若さ故の最低で最高の忘れられない旅でした。

f:id:KENPA:20210724144318j:plain

 

私の愛車は、

カワサキKH400」でマッハ (MACH)シリーズSSの末裔・発売開始年1976年

最高出力38ps(28.0 kw)/7000rpm 最大トルク3.9kg・m(38.2N・m)/6500rpm

車体重量(乾燥重量)162kg 空冷2スト3気筒、マフラーは右2本、左1本の独特のスタイルで、今見てもほれぼれします。

SS350を、友人の家で見て、跨がせてもらった瞬間に、ひとめぼれしていました。

2スト故、背中が汚れるくらいOILの混じった白い排気ガスと燃費が非常に悪かったのです。

ただ、当時は、加速だけは750㏄の4ストと短距離ではありますが、互角の実力がありました。

バイク同士が、信号待ちで止まると、加速を競うような場面が幾度もあり、

その後バイクを止め、もちろん知らないライダーですが、互いのバイクを褒め合った楽しい時代でした。

 

石ノ森章太郎原作のキカイダー01という子供TV番組 - 劇中でキカイダー01が搭乗する「ダブルマシーン」のベースとして350SSマッハII (S2) が用いられていて、350SSの後継としてKH400がパワーダウンして発売されたのです。

当時、棺桶単車と呼ばれていて、軽くてパワーがあるのと、前輪に過重がかからない為の不安定さで、事故が多かった為です。

SS時は両輪ともドラムブレーキでしたが、KHシリーズからは、フロントはディスクブレーキになりました。今でもまた乗りたい車です。

 

友人のバイクは、

「スズキ GT380」発売開始年1978年製のタイプで、茶=ディープバーカンディーメタリック色

最高出力38ps(28.0 kw)/7500rpm 最大トルク3.8kg・m(37.3N・m)/6500rpm

車両重量169kg空冷2スト・ピストンバルブ並列3気筒

排気量の割には大きく見えるので、人気のあった車です。

KH-400と同じ3気筒ですが、4本出しのマフラーで迫力がありました。

このGT380、通称サンパチと呼んでいたバイクは、初代仮面ライダーの本郷役の藤岡弘さん(当時25歳)も劇中で乗っていた車です。

KHよりは排気ガスは幾分キレイでしたが、燃費は悪かったと記憶しています。

 

バイクBike、「bi」はラテン語で2を意味する言葉で、車輪が2つあることからそう呼ばれています。一般的にはバイクは「自転車(Bicycle)」を意味します。日本でいうバイクは英語圏では「モーターサイクル」となります。ちなみにオートバイは和製英語です。

 


FUJIFILM フジカラーレンズ付フィルム 写ルンです スタンダードタイプ シンプルエース 27枚撮り 初期モデルデザイン LF S-ACE SP FL 27SH 1

 「写ルンです」は、富士フイルムが1986年発売された、レンズ付きフィルム式の使い捨てカメラで、当時1.380円で売られていて、誰にでも簡単に写真が撮れる、画期的な商品でした。

今と違い、現像してみないと確認できなかったり、枚数が24枚と制限がありましたが、庶民が簡単に写真を撮れるという事で、大ヒットしました。

今は、レトロブームもあり、出来上がるまでの時間や、温かみのある写真、メカニカルさが面白いのと、

前記の面倒くささが、逆に新鮮で愛好家も増えていますね。

 

寄付・募金ならプラン・インターナショナル・ジャパン