心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

本当に理解し合う事って出来るの?

 

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よく子供問題の討論番組などで、「親や先生は俺達のことをちっとも解ってくれない」という若者の意見を聞きます。

親も、「子供の考えていることが理解できない」とか「この苦しみを経験していない人が話す資格は無い」などです。

自分自身のことや、例えば同級生のことも理解できないし、理解しきれないのに、まして世代や経験、環境の違う相手のことを理解するなんて、はじめから絶対に無理なのです。

そうです。本当に相手の事を心から理解する事は、どんな間柄にせよ無理なのです。

人間関係で悩んだり、問題が起きた時、相手に気持ちを理解させよう、しようという側面から入るのが、そもそも無理があるのです。

 

では理解し合うという事とは出来ないのでしょうか? 

実際には分かったつもりになっているとか、妥協しているとか、フリをしているといった事になりがちです。

このままだと永遠に孤立です。本当に相手のことを、相手の気持ちになって考えることは無理なのでしょうか? いいえ無理ではありません。

理解し合うというのは愛するという事と、とてもよく似ています。

妥協でも、持ちつ持たれつでも無く、その相手の存在を認めるという事です。

相手の言葉に素直な気持ちで耳を傾け、また自分の気持ちを飾らないで話す事です。そこに世間体や体裁、立場、思惑、思想、損得、恐れ、経験といったものを挟み込むから、なかなか見えてこないだけなのです。

ただ何度も書きますが、全て心の奥底まで理解し合う事は残念ながら出来ません。不可能です。

 

人間関係に関する本や、SNSを見ると、後々の事を考えてか、言いたい事を言う前に「こうしなさい」「こんな風に話して」「まず自分を知ろう」のようなことばかりが、目につきますが、不思議でなりません。

・相手のいう事を聞く

・言葉遣いに気を付ける

・言いたいことを素直に言う

   たったそれだけです。

 

「それが出来ないから、苦労しているんだ」と聞こえてきそうですが、誰かのパターンを教えられても、真似しても、理解し合う事なんて出来ません。

時代、民族、国が違えば、おのずとアプローチも変わります。

日本人同士だから、こうした方が良いなんて考え方は捨てましょう。

人真似なんてやめましょう。

言いたい事を、聞きたい事を、ちゃんと伝える。相手の話を聞く。

間違っていると思うなら、冷静に意見を言う。

それが出来なければ黙る

それだけです。

 

黙る事は、一旦その場から離れ、落ち着かせて再度、考える事が出来るからです。

その時に大切なのは、相手の言動や態度を蒸し返し、考える事ではありません。

自分自身の心の動きを離れた所から見る。

すなわち、くやしさや怒りの感情が渦巻いているとしたなら、その渦巻いている感情を覗くのです。

よく怒る前に10数えてからといわれますが、「私は、今怒っている」「イライラしている」「落ち込んでいる」という風に、もう一人の自分が見ているようにする事です

「反省しなさい」「譲歩しなさい」と自分を変えるというアプローチとは全然違います。

難しいと思うかもしれませんが、誰にでも出来る事です。

そうやってリセットした後に出てくる言葉や感情は、きっと違ったものになるでしょう。

相手の事ではなく、自身と向き合う機会を作るのです

それが自分をコントロールする事に繋がり結果、相手への理解や心の動きが読めるようになっていきます。

もし理解し合えず離れて行ったとしても、

それは、

また違う別の人との出会い為の、神様のいたずら?

そうチェスのコマを動かされたようなものです。

 

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人間関係は難しく、時に悩みの種になってしまいます。それでも私達は理解し合える人を探しています。


キャスト・アウェイ (字幕版)

映画『キャスト・アウェイ』(Cast Away)の中で、無人島でたった一人になってしまった主人公のチャック・ノーランド(トム・ハンクス)が、ウイルソン製のバレーボールを擬人化させて「ウイルソン」と名付け、話しかけるように、一人では生きていけない人間。

言葉や手紙やメール等のコミュニケーションの手段が出来る生物として生まれてきているのです。

そしてその時、先代の知恵、自らの経験が役に立つのです。

だからこそ、繁栄をなしえてきたのです。

 

刻々と気持ちは変化していきます。

昨日とまったく同じ気持ちの人なんて一人もいません。

心は流動するのが当たり前なのです。ですから軌道修正がその都度必要になるかもしれません。

時間が経てば伝え直さないといけないのです。

「解り合えたから大丈夫」では無いのです。

「解っているつもり、解っていてくれている」は傲(おご)りでしかありません。

自分自身の中でいくら思っていても、伝えなければ決して伝わりません

 

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お互いに心から理解い合う事が出来るか?

それは、たぶん無理でしょう。

何度も書いていますが、心は流動し、自身すら理解出来ない行動をするものだからです。

でも、あきらめるのは早すぎます。

心地よい関係を築くことは出来るのです。

それは、相手を何とか理解しようとする事をやめた時です。

そこには見返りや期待、私物化という余計な感情が、入り込んでいないからです。

 

もし今、あなたの傍にそのような人がいるのなら、出会えたなら、先延ばしせずに、どうか大切にしてください

 

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ちなみに

1987年公開のアメリカのコメディ・ロードムービー『大災難P.T.A.』という映画。

タイトルのP.T.A. Planes(飛行機)、Trains(列車)、Automobiles(自動車)で巻き起こる災難を、主人公二人が、ぶつかり合いながらも、目的地に着くというコメディーですが、とても心暖かくなる映画です。

相手を理解しながら、生きている事の楽しさを味わえる作品ですので、機会があれば観て下さいね。


大災難P.T.A. [DVD]

 

また映画のラストに流れる曲が、とても映画のシーンを盛り上げてくれています。「Everytime You Go Away」という曲で、映画の中では女性が歌っていますが、もともとはダリル・ホール(Daryl Hall)&ジョン・オーツ(John Oates)の曲で、ポール・ヤング(Paul Young)がカバーしてヒットしました。

その他にもジョージ・ベンソンGeorge Benson)&アル・ジャロウAl Jarreau)やT-BOLANエリック・ベネイEric Benét)といった一流ミュージシャンもカバーしています。

何年も前の曲ですが、今聞いてもいい曲ですよ。


Everytime You Go Away

 


Everytime You Go Away

 

 もう一つ

2011年公開のフランス映画、『最強のふたり』(Intouchables)体が不自由な富豪と、その介護人となった貧困層の移民の若者との交流を、実話をもとに作られた映画で、コミカルなのに心動かされるドラマです。

アメリカでもリメイクされ『最強のふたり』(THE UPSIDE)」という題名でヒットしました。

劇中に出てくるオペラの曲が、作品を盛り上げてくれます。個人的にはフランス版が好きですが…!

どちらも、人間関係に疲れた方にはおすすめの映画です。


最強のふたり [DVD]

 


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子供はタイムマシーン!

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子供を産む人も、そして生まない、生めない人も、子供が嫌いな人も、また今のところ生むことが不可能な男性も、この社会で生きている以上、何らかの形で必ず人間の種の保存、継続、すなわち子供達に関わっています。

ただ歩いている時でさえ子供達の手本になっているかもしれませんし、様々な職業は直接もしくは間接的に子供に影響を与えています。

子供達の教育や保護、食生活、身の回りの様々な製品といった具合です。

まさにこの社会が生み出し支えている、子供達の子育てに参加している事になるのです。

言い換えれば一人一人の大人が父であり母であり保護者なのです。

ですから自分の子供さえよければいいとか、自分の子供がいない、人の子供は自分に関係ないなどという意識を持たないで欲しいのです。

結局はまわり廻って自分たちを含むこの社会全体が影響を受ける事になります。

小さい見方と大きな見方、視点を時に変えてみないと大切なモノを見落としかねません。

人間は決して一人では生きていけません。

地球の裏側にいる見知らぬ子供達とも、深く繋がっているのです。

小さな子供は練習中

こぼしたジュースを一緒に拭いて

笑って注いで乾杯しよう

はしゃぐその手をしっかりつかみ

低い視線で眺めてみよう

小さな奇跡が見つかるかもよ

夢中でおしゃべり聞く耳もたず

ぎゅっと抱きしめ聞こえるよ

小さな鼓動が波打つ音が

言葉に出来ない小さな音が

笑って一緒に歌ってみれば

世界で一つのハーモニー

 

目が見えない人がある日突然見えたら 混乱して目眩するかも。

聞こえない人が、ある日突然聞こえるようになったら、どちらから音が聞こえているのか解らないでしょう。

子供がジュースをこぼしたり食べ物をこぼす。

それは脳が感覚の練習をしている過程で、うまくコントロールが出来ないだけです。

そうやって指や腕の一連の動作を身に付けていくのです。

だから叱っても怒っても何の意味もない事です。

段の上を歩くのも、走り回るのも同じこと。

だから、

こぼしたジュースを一緒に拭く練習をすればいいのです。

割れたコップより、子供が傷ついていないか声をかけて包んであげて下さい。

手をつなぎ、安全を確保すればいいし、ゆっくり歩く楽しさを目線を低くして一緒に見ればいいのです。

「子供はタイムマシーン」

 

訪れた道を思い起こし

描いてきた未来を見せてくれる

過去にも未来にも

僕らは行けないけれど

過去から学び

未来に想いを乗せる事は出来る

そう

僕らのすぐ傍に

タイムマシーンがあるんだ

命であり

夢であり

希望に胸躍らせる

僕らのタイムマシーン

 

子供を見ていると過去の自分を思い出す事がよくあります。

子供の視点で世界を見る事は大人になれば出来なくなります。

それは見る事だけでなく、心で感じる事も違っているのです。

大人になるとどんどん忘れてしまう好奇心や想像力は、大人にこそ必要な力です。

子供達は安心できる場所を必要としています。

単に衣食住の保証だけでなく、精神的に安心できる場所が必要なのです。

子供は大人の帰属者でもなければ、モノの様に所有物でもありません。

もしそんな大人達の元にいるのなら、子供は狭い世界でしか、見て、考える事しか出来なくなってしまいます。

やがて大人になると、自身や接する相手を狭い視野でしか見る事が出来なくなり、悩み事も増え、自力で立ち向かう事も、誰かに頼る事も出来ない大人になってしまいます。

子供達は大人の未来そのものです。

子供が一人で泣いている

それ見てみんなが泣き出した

訳も知らずに泣き出した

 

大人が一人で泣いている

それ見て少しがなぐさめて

みんなは知らずを決め込んだ

 

日本の子供だけでなく、世界中の子供達が幸せにならなければ、国同士、民族、宗教などの争い事は無くならないでしょう。

どうか、自分の出来る事、出来る範囲でいいので子供たちを守ってあげて下さい。

どの国の、どんな肌の色の子も。

学校に行きたくてもいけない子。

何キロも危険な道を通って学校に行く子。

行きたくても学校に居場所が無い子。

どの子もみんな学びたいと思っているのです。

しかし、それを妨げているのは、結局大人です。

生まれた国、場所、宗教、取り巻く環境。

スタートラインに立てない子供達。

走り始めて、転んでも手を差し伸べない社会。

どんどん未来が失われていきます。

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運命だからとあきらめさせる理由なんて、子供たちにとっては何の言い訳にもなりません。

先進国と呼ばれる日本。

世界から国民栄誉賞内閣総理大臣顕彰に、世界各地で現地の子供達や人々の為頑張っている名も無き人達を選んで欲しいのは私だけとは思えません。

子供たちにとって、生きやすい世の中は、誰にとっても生きやすい世の中です。

 

 

 


ヒール・ザ・ワールド

「Heal The World(ヒール・ザ・ワールド)」

Michael Jacksonマイケル・ジャクソン)1991年発売のあまりにも有名な素晴らしい曲です。もう一度聞き直してみてくださいね。

 ヒール・ザ・ワールド / Heal the Worldの歌詞和訳

 

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だから本を読む

 

歴史の授業は、本当に嫌でした。

なにせ、年号や出来事、名前など覚える事ばかりで、結局大人になっても、当時の授業で習った事は、ほとんど役にたちませんでした。

30代、古本屋で歴史がこんなにも面白いものだったんだと、気付かされる本と出会ったのです。

 

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その本とは、ノンフィクション作家の吉村昭さんの『漂流』という本でした。この事を境に、吉村さんの本に魅了され、次から次へと買い求め、読みあさりました。というより、読みたくてウズウズしていました。


漂流 (新潮文庫)

 

彼の作品は、主に日本の歴史の中に埋もれている人達に焦点をあて、綿密な取材を元に、まるで、読み手が主人公になるような錯覚になってしまうほどの描写で、ほとんど、1日で読みきってしまうほど力のある作品です。

それまで、学校では習わなかった、習っても、名前ぐらいしか知らなかった歴史の面白さに、引き込まれてしまいました。

残念な事に吉村さんは 2006年に79歳でお亡くなりになりました。

もう作品が読めないと思うと、残念で仕方ありません。

彼の作品から私は、歴史の裏というか、隠れている沢山の人達の存在を知り、今があるという事を学び、過去を知り、過去から教訓を得る事の大切さを、そして歴史の面白さを教えて頂きました。

 

中学生だった頃、当時給食は無く、校内にある売店で、そばやパンを買うか、弁当持参するかのどちらかでした。

私はどうしても買いたいものがあり、お金を貯めていました。

それは確かSONYカセットデッキだと記憶しています。(調べましたら通称デンスケSONY TC-2860SD ¥69,800でした)

夕刊の新聞配達もしながら、頑張っていたのですが、なかなかお金が貯まりません。で、お昼代として毎日もらっていた数百円をうかせ、貯める為に、食べるのを我慢する事にしました。

昼休み、どこにも行き場が無かった私は仕方なく、図書室で時間をつぶしていたのです。

そこで出会ったのが、イギリスの小説家・アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』でした。

シリーズの主人公である、架空の探偵の物語で、お腹が空いている事も忘れ、夢中で読んだ記憶があります。

この事が本を本格的に読むきっかけになったのです。

幼い頃、『きかんしゃやえもん』(文・阿川弘之/絵・岡部冬彦1959年出版)や、『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン石井桃子(訳)1954年出版)を何度も読み返していた私がそこにいました。


きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本 カンガルー印)


ちいさいおうち (岩波の子どもの本)

 

中学卒業以来、しばらく読書から遠ざかっていた私は、病気やケガで入院する事があり、30代に、また本との付き合いを再開したのです。冒頭の吉村 昭さんの本も、その中の一冊でした。

 

私にとって、本との出会いが無ければ、寂しい人生になっていたかもしれません。

本に全く興味が無かった私。

幸か不幸かスマートフォンやゲームが無かったから良かったのでしょう。

今もたくさんの本が生まれ、様々なスタイルで読む選択ができ、いつでも読むことが出来る事に、特に本嫌いの方に、その魅力を味わって欲しいと思います。

本には、読み手が頭の中で映像を作り出し、時に一体感、時に別世界に連れて行ってくれる力があります。

あなただけの世界を見せてくれるのです。想像の力は、誰かが作った映像として観るよりも、もっと深く届くでしょう。

空想や妄想は、心にとって大切な栄養になります。

心の片隅に隠れ、ふとした時に現れ、何らかの手助けになるからです。

 

世界では、好きな時に好きな本を、自由に読む機会が無い人達がたくさんいる事を忘れないで下さい。

自らその機会を放棄しないで欲しいのです。

たった一冊が、もしかしたら、人生の道標となるかもしれません

 

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余談ですが

たまたま立ち寄った古本屋で、猫の背中の絵が描かれた『夏への扉』という文庫本を見つけ、読んでみると、これが面白くて一気に読み終えてしまいました。

この『夏への扉』は原題がThe Door into Summerで、アメリカの作家ロバート・A・ハインライン1956年出版のSF小説で、人工冬眠を使い様々な困難を乗り越え、幸せになるストーリーで、ピートという猫も登場します。

(当時、私が飼っていた猫の名前と一緒でビックリでした)

その頃よく聞いていた山下達郎さんの曲に『夏への扉』という同名の曲があり、詩の意味が全く解らずに聞いていたのですが、この本と出会ったことで、「そういう事か!」と、ようやく意味が解り、とても嬉しかったことを思い出します。

ちなみに作詞は吉田美奈子さん。作曲 編曲 山下達郎さんです。

今でもその曲を聞くと、飼っていたピートと過ごした時間がよみがえってきます。

夏への扉』は日本でも映画化されましたが、是非原作を読むことをお勧めします。


夏への扉〔新版〕 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

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人生って何?(2)

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歳を重ねると、自分の人生について考えるようになります。

振り向いた時に、何を自分はしてきたのだろうか?と。

そして残された時間に想いを馳せます。

自分がこの世に存在していた事を、残しておきたいと願うかもしれません。

やり残したことが、たくさんあるでしょう。

しかし、この世に存在していることは事実です。

誰かのマネをしたわけでもなく、まぎれもなくあなただけの人生。

あなただけにしか過ごせなかった、大切な時間の積み重ねです。

振り返る事すら出来ずに、突然死んでしまう事もあるでしょう。

この世から去って行った人の想いを、あなたは共に歩き続けなければいけないのです。

 

仏教を始め色々な宗教は「人生」を「苦」用いて表現しています。

生きている事は「苦」すなわち、自分の思い通りにはならない事であり、

生まれる事も、場所も、環境も、死さえも不平等であり、そもそも生きていく事自体が容易では無く、覚悟がいる事なのです。

社会が豊かになるにつれ、その事を忘れてしまい、生(なま)の生き方、人生の在り方を歪(ゆが)めているのかもしれません。

運や宿命という言葉で濁しながら生きていく事は、何処かに、人生に対し諦(あきら)めの様なとらえ方があり、逃げ場を作っているように思います。

「苦」という自分の力ではどうしようもない事から始まる人生ならば、その過程にこそ意味があり、「苦」を前提とし、共存しながら、日々に価値を見い出してこそ、人生という意味があるのかもしれません。

自分の人生は、誰かのせいにしても結局自分の人生であり、

ならば自らの選択とし、主として「苦」の中に一息つけるような安らぎを、生きる糧として持ち、生き続ける事に執着するべきなのです。

 

「苦」は、前世からの引き継ぎではありません。そして次へと引き渡すような輪廻でもありません。

「悪い星の下に生まれた」のは、どうする事も出来ない、思い通りにならない世界に生まれた、誰もが同じ出発点の事です。

何か誰かにその責任を取らせる思考こそ、生を見る力を失ってしまうのです。

そこからは、何も生み出す事も無く、人生という歓喜が欠けてしまい、それこそ輪廻という環に、自らを、自らの手で組み入れてしまうのです。

 

本に例えれば、生まれた時に手渡される本は、ボロボロか金で装飾されている本なのか選べません。

「生」を挟む前世や死後は、巻頭と巻末であり、そのページは白紙なのです。

そこに何を書き込むかは、読み手が考えるものであり、作者、すなわち書き手である「あなた」ではありません。

「続き」と書くか、「始まり」と書くか。

「続く」と書くのか、「終わり」と書くのかは、読み手の自由であり、

作者である、あなたが考える事では無いのです。

 

書いたものを、消す消しゴムなんかありません。

1ページ、1ページが、人生という物語の瞬間で、

ページをめくった瞬間に過去となります。

その瞬間の積み重ねが、「人生」という本であり、その瞬間に色付けする歓喜をもって、只々遊ぶのです。

書き手が書く時が「今」であり、瞬間の中にしか生は存在できません。

 

「人生ってこんなもんだろう」特に若い人たちに、そう簡単に思って欲しくありません。

もし、今苦しくても、辛くても、誰かの、何かの基準に照らし合わせて決めつけないで下さい。

何が起きるか解らない、その事が素晴らしくて、ワクワク出来るからです。

人生という、自分ではどうしようも出来ない壁があるからこそ、乗り越える楽しみや、悔しさを味わう事が出来、その道を歩いているからこそ、穏やかで、笑える日をが訪れるのです。

 

そして歳を重ねたあなたの人生を活かす為に、自分で学んできた様々な事を、これからを担う若い世代に伝えて下さい。

若い時には急ぎ足で見落としてきた事も、歩みが遅くなれば見つけることだって、まだまだ沢山あります。

そんな後ろ姿を見せてください。

きっと後輩たちが、あなたの人生の物語を完成させてくれるでしょう。

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星々が輝く穏やかな夜、明かりの点いた静かな部屋の中、あなたは、明かりのスイッチを切る。

多分、人生はそんな風に終わる事なのかもしれません。

 

ルイアームストロングの「この素晴らしき世界 What a Wonderful World」ご存じの方も多いと思います。

歌詞が心に響く素晴らしい曲でB.B.キングなど、色々な方もカバーしています。


ジョー・ブラックをよろしく [DVD]

1998年の映画 ブラッド・ピット主演映画「ジョー・ブラックをよろしく(原題:Meet Joe Black)」の中でも、作曲家のトーマス ニューマン(Thomas Newman)が、この曲を使い(演奏のみで、唄はありませんが)ラストシーンを盛り上げています。

良ければ聞いてみてくださいね。


この素晴らしき世界(SHM-CD)

 

 

【歌詞和訳】「この素晴らしき世界」に幸せになるコツが隠されている!?(What A Wonderful World/ルイ・アームストロング)

 

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人生って何? (1)

 

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産業廃棄物中間処理場

毎日運ばれてくる、様々なゴミ。

使っていない新品の販促グッズ。余ったのか、箱も開けていない建築建材の数々。

とにかく「もったいない」と、いつも呟(つぶや)いて仕分けをしていました。

そんなゴミの中で、多くの笑っている写真を見ました。

アルバムや自作のカセットテープ、七五三で使われたであろう数々の飾り物。

そして塔婆(トウバ)や仏壇。

遺品整理か、事情があったにせよ、心が痛むゴミが、毎日のように運ばれ処理されているのです。

撮ったり眺めたり、送ったり、拝んだりしたであろう思い出の品。

たまに手を止め、それらを眺めていると、「思い出って、一体何なんだろう」暗い、何とも言えない気持ちになりました。

この世に確かにいた人達の、その痕跡を消すように、ゴミとして処分されていく毎日。この場所では、そのような品々に想いを馳せる時間はありません。

そう、ここは産業廃棄物中間処理場。

私が働いていた場所。

 

誰も理解してくれない。誰とも会いたくない。何をして良いのか解らない。踏み出したいけど、踏み出せない。孤独にはなりたくないのに、干渉されたくない。数えればキリがない心の叫び。

社会は、そして世間はその事の答えを先送りして、レールに乗せようとする。

いい子、悪い子、髪の長さや色、性別、民族や宗教。「普通」という答えられない定義。世間体、自主規制。乗り換えの効かない様々な制約のレールが世界中に敷かれている。

でも、そのレールは人生というレールでは決してない。

一体だれが、このレールを敷いているのか?その上に乗る列車の行先は?「安心だから」「皆が乗っているから」列車に乗った人達は、運命共同体

レールが曲がっていても、途切れても、嵐が来ようが、槍が降ろうが、脱線しても運命共同体

乗りたいと思っている人も、乗り損ねた人もいるだろう。悔(くや)み、妬(ねた)み、という想いを抱えながら。

 

でも、自らレールを敷き、列車を作り走り出す人がいる。

世界中にそんな列車が走っている。

もし乗りたいと思ったら、

謙虚という切符、

自由という切符、

愛という切符を持っていれば、誰でも乗せてくれる。

途中下車をしてもいい。

乗り換えをしてもいい。

 

車窓からの景色は常に穏やかで、優しい。

好きな場所で降りて、好きな景色を見て、自由に旅を楽しめる。

何故なら、

終着駅を知っているから。

待っている人がいるから。

 

自転車泥棒 [DVD]

★1948年イタリア映画『自転車泥棒(Ladri di Biciclette)』

貧しい生活の中、質屋に入れていた自転車を取り戻し、仕事に就くが、盗まれてしまい…。

父と子の貧しさの中に見る、絶望や運命をドキュメントのように描いた白黒映画の秀作です。

役者は、父子とも素人ですが、素晴らしい演技を見せてくれます。

「人生とは何か」と考えさせられる映画です。

 


ショーシャンクの空に [DVD]

★1994年アメリカ映画『ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption )』

主演はティム・ロビンス(Tim Robbins)と名優モーガン・フリーマン(Morgan Freeman)

刑務所からの脱走を描いていますが、その中で繰り広げられる人間模様が、見どころでもあります。

公開当初は、興行的には振るわなかったのですが、後に評価が上がり名作と言われるようになった作品。

宗教的要素もかなり埋め込まれています。見て損はしない映画ですよ。

 

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想像力は未来に!(1)

最近のTVは食に関する番組多いように思いますが、大食いや早食い、グルメリポート。辛い食べ物を食べきれるか。有名シェフや芸能人が判定する料理。ニュース番組まで食リポ?ゴールデンという時間帯に流され続けています。

私個人は、やるせない気持ちになっています。

 

視聴率や裏にいるスポンサーや企業戦略。色々な思惑があるのでしょう。「観なければいいじゃないか」その通りです。

でも、確実に世界規模で、食糧不足は起きているのです。

 

美味しさや見た目、季節を食で味わえることの素晴らしさ。

その背後にある、伝統や文化は、とても大切ですし、受け継いで、伝承していくべきです。

そこには先人たちの努力や知恵が織り込まれているからです。

 

ただ、この日本で毎日毎日、捨てられる食品。形が悪い、規格に合わない、賞味期限が近いなど、たったそんな理由で大量に捨てられていることも、知っておくべきです。

知らなければならないのです。

 

単に「娯楽番組で面白いから」の裏に隠れている事実をもっと学校で教えるべきです。考える知る機会を、子供たちにもっと与えて欲しいのです。

人任せでなく、大人一人一人がやるべきことなのです。

 

なぜなら、子供は未来そのものです。彼らから選択する機会を奪ってはいけないのです。

でないと子供たちの選べる道が、どんどん狭く、減ってしまうからです。

 

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私達は、奇跡の星に住んでいます。

そして奇跡の確率で生まれ、進化し適応してきました。

でも、いつ何が起きるのか、どうなるかは、危機を訴えている人達でさえ、予測は出来ても解りません。

奇跡の確率という、いつ途切れてしまうかもしれない狭い道の上を歩いているからです。

知らない事、無関心でいる事が、何よりも愚かな行為を生んでしまう事に繋がっていくのです。

「なぜだろう?」「どうして?」「知りたい!」想像力を持つ事がとにかく第一歩で、右から左に流しているだけでは、考えるキッカケには、なりません。

入ってくる情報、感覚は、脳で処理されます。

色々な事を知れば知るほど、おのずと行動も変わっていきます。

感謝やありがたさ、憂いや悲しみ、今までにない、起きえない感情が、日々の何気ない生活の中でも沸き起こり、豊かに味わえるようになります。

いつもの景色が変わって見えてきます。

想像力が優しさを生み出すのです。

 

当たり前を当たり前としない感性。

誰かの助けになるという想い。

未知なものへ挑戦の糸口となる想像力で、数々の発明や文化、あらゆる分野での、基礎を担ってきました。

想像力がある事で、人類は生き長らえてこられたのでしょう。

 

もう一度書きますが、子供達から想像力を奪わないように私達大人は気を付けるべきです。

時代遅れの制度や昔からそうやってきたと言う前に、違った外観や考え方、色々な個性や性別を受け入れる事で、また、当たり前として考える事で、より多くの想像に満ちた、目のキラキラした子供が増えるに違いありません。

 

ビートルズ John Lennon(ジョンレノン)の1971年の曲「Imagineイマジン」

あまりにも有名な、私も大好きな曲で、ご存知な方も多いと思いますが、チャンスがあれば、聞いてみてください。歌詞も心に響く名曲だと思いますよ。


イマジン:アルティメイト・コレクション(1CDエディション)(SHM-CD)

  

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私がなぜ、このブログを書き始めたのか?

 

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「何かが違う」

「それが出来れば苦労しない」

「結局どうしていいのか解らない」

「どれもが自己改革ばかり」

 

ネットやSNS、どれを見ても同じような事ばかり。

そう思うのはあなただけでなく、私も含めてほとんどの人が思っている事です。

 

社会が、複雑になり、かつ、便利になればなるほど、個々の悩みは増えていきます。

手間いらず、は手間が余計かかる事であり、ショートカットをすればするほど、遠回りする事になるのです。

スタートラインから、いきなりゴールするようなもので、過程を楽しむ余裕がないのです。

その過程はVTRで観るつもりで結局、眠ったまま観ないのです。

誰かと全く同じ人生なんかはありません。

だから答えを求めても、無限の答えが存在します。

ただし、人間には過去で起きた事を、教訓として伝える術を持っています。

 

その一つに歴史があります。

もちろん年代や人物を暗記する歴史ではなく、賢人達や、先祖やお年寄りの言葉。

言い伝えや名も知らぬ人達の成してきた偉業。

確かに時間は流れ、時代は変わっていきますが、なぜ過去の残した言葉が今でも通用するのでしょうか?

昔のことわざが、今も使われているのでしょうか?

現在を、今を、あまりにも近くで見過ぎていないでしょうか?

視野を広げる。すなわち、もう少し遠くから見る事。

歴史から学ぶべきことが、もっとあるはずです。

学べる機会があっても、また繰り返し愚かな事をする人間でいてはならないのです。

だからこそ、自分で答えを見つけていくのです。

 

結局決めるのはあなた自身であり、後押しがあろうと、助言があろうと、決断の責任は全てあなた自身で取るのですから

 

難しいのは、後で考えてみれば、笑い話になる事でも、現在進行形では、余裕が無く、より深刻に考えてしまう事で、結論を急ぎすぎてしまい、以前よりも状況が悪くなってしまう事が、多くなりがちです。

反対に、すぐ対応しなければ、さらに状況が悪くなる事もあります。(私の友人が警察沙汰の対応の遅れから、大変な目に会いました)

問題の深刻の度合いは、同じような事柄でも個々の受け止め方で、変わってきますし、当人が深刻さの度合いを、理解しているのか?

そもそも自力で解決できる能力があるのかどうかも、関係してきます。

 

生きること、生きていく事の中で悩み、疑問にぶつかるのは、当たり前で、避けても逃げても、立ちはだかってきます。

上を見ても下を見ても、慰めにはならないことぐらい、みんな本当は解っているのです。

どうしようもない、表に出せない怒り、憎しみ、喜び、愛。それらの気持ちの表現として音楽、映画や絵画、文学と様々な文化が生まれたのでしょう。

 

宗教もそうやって生まれ、広がっていきました。マスター達の教えは、言葉や例えは違えど、全て同じ教えを説いています。

 

私には、肩書きや実績など、バックグラウンドは、何もありません。音楽や読書、映画(特に洋画)が趣味で、オートバイも以前乗っていましたので機会があれば再開したいと思っています。趣味に関する話も、盛り込んで書いていきます。

 

そんな私、自分の存在の意義を問う場面に何度かぶつかるたび、自問自答を繰り返してきました。

そして、やっと自身が納得出来る答えを見つけ、生きていく上での、誰かの心の悩みを少しでも良い方向への、きっかけとなればと思ったのです。(法律がらみの事柄は、もちろん私には無理ですが)

 

そして何より私の愛する息子に残しておきたいのです。