産業廃棄物中間処理場
毎日運ばれてくる、様々なゴミ。
使っていない新品の販促グッズ。余ったのか、箱も開けていない建築建材の数々。
とにかく「もったいない」と、いつも呟(つぶや)いて仕分けをしていました。
そんなゴミの中で、多くの笑っている写真を見ました。
アルバムや自作のカセットテープ、七五三で使われたであろう数々の飾り物。
そして塔婆(トウバ)や仏壇。
遺品整理か、事情があったにせよ、心が痛むゴミが、毎日のように運ばれ処理されているのです。
撮ったり眺めたり、送ったり、拝んだりしたであろう思い出の品。
たまに手を止め、それらを眺めていると、「思い出って、一体何なんだろう」暗い、何とも言えない気持ちになりました。
この世に確かにいた人達の、その痕跡を消すように、ゴミとして処分されていく毎日。この場所では、そのような品々に想いを馳せる時間はありません。
そう、ここは産業廃棄物中間処理場。
私が働いていた場所。
誰も理解してくれない。誰とも会いたくない。何をして良いのか解らない。踏み出したいけど、踏み出せない。孤独にはなりたくないのに、干渉されたくない。数えればキリがない心の叫び。
社会は、そして世間はその事の答えを先送りして、レールに乗せようとする。
いい子、悪い子、髪の長さや色、性別、民族や宗教。「普通」という答えられない定義。世間体、自主規制。乗り換えの効かない様々な制約のレールが世界中に敷かれている。
でも、そのレールは人生というレールでは決してない。
一体だれが、このレールを敷いているのか?その上に乗る列車の行先は?「安心だから」「皆が乗っているから」列車に乗った人達は、運命共同体。
レールが曲がっていても、途切れても、嵐が来ようが、槍が降ろうが、脱線しても運命共同体。
乗りたいと思っている人も、乗り損ねた人もいるだろう。悔(くや)み、妬(ねた)み、という想いを抱えながら。
でも、自らレールを敷き、列車を作り走り出す人がいる。
世界中にそんな列車が走っている。
もし乗りたいと思ったら、
謙虚という切符、
自由という切符、
愛という切符を持っていれば、誰でも乗せてくれる。
途中下車をしてもいい。
乗り換えをしてもいい。
車窓からの景色は常に穏やかで、優しい。
好きな場所で降りて、好きな景色を見て、自由に旅を楽しめる。
何故なら、
終着駅を知っているから。
待っている人がいるから。
★1948年イタリア映画『自転車泥棒(Ladri di Biciclette)』
貧しい生活の中、質屋に入れていた自転車を取り戻し、仕事に就くが、盗まれてしまい…。
父と子の貧しさの中に見る、絶望や運命をドキュメントのように描いた白黒映画の秀作です。
役者は、父子とも素人ですが、素晴らしい演技を見せてくれます。
「人生とは何か」と考えさせられる映画です。
★1994年アメリカ映画『ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption )』
主演はティム・ロビンス(Tim Robbins)と名優モーガン・フリーマン(Morgan Freeman)
刑務所からの脱走を描いていますが、その中で繰り広げられる人間模様が、見どころでもあります。
公開当初は、興行的には振るわなかったのですが、後に評価が上がり名作と言われるようになった作品。
宗教的要素もかなり埋め込まれています。見て損はしない映画ですよ。
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