「何かが違う」
「それが出来れば苦労しない」
「結局どうしていいのか解らない」
「どれもが自己改革ばかり」
ネットやSNS、どれを見ても同じような事ばかり。
そう思うのはあなただけでなく、私も含めてほとんどの人が思っている事です。
社会が、複雑になり、かつ、便利になればなるほど、個々の悩みは増えていきます。
手間いらず、は手間が余計かかる事であり、ショートカットをすればするほど、遠回りする事になるのです。
スタートラインから、いきなりゴールするようなもので、過程を楽しむ余裕がないのです。
その過程はVTRで観るつもりで結局、眠ったまま観ないのです。
誰かと全く同じ人生なんかはありません。
だから答えを求めても、無限の答えが存在します。
ただし、人間には過去で起きた事を、教訓として伝える術を持っています。
その一つに歴史があります。
もちろん年代や人物を暗記する歴史ではなく、賢人達や、先祖やお年寄りの言葉。
言い伝えや名も知らぬ人達の成してきた偉業。
確かに時間は流れ、時代は変わっていきますが、なぜ過去の残した言葉が今でも通用するのでしょうか?
昔のことわざが、今も使われているのでしょうか?
現在を、今を、あまりにも近くで見過ぎていないでしょうか?
視野を広げる。すなわち、もう少し遠くから見る事。
歴史から学ぶべきことが、もっとあるはずです。
学べる機会があっても、また繰り返し愚かな事をする人間でいてはならないのです。
だからこそ、自分で答えを見つけていくのです。
結局決めるのはあなた自身であり、後押しがあろうと、助言があろうと、決断の責任は全てあなた自身で取るのですから。
難しいのは、後で考えてみれば、笑い話になる事でも、現在進行形では、余裕が無く、より深刻に考えてしまう事で、結論を急ぎすぎてしまい、以前よりも状況が悪くなってしまう事が、多くなりがちです。
反対に、すぐ対応しなければ、さらに状況が悪くなる事もあります。(私の友人が警察沙汰の対応の遅れから、大変な目に会いました)
問題の深刻の度合いは、同じような事柄でも個々の受け止め方で、変わってきますし、当人が深刻さの度合いを、理解しているのか?
そもそも自力で解決できる能力があるのかどうかも、関係してきます。
生きること、生きていく事の中で悩み、疑問にぶつかるのは、当たり前で、避けても逃げても、立ちはだかってきます。
上を見ても下を見ても、慰めにはならないことぐらい、みんな本当は解っているのです。
どうしようもない、表に出せない怒り、憎しみ、喜び、愛。それらの気持ちの表現として音楽、映画や絵画、文学と様々な文化が生まれたのでしょう。
宗教もそうやって生まれ、広がっていきました。マスター達の教えは、言葉や例えは違えど、全て同じ教えを説いています。
私には、肩書きや実績など、バックグラウンドは、何もありません。音楽や読書、映画(特に洋画)が趣味で、オートバイも以前乗っていましたので機会があれば再開したいと思っています。趣味に関する話も、盛り込んで書いていきます。
そんな私、自分の存在の意義を問う場面に何度かぶつかるたび、自問自答を繰り返してきました。
そして、やっと自身が納得出来る答えを見つけ、生きていく上での、誰かの心の悩みを少しでも良い方向への、きっかけとなればと思ったのです。(法律がらみの事柄は、もちろん私には無理ですが)
そして何より私の愛する息子に残しておきたいのです。