想像力は、子供ならみんな持っています。
オモチャで遊ぶ時も、友達と話す時も、想像力全開で挑んでいるのです。
大人になるにつれ、忘れてしまう想像力の素晴らしさやその力は、大人にこそ今必要なモノなのです。
何故なら、未来である子供達を、居場所である地球を守らなければいけないからです。
街角で見る点字ブロックに自転車やモノを置いたままにする人。
駅のホームの点字ブロックの上に、スマートフォンを見ながら立っている事で、視覚障害者を危険にさらしている事。
スマートフォンを見ながら音楽を聴き、その結果、踏切で亡くなってしまった悲惨な出来事。
人や自転車とぶつかって、怪我や死亡事故を招いている事。
歩行中、急に立ち止まったり、バッグの存在を意識せず、ぶつけてしまう人。
信号無視や飲酒等、お構いなしにキックボードで走る人。
出す日を無視し、分別しないまま出しているゴミ。
回収に来る人達、それを運び、分別しどのように処理されるかなんて考えもしない。
風で飛ばされたビニール袋が、海洋生物にどんな影響を及ぼすのかなんて考えもしない。
ポイ捨てタバコやゴミが火災の原因や排水溝を詰まらせ、流されて海を汚す事。
助けてと言えない子供を虐待したり、放置したり。
自己満足の為に、執拗に煽り運転をする輩(やから)
どの様な結果になるか想像も出来ない人達が、周り廻って自分に跳ね返ってくることすら想像もしないし考えもしない。
何処かで繋がっている人達に対する、想像力欠如から迷惑をかけている事を考えない人達。
優しさや、心遣いは「想像力」の生み出す魔法のようなもので、幸せになれる自分に対する一番の近道なのに。
やっていい事と悪い事は、あなたがその行為を見てられる?か、平気でいられるか?で判断できる。
しかし、その判断をする自分に「想像力」が無いとしたら、どう判断すればいいのだろうか?
相変わらず差別やヘイトの話が毎日の様にニュースで流れている。
児童虐待や育児放棄、イジメと、そんなニュースを目にする度、「なぜ?」と思う。
どうすれば、その様な残酷な、人間とも思えない事が出来るのか?私には本当に分からない。
在日外国人に対するヘイトも、ウクライナ戦争が始まってよく耳にするようになった。
人はなぜこんなにも残酷な事が出来るのだろうか?
この地球上で厚かましく、無礼で、生きている事の意味を疎(おろそ)かにする動物は人間だけだ。
人間は、進化の過程で素晴らしい脳を手にした。
このブログ「人間、生物は、なぜ存在しているのか?」でも書いたが、生き抜く為の人間脳を手に入れたおかげで、これほどまでも繁栄したのだ。
脳の進化で生き延びた生物がなぜ同類を殺し、蔑(さげす)み、差別やイジメ、ルールを守らないのであろうか?
人間は一人では生きていけない動物であり、共感や共鳴をしながら助け合ってこそ知恵が生まれ、記録する事で未来にも伝えられる、地球上で唯一の次元を超えられる生物である。
もう一度書くが、次元を超えられる動物は人間だけだ。
いい加減、古い脳を捨てて次の段階に行くべき時なのかもしれない。
何故なら、地球自体が人間に対し、いや生物全体に対して「もう少し考えないと住まわせてあげないよ!」と言っているように感じはしないだろか?
そう、地球は人間がやってきた事を記憶しているのかもしれない。
地球は大きな磁石である事はご存じであろう。
そのおかげで宇宙線や太陽風からの人体に有害な物質から守られているのだが、その磁場(北を向く磁石が南を指す現象)が過去360万年の間に11回も逆転し、最後の磁気逆転の時期は約77万年前と報告されている(ウイキペディアより)事をご存知でしょうか?
その逆転も急に変わるのではなく、ゆっくりと何年もかかる。
地表に対する影響は詳しくは解ってはいないが、雲が増え、日射量の減少や太陽からの宇宙線の増加などがあるとされている。
その他、隕石の衝突の可能性もあり、回避するほどの技術はまだ確立していない。(米航空宇宙局NASAが、ロケットをぶつけ、軌道を変える実験を始めています)
また、温暖化の話も度々ニュースになるが、環境省によると21世紀末(2081年~2100年)の世界の平均気温は、2.6~4.8℃上昇、厳しい温暖化対策をとった場合でも0.3~1.7℃上昇する可能性が高くなり、さらに、氷河の融解等の影響で平均海面水位は、最大82cm上昇する可能性が高いと予測されている。
すなわち、国土を失う可能性の国も出るという、いや既に始まっている事なのだ。
当然、農作物の影響や気温の上昇や異常気象の頻度も高くなるだろう。
昭和の頃は、「暑い暑い」と言いながらカキ氷を食べながらうちわで過ごしていたが、どうにかなったものだ。
おまけに当時は運動中に水を飲むなと教育されていた。
そして鉄でできた扇風機の登場で最高の涼を与えてくれたものだ。
ところが、現在はクーラー無しでは死んでしまう可能性まで出てきた。
余談だが、当時の扇風機は危なくて、子供が誤って指を無くす事例も多かった。
私の小学生の同級生も指が3本無かった事を今でもよく覚えている。
人間が地球の変化を感じるのは、徐々にであり、知りえる予測はあくまでも過去の事例とデータによるシュミレーションで、未だ間近の地震さえ何時何処で起きるのか?予測できないほど自然は何をするのか解らない。
自然災害にしても、その兆候の様な熱波や規模の大きな台風や竜巻がニュースで報じられるように、何かがおかしくなっている。
冒頭で書いた想像力の無さが、例え小さな事でも積み重なれば大きくなるのは当然だ。
人類存続の為、地球に負荷をかけてきた上、一人一人の小さな想像力の無さから生まれる資源の無駄使い。
にも関わらず戦争や権力争い、差別に時間とお金をかけている愚かしい行為が行われている地球は、銀河系を含む宇宙の中で存在する太陽からの距離や大きさ、傾きや自転の早さ等、様々な奇跡的な重なり合いの星だという事を考えて欲しい。
憎んで殺してやりたいと思う
更に、生んだ親をも
守っている民族をも
育てた国にも
そしてずっと遡(さかのぼ)り
たどり着いた憎むべき相手は
アフリカに降り立った一人のアダムになった
そう
同じ血が流れていたんだ
だから、もうよそう
そんな風に
思える日が来る時が
本当の人間の進化だろう
旅人が訪れた場所で親切にされたり優しさを感じると、その国全体を優し所と思う気持ちが生まれる。
自分の立場を相手に置き換える力を持って生まれた人間。
おのずと答えは出てくるはずである。
有史以来、人類は宗教というくくりの無い「神」を生み出してきた。
自然に対する畏敬の念や自然あっての存在であるという謙虚さが、色々な神として祀(まつ)られ、祈り、伝承し続けてきたのだ。
日本でも、「罰が当たる」とよく言われるが、宗教を抜きにして語られる言葉だ。
落ちている花を踏んづけたりしない事や、鳥居が書かれている所で、立小便をしてはいけなくなる気持ちと同じであろう。
地球という惑星が起こす災いや災害は、人類をまとめる、結束させる為のものでは無いであろうか?
人間同士の争いなんかやめて次のステップに進め!と言っている様な気がする。
想像力はその為に人間に持たされた力であり、人類が生き残る為に何をすべきか知恵を出し合い、次世代に希望を与える力だ。
もはや、国や民族、宗教や人種、性差などにこだわっている暇など無いのだ。
そして、その一歩は小さな事から始まる。
想像力をもって、お互いに助け合う事や自然との共存の為に今出来る事は何か?
その積み重ねであり、その過程無くして答えは決して出ないだろう。
幾千万の星が夜を駆け巡り
過去の光で地球を覆う
無駄なものは無く
摂理と謙虚さで満ち溢れている
人間の存在など塵にも満たない
けれども
それを見上げ
心惹かれる人間の存在は
何よりも捨てがたい
いずれ星の一部となる時が来る
誰かが見上げるその為に
「Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning.」
『昨日(過去)から学び、今日のために生き、明日(未来)に対して希望をもつ。大切なことは、疑問、質問を持ち続ける事。』
アインシュタインの言葉より。