心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

私達は、何の為生まれたのか?(3)

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人間以外の生物は、むやみに殺生や破壊はしません。

生きていく上で必要最小限に行うだけです。

(一部チンパンジーの中で、同種を殺す事はありますが)

予め食料を備蓄するといった知恵を持った事で、この地球上に繁栄をもたらしてきた私達人間ですから、動物のように、一日一日生き抜く為だけの生活から解放されました。

私達は多くの他の生物の犠牲によって今日の繁栄があるわけですが、特に先進国において、私達は加工された食べ物として店先に並んでいるのを見るだけで、動植物の捕獲や殺生を見る機会がほとんどありません。

それが良いか悪いかは別として、食べる為、生き長らえる為に、殺すという行為の上に成り立っている事を忘れてはいけないのです。

食べる為に殺したなら最後まで責任を持つ。

すなわち、ちゃんと綺麗に食べる事、無駄にしない事。

それがこの地球上での大きな流れ、食物連鎖の中での生きていくルールなのです。

このルールを守らなければ連鎖の輪が切れ、ルールを破った物はやがて絶滅するのです。

 

さて、人間は人を食べる為に殺すわけではありません。

戦争や犯罪等、権力や利権、人種や民族や宗教、利益や豊かさの為、ひいては自己中心的の為、人が人を殺すのです。

そういう意味でいうと間接的に生きる為の手段としてやっていると考えられなくも無いのですが、その為の殺生、すなわち、どの様な殺人が正当化されるのでしょうか?

人はひとりでは生きてはいけません。

たとえ直接つながりが無くとも、何らかの形でお互い支えあっています。

人の生まれた目的は、人という種、遺伝子を絶やさないようにする事です。

何らかの形でお互い支えあっているという事は、衣食住だけでなく誰の子であれ、人間社会全体で子育てをして子孫を残しているわけですから、その一員である人間を殺す事は、多くのリスクを背負う事になります。

人間という種の中の多様性が脅かされるからです。

そして何より殺したら元には戻せません。不可能です。

私達は、虫一匹でさえ元には戻せないのです。

人が人を殺す事はとてもとても愚かな事なのです。

殺人はどのような事、理由があっても正当化はされないのです。

殆どの人間が、人が殺される事を良しとしないのも、おぞましい愚かな事だと思うのも、人間が自然から与えられた本能に基づいているにほかなりません。

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私達が生まれた訳は、同じ人間同士殺し合う為に生れた訳では決してないのです。

地球上のあらゆる場所に住み着き、環境に順応していった人類。

それは、生き延びる為の戦略の結果で、数が増えるのに従い、より良い食べ物を得る為や、敵と遭遇しない為、子供を安全に育てる為の選択でした。

そして、移動手段が人力から機械に変わり、人類全体が地球上を行き来する時代になりました。

世界の総人口は約76億7696万人(WHOが発表した2021年版の世界保健統計)で、毎年増加傾向で、ここまで人類は数を伸ばし続けてきたのです。

 

勿論、科学や医療体制の充実や安全保障といった知恵のお陰ですが、それは一方で自然がその様な流れを導き出しているとも言えます。

人間は自然の一部だからです。

この星が、どれほどの人間に対する包容力があるのか解りませんが、これもまた自然の選択であり、まかせるほか仕方が無い事でもあります。

 

数々の争い事で、人類は多くの犠牲を払ってきました。

それは、誕生して以来持ち続けている、古い脳の部分で起きる、「生き延びる(生命を維持)」「食欲(安全意識)」「身の危険からの反射的な体の反応、逃げたり攻撃したりする(防衛本能)」等が働く為ですが、新しい脳も手に入れて、自分と他者の関わり合いの必要性から、言語や感情の表現も含めたコミュニケーション能力も持つ事になりました。

感情という複雑な思考も出来るようになって、今日に至ります。

近年、アフリカを始め、家畜を襲う猛禽類穀物を狙う動物達が増えています。

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日本でも、サルや鹿、ハクビシンなどの野生動物の生活圏侵入による様々な被害が見受けられます。

環境破壊や生活圏の拡大で、食物を得られなくなった為ですが、それは生き延びる為の本能によるもので、選択肢が無い事、すなわち人間の様に備蓄したり、機械を使う脳を持っていないからです。

同様に、侵略や搾取する人達は、進化によって得た脳を活かせない大変愚かな人達という事です。

そんな中で、人間脳(想像力や共感等)と言ってもいいような脳の領域を使う人達のお陰で、争いが起きても歯止めをかける事が出来るのです。

ただ、歴史を見ても分かる様に、いつまでたっても人間は古い脳から抜け出せない動物という事でしょう。

 

私達は、連携する事で色々な困難を克服してきました。

それは、色々な人達の頭脳の結集にによるもので、多様性のお陰と言ってもいいでしょう。

色々な考え方を持つ人、そして個々の育った環境や教育といったバックグラウンド、すなわち違ったものが多ければ多いほど、多様性がが多いほど、新しいものが生まれ、困難を乗り越える知恵が生み出されるのです。

たった一人の考えが、世界を大きく変える可能性もあるのです。

その為には、どんな人の命でも粗末に扱う事をやめなければ、人類にとって大きなマイナスになります。

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記憶する事、それを残す事や検証する事が出来る素晴らしい能力を持った人間が、多ければ多いほど、

危機を乗り越える為の英知の結集が出来るようになり、乗り越えられることが出来るからです。

 

私達がこの地球を故郷として誕生し、自分に対し「何の為に生れたのか?」という疑問を持つ事は、誰にでもあります。

学校や仕事、家庭が上手くいっていない時や、自分に自信が無くなった時など、前向きに生きられない状況、夢を描けない時によく考えてしまいます。

生まれた訳が、幸せになる為だとしたら?まず難しいでしょう。

このブログでも書いていますが、生きていく事は苦難で、簡単な事では無いという事を前提として考えなければいけません。

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「幸せ」は、意外と振り返った時に解る事が多く、苦難や苦しみがあるからこそ、見えてくるものです。「幸せの見つけ方(1~4)」の記事を読んでいただくと解ると思います。

誰か他人の為?他人と為に尽くす事で、「幸せ」と感じる事は、とても大切な感情です。

尊いこの考え方も、それを実行している人達には頭が下がります。が、それはその人の生き方の結果であり、根本の事ではありません。

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(ウイキペディアより)

 

エジソンが、アインシュタイタインが生まれ、人類に貢献したのも、生き延びたという前提があったからこその結果です。

両者ともまともな教育を受けず、独学で勉強していますし、私生活においても、決して幸せとはいえる様な結婚生活ではありませんでした。

エジソンは特許にこだわり、お金に対してもシビアだったと言われています。

アインシュタインも、二度の大戦を経験し、ユダヤ系だったこともあり、大変な苦労をしていたのです。

もし、彼らが生き延びていなければ、人類の進歩は大きく後退していたに違いないのです。

そして、彼らを取り巻く人達の存在も無視できません。

家族も含め、出会った人々がもし別の人物であれば、運命も大きく変わっていたでしょう。

 

すなわち、その時代時代に一人一人が生き、関りがあったからこそ、今の私達があるという事です。

生きる事で可能性が増え、多様性が選択肢を生み、間違いを正す人達が増えていくのです。

有名になった人達の裏には、多くの無名の人達の人生があり、誰が欠けてもダメなのです。

個々の「何の為に生れたのか?」に対する答えは、人の数だけあるでしょう。

ただ、人間としてこの世に生を受け、生きるその意味は何なんだ?という事ならば、人間としての生物が生き残るという事、すなわち可能性を生み出し、過ちを繰り返さない知恵と、その為の多様性の為、どんな事があっても「生きる」という事なのです。

たった一人の命も、無駄にしてはいけないのです

 

過去の大戦でも多くの命が奪われていきました。数字にするとただの知識で終わってしまいますが、彼ら彼女らは、未来の可能性を信じ、残された人達に想いを託し亡くなっていったのです。

もし、死んでいなければもっと素晴らしい世界になっていたかもしれません。

この時代になっても、相変わらず利権や権力の為に多くの命が奪われています。

だからこそ何より可能性に満ちた子供達の命を守らなければいけないのです。

それが、私達が生まれた訳です。

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帰りを待つ身に

物言わぬ白黒が

帰りたいと手の中で

震え涙で曇るその幼さ

無理やり大人にさせられて

守り抜いた信念は

代わりに生きろと散っていく

帰れぬ想いは海に乗り

流れて着いた76年の風便り

今年もまた夏がくる

 

小さな世界観で、「何の為に生れたのか?」の答えを探っても、意味なんかありません。

誰かやモノと比べるだけで、押し問答と同じで、右往左往し一喜一憂するだけです。

「意味があるから、生まれた」という事へ世界観を広げて、まるで鳥瞰図(空を飛ぶ鳥の目からみるという意)のように、視点を変えて見直してみる事が大切な事なのです。

 

沢山の経験をし、多くの人と語らい、過去から学び、日々の学びが、訪れるであろう苦難や危機の時、愛する人や、弱い立場の人、子供達を守る為の力になります。

あなたの世界が広がる事で、周りの人達の世界も広がります。

何をするかは、生き抜く事で内側から出てくるエネルギーが教えてくれるはずです。

そう、何があっても生きる。

生きて、あなただけにしか出来ない想いを伝えるのです。

 

その内なる強さは境界の線引きをしない

人を選ばず、動じず、時に石のように

時に雑草になり見守る

見返りそのものが、意味の無い期待であり

入り込む余地が無い

謙虚であれ

故に

始まりにして終わりである

 

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