見えていたのに見えてなくて、子供が急に道路に飛び出したり、記憶を書き換え、暗示をかけ、嘘がいつの間にか事実になったり。
脳は思い込みと、騙されやすさで、大忙し。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など人の感覚は、全て脳が分析し処理をしています。
例えば視覚でいえば、目が見ているのではなく脳が見ているのです。
よって、同じものを見たとしても、人はそれぞれ他人と違うものを見ている事になるのです。
同じ赤色を見ても、幼い頃自然の中で起きる様々な赤色、山から見た夕焼け、海に沈む太陽、低い月の夜といった赤色を見てきた人と、印刷物、信号やTV、スマートフォンなど人工物の一方的な赤色の定義にさらされて育った人とは赤色の認識も当然違ってきます。
経験の豊かさが大いに関係してくるでしょう。
すなわち、心という感覚。
赤い太陽沈むとき
川辺の鉄塔喜んだ
長い影見て喜んだ
土手の小さな桜の木
影絵の中で触れ合って
川辺の鉄塔赤くなる
まっすぐ生きてる鉄塔は
優しい曲線惹かれてる
誰もあなたの見方は出来ません。
色だけの話ではありません。
考え方や眼力、捉え方と言ってもいいでしょう。
あなたの感覚は、あなただけのもので、他人から与えられた認識や情報だけでは無いのです。
自身に取り込み、咀嚼し、自分なりの答えを見つけていくものであり、その為には好奇心や想像力が大切な要素であり、よって深みのある見方が出来るようになるという事です。
誰かの情報を鵜呑みにするのではなく、自分というフィルターを通しての考えを持つ事であり、その為に端(はな)から自身を否定しないようにする事です。
世の中には、心無い人も沢山います。
誰かが、あなたを「おかしい」「変ってる」「変な人」「普通じゃない」と、言ってくるかも知れません。
でも、世界中の偉人達は、かつてそう呼ばれていたのです。
平均点を取る必要など無いし、普通なんて人は実は何処にもいないのです。
普通というのは、第三者の視点でしか出てこない言葉で、自ら語る言葉ではありません。
人と同じ見方をしていると「安心感」が生まれます。
当然です。
群れて生きるのが人間だから。
同じ方向を見て、同じ体験をし、共有する事が悪いとは書いていません。
が、他人から見られている自分を意識しすぎると、自分を殻の中に閉じ込めてしまう事になります。
その中で生まれた「安心感」は、与えられたモノによって得られるので、とても不安定なモノです。
流行りや友達といった人間関係、SNSやTVの情報。
あっという間に変わってしまうからです。
しかもやっかいな事に、正しいかそうでないか解らないのですから。
感覚「心」をあなた自身が、広く、常に新しく保つ事で、本当の「安心感」を得る事が出来ます。
それは、あなたの内から出てくるものであり、誰も干渉出来ないからです。
あなたが見たり聞いたり触ったり
目や耳や肌で心に送られて
ほぐして紡ぐのは あなたの心
あなただけしか出来やしない
だからこそ
あなたというフィルターを通して
伝える義務がある
生きなきゃいけない意味がある
心は常に流動し留まらない
フィルターも 時に荒く目詰まりする
歳を重ねれば 交換だってあり得るだろう
心の広さがフィルターの大きさで
謙虚さがフィルターの性能だ
その事に気付く時
想像と創造がその力になる
アインシュタインにきいてみよう アインシュタイン150の言葉
「Few are those who see with their own eyes and feel with their own hearts.」
『自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない』
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