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妻と共通のフィリピン人の友人から電話があった。
体調がすぐれないし、病院で検査しても異常が無いと言われどうしていいのか解らないという内容だった。
彼女は日本人の夫と中学生の子供を筆頭に3人の子供がいる。
食品会社にパートで毎日働いていたが、体調不良で休んでいるという事だった。
少し前から体調があまり良くないとの話は耳にしていたが、切羽詰まったその声にほおっておけなくなり、詳しく話を聞いた。
妻が現地語のタガログ語で詳しい精神状態を聞き、私の経験から一度心療内科(精神科)を受診した方が良いと話し、彼女は余り日本語が上手くなく、伝えたい事の四分の一ぐらいしか話せない事もあり、妻と一緒に付き添う約束をした。
私が通っている病院で受診し、ほぼ丸一日時間を取られてしまったが、やはり精神状態が悪い事が体調不良を引き起こしているとの事だった。
この病院は、毎日3人の医者がいて予約していてもすぐ診てもらえないぐらい大勢の患者が来ている病院だが、彼女を担当した医者に不快感を持ってしまった。
勿論、医者はタガログ語を話せない。
英語も私が聞いていた限り、発音がおかしく上手いとは言えない状態だった。(妻も同意見だった)
妻が通訳し、私が補足するような形での問診だったが、まず私達や患者の話をちゃんと聞く気が有るのかと思うくらい、誘導するような口調で診断を下していったからだ。
専門用語ばかり並べて、何が解るのだろう?
専門用語を、かみ砕いて説明するのがスジだろう。
今でいう「上から目線」の口調だった。
日本人でも心の中の状態を、体調の事を話すのは難しい。
例えば私の場合でも、先生に「食道の奥から拳を突き上げられているような辛さ」と表現しても、その経験が無ければどの様なものか解らないと思う。
加えて、家庭や職場、親子や夫婦関係などの廻りを取り巻く環境も加味して判断するはずなのだが、
彼女の担当医は一切その事には触れもしなかった。
結局彼女の病名は「強迫性障害」となり、薬をもらって帰途についた。
文句の一つでも言ってやれば良かったと後悔している。
精神科は、外から見え判断できる病気に対応する科では無い。
患者の話をよく聞き、何が原因なのか?何が引き金になったか?どの様な事で辛いのか?の声を聞き専門知識を生かして判断する科であるはずだ。
TVでも取り上げられていた事だが、例えば「うつ病」と「双極性障害」は似ているようで、全く違う病気で、最初の診断でうつ病と診断され、薬を服用してハイになりすぎ、別の病院で双極性障害と診断され快方に向かったという事だ。
この人は外国人だった。
受診した病院は上記の様な医者ばかりでは無く、私の担当医はよく話を聞いてくれアドバイスもちゃんとしてくれる。
彼女に、次回通院した際に担当医を変えてもらいなさいと話をしたが、日本語が上手くない彼女にとってはそれも重荷になってしまったようで、近いうちに一緒に病院に付き添うつもりでいる。
未だに体調がすぐれない彼女に追い打ちをかけるように、パートの勤務先から退職して欲しいとの連絡が入ったらしい。
自己都合という名目にサインをしたらしいが、それがどんな意味かも彼女は知らないのだ。
調べてみると彼女が入っている社会保険は、私も知らなかったが傷病手当(コロナ給付には対応)には対応してないという事と失業保険の事もこれから聞いてみないと解らない状態で、八方ふさがりになってしまった。
(社会保険に加入している方は、入っている保険が対応しているかどうか確認する事をお勧めする。)
給与明細をSNSで送ってもらい確認すると雇用保険が引かれていたので早めのハローワークでの手続きを勧めた。
会社からは離職票すらもらっていないし、何の説明もないとの事だった。
外国人だからとして見ているのか、その様な体質の会社なのか解らないが、一言アドバイスしてあげるべきだと思う。
更に残念な事は、彼女の夫は精神病に懐疑的な人で、収入減ばかり気にしている。
確かに子供3人でしかも物価高、学校にも多くの費用が掛かるのはよく解るが、理解が無いと治るものも治らない。
負のスパイラル(渦)に陥った状態になっている。
初診時も私が電話して嫌々来たくらいで、改めて精神病の認知の低さに、ガッカリしてしまった。
また、家事や育児等がおろそかになってしまう事を病気が原因だという認識不足のせいで喧嘩になるとの事だった。
彼女からの一方向的な話しであり、夫婦間の事なので夫を責める事も出来ないが、電話の向こうで怒鳴っている彼の声を聞くと、無力感と共に空しくなってしまう。
冒頭、医者の話を記したが、話を聞かない医者がいるのも事実で、もしそう感じたなら勇気を出し、遠慮しないで担当医を変えてもらうよう話すなり、セカンドオピニオンとして別の病院にいく事を強くお勧めする。
私の五つ違いの妹もうつ病で長年苦しんでいたが、やっと良い先生に出会えたと喜んでいた。
経験から、患者の話を8割以上時間を割いて聞いてくれるような先生が良いと思う。
間違った診断を下され、あわない薬を処方されればいつまでたっても治らないばかりか、ひどくなる事だってありうるからだ。
心を病んでいる人達が増えている。
今でこそ心療内科や精神科に通っていると言っても、誰もおかしな目で見なくなった時代。
ただ、外国によってはうつ病などの精神疾患に対しての偏見や無理解がまだまだ残っている。
妻のフィリピンでも精神疾患になれば、自宅にこもりっきりになり症状も悪化すると聞く。
何故なら偏見により、家族全体が差別されるし、当然職にもつけない。
近親者は隠したがり、せいぜい治療として頼るのはシャーマンと呼ばれる呪術師の様な人達で、悪魔祓いや呪いを解くといった行為のみだ。
病気の認知がある程度進んだとされる日本でも精神論で片づけようとしたり、根性が無いと言われたり時として「怠け者」呼ばわりと、まだまだ無理解者がいるのも事実だ。
なりより近親者の理解が無ければ治らない病気なのだ。
誰にでも起きる可能性がある精神疾患を侮(あなど)っては絶対にいけない。
デジタル化が進み、都会では近所付き合いも減り、田舎では過疎化が進み、益々生身の人間と接する機会が減ってきている日本。
会社では中高年は叱る事を恐れ、若年層は無言の圧力を感じ、もしくは自分を責めどんどん追い詰められている。
気持ちを吐き出す機会がどんどん無くなり、匿名性を利用しSNSで悪者探しやヘイトに逃げ道を見つける人達と、社会全体が病んできている様に思う。
高齢化も進み、年金だけでは生活できなくなってしまい、若い人達も低賃金で将来像が描けない日本になってしまった。
特に、「安い」「汚い」「キツイ」「危険」という俗に底辺(差別の意図は有りません)と呼ばれている様な職に就いている人達は、私の経験も含め選択肢が無い、そこでしか職を探すしかない場合が多い。
若いうちは体力もあるが、将来像を描けず、一時的には給料が高くてもやめる人間も多い。
ハローワークで職探しをしていると、田舎では無いにしても中高年の時給は1.000円の所ばかりだ。
そのような職場では、どうしても高齢者が多くなる。
以前勤めていた会社でもそうだったが、当然「物覚えが悪い」「さっさと動け」「すぐ休む」等と罵声を浴びせかけられる。
そして心が折れ病んでいく。
この社会が回っているのは、底辺にいる人達のお陰でもあるのにも関わらずだ。
才能が有り、人に恵まれ、夢を叶える人達はほんの一握りであり、ほとんどの人達は、現状を良しとせず、余り幸せと感じていない社会、人生を送っている。
しかしその様な大多数の人達のお陰でこの国は成り立っている。
大企業ばかりの賃金や制度改革ばかり報道され、90%以上の人達が占める零細、中小企業に焦点を当てる政策や報道が余りにも少なすぎるのではないか。
テレワークにしても、対応できない仕事に従事している人の方がはるかに多い。
賃金が安いとされるゴミ収集や配送ドライバー、先生や保育士など生活に密着し、要となる職業の人達がどうやってテレワークをするのだろうか?
平凡な毎日の中に幸せが見つけられなくなっているのは、個々だけの問題では無く、社会が病み、それに手を打たない政治家達の責任とも言える。
要するに、国のトップの人達に夢を与える力が無い無能な人達が多いとも言えるのではないだろうか。
人は人との関りで生きている。
言葉やふれあい、共感や共鳴が心をほぐしていく。
どんなに時代が進もうとも、その事無くしては幸せも、不幸せも、苦労も、夢も訪れない。
取り巻く世界が大人になればなるほど狭くなっていく。
家と会社、家の中、決まった人達。
そう、景色が変わらない生活になってしまう。
そんな中、めぐり合わせは時として、傷つけ傷つけられる。
それでも、理解者が一人でもいれば人は救われる。
ウイキペディア引用
アパルトヘイト、人種隔離政策のさ中に逮捕され27年間の獄中生活ののち南アフリカの大統領、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)さんは、投獄された初期は憎しみや怒りでいっぱいだったと聞く。
そして解放された時、その憎しみや怒りを刑務所に置いてきたと語った。
彼の残した言葉に、
「No one is born hating another person because of the color of his skin, or his background, or his religion. People must learn to hate, and if they can learn to hate, they can be taught to love, for love comes more naturally to the human heart than its opposite.」
『生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく。』
という名言がある。
私達はイジメたり差別したり、憎んだりする為にこの世に生まれた訳では無い。
ただ残念ながら、知らず知らずのうちに植え付けられ、その事に気付かない人達が大勢いる。
物欲、所有欲が拍車をかける。
それらは時として原動力にはなるが、いつまで経っても満たされる事は無い。
相変わらず飽食と言われるような番組が放映され、旅行や住居、趣味等の特集がどのチャンネルでも見受けられるが、果たしてどれほどの国民がその事を享受し実現しているのか甚だ疑問だ。
少なくとも私の廻りでは、生活に追われそれどころでは無い人達ばかりだ。
優越感や無力感がうごめいて、心を病んでしまうのだ。
デジタルの世界では、デジタルの中でしか見られない靴や絵、空間が数十万から数百万で取引されている時代、私達は何を求めているのだろうか?
多分、逃げる為の理由が欲しいのか、一時でも現実逃避をしたい為なのか。
様々な道、選択があるのにも関わらず、流され気付かず、与えられた答えから抜け出せない人達が増えている。
本当は人と繋がりたいのだろう。
このブログでも書いた「心」は感覚なのだ。
心を病む人は、感受性が豊かで思いやる気持ちの大切さに溢れている。
病む事は個人の問題では無く、取り巻く社会が寛容性を失っている事の表れだと思う。
病まない人が悪いとは書いていない。
むしろいなければ困る。
助ける為に必要な人達がだからだ。
色々な思考が無ければ人類はとっくに滅びている。
言い換えれば心を病んだ人達が、これからの社会を変えていくのかもしれない。
日本人だけの問題では無く、多くの外国人が住む様になっても、彼らのほんの上辺だけしか見ていない気がする。
国は、インバウンドや外国人労働者を増やそうとしているが、受け入れ側の覚悟がちゃんとできているのか、非常に心配なのだ。
民間任せで問題が起きても政府や監督官庁が責任を取らない事例は過去何度もあったからだ。
外国の人達の隠れた苦悩や不安は、想像以上に大変だと思う。
心を病んでいる人も増えているとの報道もあった。
同じ人間なのだという意識が、まだまだ足りない社会なのだ。
大切なのは、やはり想像力だ。
誰にでも優しい社会は、自身にも優しい社会なのだ。
視点を変えないと、見えない事は沢山ある。
それは、間違った価値観の元、憎しみや差別に繋がるからだ。
『壊れそうになっている人。そこから逃げて下さい。
狭い世界で悩んでいる事に気付く為、
もっと広い心の持ち主に、
果てしなく広がる宇宙に、
水平線が見える大きな海に、
何千年も生きている木々に会いに行って下さい。
手を差し伸べる人は必ずいます。
優しさや思いやりを持ったままの自分でいて欲しい。
決して憎み、憎まれる為に生れたのでは無い事に気付くはずです。
そして、そんな人間なる必要など決して無いのですから。』
「A person who is about to break.Please run away from there.
If you realize that you are troubled in a small world,
go see a person with a broader mind,
a vast expanse of space,
a large ocean with a horizon,
and trees that are thousands years old.
There will always be someone who will reach out.
I want you to be yourself with kindness and compassion.
You should realize that you were never born to hate or be hated.
And you never have to be that kind of person.
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