誰でも憧れる人がいて、自分もそうなりたいと考えるものだ。
スポーツ選手や芸能人など活躍している人達だけでなく、理想とする外観や生き方。
でもたいていの場合、実現出来る人はほんのわずかだろう。
このブログ「心の道標」は、ごく一般の人達に焦点を当てて書いてきた。
TVやSNSで活躍している人達や生活に困らないほど稼いでいる人達では無く、苦労しながらも子供を育てている方々や明日の事すら考えられないような生活を送っている人達への道標として書いてきたつもりだ。
私が生きてきた中、出会った人達はそのほとんどが生きる為に苦労を重ねている人達だった。
倒産した人や精神を患った人、孤独に苛まれている人や人間関係で疲れ切っている人、離婚した人や過去の栄光を捨てきれない人、そして勿論私の妻と同じ外国の人達。
それは本人しか解らない苦悩や挫折を背負い、それでも幸せを求め、あるいはその日を生き延びる為に必死で生にしがみついている人達だ。
政治家がモデルにしている様なサザエさん一家の様な人達には出会う事も無かった。
言い換えれば、幸せとされるモデルそののもが虚像であり、楽な人生など無いという事でもある。
世間では若い人達の自殺が増えている。
亡くなった人達からその理由を聞くことは出来ないが、本人にとっては本当に苦しかったに違いない。
他人から見れば、「え!そんな理由で!」と思う事かも知れないが、みんな同じ考えや同じ生き方をしているのでは無いし、物事の捉え方も全て違う。
想いを馳せることは出来ても、残念ながら本当の心の痛みは本人でしか知りえない。
溢れるほどの情報の中、勝手に幸せ像が作られていく。
植え付けられていると言ってもよいくらい記憶に蓄積されていく。
それは、まるで映画やドラマを見るように、そして主人公が自身である様な錯覚を生み出している。
でも現実では無い。
それを毎日の様に実感させられ、その落差に嘆き、今を楽しむ事すら忘れてしまっている。
誰にでも、大きさは違えど幸せな時間があったはずだ。
友達と遊んだ事や誕生会、初めて自転車に乗れた時や逆上がりが出来た時。
でもそれらは全て過去の話だ。
しかもその年代でしか感じられない幸せであって、過去に戻ったとしても同じように幸福感は得られない。
今、自転車に乗る事が出来る自分が、過去に戻って初乗りに感動する事は出来ない。
そして、前述の理想像だ。
まだ来てもしない、どうなるか解らない未来の理想像
幼い頃から、「先の事を考えなさい」「夢を持ちなさい」「努力すれば叶うから」と教えられてきた。
でも「今、やらないと将来に困る」とは教えられても「過去でも未来では無く、今、この瞬間を大切にしなさい」とは教わらない。
少し前のニュースでアフリカ系の母と日本人の父との間に生れたハーフの高校生の卒業式での対応に問題があった事を伝えていた。
伝統的なアフリカの髪形、コーンロウ(編み込みスタイル)で式に参加する事を、学校は校則違反として別室で待機させ、卒業生の読み上げにも返事をさせなかった。
SNSではこの高校の対応に異議を唱える人が多くいたが、中には「事前に相談すべき問題で責任は高校生側にもある」との意見も見受けられた。
単純にこの事を考えて見ると、教師らのアフリカ系の文化に対する無知や理解の無さ、校則重視という縛り、対応の悪さや高校生側の自覚といった要素ばかりで見てしまうが、問題はそこでは無い。
一生に一度きりの卒業式に参加できなかった彼に寄り添う人達が居なかった事だ。
その瞬間は彼は理解されていなかった。
後から、対応が良くなかったとか、相談してくれれば等と言い訳しても、済んだ事、過去の話になってしまう事だ。
卒業式に出席する為に彼はそこにいたのだ。
性的マイノリティの人達にも同じ事が言える。
過去の事や未来の事では無く、今の自分を大切にしたいと思っている。
その事が社会の中で認められないとしたら?
また誹謗中傷の標的にされたら?
攻撃や差別した側から見れば、後で謝っても、訂正しても既に過去の事として認識している。
その様な人達は、自分に自信がない人や間違った正義感、道徳を持っている人達で、過去を引きずっている人達だ。
すなわち今の自分では無く、引きずったままの古い自分、虚像に気が付いていない。
同じ時間軸にいる事すら認めない人達なのだ。
自分が誰なのか?
以前にも例として書いたが、他人と自分を認識し出す幼少時、つまり年長から小学生の頃受ける授業では、持ち物に全て名前を書き、ケンカしない様に、また他人のものと区別できるようにする事が自己の確立を形成する大切な事とされている(先生の負担が少なくなるという反面もある)が、世界では教科書やノート、筆記用具すら満足に支給されたり買う事が出来なかったりする子供達が沢山いる。
失くした時や忘れた時、持っていなかった時、そして黙って他人のモノを使った時にどう対応できるかが大切な事で、他人の事を思う想像力こそ自己確立に繋がる。
大げさな表現になるが、持ち物全てに名前を書くという事は過去の事であり、未来の先取りだ。
そこには「今」が抜け落ちる。
その「今」「瞬間」に何をするかが最も大切な事だ。
謙虚さと想像力を養う絶好のチャンスを逃し、安心安全を先取りするやり方は大きな間違いだ。
前述の高校生の例でいうと、その場で話し合うべきであり、参加した一人一人が問題意識を共有できる良い機会だったのだ。
それで式の予定が遅れようがどうでも良い事だし、温かみのある式になったかもしれない。
参加を認めて、後で話し合っても良かった事だ。
そう、瞬間の中に答えがあったのだ。
あなたを映し出す鏡は
あなたに誠実だろうか
その鏡は
権力や財力
世間体や見栄の鏡かも知れない
割れた時
そして
あなたはいなくなる
他の誰かになる事も、なる必要もない。
過去も未来も、今を生きてこそ語られる。
経験してきた事を活かし、前を向いて歩くのも今の自分の選択なのだ。
例えばこの瞬間、誰かに嘘をついたり見栄を張ったりする。
口から出た言葉は本当のあなたの言葉では無いのに。
すると、また自分の偽物を増やす事になり、背負うモノも重くなっていく。
自分を偽りの世界に自身で引き込んでいる。
もう演じるしかない。
そうドラマの脇役としてだ。
そして主役争いを始める。
しかも自分の中で。
様々な衣装に高価な飾り物。
次から次へと幻の自分にお金をかける。
ふてくされ、悲観している自分が選択するよりも、朝ちゃんと目覚め生きている事に喜びを見い出している自分の選択の方が、遥かに良い方向になる。
大切なのはこの瞬間の自分であり、過去でも未来でも無い。
そして、それは同じ時間軸にいる人達と共有している事を忘れてはならない。
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