生きる事に不器用でも、
人付き合いが苦手でも、
例え夢を叶えられなくても
辛くて、苦しくとも
海のように
空のように
森のように
大きく深い人でありたい
小さな事なんか
どうでも良くなる
包み込む優しさと
秘められた強さとが
ただ、そこにあるだけ
そんな人でありたい
海という血を引き継ぎ
空という心を持ち
森という魂を宿し
僕らは生まれたから
世の中、きれい事が多すぎて、皆が仲良く幸せになる事は、正直厳しいし無理でしょう。
噓っぱちな事が多いのもみんなもう解っていて、それでもやめられないんです。
その為か昔から、人生を生き抜く知恵や戒めの言葉が多く語られてきました。
その言葉、名言や名句は、何度も繰り返し知恵を授けていますが、形骸化したように、心を素通りしています。
聖書や聖典、歴史上の人物からの引用は、しごく当たり前の言葉がほとんどで、宗教的要素が強い言葉は、まず、その宗教を信じる事が前提になっているので、私にとっては意味がありませんでした。
戦国武将たちの言葉を、ビジネスの世界に流用して活かそうとするサイトや本なども見受けられますが、
考えてもらいたいのは、彼らは命懸けだったという事です。
つまり、生き抜くための本気度が違っているのです。
それをそのまま現代に当てはめる事自体、無理があります。
無駄な事とは思いませんが、噓っぱちのままでは、何の役にも立たないばかりか、かえって自分を大きく見せようと虚勢を張ってしまい、結局口先だけの人間と思われるのがオチでしょう。
心優しい人間でありたければ
ずっと優しい人間でいればいい
誰も見ていなくても
道端のゴミを拾う人間でいればいい
悪口を言わないと決めたなら
ずっと悪口を言わない人間でいればいい
仕事に手を抜かないと決めれば
その通りやり抜けばいい
誰が見ていようといまいと
あんたは、あなたでいい
どこから人間って妥協するようになってしまうんでしょう。
まず「自分ってこんなもんだろう」「世の中ってこんなもんだ」から始まるのです。
「私が、僕が我慢すればいい事だから」「結果は目に見えているから」と。
誰だって限界があり、無理な事は無理なんです。
変えなきゃいけない事は変えないとダメなんです。
何か他の理由を付けて、自分を納得させていませんか?
周りの目を気にして無理やりやっていませんか?
責任をとりたくないと思っていませんか?
所詮、人間が考える事。相手だってその域を出ません。
それでもアバターを使うなら、一流の俳優の様になりきる事です。
だから、決して子供達の前で、汗を拭くところや、疲れた顔を、スーツを半分脱ぎながらやってはいけないのです。見せては駄目なのです。
要するに本気でやる事です。
本気でやると本物になるからです。
昼間の星はそこにあり
太陽は沈みながら昇る
月は欠けても丸く
川は流れながら留まる
雨の中に海があり
風の中には想いがある
そして
逃げても、隠れても
あなたは、あなた
上辺だけの繕いなど
観る者は見破る
本当の自分を出しながら生きていく事は、ほとんどムリです。
社会生活上、何処かで妥協や合意の為の納得が必要になります。
周りに流され、言われるまま行動する事は、ある意味簡単です。
考えなくてもいいからです。
噓っぱちのまま人生を送っても、誰も文句を言う筋合いはありません。
ただ社会が安定し、雇用が守られ、災害や災難の時でも、公助が整備されている時だけの中での話になります。
それもまた幻想かも知れませんが。
そもそも、誰も明日の事は解りません。思わぬことが起きる事だってありうるのです。
そんな時に、噓っぱちのままでいると、乗り越えられなくなってしまうのです。
大方の人が自分の理想とする人生や生き方、幸せを感じ、生き生きと長生きしたいと思っている事でしょう。
素敵な友人に囲まれ、美味しいものを食べ、良きパートナーと出会い、趣味を満喫できるような、ドラマにでも出てくるような生活。
でも、実際には何がしたいのかわからず、仕事も収入を得る為に仕方なくやり、夢が夢のままという人の方が多いと思います。
お金も思うように貯まらないどころか、出費も多くなり、年金だけでは生活もままならない今の日本。
世界を見渡すと、いつの間にか独裁政治国が自由主義国を上回り、領土や人種問題でいつ何が起きるか解らない状況です。
おまけに日本は、プレートの合流する立地故、いつ災害が起きても不思議ではない国です。
今の時代、価値観が一夜にしてコロッと変わる事もありうる訳で、安心安全とは程遠い現状です。
ご承知の通り、食物や原油、その他多くの原材料を輸入に頼っている為、三ツ星レストランや大食い番組、インスタ映え等、そんなところでは無くなる可能性が高いのです。
一極集中のこの国では、首都が災害などで機能しなくなると、生活が一変する事でしょう。
もし首都圏直下型地震や南海トラフ地震が起きれば、ただでさえ道幅が狭い上、車の放置時にキーを付けたまま逃げる人などいないうえ、建物が密集しているので、緊急自動車も何の役にも立たない事でしょう。
空からガラスが舞い落ち、あっちこっちで火の手があがり、スマートフォンも使えなくなります。
東西南北の方向の見方すら分からない人達ばかりじゃ、どうしようもないんです。
富士山だっていつ爆発するか解らない火山なんです。
原発だって安全ってずーっと言われてきたのですから。
それは、遠い先の事では無く、明日にでも起きても不思議では無い事なのです。
いつまでも今の生活が、平穏のまま続くとは限りません。
好きな時に好きなものを買い、食べられるのは危うい世界情勢の上での、奇跡と言ってもいいかもしれません。
そろそろ本気に考えないと、噓っぱちのお偉さん達に巻き込まれ、大変な国になってしまう可能性があるのです。
世の中、透明性が進んだと言われていますが、実際には噓っぱちが今でもまかり通っています。
日本は一応自由主義国なので、不正や犯罪、政治家に対しても自由に発言できますが、色々な面で圧力を加える人達がいるのも事実です。
歴史一つとっても、真実を捻じ曲げようとする人達や、無かった事にする動きなど、何の為の歴史か解らなくなってしまい、折角の学びのチャンスをホゴにしています。
嘘っぱちが、いつの間にか知らない内に、真実として伝わり、未来に対する責任放棄を堂々とやっているのが現実の今の日本の姿です。
自分には関係ないと思って気にも留めない人達や、考えもしない人達が増えれば増えるほど、生きにくい社会になる事に気付いていないのです。
身近な噓っぱちから始まって、国政としての噓っぱちまで、見抜く能力と見過ごさないように見張る力が、どんどん弱くなっている事を、よく考えなければいけません。
それは、個人レベルだけでなく、マスコミまでに及んでいるのです。
小さな噓っぱちを重ね、見て見ぬふりをしながら生きて、何の意味があるのでしょうか?
その為に私達は生まれた訳ではないはずです。
今のところ、国による統制や弾圧が目に見える範囲では、無い日本です。
実際には入管での外国人に対する扱いや、未だに全て可視化されない勾留尋問など問題になっているのも事実です。
だからこそ、誰でも嘘っぱちで生きられるし、とがめられる事もほとんどありません。
独裁政治の国では、本当の自分では生きていけません。言いたい事も言えないのです。
命までも脅かされるのです。
折角この日本に生れたのですから、嘘っぱちでいる必要など無いのです。
名言や名句も大切ですが、その裏にある時代背景や政治情勢がどうであったのかまで、見る力が無いと、馬の耳に念仏と同じです。
先人たちの命懸けの言葉の数々は、本物の自分でいられるキッカケとし、本物の自分であってこそ役に立ち、言葉の想いが受け継がれていくのです。
誰でも、噓っぱちだらけで生きたいとは思っていないはずです。
少しずつでも、本当の本物の時間を味わうように。
それは、本物と対峙する事です。
大自然の中に、例えば海や森、宇宙の雄大さを感じ取れる時間を作るのもいいかもしれません。
素晴らしいアーティストの作品に触れる事もそうでしょう。
仕事に真剣に向き合っている人に、また病気や事故で人生に対し、必死で問いを求めている方々、紛争や戦争の中、それでも生きる事を望んでいる人達の事を考える事からでも、心の中から湧き出てくる何かを感じ取れると思います。
当たり前では無い日々という事を、平和が続くとは限らないという事を、頭の片隅に必ず置いて暮らすべきなのです。
噓っぱちでは無い、あなた自身と向き合い、会話しなければいけないのです。
人生は、一度きりで思ったより長くはありませんから。
「The most important effort mother for a while, is to continue to pursue morality in his actions.」
『人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に道徳を追求していくことです。』
嘘っぱちだらけの世界(3)⦅一度きりの人生!⦆に続く…!