心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

戦争⦅日本の選択⦆(3)

それは、自分に無いモノを他人から得ようとし

底なしのような無力感を感じるはずだ。

そこにあるのは罪悪感に落ちる優越感。

穏やかには程遠い。

何も持てない人達の不幸と、お金や権力を持つ人達の不幸は、

選べるか、選べられないかの差だけで、不幸にかわりない。

仏像もキリストも目をみれば、幸や不幸はそこに無く、

決して、あなたに視線を合わさずに、

迷いも無く見つめている。

こうあるべきという教えも無い。

答えは自身の中にあると言いたげだ。

 

第二次世界大戦後77年目の夏、日本は類を見ない線状降水帯による豪雨で、沢山の方が被災されました。地震も相変わらず頻発しています。

これら天災は、地球温暖化等、人類が直接ないしは間接的にその引き金を引いているとも言われています。

未だ戦争や紛争が続き命が奪われ、戦闘による大量の二酸化炭素の排出をし続けている人類。

以前から海洋生物の体内にマイクロプラスチック(レジ袋、コンビニの弁当箱、ペットボトルの蓋などのプラスチックゴミが微細な粒子になったモノ)が検出され話題になりましたが、最近、人間の血液中にマイクロプラスチックが含まれているという恐ろしい報告のニュースが流れていました。

結局この星に人間が誕生した訳は何だったんでしょう?

46億年前に誕生した地球。約2億年かけて海を作り出しました。

その後38億年前頃、つまり誕生から約8億年後ついに生命が海の中で誕生したのです。

そして酸素が登場するまでに約22億年もかかっているのです。

 

人間が自然に与える影響のスピードがいかに速い事か解ると思います。

宇宙というスケールで考えると、人類はマイクロプラスチック以下の存在に過ぎません。

勿論この太陽系も、ゴミの様なものです。

有っても無くてもどうでも良いくらい、本当にちっぽけな存在なのです。

余りにも小さく、何が起きるか解らない危うさの中でしか人間が住める場所はありません。

それでも人間は、争う事を辞めません。

この星に対して、やらなければいけない事を、どんどん先送りにしながら。

 

欲は誰にでもあります。

けれどもその欲が自分の快適さだけを求めるものである限り、戦争も紛争も無くならないでしょう。

こんな、か弱い地球の上で欲にうごめく人類の姿を、行動を本当に私達は許容していいのでしょうか?

命が生まれるまで気の遠くなる時間と、偶然と奇跡を費やし、その大切な命を僅か数秒で終わらせる愚かな行為になぜ気が付かないのでしょう?

「大勢(たいせい)」は、身に危険が及ぶまで、財産を失くすまでその恐ろしさを知ることは有りません。

すなわち、国民が大勢という流れの中で権力を見ている限り、権力者の思うつぼになります。

疑問も持たずに、その場その場で右往左往し、発信し、同調を求め、意にそぐわない者を攻撃する人達の存在を絶対に良しとしない社会であるべきです。

例え少数であっても、異なる意見を無視する事は、やがて大勢として危険な方向へと舵を切ります。

誰もが自由に意見を言い、話し合い議論を尽くすという民主主義の根幹である事を、私たち一人一人が認識し、政治家に丸投げしてはいけないのです。

大切になるのが、マスコミやSNS等のメディアの役割でしょう。

まだ記憶に新しい忖度という言葉、その様な兆候が最近どんどん問題として浮き上がってきました。

情報を都合の良い様に操作し、兵士や国民に高揚感を与え、正義を押し付ける事は、有事、戦争の際に必ず起きる事です。

事実を隠す事で、無駄に命が奪われる事は、歴史がハッキリと示しています。

その仲介をマスメディアが助長したり、忖度したりしてしまう事は十分考えられます。

そして、大勢が雰囲気を作り上げ、巻き込み、負の方向へと突き進んでしまいます。

SNS 等の個人による情報発信が簡単に出来るようになった現代。

扇動したりフェイクを流す事も簡単に出来る様になってしまい、情報に翻弄されて思わぬ行動を起こしてしまうのです

それは、政治に対しても言える事で、短絡的な民衆受けの良い言葉で、高揚させるような人達の言葉に浮かれてしまい、聞いた側自らが発信者となって後押しをする羽目に陥るのです。

自分を家族を守る為には、やはり歴史の示してきた過ちに目を向け、なぜ間違えてしまったのかという事を紐解く力です。

今だけの事ばかりに囚われて、早急な判断で行動を起したり、他の人達に押し付けたりする事は絶対に避けなければいけません。

 

誰でも過去の事をいちいち調べたり、悲惨な出来事を聞きたくないという気持ちは解ります。

まして自国が犯してきた過ちを認める作業は気の重いもですが、それなくしては未来はありません。

 

日本のすぐそばで、きな臭い事が増えています。

ただ、単純に防衛を含む力に頼る政策に舵を切る事に連動させる事は全く別問題であり、様々な方策を模索し、特に外交による話し合いに重点を置くべき事なのです。

勿論、普段からの外交力が大切ですが、今の日本を見る限り全てにおいて立ち位置が定まらず、場当たり的な政策ばかりをやって来たように思うのです。

原水爆一つとっても、とても被爆国がとる態度とは思えません

77年間、いったい何をこの国はやってきたのでしょうか。

例えば前回も書きましたが、日米地位協定の理不尽さは目を覆うばかりです。

FEN(Far East Network:極東放送網)という名前を知っている方も多いと思いますが、在日米軍向けラジオ局で、現在は名称をAFN(American Forces Network・米軍放送網 "Eagle 810")と名前が変わり、東京では810kHzのAMラジオで流されています。 AFNを含む在日米軍の無線局は全て日米地位協定に基づき電波法の適用対象外となっているのです。

すなわち外国政府や外国企業のほか、役員や議決権の3分の1以上を外資が占めている場合は、無線局の免許を与えないこととしているという制約を受けないという事です。

またアンテナ等の広大な土地も、未だ返還されていません。

空、航空法航空特例法という存在が盛り込まれている為、通常建造物の高さ+300mを保って飛ばなくてはいけないにも関わらず、米軍機は、航空特例法で最低安全高度規制や、迷惑な飛行の規制に縛られずに飛行する事が可能なのです。すなわち日本の上空を自由に飛び、日本の管制を無視できるのです。

またアメリカ軍による日本国内の航空管制のお陰で、航空機が迂回ルートを飛ばなくてはならない事も問題になっています。

低空飛行訓練ルートを勝手に設定もしているのですが、同じ先の大戦での敗戦国のドイツやイタリアは、自国が管理しているのです。

その他、この地位協定は犯罪が絡む様な様々な問題を起していますし、思いやり予算と言われる在日米軍駐留経費負担も、経費負担率(2002年)で実に74.5%も負担していて世界で一番の負担率で、毎年2.000億円ほどの支出をしているのです。この中から娯楽施設の人件費も支払われている事も解っています。

このような思いやり予算に対して、「守ってもらうから仕方がない」とか「防衛として考えるならば、むしろ安く済んでいる」という人達もいますが、言いたい事や主張も出来ず、犯罪者さえ厳正に日本の法律で処罰できない現実が、はたしてこの国の為になるのでしょうか?

前回でも書きましたが、大国は自国の利益を最優先に、それも巧みに計画を立てています。

いわば日本はカモにされている可能性が大きいのです。

対等に、自由主義国として渡り合える関係を持つ為には、曖昧なその場に合わせる様な態度でいては、いつまでたっても言いなりで、対等にはならないのです。

出来ない事にはハッキリとNOと言える政治家が必要なのです。

 

アメリカが良い悪いと言っているのではなく、むしろ日本政府の腰の引けた態度に危機感を感じるのです。

歴史は過去からの教訓を学ぶ為のもで、戦国武将の戦術や名言を評価する為ではありません。もっと近代史に力を入れるべきです

そして、全ての過ちも含めた事例を次の世代を担う子供達に教えていくべきです。

国歌斉唱も「日の丸」に一礼する事も、それが何の為にやっているのか、何を心に訴えかけるのか考える機会がないまま、形式だけでやったとしても意味があるとは思いません。

愚かな戦争で敵味方含め、亡くなった多くの人達の「お国の為」「生きろ」「生き抜いてくれ」という想いの裏にある「こんな愚かな事で死にたくない」「二度と同じ過ちを繰り返すな」「駒のように動かさる様な屈辱を、次の世代に味あわせないで欲しい」「無駄死にしてはならない」「生きて帰りたい」という悲痛な想いがあったはずです。

単に「尊い命があったからこそ…」とか「彼らの犠牲の上に…」「英霊の御霊に哀悼の誠を…」という言葉で、格好だけで済ましてしまうお偉方に、その裏にある一人の人間としての声にもっと耳を傾けるべきです

いつか世界中の人が、笑顔で青い空を見上げ、澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込める日が訪れる事を願いたいものです。

その日、人類はやっと進化した日として、歴史に刻まれる事でしょう。

 

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