「暑い、暑い」と風を待つ
木陰のまだらな陰陽が
涼感を呼び寄せて
当たり前の日常に感謝する
戦火の中で逃げ惑う
「暑い、暑い」と叫ぶ声
時を経て聞こえるその声に
想いを馳せて汗を拭く
無駄では無かった命だと
風は心を通り抜け
大きく心を揺さぶった
今の日本のGDP「Gross Domestic Product」国内総生産はIMF(国際通貨基金)が発表した2021年度世界3位で、まだ経済力は高い方ですから、そのおかげで防衛力は世界でも5位(GLOBAL FIREPOWER 2022参照)。
アメリカからの武器購入等で最新兵器を所有してはいますが、自衛隊員数は約26万人で、お隣の中国は2~3百万人もいます。(正確な数字は解りません)
また自国だけで情報収集する能力は同盟国無しでは極めて低く、情報共有というシステム無しでは、電子戦とも言われる近代の戦争で勝つ事はほぼ不可能に近いのです。
また攻撃や防御するとなると必ず補給、すなわち兵站(へいたん)が必要になります。
先の大戦でも、補給路を断たれ数多くの人達が飢餓や自決に追い込まれました。
島国である利点は、裏返せば不利な条件ともいえ、兵站(へいたん)が断たれれば何も出来なくなります。
今の台湾情勢を見れば解るはずです。
その時、同盟諸国はどうやって兵站を確保してくれるでしょうか?
制空権をいつまで保持できるか?
いくら最新の兵器があっても、弾薬や食糧や燃料が無くなれば意味のないものになってしまうのです。
ウクライナの戦争でも、ロシア軍の車両のタイヤ性能が悪く、役に立たなくなる事例もニュースとして流れています。
タイヤ一つとってもこのような事が起きるのです。
世界で起きている紛争地で見かける運搬や軍用車両として使用されている日本車の多さも、整備性や耐久性を考慮しているにほかなりません。
果たして空と海、四方八方からの攻撃にどうやって立ち向かうのでしょうか?
兵士に志願し、前線で戦える人材をどう確保し送り出すのでしょう?
ましてアメリカの核の傘の下と言っても、アメリカ本土を狙って攻撃されると日本の事等かまってられなくなるでしょう。
そして日本が狙われるのは通常であれば基地だけでなく、原発や発電設備、エネルギー貯蔵庫、放送局や海底ケーブルと誰が考えても解る事です。
勿論レーダー補足が出来ない無数のドローンなどの無人機による攻撃やサイバー攻撃にさらされ、インフラが破壊され、ガラス張りのビルから雨の様に降り注ぐガラス片や、道の狭さから緊急自動車は通れず、密集地域では次々と火災に見舞われる事でしょう。
タワーマンションは、逃げにくい構造、すなわちエレベーターが止まり、海からの強風や火災による火災旋風によりヘリも飛べないでしょうし、飛べたとしても一度に大勢乗せることなど不可能です。
そもそも有事の際に飛ばす事さえ出来なくなるのは目に見えています。
一極集中の東京はパニック状態になる事は間違いありません。
そして誰かが核のボタンを押せばもう破滅しかありません。
例え直接日本に落とされなくても、核爆発による電磁パルスの影響で電子機器は使用不可能になり、風向きによっては放射能が飛んできます。
それだけでも生活は一変します。
1986年4月に起きたチョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故での子供達の甲状腺がんの増加も現実にあった事ですし、未だに放射能を食い止める為、石棺(コンクリートの建造物)で封印され、さらにそれを覆う構造物まで作られているのです。
放射能は日本の雨水からも検出されるほどの規模でした。
責任や因果関係を未だ認めていない福島原発爆発による被ばく問題も、何ら解決もされていないし、最近ではニュースにもならないのです。
何度も書きますが、始まれば終わりなのです。
これまでに電力不足や災害による停電、通信事業者や銀行のシステムトラブル等が起きる度に、大騒ぎになる様な、いわば脆弱(ぜいじゃく)そのもののこの国の実態を、現実を見なければいけません。
当然ながら日々貯めている買い物ポイントも、全て消失しますし、カード類はゴミとなるでしょう。
想像すれば解るはずです。
どれほどの家に爆撃に耐えられるシェルターが備わっているのでしょうか?
何日にも渡って自給自足が出来る家が、どれほどあるのでしょうか?
放射能からの防御体制、例えば風向きの把握や安定ヨウ素剤(40歳未満のみ服用化ですぐ飲まないと効果は薄れます)の備蓄をしている家や、自治体の何処にあって、どの様な配布方法をするのかは知っていますか?
戦争に伴う様々な病気の蔓延、化学兵器使用時にどう対処するのでしょうか?
陸路や空輸、船で本当に必要物資を届けられるのでしょうか?
そもそも日本の高速道路は緊急着陸できる構造になっていませんから、ガソリンや軽油が尽きれば車両による補給も困難になるのです。
そして、いったいどこの誰が責任を取るのでしょうか?
一体誰が検証するのでしょうか?
国民が安全な戦争があるなら教えて欲しものです。
被爆国である日本がやるべき事は、核廃絶と偏りのない世界の国に対する金銭的、人的支援や技術協力、経済やインフラ整備の支援や子供達への医療教育支援など、いくらでも出来るはずです。
国際的な人道支援団体に個人的に参加する人を増やす方法を考えてもいいかもしれません。
若者達の国際交流を盛んにしてもいいでしょうし、世界中に手紙やSNSで友達を作る企画や難民認定のハードルも必要以上に高いままにするのではなく、むしろ積極的に受け入れ、人口増加や若者が増えるようにする事だって考えても良いと思うのです。(一部の人達が民族や宗教、血縁といった理由で否定的な人達がいるのも事実ですが)
また核の傘と核兵器を無くす事とは、次元の違う問題であるはずです。
にも関わらず、明確な態度を取らない姿勢は、かえって信頼を失います。
友好国との付き合いは対等な立場でこそ成り立つもので、正に忖度したり、顔色をうかがうような態度を取っていれば、世界の笑いものになる、いやなっているかもしれません。
世界で一番長い歴史を持ち、唯一の被爆国という立場でのNPT(核拡散防止条約)で核廃絶を夢物語に終わらせないようにリーダーシップを取り、国連の戦勝国に有利な在り方を改め、正常に機能させる役割、本来あるべき姿に変えていく事に真剣に努力をすべきなのです。
その姿勢こそが、日本を守る事が出来る最大の武器となるのです。
加えて日本の救助隊が海外に派遣され活躍したり、名も知られていない日本人が、世界中で現地の人の為に尽くしてきたりしてきた事を忘れてはいけないのです。
その様な行為に対して裏切ったり、無駄に終わらせる事は愚かな事以外何物でもありません。
そしてその様な支援が信頼や友好を強め、守りの壁となって攻撃対象とは絶対にならないでしょう。
親切にしてくれたり優しくしてくれたりした人を殺そうとうとは思わない事と同じ事です。
国際結婚している私も、妻の国の人達に親しみを持っていますし、友人もいます。
その彼らの国を攻めようなんて思いませんし、身近に外国人の方々と接している人なら解るはずです。
何より地理的にもそうですが、宗教問題や民族問題による国内における対立があまり無く(カルト的な宗教団体や政教分離と言われながらも政治に対する影響は、少なからず無くなっていませんし、ヘイトや入管による人権を踏みにじるような行為、外国人労働者に対する一部企業の搾取等は依然存在し、今のところ改善されてはいません)、政治的には、他の国に比べはるかにその様な問題に時間やお金を割く事が少ない国が日本です。
米ソの東西冷戦時、アフリカは鉱物の宝庫という事もあり、大国に翻弄されてきました。
今でもアフリカで話されている言葉の種類からも、それがうかがえます。
冷戦以降も、いや遥か昔から大国は自国の利益を求め他国を植民地化し、鉱物や石油に限らず人的な資源の確保をする為、航路確保や寄港地にする為、侵略や紛争へと突き進んできました。
アフリカに限らず、上記の理由に加え布教活動及び強制改宗の目的で占領された国は山ほどあります。
そして、彼らが去った後は内戦が勃発し、宗教争いが始まり、権力の取り合いと進んでしまったのです。
日本も歴史の教科書に出ている様に、植民地化しようと他国に翻弄されましたが、その頃は戦国時代であり、中央集権国として統一された時期で、武器(鉄砲等)や士気の高い戦士の数も多く、いわば軍事大国状態であった為、宣教師は本国に侵略は困難であるとの情報を送り、功を奏した事と、宣教師による布教(侵略する為という側面もあったとされる)でも国民全体を改宗させるような影響を与えなかったのが幸いしたのです。
(一方で日本は、他国を欧米の植民地支配(侵略)から独立させる、また日本が独立国家としての存続を脅かされる危険という前提で他国に対し勢力を拡大した側面もあり、今でも賛否が分かれるところで、国によって日本に対する感情が違うのは知っての通りです。)
日本は資源を他国に依存しています。
それは、非常に不利で弱点であると同時に、裏を返せば資源が無い事は、侵略されるリスクも多少でも低くなります。
他国から見れば災害が多く、資源が少ない国を手にしたところで何の利益もありません。
だからこそ話し合いや、時には仲裁を率先してやらなければいけませんし、それが出来る国なのです。
ご機嫌取りの様に、軍事的に足並みを揃えるばかりが外交ではありません。
同調できない事があれば、ハッキリと意思を示さなければ逆に信頼を失ってしまうからです。
何より重要なのは、歴史的な史実や事実を隠す事無く、未来につながる子供達に教えなければいけません。
無かった事にしたり、負の部分を載せないだの、こんな事を許してはいけないのです。
愛国心がそがれるといった意見を述べる政治家もいますが、全くの間違いで、正にプロパガンダであり、本当の意味での愛国心を生み出さなくしてしまいます。
人に例えれば解る事で、悪い部分を知ってもなお理解してくれるからこそ、お互いに信頼関係が生まれます。
上辺だけの美化された人や国は、やがて化けの皮が剥がれ落ちるのです。
「Never do anything against conscience even if the state demands it.」
『もし状況がそうすることを求めても、良心に反することはどんなことであってもするな。』
アインシュタインの言葉より
このブログ「魂とは?霊とは?」でも書いていますが、戦争になれば命の引き継ぎの中での「魂」という故人の想いを、伝える事すら憚(はばか)ったり話さなかったりと、受け継ぐことが出来なくなってしまいます。
それは、当事者が味わったあまりにも無残な経験が、口を閉ざさせてしまうからです。
死はその人の全てを消してしまうのですが、残された者に想いが託されていきます。
一人一人の想いが積み重なって、争う事の愚かさを歴史として積み重ねてきているのです。
地球上で、過去の事を知る事が出来る動物は人間だけという事には必ず意味があるはずです。
何の為に生れ、死んでいくのかさえ解らないまま命が失われる事の無念さや悲しみは、本人のみならず社会にとっても、そして未来にとっても何もいい事はありません。
軍事費が必要で無いとは書いてはいません。
残念ながら、領海侵犯による脅威や漁業に影響を及ぼす事例も沢山発生しているのも事実です。
「日本政府は弱腰だ!」との声も聞かれるようになってきました。
ただ、だからと言って単純に防衛費を増額し、防衛力を高める事と短絡に結びつけることが果たして正しい事なのでしょうか?
別の問題として考える必要があるのです。
何故なら、走り始めると止める事が出来ない事は歴史が証明しています。
だからこそ前述の様な外交努力が今以上に必要であり、物事を短絡的に考えてはいけないのです。
本当の事を僕らは知らない
臆病で弱くて
残忍で粗暴
古い動物脳がそうさせる事を
動物は生きる為
人は恨みの為
引き出すのは戦争だ
この星は
それを良しとしない
命溢れる星として託した人間を
許しはしないだろう
国のやる事を傍観者として見ては絶対にダメです。
誰も責任を取ってはくれません。
何より、死んだ人間は行き返らないのです。
そして、若い人達や子供達が真っ先に死ぬ事で国が存続すること等ありえません。
あなたの家族や、知り合いが派兵される事を想像してみて下さい。
有事が起き、日常生活が一変する事を、憎しみが連鎖していく恐ろしさを、どうか想像して欲しいのです。
日本国憲法第2章「戦争の放棄」第九条
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
そして日本国憲法の前文には、
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
と記されています。
読めば解りますが、「全世界の国民」という文言が入っている事に心打たれはしないでしょうか?
権力者や政治の暴走を止める役目になっているこの憲法を、そして日本国民だけでない世界に目を向けての決意を記した憲法を私は誇りに思います。
前にも書きましたが、憲法は例え選挙で選ばれた政治家であっても、人間である以上間違いを犯します。もしくは、保身や権力行使による望まない判断を下す事もあります。
その様な事から国が思わぬ方向に舵を切り、国民にとって不利益になる事を防ぐ防波堤の役割をしています。
世界情勢が変わったからと言って、簡単に改正するものでは無く、あくまでも自国の権力に対する抑止という観点から十分な議論と時間をかけて考えていかなくてはいけません。
何故、この条文が作られ、どんな意図があるのかを、歴史を紐解きながら全ての国民が考えなくてはならない大切な事なのです。
と同時に、世界に類を見ない平和を謳(うた)っているその趣旨を、もっと世界中に知らしめる必要があるのではないでしょうか?。
日本は一度決めた事を、やめたり見直したりする事をしてこなかった事を思い出して欲しいのです。
自衛隊の海外派遣やオリンピック、元首相の国葬などを始め、原発再稼働から議員に対する様々な使途不明金?手当や忖度。政教分離の在り方まで、おかしいと解っているのにもかかわらず、検証や見直しも逃げ腰で責任を誰も取らない、取らなかった事を繰り返してきた事実を忘れてはいけません。
大義名分として「議論は尽くした」「国民の総意」とか「理解を得ている」「反対する者はごく少数」「真摯に受け止める」「意見として参考にする」「取り組んでまいりたい」という言葉を真に受けてしまう事は、ごまかしや道をそれてしまう可能性があるという事も十分考えられますし、実際に起きているのです。
決めてしまうと後戻りをしないという事が、いかに恐ろしいかは、先の大戦を始め歴史が示し、警告しているのですから。
更に、マスメディアによる監視の目も、その機能を発揮していないばかりか、政府に忖度するような姿勢でいる事も非常に懸念されるところです。
先の五輪でも、コロナ患者が多数出て、死者の数が増えている時に、公共放送は朝から晩までオリンピック番組を放映していたのを思い出して下さい。
私達は、備わっている「想像力」を大いに働かせて、未来を救う道を見つける時を迎えているのです。
その担い手になる国として、日本であればこんな素晴らしい事は無いでしょう。
この時期、お盆にお墓参りをしたり、モニュメントや寺社に行ったりする事でしょう。
そこでの祈りは先祖がいたらこそ、自分がいて今を生きている事への感謝の祈りでしょう。
そして、過ちを繰り返さないという決意のはずです。
今の時代、SNS等で個々に出来る事は沢山あります。
声を上げる事や、呼びかけ、世界に対する発進と、若い力が平和へと動かせる時代です。
世界中の未来を担う子供達の為にも、戦争は絶対にしてはいけません。
「Peace is not intended to be forced.It is only by understanding, something that can not be reached.」
『平和は強制できるものではない。それは理解することでしか、到達することができないものだ。』
アインシュタインの言葉より
(記事は出来るだけ正確に記しているつもりですが、間違い等があれば指摘をお願い致します)
戦争⦅日本の選択⦆(3)に続く