心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

戦争⦅日本の選択⦆(4)

人類が誕生して以来、争い事が無くなる事は無かった。

国内での争いや他国との争い。

そして侵略や植民地化とどれも権力、利権争いが主な原因だ。

それ以外にも宗教や民族の違いによるによる争いと人類は平和とは無縁の歴史を刻み続けている。

未だに、世界のあちこちで紛争や戦争だけでなく、迫害や差別、権力争いが続いている。

 

第二次世界大戦後76年が過ぎた

毎年の様にこの時期になると様々なイベントが催され、番組が流される。

忘れてはいけない事として、年に一度は振り返る時があるのは素晴らしい事だが、単なる行事化となる事が恐ろしい。

戦争経験者もほとんどの方が亡くなり、歴史的な記録や残された証言、資料でしかその非道、悲惨さを知る事が出来ない。

実体験が無い者にとって、実感が湧かないのも致し方ない。

実際、戦争の恐ろしさなど気にも留めない人の方が多いのも、良くも悪くも平和の日本で暮らしているからだ。

そして、近代史の歴史認識を学べない教育の弊害かも知れない。

 

よく戦争では正義という言葉が使われ、祖国の為や愛国心、家族の為と次から次へと後付けの様に士気を高める為に使われるが、実際その事を信じ散っていた多くの人達は覚悟が出来ないまま、死ぬ事を恐れずに戦闘をしていた訳では無い。

まして、情報を与えられない、もしくは都合の良い情報ばかり流れてくれば判断する材料も無く、恐れる気持ちを奮い立たせる為の一種の自己暗示だったと思う。

それは純粋に愛国心や家族を守るという気持ちを持って戦いに挑んでいたとしても、普通の感覚でいられない戦時下に直面すれば、何の為の戦争であり、自分は何の為に駆り出されているか疑問に思うのも当然である。

ウクライナの戦争でも、ロシアでの若者の国内流失からも見て取れる。

 

一方で近代、戦争の在り方が変わりつつある。

それは、IT (information technology「情報技術」)・AI(artificial intelligenceの意味は、「人工知能」)・DX‘(digital transformationの意味は、「デジタル変革」)といったいわゆるデジタル機器等での戦争である。

特に無人機、ドローンによる攻撃やAIを駆使してミサイルからライフルまで確実に目標物を捉える技術の急激な技術革新、そして戦術核による使用や、最終兵器の脅しや最悪の使用。

また使用禁止になっている様な兵器の使用と兵士、すなわち人間の損失を減らし最大限の効果を出す戦争の戦い方に移行しつつある。

だが犠牲になるのは一般市民である事に変わりない。

とりわけ子供達は未来を奪われるだけでなく、孤児になり洗脳され兵士や自らの自爆等に利用される事である。

どれほど技術が進もうと、今まで以上に一般人の被害は多くなるのは目に見えている。

今年4年ぶり国際的な武器の見本市「DSEI JAPAN」が千葉市幕張メッセで行われ、今まで以上に近代兵器の展示も多く、日本も含め兵器開発による軍需産業の利益は今後も莫大になる。

正に戦争によるお金儲けであり、日本がその一端を担う事は大いに危惧するところである。

最近も日米間による首脳会議が開かれ、中国を念頭に同盟国としての連携を確認にしたが、どれをとっても「力には力で」という考えがベースに話が進んでいるのに変わりない。

 

私達一般国民が知らない内に、戦争という恐ろしい現実が裏では進みつつある。

考えれば解るが、メイドインジャパンの兵器で肉親を殺されたらどんな気持ちになるだろうか?

少子化と言われる日本で、過疎地や一人世帯や高齢者が増え、有事の際どんな自己防衛や避難、インフラの確保が出来るのであろうか?

今や日本の全てが射程内になっている。

すなわちミサイルだけでなく、ドローンによる攻撃をされる可能性は高い。

しかも島国であるが故、位置的にも国外退避はごく一部の人達だけだ。

だからと言って、力で対抗するとなると自国だけでは不可能だ。

逆を言えば同盟国の戦争によって、日本も重大な責務を負う事になる。

そう、以前にも書いたが戦争を始めれば終わりなのだ。

 

ではどうすれば平和憲法を持つ国としてやらなければいけない事は何か?

やはり教育に尽きる。

歴史を紐解き、戦争の残虐性や普通の人間を悪魔に変えてしまう極限な世界である事、敵、味方に関わらず国民に遺恨を残すだけでなく、日本在住の外国人との衝突が起きる事や産業を含め輸入に頼る国として機能不全になる事、地球温暖化に加担する事やエネルギーの枯渇による混乱等、あらゆる損失や犠牲を想像力を使い、子供達が考える機会を増やすべき、いややらなければとんでもない事になるのだ。

学校だけでなく、家庭でもその様な機会を作るべきであるし、マスコミも先の大戦の反省も踏まえ、この時期だけでなく、もっと政府に忖度することなく情報や様々な意見を取り上げ世間に知らしめるべきだ。

 

今の政府は日本国憲法を理解しているとは思えない様な行動や言動を繰り返しているが、その憲法こそが権力者を暴走させないためのもである事を国民全体で再度共有すべきであり、国民が、マスコミが圧力をかける事で、危険な考えを押しとどめる権利の行使が出来る事を今一度考えるべき時期だと思う。

 

この時期、閣僚による参拝や奉納などがニュースになるが、生きている人達への尊厳なくして死者に対する尊厳を守る事は出来無い。

それは、死者が何の為に死んでいったかを考えると解るが、彼らは生きて日本を再生して欲しいと思いながら散っていったのだ。

それが平和である国の構築や存続であり、何より二度と戦争を起こすなという想いなのだ。

彼らへの尊厳を守るという事は、平和こそが表せるものであり、参拝や奉納では無いし、同盟国と足並みをそろえる事でも無い。

まして、最悪の事態で戦地に送り込まれる兵隊に対し、個人の尊厳など無視される事は明らかだ。

遺骨収集も遅々として進んではいない。

遺骨収集事業は1952年度に始まったのだが、沖縄などの国内以外に海外や海に沈んだ遺骨の収集もまだまだ進んではいない。

沖縄の辺野古基地問題でも、政府が埋め立て土砂の採取候補地に本島南部をあげ、遺骨が混じっている事で反対運動等大きな問題になった。

遺骨の取り違え、すなわちDNA鑑定の遅れによる日本人では無い事の可能性が高いという事実もあり、また遺族や関係者の高齢化により聞き取り情報も減る一方で政府が本気を出していない表れでもある。

肝心なのは遺族の元に還す事は、平和でなければ出来ない事でもある。

 

今方向を変えられるのは、私達国民一人一人の意識なのだ。

そして未来を担う子供達への想いであり、何より想像力だ。

決して、力での政策を許してはいけないのだ

語り部達が紡ぐのは

無念と心残りの千羽鶴

届く宛てない折り鶴は

今でも重なり風に舞う

いつか平和の訪れに

絆の糸が解き放ち

羽ばたくその日が来るのだろうか

 

 91歳で自身のシベリア抑留体験の語り部になった、西倉勝(にしくら・まさる)さん(96)のお話をごく一部だが聞く機会があったが、経験された本人から聞く事の重要性を再認識させらた。

今後、経験者の語り部の方達も高齢になり亡くなってしまうのだ。

 

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