今の日本の国民は、全部がそうとは言えないが、保守的なのか希望を持てないのか、外圧からの力に歯向かう事をしなくなっている様に見える。
フランスでは、今年の初め年金の支給を開始する年齢を64歳に引き上げる年金制度改革案に対し反対するデモが各地で行われ、参加者は100万人を超え大規模なものとなった。
若者にとっても、ほおっては置けない年金問題も、日本では知らぬ間に引き上げられ、デモも小規模なもので、ストライキも無かった。
勿論ネット上では様々な反対意見が見受けられたが、お上の決めた事は仕方がないと諦めているのか、国民全体のうねりの様な政府に対する圧力も無く引上げは可決した。
実際引上げを喜んでいる人などいない。
受け取る金額を減らされたくない為に我慢している人が殆どだろう。
私から見ると、裏にある年金の無駄遣いや、いい加減な記録管理問題など過去の事は全くなかった事になっている。
支える側の若者達に、前述の様な裏にあった問題を見てきた大人達はちゃんと伝えてきたのだろうか?
一部の人達の意見として、今の若者は右傾化(保守)しているとも言われている。
確かに生きにくい世の中で、年金も少なくなり受給年齢も引き上げられ、衰退していく日本の現実にさらされ、先も見えず現状を何とか維持したいと、そして時間を自分や家族の為に使いたと考えてはいるだろうが、右傾化しているとは思えない。
SNSで過激な発信をし同調する人も多いが、ごく一部の若者に過ぎない。
むしろ逆で、多文化に興味を持ち、過去の歴史に囚われずに様々な外国からの情報をうまく取り入れている。
勿論戦争も誰も望んではいないだろうし、個々の交流こそが平和を維持すると思っているだろう。
平和ボケと言う人達も多いが、平和ボケのの何処が悪いのか解らない。
むしろ危機感をあおって戦備拡大をする事の方が平和ボケだろう。
何故なら、過ちの歴史に学ばないばかりか、同じ轍を踏もうとしている。
平和だからこそ出てくる発想で、正に平和ボケだ。
若者より変わらないのは、中高年世代の方が多い。
良し悪しは別として、守るべきものに溢れ現状を維持し手放す事を嫌う人達の事だ。
戦争経験者が殆どいなくなり、その悲惨さを実感できない今。
TVで見る惨状に対し、「戦うべし」と短絡的な考えを持つ人達が多くなっている。
そして、小さな世界観でしか、すなわち身近な生活や仕事の範囲を超えようとする大きな視点が欠けている様に感じる。
戦争や紛争も、どこか遠い所で起きている事であり、隣国の脅威は感じつつも、争いがどんな惨状を招くか深く考えない思考停止状態になっているかのようだ。
外交も政府が何をやるのか、何を基本としているのかには関心が無く、身近な税金や物価、経済といった側面からしか見ていない。
生活がかかっている為致し方ない事かもしれないが、全ては裏で繋がっている。
支持率の為の耳触りの良い言葉の裏に何があり、何をしようとしているのか?関心を持たなければ、今守っている、持っているモノを全て失くしてしまう事だってありうるのだ。
1970年に開かれたアジア初の大阪万博のスローガンは『人類の進歩と調和』だった。
正に今、人類が調和という土台で精神的に進歩しなければ、何の為の歴史だったのか意味をなさなくなってしまう。
過ぎ去った半世紀、果たして人類は調和のもと進歩しただろうか?
政府は「やられる前にやっつけろ」とも取れる様な方向性に持っていこうとしている。
そして専守防衛としては役に立ちそうにないミサイルまで購入する予定だ。
アメリカのご機嫌をうかがう裏の事情があると考えるのが普通だろう。
2025年大阪万博が開かれる予定で、スローガンは「いのち輝く未来社会のデザイン」という事だが、紛争や戦争、きな臭い世界情勢の中で、いのちが輝いている子供達がどれほどいるのだろうか?
経済の活性化や関連企業の利益の裏で、開催の為のお金の使い方がテーマに即したものになるのか?
開催地の大阪だけでなく日本国民として、その万博の意義を見守らなければならない。
NHKの番組「映像の世紀 バタフライエフェクト」『危機の中の勇気』を見た方も多いだろう。
2001年(平成13年)山手線新大久保駅で、泥酔した男性がプラットホームから線路に転落し、その男性を救助しようとして、線路に飛び降りた日本人カメラマンと韓国人留学生が、折から進入してきた列車にはねられ、3人とも即死した事件が冒頭から流れた番組。
その後韓国人のご両親がアジア出身の学生の為の援助奨学金財団を設立し、命の尊さを教えられたのだが、その一方で番組では取り上げられなかった事だが、事故に遭ったカメラマンと同居していた母親は、国や市からの表彰について、近所の知人に対して「本当はそっとしておいてほしい、美談であっても息子が死んだことには変わりがない」と嘆き、事故から数年後に孤独死しされた。
いくら勇気を称えられても命が戻る事は無い。
まして、例え時が癒すと言っても家族にとってはつらい、忘れられない毎日を過ごす事になる。
命と引き換えに、優しさや勇気を惜しみなく発揮した名も知らぬ人達のお陰で私達の今があるが、その裏にある家族や友人たちの悲しみも忘れてはならない。
番組では、その他にも「アメリカ同時多発テロ」等の危機的状況の中で勇気を与えた人達に焦点を当て、それが人々に連鎖していくという内容だった。
人間は勇気や思いやりを生まれた時から誰でも持っている。
様々な惨劇や災害から助かった命を映像や話で聞くと、感動し我が事のように嬉しくなる事からも解る。
しかし逆もしかりで、いざ戦争や紛争になると残虐な事もするのが人間なのだ。
人は生存の為、社会を形成しその為に共有し共鳴する能力を磨いてきた。
その歴史は常に味方と敵という構図のもと、争いの歴史とも言いてもよいくらい、いつまでたっても懲りない人類の愚かさの連続だ。
気を付けなければいけないのは、称え勇気を与える話は耳や目にする事は多いが、負の部分である人間の中に潜んでいる残虐性の事はあまり伝わってこない。
同列で考えることは出来ないが、スーパーに並んでいる肉は、食肉センターで殺された牛や豚であり、その大切な命を頂く為に「頂きます」という言葉がある。
何事にも表と裏があり、裏を知る事で表の素晴らしさが解り、理解が深まる。
もう一つ例を挙げて見よう
3.11の大震災後の計画的停電を経験された方も多いと思うが、普段停電する事はほとんど無いし、停電しても復旧も早い。
電気に依存している社会上、停電は避けなければいけない重要なインフラの一つに間違いない。
政府は原発推進論に変えようと舵をきり、放射性廃棄物の処理が完全に決まっていないばかりか、歴史に蓋をし、負の裏を見ないでいる。
事情は違うとはいえ、ドイツは3.11の教訓から廃止した。
大切なのは負の部分、すなわちこの場合、安全神話は無いという事や立地条件を含めた危険性、大規模な避難計画、何より放射性廃棄物の処理をうやむやにしている事だ。
そして、快適さばかりに重点を置き、将来を見据えた、すなわち子供達の未来に対する責任という視点がどの問題でも大きく取り上げられない。
電気の大切さ、安定供給が前提だとしても、裏の部分がしっかりと担保されていなければこのままでは有事の際にどんな事が起きるのか想像も出来ない。
冒頭で書いた平和ボケの話も、ちゃんと伝えていない政治家やマスメディア、大人側の責任でもあると言える。
今、日本の平均寿命は2019年度で84.3歳(厚労省)、世界全体でいうと2019年度は73.3歳(WHO)。
約80年間生きる事になる。
すなわち、生きている間に三世代に渡って「想い」を共有する事が出来る。
戦争の恐ろしさや憎しみの連鎖、平和の尊さや戦争を絶対に起こしてはならない事を一人の人間が伝える事で、世代を超えて連鎖し広がる事を意味する。
それは、年寄から若い世代へという一方通行では無く、幼子や若い人達からもらうエネルギーという両面があり、相互作用によってより深みが増す。
家族だけでなく枠を超えて次々と連鎖を起していけば、大きなうねりになり、国を動かす事だって出来るはずだ。
戦後78年、日本国内では平和が保たれている。
そして、他国に攻撃も死者を出す事も無かった。
武力では何も解決できない事も学んできたはずだ。
この平和な国で、当たり前のように過ぎていく時間を大切にする為には、戦争をしないという憲法を大切にしながら信じ続け、次世代に受け継がせていかなければならない。
この星が生まれ、人間が誕生して以来殺戮の繰り返しだ。
地球の何処かで絶え間なく続く愚かな行為。
その陰で一体何人もの子供の命を奪ってきただろうか?
一体何人の子供達の夢を奪ってきただろうか?
今を生き、未来である子供達を守り育てるという事は、過ちを繰り返す為でも無く、憎しみを増幅させる事でも無く、人間の未来をどう描いていくのかということに尽きる。
歴史を振り返り、武力に頼らずとも平和を実現できると信じ、そして信じ続け、その道を探る努力を怠ってはいけないのだ。
命の連続は、後の世代に受け継がれていく事を意味する。
良心の連鎖か憎しみの連鎖か、それは今を生きている私達にかかっているのだ。
そして裏にこそ、その選択が隠されていて、伝える側の真剣さが試されている。
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