心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

表と裏⦅人間性⦆(1)

30代の頃、演歌のプロモーター、主催者関連の仕事をしていました。

アルバイトを探している時にふと目についたのが{音楽関係の仕事}という項目でした。

ですから演歌とは知らずに面接を受け、採用されました。

演歌に興味は全く無かったのですが、お金に困っていた事もあり始めたのです。

全国各地のホールで開かれる名の知れた演歌歌手のコンサートの主催者側のサポートという位置づけの仕事で、前売りでさばけなかった空席を埋め、当日の売り上げの数パーセントが利益となる仕組みの会社でした。

ポスター張りや宣伝カーを走らせたり、スーパー等の店に割引券を置かせてもらったりするのが主な仕事で、当日は会場のチケット売り場で割引券を持ったお客さんに、「あと、千円出せばいい席がありますよ」と声をかけ、席を埋める事もしていました。

ポスター張りは時効なので書きますが、深夜コンサートが開かれる町の電柱にポスターや捨て看と呼ばれるのぼりの様な看板を括り付けたりもしていました。

勿論商店の壁にもお願いをして張らせてもらうのですが「こんな不細工な顔のポスターなんか張らないで!」「壁が汚くなるから」と追い返される事も何度もありました。

当日の売り上げによって私の勤めていた会社の利益が変わってくるので、いかに会場に人を呼ぶか。

そして来られた人にワンランク上の席を買ってもらうかが勝負という仕事です。

勿論事前に前売り券は売るのですが、よほど大きな特別な催し物でない限り首都圏や地方公演で完売することは、例え大物歌手でも有りません。

まして昔の演歌歌手の方の場合、名は知られていても前売りで埋まる事は0でした。

ですから、席を埋めてくれる私達の会社が主催者側にとってはありがたい存在だったのです。

何故なら、席が空いていると歌手側のプロダクションからクレームが入ったり、所属歌手のスケジュールを取らせてもらえなくなったりするからです。

どの主催者、プロモーターも大物歌手を呼び、利益を上げたいと考えている訳ですから、とにかく当日満杯にする事を優先にしていました。

 

着ぐるみのコンサートや犬猫ショー、格闘技やドサ回り、いわゆる営業という仕事で全国各地の小さなホールでの芝居公演と色々な仕事もやりました。

私の仕事は、一つのプロモーターだけでなく、色々な主催者のお手伝いという仕事なので、主催者よっては仕事の内容も違ってきます。

この仕事を始める前は、演歌の主催者は反社会的な人という捉え方をしていましたが、実際には少しヤンチャな人達で、サラリーマンのような人も沢山いました。

彼らの多くは、礼儀正しい人達でサバサバした人が多かったのにビックリしたほどです。

公演当日にはお酒に酔った刺青の人が来たり、棒を振り回したりする人もいましたし、割引券や招待券で何でお金を出さなければいけないと詰め寄る人も沢山いました。

そのような人をなだめたり、説得したりするのも私の仕事で、意外と素質があったのか、

主催者の人達から重宝されて、その分給料とは別に主催者側から大入り袋を貰ったりと稼ぐことが出来たのです。

全国各地の市民ホールや会館で開かれる演歌のコンサートを行う場合、行った先の反社会的な人達とどうしても接点を持たなければいけなくなるのです。

特に地方に多かった印象でした。

聞くと、昔はお金を払ったりしていたそうですが、私が入った時には菓子折り持参の挨拶と、前席数枚を渡す程度の付き合い方になっていました。

私も挨拶や世間話に付き合わされていました。

 

ただ主催者側も、公演当日もめごとが起きるのを嫌がって、当日のチケット売り場に小遣いを稼げるようなやり方で反社会的な人を呼ぶ事もありました。

いわゆるダフ屋と呼ばれる人達を排除する為で、「兄貴がいらっしゃるとは知りませんでした」と言いながらすごすごと帰って行った姿を何度も見ました。

世に知れた歌手の方も表と裏が違う人を何人も見てきました。

「えっあの人ってこんな人」と思うような事も度々で、中には食事が気に入らないとか、舞台袖から客席を見て、空席があると出るのを拒むような人もいました。

逆もしかりで、TV等で見る人とは違う、優しい態度で接してくれる人もいました。

 

どんな人、仕事もやはり裏と表があり、この仕事で凝縮された一面を目の当たりにし、また演歌ブームも下がってきた頃で儲けが出なくなってきたので5年ほどで辞めたのですが、学ぶ事は多かった仕事でした。

 

世の中を見る時、人を見る時、どうしても上辺しか見ていません。

加えて先入観や勝手な思い込み、噂などが虚像の様な世界を自身の中に作り出してしまいます。

そしてレッテルを貼り、自分の考え方として定着してしまいます。

理想像を描き、近づこうとしている人間像や仕事などは果たして本物でしょうか?

まして、学校や仕事先では必ず人間関係という問題がつきまといます。

ふとしたキッカケでイジメや嫌がらせ、誹謗中傷の対象にしてしまうのが人間の愚かさでしょう。

利害関係といったお金や権力も絡んできます。

 

先のオリンピック招致疑惑や受注業者問題、電力会社による顧客情報の漏洩や巧妙なやり方でキャリア官僚のOBが絡む天下り問題と、大企業や役人でさえ裏の顔を持っているのですから、社会から無くなる事は中々出来ない事でしょう。

裏の部分が顔を出すキッカケは、保身と権力=お金という場合が多いのも周知の事実です。

身の廻りの学校や仕事先に限らず、組織やグループと人が集まる所では、必ず理不尽な事が起きます。

おかしな規則や納得できない方向性、環境、パワハラやイジメと裏の部分を見る機会があるでしょう。

その時、自分がどんな立ち位置でいるか?

諦めや無理やりの納得や傍観するか?

それとも、自分を信じ戦い挑むのか?

 

誰でも裏と表が混在しています。

そして混在している社会の中で、残念ながら妥協点を探りながら生きているのです。

表裏の無い人との出会いは中々ありませんし、もしかしたら不可能かもしれません。

ただ、信念と言われるようなしっかりとした芯を持っている人は沢山います。

例え良からぬ考えが頭をよぎったとしても、元に戻す力の強い人達の事です。

このような人達がいる事で、社会は軌道修正をしてきました。

自身が目指す「こうありたい自分」を見つけ、どの様な場面でも出来る限り持ち続ける事の大切さ、すなわち周りに流されない自分を目指したいものです。

自然の中には裏も表も無い

ありのままだ

ただ 黙って委ねてる訳では無い

おかれた環境を受け入れる覚悟と

執着が命を繋いでいる

人は時にその生き方に

残酷さと尊厳を見出(みいだ)す

 

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