心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

嘘っぱちだらけの世界(3)⦅一度きりの人生!⦆

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たった一度きりの人生

大切な時を積み重ね

毎日毎日飽きるほど

奇跡を味わって

先の見えない連続を

僕らは当たり前だと装って

何を求めているのか

何を刻んでいくのか

こんなにも切なくなるほど

生きているのに

 

以前このブログにも書きましたが、私は精神をやられ、その辛さからお酒に頼るようになり、結局アルコール依存症までなってしまいました。(注1)

最後のほうは、字がまともに書くこともできず、起きたら飲み、ロクに食べないでまた飲むという、最悪な生活をしていました。

様々な不快で苦しい症状から逃げるには、一番手っ取り早い方法だったのです。

母親や弟もアルコール依存症で、結局死んでしまった事を一番分かっていた私自身なのにです。

勿論その代償は大きく、大切な時間を無駄にしたばかりか、友人達とも疎遠になってしまいました。

妻が黙って支えてくれていた事が、地獄から抜け出すキッカケとなりました。

噓っぱちの自分でいた時間は、たとえそのキッカケが病気だとしても、夫として、父親としての大切な時間を、酔っ払いとして過ごしてしまったのです。

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私の父親は大手鉄道会社に勤めていました。

昔の写真を見ると、社員旅行や新年会など、昔ながらの光景が写っています。

どの写真も、笑顔で写る白黒の父の顔が映っていました。

社員達は家族よりも長い時間を過ごし、苦楽を共にする仲間、家族の様でした。

父は真面目な人間で、それゆえ学歴が高卒という負い目があり、苦労していたらしく、私が中学校の頃、ストレスで胃に穴が開き手術、ほどなくしてうつ病になってしまいました。

確か完治するまで半年くらい掛かったと記憶しています。

ただそんな真面目な父親でしたが、家庭では笑顔を見る事はありませんでした。

私が小学生だって頃、夕方父とキャッチボールを一度した記憶だけを今でも鮮明に覚えています。

たった一度だけのキャッチボールでした。

会社で見せる顔と家で見せていた顔、二つの顔を持っていたように思います。

気が強かった母とも、よくケンカをしていました。

それでも、親戚の集まりや近所には、にこやかな顔を見せていた両親。

まだ精神的に不安定だった私は、その矛盾に苦しみ、居場所がありませんでした。

家を飛び出したのは、18才頃で、それ以来ずっと実家には寄り付かなくなりました。

30代の初め、父から突然電話があり、母親を何とかしてくれという事でした。

それは、キッチンドリンカーから、アルコール依存症になり、毎日朝からお酒ばかり飲んで、食事もしないという内容でした。

実家に戻り、母の様子を見た時、息子として、何とかしなくてはという気持ちより正直、生気が無く気味が悪い思いと嫌悪感が、ふつふつ湧いてきました。

ここまでほったらかしにしていた父に対してもです。

依存症の治療病院に入院させ、何度か様子を見に行きました。

当時は、大きな部屋にベッドがいくつも並んでいて、カーテンも無く大勢の患者でいっぱいでした。

アルコールを飲むと気分が悪くなる薬を飲む治療だけで、あとは寝るだけの惨めな母の姿を見る度、自分でも不思議なくらい、母に対し愛情を感じる事が出来ないしらけた自分がいました。

結局、2度の入退院を繰り返して、脳の萎縮からテンカンを起すまでになったしまったのです。

その後、母と会ったのは彼女の死後でした。

 

後を追うように父と弟が亡くなり、家の整理をしている時にアルバムを見つけました。

若い幸せそうな両親が写っている、黄ばんだ白黒写真を見つけ、初めて涙が出てきました。

今でも、私の心の中の両親は噓っぱちのままです。

もっとたくさん一緒に笑いたかったし、もっと話を聞いて欲しかったのです。

手作りケーキもキャッチボールも、やって欲しかったのです。

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人生は本当にあっという間に過ぎていき、子供もすぐに大人になっていくもんです。

確かに社会に出ると、自分を殺し我慢することだらけです。

ストレスだって貯まるし、愚痴も言いたくなります。

でも、大切なのは、その為に生きているのではないという事です。

嘘っぱちで溢れている世の中で、嘘っぱちのまま人生を終わらせる為に、私達は生まれた訳ではありません。

誰か、たった一人でも本当に幸せにする事が出来れば、それは静かな波紋のように広がっていくのです。

その幸せを生み出すのは、本当の自分で、本気でやらないと生み出せません。

幸せに嘘っぱちはありません。

誰でも勝手にほっておいても大人になりますが、人間として大人になる事とは違います。

誰かを傷つけたり悲しませる度、おとしめたり、差別する度に、大切なカケラを失くしていくのです。

自分をごまかしたり、妥協ばかりしたりしても、失くしてしまいます。

まるでジグソーパズルのピースを一つ一つ失くしてしまうのと同じです。

一つ一つのピースは、見ても何かよく解りませんが、組み上がっていくと、一つの作品になります。

だからこそ、小さなカケラ、ピースを失くしては作品は出来上がりません。

何だか解らないピースこそ、失くしてはいけない大切なモノなのです。

誰かを幸せにする事は、その人のピースを組み合わせるお手伝いのようなものです。

失くしたピースを見つけてあげる事です。

ピースを見つけた時が、組み上げる手伝いをしている時が幸せの時間なのです。

だから真剣にならなければ出来ない事なのです。

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もしあなたが大切なカケラを失くした時、それは人生という大きなジグソーパズルをくみ上げている事を忘れてしまった時なのです。

小さな世界観で右往左往しながら、アバターを使っていては、決してその事に気付きません。

それに気が付いた時が、噓っぱちから本物になった時でしょう。

私達は、良くも悪くも人間として生まれてきました。

人間は独りでは生きていけない事を、自然の摂理が選んだのです。

それは、支え合う必要性を伴っての事です。自然の選択なのです。

自然は本物であり、噓っぱちではありません。

厳しく、辛く、時には命までも奪う本物です。

だから生きる事自体が、苦を伴うのであり、その中で垣間見る幸せが、愛おしいものとして、輝くのです。

もしあなたが噓っぱちであったとしても、その時に失ったカケラ、ピースは、探し出す事が出来ます。

あなたが、自然体として噓っぱちでなくなると、一緒に失くしモノを探してくれる、組み上げてくれる人が必ず現れるでしょう。

大切な人達や、もしかしたら見知らぬ誰かが、あなたのジグソーパズルを組み上げるために。

それが人間としてこの地球に誕生した自然の摂理、選択だからです。

 

当たり前ですが、時間をさかのぼる事は出来ません。

今この瞬間が過去になり、未来になります。

すなわち今が一番若くて、一番年寄りなのです。

噓っぱちに気が付いた時が、一番早くて遅いのです。

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生きる事自体が苦を伴い大変な事だという教えを、童話でも、また学校でも教えて欲しいのです。

当たり前の様に思う事が、当たり前では無い事や、おかしな価値観を教えるのではなく、正義と悪の境界線を自分の力で見い出せるように。

ヒルもウサギも、カメやオオカミも、素晴らしいあるがままの姿であり、何より他のものにはなれない事。そして、なる必要も無い事。

あなたも、あなたで誰のマネも出来ないし、誰もあなたを演じる事は出来ない事も。

 

一度きりの人生をどう生きていくか?

選択するのは、まぎれもなくあなた自身です。

沢山の本物に出会い、味わえる機会を見逃さないようにして下さい。

そして噓っぱちを見抜く力を付けていくようにしたいものです。

 


アインシュタインの言葉 エッセンシャル版

アインシュタイン

「In some open-minded social environment, people mentioned the sober opinion is limited.

On the contrary, it is most people can not even have an opinion.」

『偏見のある社会環境で、冷静な意見を述べられる人は限られている。

それどころか、意見を持つことさえ出来ない人がほとんどだ。』

 

(注1)アルコール依存症やその他のギャンブル、薬等、間違えていけないのは「病気」という事です。

本人がいくら「大丈夫、やめるから」と言っても、病気だという自覚がありません。

出来るだけ早く、病院で治療しなくてはいけません。

また依存症での行動をたしなめても、逆効果になってしまいます。(私がそうでした)

「病気」という事を周りの人達も理解して対応しなければ、深みにはまってしまう可能性が高くなります。とにかく早く適切な治療を受けるよう、受けさせるようにして下さい。

治療をすれば治りますが、経験から強い意志が必要なのも確かです。

本人の「病気」としての自覚が、とても大切なのです。

そして支えとしての人間関係も必要です。

 

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