パチンと叩いて、殺した蚊に生きる意味を問いただしても、運が悪かったというただそれだけで、答えはありません。
スプレーで死んだゴキブリだって人間から見れば不快害虫とみなされ、生きている意味など無いモノとされます。
蚊もゴキブリも人間にとっては厄介な生物ですが、自然界においては大切な役割を担っています。
他の生物のエサになったり、動植物を分解したりと、食物連鎖やこの星の為に書ききれないほど役に立っているのです。
すなわち、彼らにとって生きる意味は、生れ出た事そのものを指します。
生れた事で生きる事が始まり、生れ出ないモノに生きるという概念は存在しません。
人間が一生に呼吸する数は、80歳まで生きるとして6~8億回。
心拍数は20~30億回だと言われています。
しかし誰もそんな事を気にせずに日常を送っています。
それは、生物として誕生し、維持する為の複雑な身体メカニズムを意識することなく細胞がやっているからです。
ただ、その為には食べたり運動したり、排泄したりと意識的にすべきこと、欲求が必要になります。
人間は欲求を満たす為に、様々な工夫や発明をしてきました。
単純に満たすだけでなく、一つ一つの欲求に価値を見い出し、幅を広げてきました。
そして、単に生きる事だけに集中し生き延びるという使命から解放されると、それ以外の欲求、「欲」が出てきました。
豊かな暮らし、楽で快適な暮らし、夢中になれるモノ等、際限なく欲は膨らんでいったのです。
「価値」「比較」については下記の記事を参考にして下さい。
生きる意味を考える上で、まず「比較する」という作業をする事になってしまいます。
他人との比較で生きる事の価値を見い出し、満足を得ようとしているのです。
人の数だけ生き方があり、比較し価値や欲に生きる意味を求めたところで、答えなど出るはずがありません。
生きている間に何をするのか?達成感や満足感を味わう事と生きる意味とは次元の違う話なのです。
私達人間も食物連鎖に組み込まれて地球上に存在しています。
あえて知的生命体の観点からその意味を考えると、
僕らはこの世界に遊びに来ているのです。
そしていずれ必ず、元来た場所に還らなくてはならないのです。
片道切符を持ち、何処が終点さえ解らないまま。
生きる事の意味?
答えは無いでしょう。
意味などありません。
ただ無邪気に遊ぶだけです。
もしも意味づけをすると、やがてルールができ、はみ出したモノは遊べず、
ルールと言う形ばかりにこだわるようになってしまいます。
たしかに安全にはなるでしょう。
しかしそれは遊びではなくなります。
遊びには危険がつきものなのです。
そもそも「生きる」という事自体、安全ではないのです。
安全を求めるあまり、死んだようになってはいないでしょうか?
無邪気に遊ぶことを忘れてしまって。
幼い子供はこの世界に遊びに来ている事を知っています。
彼らに大人のような明確な希望や夢、目標があるわけではありませんが、
どんな過酷な状況や環境の中にいても、生きている事を全身で楽しんでいます。
街路樹の伸びた枝葉が頬を撫で
今を味わえ生きろと念を押す
控えめな自然の教えには
気付く「力」が試される
何万回の教えより
心揺さぶる自然の英知
いにしえより伝えし命の重さ
伝えざるを得ない感触の贈り物
次回へと続く
ライフ -いのちをつなぐ物語- Blu-Ray スタンダード・エディション
2011年ドキュメンタリー映画『ライフ -いのちをつなぐ物語(One Life)』イギリスのBBC製作。
機会があれば、是非見て欲しい映画です。
生物の営みや厳しさ、生きる事はどういう事なのかを考えさせられる、素晴らしい映画です。
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