「人間、生物は、なぜ存在しているのか?」の中で、「あえて人の存在の意味は、と問うならば、地球上での生物の生き残りゲームの一員。
例えば人の住んでいない家は早く朽ちます。
地球という大きな家を空き家にしない為、どの種族が残ろうが、どの生物が生き延びようが、そこに誰かがいればいいのです。」と書きました。
他の生物は人間の事など考えていません。
人間がその存在を脅かしても、また絶滅の危機にさらそうとしても、自らおかれた環境の中でただ毎日を淡々と生き、巧みに遺伝子の受け渡しを続けるのです。
そして、人は何より人の為に生まれました。
同じ人間どうし助け合い、種の継続の為、生き延びていく為にです。
この地球上で圧倒的な支配力を持ったように見える私達人間。
しかし他の生物無しに人間の繁栄はありえません。
生物である人間もこの地球での食物連鎖の輪の中に組み込まれているからです。
そして唯一、人間だけが他の異種生物に対し、感情(心)によってのアプローチが出来るのですが、人間は、時にまるで神か支配者ごとく振る舞い驕り、大きな間違い犯します。
反面それを補うように他の生物に対して、謙虚に接する人々もいます。
一見うまく出来ているように見えますが、人間以外の生物は必要以上の殺生や破壊はしません。
脳の進化のお陰で生き延びてきた半面、「欲」のコントロールが効かない愚かな人間。アクセルとブレーキのきわどい役割分担によって何とか存続しているにすぎないのです。
何の為生まれたのか?
自分価値や存在の意味
種の存続の為。
頭では解っていても、一人一人、やっぱり何か答えを探しています。
苦しい時や打ちのめされた時。障害を持っている人。居場所が無い人。孤独。愛する人を失った時。
何の為、今生きているのかを問い、どうすれば良いのかと悩み、心の中が闇に包まれ、出口が見つけられない。
「何の為生まれたのか?」一人一人が納得する答えは、見つかりません。
でも、
今が苦しくても、辛くても、希望や夢が叶わなくても、どんなことがあろうとも。
生きたくても、生きたくても、亡くなった人の為。
自ら命を絶った人の為。
自分にしかできない事。
自分のコピーはいません。
だから、何があっても、生きなくてはならないのです。
生き抜くこと。
それが答えかもしれません。
いつか、その答えを「見つけられなかった」と、
穏やかに微笑んで話せる時が来ます。