心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

生きる事の意味?(2)

 

人それぞれに何か目的(目標)を持つことは大切な事です。

希望や夢、挑戦、ゴール。目的や目標が力を与えてくれます。

しかしそれは生きる事、生きていく事の意味そのものではないのです。

目標や夢を生きる意味と考えてしまうと、それらが叶わなかった時、生きる事の意味が無くなってしまいます。

しかし現実は、目的や目標が無くなると人は落ち込み、苦しみ、死を意識したりもします。

普通、人はそれぞれ自分の周りのごく限られた世界で生きています。

特に先進国では、会社、家庭、友人、知人等、毎日が狭い範囲で営われているそのような中で、世界の様々な劣悪な境遇の中で生活を強いられている人達をニュース等で目にした時、自分の幸せを改めて感じ、もしくは、自分の非力さを嘆き、感情を揺れ動かされるものの、日々の生活の中に埋もれていくだけで、一時だけのものに終わってしまっています。

平和の中で生きていると見落としがちですが、世界のあちこちで危険にさらされたり、その日暮らしの最低な生活をする人達が大勢います。

貧しく学校にも行けず働き続ける子供、薬も買えず、病院にも行けない人達。

追われ脅え、安住出来ずにいる人達。

平和で豊かな暮らしをしている人達は、この世界の中でホンの一握りしかいません。

今の生活は当たり前なのではなく、特別なのです。

それもいつどうなるか解らない不安定さの上においてです。

 

運命、宿命とでもいうか、どんなに望んでも、またどんなに願っても自分の力ではどうしようもない事が、この世界にはたくさんあります。

生まれた瞬間からすでにスタートラインが違います。

 

例えばオリンピック。

確かに努力を重ね、困難を乗り越えてきた選手達。参加する、めざし目標にしている人達。選手達の想いに自分と重ね合わせ、応援する事、とても素晴しく、それを否定するものでは決してありません。

でも、よく考えて下さい。

オリンピックに参加できるのは、恵まれた環境の人達がやはり多いのも事実です。

どんなに素質があっても、ただ貧しいというだけで、参加すら出来ない国や選手もいるのです。

たった一足の靴、使用する数々のアイテム。それすら、まともに提供されない人達。

才能を活かせるチャンスさえ、スタートラインにさえ立てない、まして生きていく事で精一杯な人達や、不自由を強いられている人達にとって、スポーツどころではないのです。

 

こう考えてみると、平等でルールに厳しく、世界の祭典でもあるオリンピックも滑稽に見えてきます。

理想を語るつもりはありません。

でも、現実は、

ほんの一握りの人達の為の祭典。

国策に翻弄され、その本来の目的をごまかされ、

お金が絡み、オリンピックの本来あるべき姿を横において、まるで希望を見い出すように作られた感動のドラマ。

そして踊らされる人達。

その祭典のお金で、どれだけの命を救えるのでしょう?

 

いつの日か、真の意味で開かれると信じたい。

 

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