心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

子供が幸せな国⦅個性⦆(1)

子供の自殺は先進国では日本が一番高い。

2020年には499人と過去最悪の数になり、横ばい状態でいる。

当たり前だが子供は成長段階であり、様々な外部からの影響を強く受けやすい。

コロナでの休業やマスク、オンライン授業と子供達の世界も狭まった。

ようやく、ほぼ平常に戻りつつあるが、何より影響を与えているのは。学校や家庭、社会といった中の大人達によってだ。

イジメが、よく問題と取り上げる意見があるが、もっと根深い問題があるのではないか?

読み書きを覚え、識字率も高い義務教育の役割は素晴らしい仕組みではあるが、高校や大学へと進学の為のハードルが余りにも高い。

学費も大きな問題で、少子化や貧困化が進む現状を放置してきた政府の責任は重い。

同時に今の社会の在り方に夢を描けない事も大きな要因であろう。

 

ネット社会で様々な情報が子供達にも簡単に手に入り、発信する事も容易になった。

同時に教育や進路、子育てまでありとあらゆるものが情報として垂れ流されている。

そう、社会は大きく変化しているのだ

それも、予期せぬ速さで変わっていく事に注目しなければいけない。

日本は歴史の長い国であり、文化や習慣が受け継がれ、大切にしたきた事は誇れるだろう。

しかし今根付いている慣習や考え方はほぼ、明治時代以降のものだ。

心の問題という捉え方では無く、日本人はこうあるべきだという道徳観や倫理観の事を指しているのだが、集団で行動し、全体責任を取らせる事も軍隊の名残である。

大戦後、経済復興や国の再建、その為の会社組織において、国民が一団となって前へ進む時代なら、有効な手段、考え方だった。

しかし、そのやり方では通用しなくなっているのだ。

社会の変化に合わせて柔軟に対応できない大人達の弊害と言ってもいいだろう。

 

私の息子の義務教育時代を彼と共に見てきたが、教師による暴力は減ったものの、昭和の時代とさほど差が無い。

むしろ、子供達にとって学校は窮屈な場所であり、個性を殺させられる場所となってしまったと言わざるを得ない。

社会が求めているモノと、義務教育で培うモノとのギャップが大きくずれている。

それは先生達の問題だけでは無く、国の教師に対する処遇の遅れや教育の方向性の誤りにある。

息子の子供時代に使用した数々の教材を整理しながら考えていたのだが、ほんの少ししか使わないで無駄になっている教材のいかに多い事か。

社会はSDGsを推し進めている中で、こんな無駄な使い方を平然と繰り返し続けている事に憤りを覚える。

以前にも書いたが、鉛筆一本からこまごまとした、ありとあらゆるものまで名前を書けと指導される。

しかも貼り付ける位置までだ。

「社会生活を営む上での自分のものと他人のものを区別するという事の重要性」

「トラブルのもとになる為、犯罪の誘発抑止効果」

ともっともらしい理屈での強制だが、お名前シールで自己と他人との関係性を教えるつもりでいるなら、お門違いにもほどがある。

失くしたり、忘れたり、買えなかったりした友達を助ける方法を教える方が、よっぽど子供の為になる。

書道も、日本人の心得として習うのだが、年に一二度使うだけで、書道の奥深さや先人たちの想いなど、何も伝わっていないばかりか、宿題の為、嫌々書いているだけだ。

結局最後には、業者指定での高価なお習字道具はゴミとなる。

実際、我が家でも処分に困り捨てずに残っているが、山ほど残っていた半紙はキッチンペーパーの代用として使っている。SDGsだ。

一体何の為に何をしたいのか、理解に苦しむのだ。

これの何処がSDGsの理念に沿っているの私には判らないのだ。

教室に、先輩たちが残していった道具を置いておくだけで十分だろう。

大切に使い、後輩に受け継ついでいく方法であれば、モノの大切さを学び、何より無駄な支出もいらなくなると思うのだ。

私の息子が小学生の頃、鉛筆は2Bでシャープペンシルは禁止、消しゴムは白と決まっていた。

「筆圧が低い子供でも書きやすく濃くキレイに見える」「筆記具の正しい持ち方や筆圧に影響されない為」「持ち物に差が出て、平等では無くなる」「高価なものを使う子がいたら盗難や紛失の恐れがある」

ざっと調べただけでこんなにも「言い訳」のオンパレードだ。

前述の書道の時間は、全然意味が無い事になる訳だし、盗難があれば逆にやっていい事と悪い事の分別を教えるいい機会になる。

まず犯人探しをする様な教育が見え見えだ。

それに濃く見えようが、薄く見えようが、どうでもいい事に何でこだわるのか、今でも理解できないでいる。

世界では、まともな筆記具を持っていない子供達が沢山いるのだ。

書くものがあるだけでも幸せな事だと子供達に教えるのがまず先では無いのか?

書道の時間を増やすなり、時間枠を作りノートに筆で書かすなりする方が、よっぽど理にかなっている。

 

私が義務教育の頃は、靴下に穴が開けば縫って使っていたし、兄弟ならお古を使うのも当たり前で、当然今の様な下着や靴下の色や、ワイシャツの指定なんか無かった。

その後学校が荒れ始め「金八先生」の様なドラマが作られていくのだが、その時の間違った生徒に対する対応の名残が、現代の生徒や親を金銭的にも、心に対しても負荷をかけている。

すなわち、根拠のない校則での締め付けや指導、例えば「運動中は水は飲むな」という、今では考えられない様な思考停止状態の頭の持ち主が、未だ教育に携わっている事の弊害だ。

現に、暴言を吐いたり、差別的な態度を取ったり、クラブ活動でも体罰をし、逮捕される指導者が後を絶たない事でも解る。

ストレスなのか、保育園や幼稚園でも同じような事例で逮捕者まで出る、何とも情けない状況だ。

その一方で押し付けや強要を、子供達に強いているこの矛盾。

ダブル・スタンダード、「 二重基準 」「 二重規範 」そのものなのだ。

 

確かに冒頭で書いたイジメ問題も子供にとっては深刻な問題だが、対応する大人達、教育委員会や学校の隠蔽体質と責任を取らない姿勢こそに問題があるのであり、この事を他人事として許容している大人社会を変えない限り、イジメは無くならないだろう。

しかも、政治家や官僚の一部までが、その様な姿勢でいる事に子供達の目にはどう映っているのだろうか?

子供達は馬鹿では無い

そう、大人になればもっと陰湿なイジメや責任のなすり合いが待っているかもしれないのだ。

 

人間形成において、これが正解という答えなど無い。

だからこそ、柔軟に、想像力を持って子供達と向き合わなければならない。

しかも時代や社会変化といった背景も考慮しながらだ。

遅咲きという言葉もあるくらい、子供は、というより人間は成長する速度がみんな違う。

体も大小様々で、障害を抱えている人だっている。

それがスタンダード、当たり前なのだ。

特に子供は未知数の部分が多い。

裏を返せば可能性の塊なのだ。

 

学校や社会が管理しやすい環境にする事に向かえば向かうほど、管理者は自らの自由や平等の権利を売り渡している事になるし、決して健全な社会とは言えない。

権力を離そうとしない大人が、子供達を苦しめているのだ。

そう未来を否定している事と同じなのだ。

 

子供が幸せな国(2)へと続く

次回UPします。

 

kenpa.blue


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