今、若い人だけでなく中高年の人、特に男性に友達がいないという人が増えているようです。
昔も今もそれほど変わらない比率だとは思いますが、やはり今の世の中、人との繋がりに飢えている人が多いとも取れます。
結論から言うと友達がいなくても大丈夫です。
ニュースでも取り上げられていましたが、お決まりの解決方法ばかりを専門家やアドバイザーが発言しています。
友達を持つ事は大切で、人生を豊かにしてくれるという前提の元「趣味を持つ」とか「近所の人と積極的に話してみる」「居酒屋などで声がけしてみる」「積極的になる」……等など。
やっている人は、とっくにやって楽しんでいます。
言い方は悪いですが、相変わらずくだらないという感想しかありません。
本当の友達、すなわち親友に恵まれる人は、世の中そんなに多くありませんし、友達がいない人も沢山います。
友達がいない、出来ないと悩むのは精神的に不安定な時期や、今の生活に物足りなさがあるのか?
一人だと不安?になったり、楽しみの共有をしたりしたいのか?でしょうか。
悩みを聞いてもらったり、相談できたりする友達がいれば心強いし、生活の中で変化が生まれ、寂しさもまぎれるからかもしれません。
また、同じ体験をする事で仲間意識が出来、切磋琢磨し支えになる事もあるでしょう。
特に若い人達にとっては、青春を過す上で大切な存在になります。
ただ、残念ながらその様な人達ばかりでは無く、イジメや消極的な性格、病気や家庭環境などで、友達を見つける機会を奪われてしまった人も沢山、世の中にはいます。
一方で、友達との関係ではトラブルもつきものです。
一方的に自分の事ばかり主張していては、相手も不愉快になり離れていくでしょうし、逆もしかりです。
都合の良い時や機嫌の良し悪しで付き合い方が変わる事だってあり得ます。
当然ながら嗜好や思想、思考も変わっていくだろうし、煩わしい存在になる事だって起きてきます。
断りたくても断れない優しい方や、相手のペースに合わせてしまったり、嫌われたくない為に気を使ったりと、いればいるで問題も沢山出てきます。
親友ならば、察して理解してくれるかもしれませんが、なかなかそのような人に巡り合う事は、歳をとるほど難しくなっていきます。
兎に角、友達がいない事が、恥ずかしいとか良くない事や寂しいというイメージを持ちすぎです。
「友達がいれば……」と考える事は、もうやめにしましょう。
勿論、若いうちは特に人間関係を学ぶ上で大切な事ではありますが、友達がいなくても立派な人間になった人は、世界中に沢山存在します。
私の尊敬するアインシュタイン(Albert Einstein)を始め、
水素や水の合成等の功績があったイギリスの化学者・物理学者ヘンリー・キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish)、
吉村昭の小説『海も暮れきる』でも描かれた俳人「咳をしても一人」という句で有名なの尾崎 放哉(おざき ほうさい)等など、
中には、嫌われ者や変人扱いを受けた人だっているくらいです。
幼少期から友人すらいなかった人や、世捨て人の様な人、他人と会うのを極力避けていた人達です。
歴史的な偉業や偉人として名を知られている人ばかりでなく、宗教者としての修行による10年以上一人で過ごした人や、名も知らぬその様な友達や友人がいなかった人や孤独だった人は、沢山いたでしょう。
彼らに共通しているのは何かに夢中になっていたという事です。
それは時代にもよりますが、文化や芸術等アーティストとして夢を描いている人達、科学や物理を始め研究に没頭している人達だけでなく、生きる事そのものに苦労し、毎日過ごしている人や、病気と闘っている人達に言える事です。
想像してみて下さい。
日々、食べるものに困っている生活を。
戦争で、逃げ回っている環境を。
やり遂げたい夢がある事を。
病気と闘っている姿を
誰かを懸命に助けている時を。
シンプルに「生きる事」を捉えられれば良いのですが、豊かになればなるほど、不満や悩みは増えていきます。
何故なら余りにも情報がありすぎて、信ぴょう性も含め戸惑うばかりの中、選択肢が増え、叶わない事が増え、比べる事が増え、いつまでもキリが無くなるからです。
ただ、友達の存在は本人にしてみれば深刻な問題でもあり、病んだり、命を絶ってしまう事があるのも事実です。
だからこそ、友達の必要性を改めて考えて欲しいのです。
自分に行動や言動に非がある、すなわちコミュニケーション能力が無いせいと自分を責める事を辞めなければいけません。
友達がいない事を、自分の責任だの、自己改革だとするようなお悩み相談なんか役に立たないし、むしろマイナスになってしまいます。
何故なら自己否定を自らしているからです。
あなたは此処にいて、あなたであって、他の誰かではありませんし、代わりになる人もいません。
法を犯すようなことをしない限り、ありのままの自分でいればいいだけの話で、友達を作ろうとして、無理に相手に合わせる様なアプローチは、結局自分を苦しめる事になります。
以前、このブログでママ友の事を書きましたが、いなくても私の妻は何ら困った事はありませんでした。
情報集めや助け合いなら良いかも知れませんが、妻に聞くと誰かのうわさや悪口にうんざりしたそうです。
よく、「今度良かったら家に遊びに来て」と言いますが、本心は来られると気を使うので嫌と思っている人の方が多いのが現状でしょう。
学校や職場での同僚は、あくまでも同僚であり、友達ではありませんし、離れれば多くはただの他人に、縁の無い人達になります。
例外もありますが、人望があるとか人気者だったとか、信頼されていたや気さくな性格だからと言って、友達付き合いがあったわけでは無いし、組織の中の一人にすぎなかっただけです。
犯罪の容疑者を取材するニュースなどでよく見かける「おとなしい人だった」「ちゃんと挨拶する人だった」「そんな事をする人には見えなかった」と聞く事が多いと思いますが、私達はほんの一部分しか他人の事を理解していませんし、どんな人間なのか?どういう人間でいて欲しいか?を決める事も出来ません。
まして自分の思うような理想を自分にも他人にも押し付ける事は不可能です。
にも関わらず、理想ばかりに囚われてしまっているのです。
それは、TVやSNS等含めたソーシャルメディアの影響が大きくなった事による弊害とも言えます。
他人の行動を、考え方や生き方を真似たくなってしまったり、本当はあんな人達の様に生きるはずなのにと、今の自分の置かれた立場に納得できない心理が働く事もあるでしょう。
しかし情報発信には、切り取りやフェイク、都合のいい部分や興味を引くような作りといった裏があるのも事実です。
その中での友達という存在の必要性を考えて見ても、上手くいくはずがありません。
見知らぬ人が他人を助けているところを見ると、心が暖かくなります。
財布を拾って届けてくれたり、緊急自動車で走り回り人助けをしてくれている人達を見ると、心からありがたいと思います。
すなわち、本当に友達になって欲しい人達の事です。
決して自慢する為や、自分を大きく見せたりする為の人達ではありません。
神様では無いので、全ての理想的な行動や考えを持っている人はいませんが、近づく事は出来るはずです。
反省や後悔をしても過去を変える事は出来ませんが、未来を変える事は可能です。
寂しいとか楽しみたい等の友達作りの動機を一旦捨てて、誰かを暖かな気持ちにする事が出来るように心掛ける方向に考えを変えてみる事です。
ゴミ拾いでも、挨拶でもいいし、人からの評価を期待しない事柄を実践したいものです。
あなたの優しさは、必ず何物にも代えがたい豊かな気持ちを運んできます。
一人でも、友達がいなくても大丈夫です。
人生を楽しむ方法、豊かにする事は、友達作りだけではありません。
実はそこら中にあるのです。
日本は蛇口の水を飲んでも安全で、病気になれば病院に運ばれますし、戦争が無く、交通機関は正確で、無事に帰宅出来る事もそうですし、食べ物にありつけた事や太陽がちゃんと昇った事、誰かに親切にされれば最高です。
ほら!素敵な事でしょう!
当たり前で無い事を、当たり前として過ごさない事です。
このブログでも書きましたが、この世に私達は遊びに来ているのです。
文句を言う為でも、満たされない事に腹を立てる為でもありませんし、あれやこれやと欲しいものを探しに来ているわけでも無く、たとえ手に入ったとしても、あの世に持って行く事は出来ません。
それなら夢中になれる事に時間を使って下さい。
何としても生き抜く事に時間を使って下さい。
何より誰かの幸せの為に時間を使って下さい。
友達作りに悩む時間すらもったいないくらい、
人生はあっという間ですよ!!。
SNS等で悩みの共有や相談、出会い系サイトが沢山ありますが、
うまい話は絶対にありませんので、気を付けるようにして下さい。
寂しさのあまり、つい気を許し、知らぬ間に偽サイトに誘導され口座やカード情報入力してしまう可能性があります。
また、なりすましや「運勢」「運命」等といったキーワードの言葉で誘って来るサイトやカルト的宗教は沢山あります。
当たり前ですが「運」や「友達」は、お金では買えません。
お金に関する話が出てきたら、相手にせずアクセスをやめ消してしまいましょう。
また、ソーシャルネットワークによる交流も、それ自体は悪い事ではありませんが、知らない人とのやり取りでは思わぬ発言をしたり、不愉快にさせられたりする事もあるという前提でやって下さい。
知らない間に、自身が悪い方向に向けられる可能性や、逆に相手を不愉快にさせてしまう事も、頭に入れておいて利用するようにして下さいね。
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