幼少期にはTVのヒーローに憧れ、青年期は実現しそうな映画の主人公やドラマに出てくる主人公に自分の未来を投影させていた。
20代、30代の頃は、それでも夢を追いかけ、実現させる為の余力もあったし、周囲の動向などどうでも良かった。
同年代が次々と就職し、結婚していく中、髪を伸ばし好きな事をやってきたのだが、自分の理想とする将来像がどんどん遠くに離れる様に感じ始め、と同時に50代以降途方に暮れている自分を想像して落ち込んだものだ。
挫折し、失望し、無力感にさいなまれた。
当たり前だが、一足飛びに自分が理想とする人物や生活様式にはたどり着けない。
まして音楽でメシを食えるのはほんの一握り。
だんだんと限界やタイムリミットを設けるようになっていったが、焦りと共にきっとどこかで一変するような期待もあった。
それは、将来の自分の姿を見たくないという逃げだったのかもしれない。
バブル期が終わった事を横目で見ながら、焦りだしたのは言うまでもない。
上を見ても下を見てもキリがない。
そもそも何故人間はやりたい事を、仕事を探すのか?
何故やりたい事が、仕事が見つからないと不安になるのか?
勿論、食べていく為、生きていく上で必要だからという答えになるが、将来を見据えて経験を積む為や資格習得などの自分へ投資の人もいるだろう。
前向きに進める人は一体どのくらいいるのだろうか?
世の中に心からやりたい事や好きな仕事をやっている人って、そんなに多くはいない。
特に仕事などは、妥協点や折り合いをつけて、自分に言い聞かせながら働いている人の方が遥かに多いのではないだろうか。
夢を諦めたり、挫折したり、そしてそれでも生きていく為に働いている。
仕事が生きがいという人もいるが、昭和から令和へと意識は確実に変わってきている。
出世よりも安定を求める若者が統計でも増えている。
同時に、会社にとられる時間よりも、自分の趣味や資産運営、家族との時間を優先にしたいとZ世代(だいたい1996年~2010年頃に誕生した人達)は考えているらしい。
彼らは生まれた時からデジタルにどっぷりっと浸かっていた世代だ。
幼い頃、鉄棒でも、ジャングルジムでも登れると嬉しく楽しい気分になる。
それを見ていた親や大人達が喜んでくれ、その喜ぶ姿を見てまた自分も楽しい気分になる。
いたずらをするのも、同じ理屈で見て欲しいからだ。
少し大人になってくると、より快感を得たくなり、危険な事をしたり無茶な事をしてしまう。
集団心理や思春期のイライラも重なって若者が暴力や危険な事をやってしまうのも、何かを達成したり、成果を褒めてもらったり、また目立つ事をやり注目されたい欲求がリスクを承知で行動する事でドーパミンという神経伝達物質が出て快感をもたらすからだ。
自らやりたい事や仕事が見つかれば、多少の苦難や落ち込みがあっても辞めずに続けられる。
まして、楽しい、給料が高い、誰かの役に立つ、人間関係が良好という条件が増えれば増えるほど、続けられるだろう
そう、ドーパミン欲しさに。
でもどのくらいの人が、それを叶えられているのだろうか?
そんな人は少数で、仕事以外の事で日頃溜まったうっぷんを晴らしている。
はけ口がある人はまだ良い方で、お酒に頼ったり身内に当たったりと、より悪い方に傾いていく。
本来、生物はダラダラ怠けているのが普通だ。
動けばエネルギーを消費してしまう。
人間もやらなければいけないと思っていても、なかなか体が動かないのもその仕組みが働くからだ。
ただ、人間以外の生物の目的、すなわちやりたい事、やらねばいけない事は決まっている。
食べる事と、食べられない事。
フィリピンは、コロナの影響こそ収まったが、日本の様に正確な数字が上がってこないので、表には出てこないが国民は悲惨な状況が続いていた。
義理の息子は、片目というハンデを持ちながらも大学までいき、金融関係の仕事に就職できたが、過酷なノルマや、労働時間に精神的にも参ってしまい、やむを得ず離職した。
そしてコロナになり、ロックダウン等で面接すら出来ない状態になってしまった。
やっと落ち着き、何度も履歴書を送り、やっとテレワークでの仕事が見つかり、今は頑張っている。
彼は、長年病気だった父親の看病の為、父方の家に祖母と叔父と同居していたが、その父親もコロナ禍に亡くなり、祖母の生計を支えながら、朝から晩までノートパソコン相手に仕事をしている。
妻から義理の息子が、地べたに座りながら、木箱で仕事をしている話しを聞き、机と椅子のお金を送る事にした。
日本だったら、通販で一週間もかからず届が、在庫の確認もしない業者が多く、頼んでも結局来ず。
車と運転手をレンタルし、やっと買う事が出来た。
かかったお金は、日本円で3万。
フィリピンの価値では、大学での初任給ぐらいだろうか。
この国では、やりたい事が叶う事はほとんど無い。
大学、特に私立の有名な所を卒業していないと、いわゆるホワイトカラーと言われるような会社員にはなれないし、職探しも大変だ。
また教育費も高く、簡単に入れない。
先進国である日本も似たような環境のままで、何とも情けない話だが。
若者にとって夢は見るだけで、どんなに努力しても、どんなに頑張っても叶う者は、ほんの一握りだ。
それでも生きる為に、家族を養うために一日一日、何とか食いつないでいくのだ。
ドラッグや賭け事、アルコールと逃げ道は沢山ある。
それは、諦めと、投げやりと共に命をむしばんでいく。
日本の様に、将来像や老後の事を考える事はほとんど出来ない。
だから、陽気に暮らしていくしかない。
それは絶望からくるものでは無く、むしろその日が無事に暮らせた喜びから来るものであり、正に今を生きている。
近年日本も、若者達のやりたい事や仕事に関する考え方が変化している事は書いたが、まず、金銭的な理由でのハードルが高くなったままだ。
貧困格差や一人親世帯や核家族の増加、家族構成の変化で、子供に対する大人との接点も少なくなり、生の世界観が小さくなってしまっている。
すなわち、経験豊富な人達が身近にいないという事だ。
褒めるにしても𠮟るにしても、その本気度が低下している様に私には映る。
私的に、また公共的に金銭、精神面への援助する人達もいるにはいるが、行動を起こさない限り何も始まらない。
経験から言うと、知らない制度が沢山あり、活用できていない事が多いという事だ。
将来の自分の選択の仕方に大きく影響を与えている。
また、明らかに昔と違うのは情報量の多さだ。
身近な人達(祖父母や親戚)との接触の機会が減り、経験などの情報が減る一方で、SNS等、他人からの情報があふれかえっている。
選択肢が多くなる事は、反面何をやっていいのか?自分に向いているのはどの様な事か等。迷う結果となってしまう。
簡単に金銭が得られる様な情報も真偽は別として沢山出回っているし、理想とする様な生活スタイルの情報発信者もいるから、何処に焦点を置いて今の状況を捉えていけば良いか、もしくは諦めや可能性の否定など、つまずきやすい環境の中にいる事も関係している。
私自身を振り返ってみると、10代後半で家を飛び出し、当時でいうフリーターという無職のアルバイト生活で夢を追いかけていた。
やりたい事があったから、何をしていいか?考えもしないし、まして正社員など眼中にも無かった。
アルバイトは、両手では収まらないほどの職種や普通では就けないような仕事をやってきた。
20代前半、学業そっちのけで、ある大手スーパーの食品倉庫の仕分け作業に精を出していた。
倉庫の中は冷蔵室の温度でトラックが荷下ろしするプラットホームは、夏では30度越え。
寒暖差が激しく、体調を崩す人が何人もいた。
庫内では車輪が付いたコンテナがあり、それぞれ各店舗の紙が貼られていて、トラックから運ばれてきた生鮮食品を伝票を見ながら入れていく。
今の様にピッピッと機械が読み取るものなど無かった時代だ。
勿論スーパーの仕事なので、24時間稼働して、私もたまに夜勤をやったりもした。
昼間の勤務時、お昼代をうかせる為弁当を持って食べていたのだが、面倒くさいのとお金が無かったので、おかずは沢庵と梅干でしのいでいた。
気の弱かった私は見られるのが恥ずかしくて車の中で食べたものだ。
同僚の人達は若くて40代後半、年寄も多く働いていた。
同僚や監督にも優しくしてもらい働き甲斐があったのだが、同僚の一人がボソッと「こんな仕事、やるんじゃ無いよ。給料は最低だし体はボロボロになるから」と。
そう、当時の私には考えもしなかった「養う」「生きる」その為の責任と重荷の事だった。
結局、その事を実感する事になるとは夢にも思っていなかった。
私の場合、40代後半に結婚相手が見つかり、正社員になる為何社も面接し、個人経営の町工場に就職した。
やりたい事では勿論無かったが、家族を養う為の選択。
先代が無くなり、婿養子の社長になってからは残業続きで、ひどい時には朝8時半から夜中の2時まで働いていたが、3.11の震災以降、業績悪化で残業代も出さないと言われ、やめざるを得なかった。
記事を書いていていつも頭に浮かぶのは、成功した人物や夢を叶えた人ばかりでは無いという事。
その裏にいる、社会を支えている人達や貧困に苦しむ人達の事だ。
どんなに社会全体が整備され便利になったとしても、心の豊かさと連動はしていない。
確かに日本は犯罪も少なく夜も安全に歩けるし、落としたモノも返って来る素晴らしい部分はある。
SNSでの外国人たちの日本に対する発信も、サービスが良く安全で快適で礼儀正しく、食べ物も安全で美味しいというものが多い。
日本人からすると嬉しい限りだが、その裏では低賃金や貧困、ちゃんと食べられない子供達がいるのも事実なのだ。
夢を持つ事すら出来なく、選択肢が無い人達が沢山存在している。
私もその一人だが、老後も働かなくては暮らしていけない人達も大勢いる。
そして一部だが、労働人口の減少に伴う外国人労働者を受け入れたはいいが、彼らからの搾取と言っていいくらいの不当な扱いと低賃金、政府と入管による人権無視の様な対応。
この国は外国人労働者にとって、いつか必ず行きたくない国になる。
加えて日本人であっても仕事内容とそれに対する対価のバランスが非常に悪い。
特に3Kと呼ばれる仕事に従事している人の賃金が余りにも安すぎる。
一体働くって何だと思ってしまうのだ。
働くってなんだ?⦅お金⦆(2)に続く
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