心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

切なくて

どうしようもない無力感や、焦り

やるせなさに襲われて

答え探しの旅はいつまでか

自分の存在が、あまりに薄っぺらで

厄介な思考は、行き場のない想いを影として

夜な夜な張り付いては、殴りかかるのだ

一体、誰と戦っているのか

自分は、何処にいるのか

自分は、何処にいくのか

空回りする心は

ひたすら誰かを求めている

もし、いるなら会いたい。

もし、いるなら話してみたい

心の空虚を満たすほどの

言葉の海に溺れたい

切ない想いを吐き出して

行き場を失い、

涙へとこぼれだす。

誰でも悩み苦しみ、怒り泣いたりしながら人生を生きています。

大きな存在が、それを上の方から覗き込んでいる様に思うのです。

それは、ただそこにあるだけで、カオスであり調和を保っています。

そう、まるでダンスを踊っている様に。

だからこそ、「生きる事が全てだと」「もっと舞いなさい」と言っている様な気がするのです。

線香花火の様に、人生は一瞬のはかない時間だという事を、私達はなぜ実感できないのでしょうか?

「暑い!暑い!」と叫びながら自分が線香花火である事を忘れ、燃え尽きてしまうだけでしょうか?

見方を変えると、人生は切なく物悲しくもあり、消えて欲しくない名残惜しい花火だと解るはずです。

その気付きこそが、燃え尽きるまでの一瞬の中にある光の雫(しずく)の様な「幸せ」を見せてくれるのです。

例外無くこの世の全ての物は壊れ、死を迎えます。

死は新たな誕生の元となります。

大きな存在は、それを見守り誕生に歓喜しているのでしょう。

そして、

いつ死んでも悔いは無いのかい?

やりたい事はやったのかい?

言いたい事は伝わったかい?

そして

愛しているよってちゃんと言ったかい?

と問いかけをしている様に、グルグル地球を回しながらチャンスを与え続けているのかもしれません。

今も時々宇宙(そら)を見上げる度にちっぽけな自分を想い、切なくなってしまうのです。



『切なくて』オリジナル曲

空を見上げてみる

廻る僕がいるよ

星に手が届いた

僕らは何処から 始めればいいの ねぇ

僕らは何処まで 走ればいいの

 

眠らぬ夜の三日月も 何処かで僕を追いかける夢を見てる

葉先を濡らして 明日の行方探す街路樹が揺れて 痛みを分けた

流れる 流されてる未来の僕がこの僕に

ほんのちょっと少しだけ、ため息の問い 迷い 辛い

 

切なくて 切なくて 切なくて 遭いたい

切なくて 切なくて 切なくて 遭いたい

切なくて 切なくて 切なくて

僕らは何処から 答えればいいの ねぇ

僕らは何処まで 悩めばいいの

もう誰も遊ばない 壊れそうで崩れそうな揺れるブランコ

夢が埋められた 砂場の海に打ち寄せる波消えて 秘密が閉じた。

離れる 離されてる真実の僕がこの僕に

ほんのちょっと少しだけ ため息の問い 迷い 辛い

 

切なくて 切なくて 切なくて 遭いたい

切なくて 切なくて 切なくて 遭いたい

切なくて 切なくて 切なくて

 

 

振り返ってみると、「時間が無いよ」と過去の自分に言い聞かせてやりたいと思う時があります。

「なんて時間の無駄遣いをしているんだろう」って。

自分で自分を好きになれなかったり、嫌いになったりと誰にでも一度は抱く感情です。

嫌いなところも好きなところも全て自分だと気付いた時、相手の目をちゃんと見ながら話せるようになる事もやっと解りました。

どうにもならない感情に悩まされた事も、湧き出てくる苛立ちさえ懐かしく思います。

何か大きな見えない存在に助けを求めている時、それは自分に対して約束をする時かもしれません。

約束を破らないよう見張っていて下さいと。

心の中には

全てがあった

命の秘密も

過去からの声も

無言の指針も

そして

まだ知らぬ可能性も

 

心の中の探求は

寿命という時間を使ってもなお

足りないのだ

気付きという名の明かりを持って

自我を捨て

重荷を落とせ

思っているより

はるかに深い

 

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