心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

働くってなんだ?⦅お金⦆(2)

生活費を稼ぐ為

すなわち家族を養う為や自立に必要なお金を得るために、仕事に就いている人。

自己実現の為

仕事において自分自身を成長させ、達成感を得る事、自分自身を高めるために仕事をする。

社会貢献の為

教育者、医療従事者、警察官、消防士、自衛隊員等のように、社会の発展に貢献することを目的としている場合。

社会的地位の為

仕事によっての社会的地位を確立し、高い収入や権威ある職業に就くことで、自己満足感を満たし、且つ更に財を増やす為。

項目が重なれば充実感も得られ、人によっては幸福感も増すだろう。

大体以上の事が働く事の意味になると考えるが、どれも最終的には対価であるお金を得る事が目的となる事に変わりない。

 

勿論ボランティアや海外協力隊、国連平和維持活動、PKO( United Nations Peacekeeping Operations)や非営利団体等や宗教活動(一部を除く)の方々、救援救助に携わる人達は金銭目的で活動している訳では無いが、お金が無いとそもそも何も出来ない。

残念ながら、社会の中で生きていく為には「お金」が必ずつきまとう。

 

友人と話をしている時、仕事の話が出た。

彼は電気技師で施設のメンテナンスを仕事としているのだが、今は独立して社長として働いている。

そんな彼が話していたのは、「会社で働いていた時と今を考えると、自分の働きに対する対価が余りにも低かったのに気付いた」と。

そしてダメ押しの様に「会社は捨て駒みたいなもので、結局対価を搾取されていたのと同じだ」とも。

勿論現役時代に属していた会社で教えられたり経験を積んだりしたからこそでもあるが、それでも「対価に合っていなかった」と言っていた。

今では彼の努力で会社員時代の3倍の報酬を得ている。

同じ仕事内容なのにだ。

どんなに働いても同じ給料ではなく、頑張ればそれに見合うだけの対価を得られる事が、より上を目指す力になっているという。

 

もう若者達はその事に気付いている。

終身雇用の時代では無い事と、仕事を生きがいにする以外の選択もありだと。

そして、色々な働き方があり、投資や株、為替等の資産運用、副業といった選択を併用する事や、自ら会社や店を立ち上げ、夢を叶えていく選択を。

そして気概や理想だけではやっていけない事。

何より、老後は安心できない事を。

最近は教員不足や、官僚といった公務員も敬遠されるようになった。

若い人達は特に誰もが志を持って仕事に望もうとしているが、現実の状況を見るにつれ、理想と現実の余りにも違う事に躊躇するのも無理はない。

ひとえに、一党独裁政治の様な与党の先の見方の甘さが招いた結果だろう。

 

第2次安倍政権による労働法制の規制緩和で有期雇用や、不安定な派遣労働の拡大が進んだ。

また同一労働同一賃金を打ち出したが、現場は何も変わっていないばかりかひどくなる一方だ。

一体何を改革したのだろうか?耳障りの良い言葉の裏で改悪になってしまっただけだ。

 

私自身派遣会社で働いていたが、時給にすると1.000円。

送り迎えのドライバー手当が一日、500円。

他の人より一時間も多く働いているのにも関わらずだ。

それに何度も掛け合ったが一度も昇給は無かった。

派遣会社は派遣先に時給1.800円~2.000円で請け負っていた。

人さえ送り込めば、働かなかろうががむしゃらに働こうが、ベテランでも新人でも同じ時給で儲かる。

すなわち、慣れて手際が良くなったところで、意欲は湧かないばかりか滅入るばかりだった。

このような処遇の人達が全国で沢山いるのだろう。

 

取り残された人と搾取する人。

残念ながらこれが現実だ。

経営者側ばかりを非難しているつもりはない。

従業員の事を案じ、必死でやりくりしている経営者もいるし、仕事を愛し、生きがいとしてきた人達も大勢いる。

しかし時代の流れが速すぎて、どれほど頑張っても活路を見い出せず、また後継者不足も追い打ちをかけているだろう。

かつては技術大国と言われていた日本は、中小企業の力が根底にあったからだ。

若い優秀な人材も、低賃金では働かない。

彼らや中小企業が悪いわけでは無く、国や政府の見通しの悪さが招いた事だ。

研究費やアイデアを大切にしてこなかったつけは、長い目での経営戦略よりも、利益優先の社会構造となってしまったのも要因の一つだろう。

しかし、政府は目先の株高や円安に囚われ、新たなビジネスモデルを生み出せない土壌を自ら作ってしまった。

経営者にとって賃金をあげられない事情があるのは解るが、そのツケを払わされているのが労働者なのだ。

 

友人が少し前に一戸建ての家を売り、老後と一人息子の資産にとハイツ的なマンションを買った。

一戸建ては古く、更地にしないと売れない。

勿論その費用も考慮しての決断だったが、基礎のコンクリート片(ガラ)の処分に20万円追加で請求された。

私は産廃の中間処理会社で働いていたし、以前ビル建設の人工としても働いていた経験から、5万円が妥当な金額だった。

早く知らせてくれば、もっと安くで済んだのにと思うと悔やまれる。

中小企業の一部だとはいえ、取れるとこからは取ってやろうとする姿勢が見え、いつになったら是正されるのであろうかと考えてしまった。

家電リサイクルでエアコンやTV等、処分に費用を支払った人もいると思うが、処分場に持って行けばエアコン一台4.000円(金属の相場によって変動する)で引き取ってくれる。

小売業者については罰則を設けているが、個人に対しては罰則や罰金が無いのが現状で、やはり裏があるのだ。

街中で不用品買取の車が走っているのも、そして中にはお金を取る輩がいるのも、その様な裏があるからだ。

(罰則は無いとはいえ、不法投棄や悪質業者がいるので、メーカーや量販店で処分して下さい。また金属を盗み、売りさばく温床にもなっているので、法に従い処分して下さい。)

目先の利益ばかりに目がいき、「お金さえあれば」「お金が全て」という考え方が、結局は社会をいびつなモノとしてしまい、労働に対する見合った対価を支払わない構造になってしまっている。

以前にも書いたが、送料無料は無料では無いのだ。

 

社会の底辺では、法があっても機能していない。

言い換えれば、生き残っていけないからだ。

いや、例え有名企業でも収賄や談合が無くならない。

彼らは何の為に働いているのだろう?

いくら儲ければ気が済むのだろうか?

そして人々は、無かったかのように忘れていく。

国や役人のやった感と誰も責任を取らない体質が、周り廻って一般の国民に負担をかけている。

そして負担が増えても、デモすら起きない。

選挙という手段でしか変えられない大切な権利も、低投票率で行使すらしない人達。

自らの首を絞めているのと同じだ。

 

前述に書いた働く為の動機も、結局「幸せ」の為に始まるはずが、最後は「お金」に行き着く。

 

お金があれば確かに物質的な豊かさや老後の心配のない生活を得る事が出来るが、同時にそこばかりに目がいき、他の幸福要因である家族や友人との関係、趣味や文化活動などが軽視される可能性が高くなる。

また社会的格差の拡大、すなわち収入や富の差が拡大し、社会的な不平等が生じ、資本や経済的な権力を持つ人々が、その力を利用してより多くの富を手に入れ、貧困や社会的排除が生じる事にもなる。

また、法律や道徳的な基準に反しても、お金を稼ぐために不正な手段、すなわち犯罪の誘発を招き、人間関係に亀裂を生む可能性も出てくる。

正に、これが法治国家、先進国と言われている日本の現状なのだ。

 

ストレスや不安が健康に悪影響を与え、精神を病む人も年々増えている。

結果、生きがいの為の大切な時間を失うだけでなく、社会で支える医療に負荷がかかり、より費用が高くなり不利益を被る人が出てくる悪循環だ。

 

お金自体に罪はないが、「お金さえあれば」という社会の在り方を変える時代にならなければ、本当の意味での幸福度が高い人間社会が維持できなくなっていくだろう。

今の政権では無理な事だが。

 

今の時代ポチっとするだけで、欲しいものが手に入る様になった。

今は、スマートフォンで、何でも出来る時代。

その便利さの裏で失ってしまった労働に対する対価。

コロナ騒動も一段落し、旅行やグルメと、そんなニュースばかりが流れているが、貧困は確実に増えている。

生活保護者の数も増え、過去最多水準がになった。

また日本の子どもの貧困率OECD加盟国の中で最悪の水準にあり、未だ上昇傾向にあり、7人に1人が貧困状態にあるとされている。

先進国として情けないを通り越して、怒りさえおぼえる。

国は、政府はここ数十年間何をやってきたのだろうと。

 

私達はなんの為に働いているのだろう?

信念がお金とダイレクトに結びついていない「志し」を持って仕事を続けている人は幸せだと思う。

守るべき人がいて、その為に頑張っている人達も。

確かにお金が必要な事には間違いないが、結局、お金では買えない目には見えないものが何より大切だろうとつくづく思う。

その見えないものこそが、本当の価値あるものであり、その価値観から世の中を見る様にしたいものだ。

 

いつも通っている精神科の先生が「前回休んで申し訳なかった」とおっしゃった。

妻が急病で、付き添ったとの事。

幸い回復に向かっているという事で、見舞いの言葉を送った。

先生は「いつ何が起きるか解らないですね」と。

そして、「今を大切にやり残さない様にと改めて感じた」とも話された。

当たり前のことだが、いつ何が起きるか解らないという事を改めて感じさせられた。

 

確かにどんな仕事でも、最終的にはお金を得る為にやっている。

経済社会では、物々交換では生きていけないからだ。

病気にもなるだろうし、何より子供達を食べさせなくてはならない。

そして、自身も含めて不幸になりたいとは誰も思ってはいない。

ただ「お金さえあれば」と考えてしまうとロクな考えにならない。

何故ならお金を得る為に、この世に生まれた訳では無いからだ。

 

3Kと言われる様な仕事も、そのほとんどが機械やAIには出来ない事の方が多い。

よほどの進歩と技術力、多額の投資をして社会システムを変え、SF映画に出てくる未来都市にでもならない限り人手は必要とされている。

もうすでに人手不足なのだ。

仕事に対する対価、給料を支払わなければ支える人達がいなくなる。

政府は外国人労働者で賄おうとしているようだが、本気で改善しない限り彼らに対する扱いのひどさに誰も手を挙げなくなるだろう。

失った信用はすぐには取り戻せない。

少なくとも私の廻りの外国人労働者は、「日本が嫌い」と言っている。

 

世の中の価値観が変わり、家を持ち、家族4人で幸せにという図式にこだわっているのは政治家だけだろう。

その様なモデルを未だ統計などに使っている愚かさもさることながら、国の将来をどうするのかという指針すら描けない。

たんす預金が増えるのも当たり前だろう。

 

働く事は必要だが、その事で誰かが犠牲になったり不幸せになったりするなら、手に入れたお金は決して幸せにはしてくれない。

ただ搾取される方が、搾取する人達よりも幸せである事は間違いない。

何に使われるお金なのか考えて見ればいい。

彼らは持つべき荷物が多すぎて、それを守る為に時間を使っているからだ。

何が起きるか解らない、それも人生という短い貴重な時間を使って。

 

何度も書いているが、老後も、いや明日さえもどうなるか解らないのが現実なのだ。

災害に見舞われたり病気なったりするかもしれないのだ。

その為には大いに想像力を使ってお金の使い方も含め、人生を見つめ直す機会にしたいものだ。


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