心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

バイクツーリングは、最低で最高!・後編

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「俺たちシリーズ」第1作目の『俺たちの旅

中村雅俊の主演と「ふれあい」というデビュー曲で、人気があった青春物語を見て、東京に憧れ、

その後の第2作目、勝野洋主演の『俺たちの朝』という当時、鎌倉の江ノ電近辺を背景としたドラマのロケ地に、どうしてもここだけは行きたかった場所だったのです。

後席の友人がウトウトすると、後ろに倒れそうになるので、

肘でつつきながら走っていました。

江ノ電極楽寺駅に着いたのは、迷いに迷って(当時はナビもないし、暗い上に雨。二輪走行で地図も見れない)早朝でした。

駅に着いた時何をしたかって?ただ、疲れと眠さでうなだれて階段に座り込んでいただけでした。

ウトウトしながら食パンを食べ、いざ観光…とはいきませんでした。

早朝で何処のお店も開いておらず、電車も走っていない。

結局、小雨が降る無人駅の極楽寺駅で写真を撮って少し眠り、富士山目指して出発。

鎌倉の海に沿った道に出る頃には土砂降り。本当についてない!!

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海沿いR134号を走行しているうちに、ようやく待望の晴れ!

海岸沿いに止めて、道路の柵に濡れた服を掛けて、長めの休憩を取りました。

そして相模湾辺りに。

天気も良く海水浴をする事に。

台風が、接近してた為か波が高く、遊んでいるうち、足が浮いたとたん波にもまれ、危うく全員溺れるところでした。本当にバカでした。

そして、やっと河口湖に夕方到着。

岸辺でいつもの野宿。寒かった!

翌日9時前に、富士山の五合目に着き、何も考えず、そのまま軽装でいざ山頂へ。

しかし、あまかった!

何も食べていない上、寝不足。

山頂が、目の前に見えているのに、足が前に進まない。

「お前が持てよ」「お前こそ持て」手に持っていた、軽い『写るんです』カメラを持つ、持たないでの、やり取り。

今考えると情けない会話です。

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それほど苦しい登山。

途中、50円の水と150円のあんパンを買って再び登り始めてすぐ、私は、とうとうダウン。

空気が薄く、頭がガンガン。高山病でした。

残る友人三人を残し、下山。そのスピードたるや、あっという間に五合目に着きました。

そして片隅で、うずくまっていた時「大丈夫?」の声。

中年の女性の方が、心配し声をかけてくれたのです。

よっぽどの悲惨な顔をしていたのでしょう。

経緯を話すと、千円を私に差し出し「何か、これで食べて」と。お礼をちゃんと、しなかった事、今でも後悔しています。

でもそのお金で食べたうどんの美味しかった事と言ったら!!

結局残り三人は、山頂まで行って夜7時、帰ってきました。

10時間かけての工程。すごい奴らでした。

 

五合目で野宿して出発!西へ!西へ!

ところで野宿といっても、ただ敷物の上で寝るだけでした。

天気も良く、快調に走行していましたが、今度は暑さにめげました。

バイクはヘルメットに転倒時の怪我のリスクを下げる為、長袖に長ズボンで、

加えて信号待ちで止まっていると、エンジンからの熱気で、とても暑くなるのです。

やがて浜松の手前につく頃には夜になり、閉まったガソリンスタンドの片隅で野宿。

翌朝、相変わらずの食パンを食べ出発。

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一応お湯が沸かせる道具だけは持って行ったので、コーヒーは飲めたのですが、さすがに食パンは、飽きました。

ジャムや、マーガリンと味を変えても、ただ腹を満たすだけで、家に帰ってからは食パンを見るのも嫌になったほどです。

 

西へと走らせ一号線から、途中脇道に入り白い砂浜の遠州灘の海にバイクを止め休憩。

しばらく眺めながらパンを食べ記念撮影。

走行中、他のバイクとすれ違う時に、ピースサインをするのですが、勿論知らない人です。

同じライダー同士の繋がりを感じる瞬間で、ライダーにしか解らないバイクならではの楽しさです。

今でもやっているのかなぁ?!

 

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何度か休憩を取りながら、四日市へ。

この辺りで悪臭(当時は公害問題が取り沙汰されていて、環境が非常に悪かった)と、空気の悪さに悩まされ、ヘルメットをとると、顔が真っ黒になるくらいにひどかったのです。

国道1号線をひたすら西に走っていましたが、あまりの空腹の為、ついにダウン。

近くあった畑から大根一本引き抜き(時効なので。ごめんなさい!) 仲間とかぶりつきました。

うまかった!腹が減ると、何でもうまい!!

燃料代を考えて、数百円が使える事が解って、ラーメン屋へ、四人で二杯を注文。

すると「どないしたんや?」との男性の声が。

あまりのみすぼらしい四人の格好に声を掛けて下さり、おごって頂きました。

もちろん四人分。本当に美味しくて、ご馳走様でした。

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大阪に着いたのは午後8時を過ぎていました。

振り返ってみると、観光もろくにしていない、過酷で、汚くて、飢えに苦しむ旅でしたが、事故も無く無事に帰れたのも、友人の存在は勿論ですが、旅先で出会えた沢山の優しい人たちのお陰です。

そしてカッコイイ~愛車のバイクの存在。

若さ故の最低で最高の忘れられない旅でした。

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私の愛車は、

カワサキKH400」でマッハ (MACH)シリーズSSの末裔・発売開始年1976年

最高出力38ps(28.0 kw)/7000rpm 最大トルク3.9kg・m(38.2N・m)/6500rpm

車体重量(乾燥重量)162kg 空冷2スト3気筒、マフラーは右2本、左1本の独特のスタイルで、今見てもほれぼれします。

SS350を、友人の家で見て、跨がせてもらった瞬間に、ひとめぼれしていました。

2スト故、背中が汚れるくらいOILの混じった白い排気ガスと燃費が非常に悪かったのです。

ただ、当時は、加速だけは750㏄の4ストと短距離ではありますが、互角の実力がありました。

バイク同士が、信号待ちで止まると、加速を競うような場面が幾度もあり、

その後バイクを止め、もちろん知らないライダーですが、互いのバイクを褒め合った楽しい時代でした。

 

石ノ森章太郎原作のキカイダー01という子供TV番組 - 劇中でキカイダー01が搭乗する「ダブルマシーン」のベースとして350SSマッハII (S2) が用いられていて、350SSの後継としてKH400がパワーダウンして発売されたのです。

当時、棺桶単車と呼ばれていて、軽くてパワーがあるのと、前輪に過重がかからない為の不安定さで、事故が多かった為です。

SS時は両輪ともドラムブレーキでしたが、KHシリーズからは、フロントはディスクブレーキになりました。今でもまた乗りたい車です。

 

友人のバイクは、

「スズキ GT380」発売開始年1978年製のタイプで、茶=ディープバーカンディーメタリック色

最高出力38ps(28.0 kw)/7500rpm 最大トルク3.8kg・m(37.3N・m)/6500rpm

車両重量169kg空冷2スト・ピストンバルブ並列3気筒

排気量の割には大きく見えるので、人気のあった車です。

KH-400と同じ3気筒ですが、4本出しのマフラーで迫力がありました。

このGT380、通称サンパチと呼んでいたバイクは、初代仮面ライダーの本郷役の藤岡弘さん(当時25歳)も劇中で乗っていた車です。

KHよりは排気ガスは幾分キレイでしたが、燃費は悪かったと記憶しています。

 

バイクBike、「bi」はラテン語で2を意味する言葉で、車輪が2つあることからそう呼ばれています。一般的にはバイクは「自転車(Bicycle)」を意味します。日本でいうバイクは英語圏では「モーターサイクル」となります。ちなみにオートバイは和製英語です。

 


FUJIFILM フジカラーレンズ付フィルム 写ルンです スタンダードタイプ シンプルエース 27枚撮り 初期モデルデザイン LF S-ACE SP FL 27SH 1

 「写ルンです」は、富士フイルムが1986年発売された、レンズ付きフィルム式の使い捨てカメラで、当時1.380円で売られていて、誰にでも簡単に写真が撮れる、画期的な商品でした。

今と違い、現像してみないと確認できなかったり、枚数が24枚と制限がありましたが、庶民が簡単に写真を撮れるという事で、大ヒットしました。

今は、レトロブームもあり、出来上がるまでの時間や、温かみのある写真、メカニカルさが面白いのと、

前記の面倒くささが、逆に新鮮で愛好家も増えていますね。

 

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