初めて乗ったバイクはホンダのスーパーカブです。
当時新聞配達をしていた時、中学生だったので、自転車で配っていました。
ある日、バイクに乗ってみたい衝動にかられ、無断で乗ったのですが、走り出した途端、案の定、近くの田んぼに突っ込み、大変怒られました。
不幸中の幸いで、田んぼがドロドロだった為、すっぽりとハマって止まりまり、怪我することなく、カブもつぶれませんでした。
この事が、バイクと私との長い付き合いの始まりでした。
バイクは、不良が乗るというレッテルが張られた時代。
エレキギターやロックミュージック、長髪と、
若者にとっては、それが逆に自分達の象徴であり、主張の場でもあったのです。
若い時に国内、海外を問わず、旅をする事は、とても良い経験になります。
女性の場合は、なかなか難しいのですが、なるべくなら、スケジュールや段取りの無い、無鉄砲な旅を一度はしておくことをお勧めします。
歳をとると、なかなか出来ない無計画の旅は、あらかじめ決められたコースをなぞるより、思いがけない出会いや苦労が、後々きっと良い思い出として、良い経験として、必ずあなたの助けになります。
きっとあなたの心の栄養となります。
20代、大阪から東京方面への旅をした時の事です。
私も含めて四人で二人乗りの事もあり(経済的理由も)全ての工程が下道、すなわち高速道路を使わず走り、(有料道路は二人乗りOKだったので使いました)
大阪から東京、鎌倉、富士山、浜松経由で大阪に戻る、全行程1.400㎞4泊5日、持ち金は4人で45.000円、全て野宿の強行ツーリングでした。
当時、ガソリンの価格が170円/1ℓぐらいしていて、貧乏だった私達は、燃費の悪い2ストバイクと相まって、大半をガソリン代と一部の有料道路代に消えてしまい、余裕が無かったのです。
初日、午後2時から東京を目指して、大阪近郊の市から元気に出発。
静岡辺りで夜になり、無人になったガソリンスタンドの隅で、食パンを食べ野宿(ちなみに他人の土地に無断侵入はダメですよ。時効だからごめんなさい)
地べたの上で寝たので、腰が痛い!
翌日早朝、また食パンで朝食を済ませ、いざ東京へ。
燃費は、15ℓ/㎞~20ℓ/㎞をキープしながら、飛ばしたい気持ちを抑えて、ガソリン消費をとにかく節約。
ひたすら国道一号線を走り続けて、箱根辺りから霧に視界を遮られ、越えた辺りから雨が…!
その年は、運悪く雨の多い夏だったのです。
二輪に乗った方は分かると思いますが、いくら夏とはいえ、濡れると寒い寒い。
新聞紙を体の中に入れ、(防寒対策)目的地、東京を目指し震えながら走り続けました。
レインコートを持って行かなかったので、全身ずぶ濡れのまま、
東京都に入った事を示す標識が目に入った頃には、夕方3時半なのに周りが、雨で薄暗い状況に。
何しろ、何も考えずの旅。ついてない私達でした
「さてどうするか?」とりあえず東京タワーと決めて、まず腹ごしらえ。
途中でラーメンを食べるが、大阪の味とは全然違い、正直まずかった!
関西に比べ、味が濃すぎて塩を食べているような味に当時は感じたのです。
そして一応のゴールです。感慨は正直ありませんでした。
なぜ東京タワーに決めたかというと、上から見れば見つけられるという単純な理由で、冷え切った身体を温める銭湯探しの為、すなわち煙突です。
550円支払い、150mの展望台へ上り、仲間と東京の街を見下ろしながら、ひたすら煙突探しです。
傍から見ると、指をさしながら煙突を探しているビショビショの私達を見て、さぞかし滑稽だった事と思います。
当時はそれほど高いビルは少なく、銭湯もそこそこあったので、見つけやすかった(もちろん、目を凝らして探しまくりましたが)事もあり、15分ほどで発見!
大体の位置を確認後、観光そこのけで出発。
実際に銭湯を見つけた時と、お風呂の暖かさは忘れられませんでした。
ちなみに、銭湯代は140円でした。
結局、東京の思い出は、銭湯探しという情けない結果となりました。
休憩後また、食パン食べて鎌倉へ。辺りはもう真っ暗でした。
後編へ続く!
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