学校から、PTA会費を徴収しないとの通知が届き、このコロナ禍で、活動が自粛されているとの理由でした。
妻に話すと「面倒くさい事が無くなって良かったんじゃない」との言葉。
裏返せば、行事が無くなった事ともとれ、その必要性を新たに考えさせられました。
私が子供の頃、昭和の時代は、学校、医者、会長など、先生と名がつくと、その人達のいいなりの時代でした。
楯突く人などいませんし、例えば、お中元や時には心付けと称し現金を渡したりと、狭い窮屈な時代でした。
私が、小学生の頃はさすがに男だけでしたが、罰と称して、皆の前でおしりをさらけ出させられたり、叩かれたり。
それでも、誰も学校に文句を言う親はいませんでした。
今では、セカンドオピニオンなる言葉も出てくるぐらい、立場が変わり、堂々と裏から手を回すことなく意思や意見を話せる時代になったのです。
子供が、生後3か月から保育園に入っていた為、学校との付き合いは長い方です。
私の妻は外国人なので、相手の方から話しかけられる事は、ほとんどありませんでしたが、自分から声を掛ける事もありませんでした。
だからと言って、何か不利益になったり、子供に影響があった事も無く、
彼女にママ友の事を聞いてみたのですが、「面倒くさいから、いらない」と言う返事でした。
彼女にとってママ友という言葉すら、不思議で意味の分からない存在だったようです。
なぜなら、友達は友達で、ママであろうが誰であろうが関係ないと言うのです。
「友達」の後ろに「ママ」という言葉が付き、ママだから何って感じです。
PTAに関しても、共働きもあり、参加出来なかったのですが、私にも何度か他の保護者から訪問を受け、お誘いがありました。
そもそも今の時代にそぐわないPTAの意義に疑問を持っていたので、丁重に自身の考えを述べ、その都度お断りしてきました。
勿論、抽選方式の時でも考えを述べ、その場で断り帰りました。
意を唱える人もいましたが、根拠を問うと真面に答えられる人は、一人もいませんでした。
結局、口から出る言葉は、子供の為であるとか、今までそうやってきたからといった、曖昧な言葉ばかりでした。
運動会には、必ずテントの中に来賓席が設けられ、子供達や親は汗だく。
入学式や卒業式も本来、子供が、親が主体であるべきで、来賓者と称する人は、一番後ろで見守るべきだと思うのです。
そもそも、なぜ組織やグループに属さなければいけないのかの意味が解りません。
昭和の時代ならまだしも、情報が得られないとか、子供に影響があるなどと、考える必要性があるのか、甚だ疑問です。
もし不利益になるような事が起きた時、行動を起せばよい事であり、まるで忖度するような、訳の分からないルールや、伝統などの言葉で自らを縛り、おとしめる必要など、私にはありえない事なのです。
ただでさえ、忙しい先生の負担にもなるママ友の存在やPTAは、もう時代に追いついていないのです。
誰かがやらないといけないという強迫感や、他の親が負担しているのに申し訳ないという理由での自分に対する納得のさせ方。
低学年の内にやれば負担も少ないなどの、こんな馬鹿げたやり取りは、もうやめるべきです。
根本的にとらえ方が間違えているからです。
こんなノウハウを共有している滑稽さに、そろそろ気がついてもいいのではないでしょうか。。
ママ友の事やPTAで悩んでいる人。
そんな、何の根拠もない組織の事で、悩む必要は無いのです。
コロナ禍で、そんな組織が逆に無くてもやっていけると示しています。
見方を変えると、無くても良いし、もっと別の形でも良いわけです。
人間関係は、とにかく厄介な問題ですが、
嫌な人と、たとえ表面上だけであったとしても、付き合う必要など全くない無いし、
陰口でもなんでも、言わせておけば良いのです。
嫌われたって、ほっておけばいいのです。
柵に囲まれたサル山のボスで、柵の外から見てればいいだけです。
群れる必要などありません。
ワンワン吠える、繋がれた犬と一緒です。
力を誇示する人ほど、弱く幼稚で可哀そうな人なのです。
昔から「お天道様が見ている」と言われてきたではありませんか。
そんな事より、子供の前で夫婦喧嘩をしないようにしたり、誰かの悪口を言わないようにする事や、ひとり親や外国人の人達に、声掛けしたり、他人の子供でも気にしてあげたり、自分に出来る範囲にエネルギーを向けて欲しいのです。
マイナスの感情で結果的に子供と接する事になるなら、そちらの方が心配です。
なぜなら、子供は親の心の動きに敏感だからです。
自分に正直に生きる事を、子供に見せてあげる絶好のチャンスです。
そして、それが出来る良い時代になったのです。
ママ友の事やPTAで悩んでいる人へ。
いやいや付き合う必要は全くありません。
義務も根拠もありません。拒否する権利も持っています。
自分が、心地よいと思うなら、友人として付き合っても、義務としてとらえても、拒否しても、どちらの選択をしても良いのです。
今の在り方を変えたいなら、声をあげても良いのです。
忘れていけないのは、主人公が子供である事。
自分の意志を、ちゃんと伝える事と、情報に振り回されない事。
そのお手本になるのは、あなた。
そして、
何かあれば、徹底して全力で守ってやるという事です。
追記
ラジオの相談企画で、「ママ友が出来ない」と悩んでらっしゃる話がありました。
パーソナリティとのやり取りの結果、どうやら自分にも悪い所があって、相手にされなくなるという結論でした。
男性の私は、付き合いが面倒で、一人でいる方が好きなタイプの人間ですが、やはり身近なコミュニティの中で一人取り残されている感覚は辛いものがあるのも解ります。
ただ、自分を責めたり卑屈なってまでママ友を作る必要は、かえって重荷になってしまいます。
人との出会いは「一期一会」つまり「一生に一度のものと心得て,主客ともに互いに誠意を尽くせ」という茶道からくる言葉のとおり、自身の心得の問題であり、相手の反応や気を引く為にする事ではありません。
心構えの問題を対人の関係性の問題とすり替えてはいけないのです。
よくこのような悩み相談がネットでもあり、解決法なども記載されていますが、その通りやったところで誰もが上手くいくはずがありません。
生涯の友が見つかるとか、色々な情報が入って来るなど、都合の良い解釈に過ぎず、根本部分である自身の心理、すなわち「ママ友を何故、自分は求めているのか?」という事を考える事が最初のステップです。
友達なら、一期一会の心構えでいれば必ず出来ます。
情報が欲しいなら、学校に聞けばよいだけです。
寂しいからとか、孤独感からくるものであるなら、ロクな出会いにはなりません。
それは友人関係や恋愛でも同じように当てはまる事です。
悩む時間がもったいないと思えるよう、違った世界に飛び込む方が、自身にプラスになります。
趣味や運動、資格所得など、やれることは沢山あり、スマートフォンで何でもできる時代なのです。
人の悪口を聞かされたり、嫌でも付き合わされるような事もありません。
「一人でも大丈夫」だから、出会った人とも良い距離感と関係性を築く事が出来るのです。
勿論、ママ友がダメと言う事ではありません。
ただ、その関係の中で噂や悪口が出てくるようなサークルなら、そっと離れる方が自分らしさを保てます。
このブログでも書いていますが、「類は友を呼ぶ」という事です。
PTAに関しても、無理なら断る勇気を持って下さい。
共働きが当たり前の様になってきた時代にPTAの在り方が問われています。
例え抽選で選ばれたとしても、出来ない理由を述べて断るべきです。
法律違反、学校規則違反にも問われませんし、問われる筋合いのないものです。
無理のない範囲で協力すれば良いと考え、気楽な気持ちでいて下さい。
周りの人たちの目を気にする必要など有りません。
その周りの人達が、あなたやお子さんの面倒を一生見てくれるなら話は別ですけど。
何より子供が元気で、毎日楽しくしてくれるだけで幸せな事です。
その為に、自身も幸せを感じる為に時間に使って下さい。
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