月のように影からの優しさを
火のように秘めた強さを
水のように深く染み渡り
木のように動じず、時に
金のように柔軟で
土のように生み育てる豊かさで。
そして
日のように分け隔てをしない
何も難しいことではない。
必ずその中にある。
一つずつ、いらないものをゆっくり取り除くだけでいい。
自分って何?……
自分って何?……
若くても、どれほど歳を重ねても、
やがて訪れる終焉の時まで、
自分探しは終わりません。
なぜなら「自分」=「可能性」だから。
自分が何者であるかは、他人に対する問いにはなりません。
今までに受けてきた教育や環境でいとも簡単に、自分の定義を決め、制限をかけてしまいます。
他人との関係や社会の中での立ち位置。
すなわち、比べる事ばかりが優先し、やれない理由ばかり学んでしまうからです。
「可能性」は、比べる事では無く、自分自身を愛し、信じる事なのです。
「可能性」は、留まりはしません。
限界もありません。
そして、誰かのせいにする事も、運命を恨む事も否定します。
人間の水分量は、新生児で約80%で子供が70%、成人で60%、高齢者になると50%と言われています。
すなわち、人間の体は水分で維持されており、歳と共に下がっていくのですが、血液やリンパ液など常に循環しています。
流動しているとも言えます。
また人体は、1日で1兆個もの細胞を入れ替えていて(入れ替われない細胞もあります)数年たてば新しい体(細胞の入れ替わり速度は違うので厳密にいえば、それぞれがという事になります)になっていくのです。
自然が編み出した素晴らしいシステム。
そう、心も同じように流動し入れ替わっていきます。
だからこそ、決めつけや、固定観念を持つ事は理に反しています。
常に可能性に満ちている自分を考えてみて下さい。
常に流動し生まれ変わっている自分を。
車で出かける時、 窓を閉め、ジプシーキングスの「Inspiration」をかけて 走りたくなる時がある。
テレビの時代劇のエンディングで使われた有名な曲だ。
周りに広がる景色は まるでテレビのドラマを見ているようだ。
通り過ぎる一瞬の中に、 数えきれないドラマを背負った人々が流れては消えていく。
儚(はかな)いというか、少し寂しい気持ちが起きるそんな時間が何より愛おしい。
何気ない日常が、どれほど大切なものなのか。
色々な人がいて何処かでつながっている。
吸っている空気も、見上げている空も。
もっともっと今を、この瞬間のありがたさを味わい、生に執着しなければ。