心の道標

様々な自分の疑問に、自分で答えを見つける旅

パンダとペット

幼い頃、我が家では動物好きの父がペットと称して色々な動物を飼っていた。

犬、九官鳥やメジロカナリア文鳥、ニワトリ、カメと日曜大工が得意な父が檻を作り、それは賑やかだった。

よく野良猫が侵入し、鳥をくすねていった。

父は怒りながら破れている柵を直していたものだ。

父は猫がよっぽど憎かったらしく、一度も飼った事は無かった。

当時はスピッツやチワワが人気の犬だったが、飼っていたのは何処で拾ってきたのか解らない犬。

外で飼うのが当たり前でドッグフードなど無い時代、私は犬に残飯をよく運ばされていた。

当時私は動物には全く興味が無く、九官鳥に言葉を教えるぐらいで、母は「くさい」「汚い」という言葉をよく連発していて父が世話をしていたが、確かにくさいし毛やフンが嫌だったのを思い出す。

ある日食卓に鶏肉の鍋が出てきたのだが、父いわく「飼っていた鶏だからうまいぞ」と。

私は一切箸をつけなかった。

その後も卵を産まなくなったニワトリを絞める父を見る度、ペットとしてでしか見てこなかった私にとっては衝撃の連発だった。

 

当時の家は都市から離れてはいたが、いわゆる都市からドーナツ型に分布していた場所で家がどんどん建てられていた地域だったが、まだ田んぼもあり、小さな牛小屋もあった。

学校帰りに牛小屋に行っては、恐る恐る近寄る牛に藁を差し出し、むしゃむしゃ口を横に動かしながら食べる顔を見ていた。

子供ながらも可愛いなと思いながら毎日足を運んでいた格好の遊び場だったが、近代化に伴い田んぼも牛小屋も建売住宅と変貌していった。

乳牛では無かったから、牛達は多分食べられたのであろう。

 

上野のパンダが成田空港発のチャーター機で中国に返還された。

世界の絶滅危惧種リスト(レッドリスト)で絶滅の緊急度が3番目に高い分類のパンダ。

シャンシャンの両親「リーリー」と「シンシン」彼らのレンタル期間は10年で2頭のレンタル料、年間95万ドル。日本円で1億800万円だそうだ。

レンタル料は野生動物保護の活動資金に充てられているとされている。

経済効果を考えるとこの値段は賛否が分かれるところだが、それにしても高い。

上野動物園周辺や成田空港でも別れを惜しむ人が大勢いて、中には涙ぐむ人もニュースでは流されていた。

反感をかうのを承知で書かせてもらうと、パンダ返還がトップニュースになるメディアにはあきれ返る。

逆に良い機会として動物愛護の番組を流せば納得も出来るのだが。

パンダに罪はないが、死んだわけでも無いのに、泣くほどのものなのか私には理解が出来ない。

それよりも危うく轢くところだったネコの事の方が心配だ。

寒い中、何処で休んで食べているのか想いを馳せている。

 

令和2年度(2020年)犬猫あわせ72,433頭もの犬猫がセンターに引き取られている。

その内23.764匹が殺傷処分されている

怪我や病気で処分(嫌な言葉だが)された個体数も含まれているとはいえ、胸の痛くなる数字だ。

年々引き取り数が増え、処分される数も減ってきているのは喜ばしい事だが、単純に喜べないのは引き取り手が単に一般人だけでなく、動物愛護団体NPOも含まれている事だ。

勿論引き取る数も限度があり、様々な活動で飼い主を探しているのが現状だ。

また収容された犬や猫の手放す理由が、「面倒」「ウンチの世話が嫌」「トイレを覚えない」「病気になった」という人間側の誠に勝手な都合によるものも多いと聞く。

エサや環境が良くなり、ペットも長生きするようになってきた。

そして人間と同じように、認知症てんかん、心臓病、癌などの病気を患う。

当然、費用も馬鹿にならないであろう。

その事も考えての購入だったのかも含め、想像力の大切さをもっと啓発すべきだ。

 

TVではペットを含む動物を題材とした番組やタレントが飼っているペット紹介、ニュースでも可愛らしさを「癒し」の意味でか解らないが流し続けている。

が、どうも一方的な見方で動物を取り上げている様に見える。

擬人化したり、可愛さを強調したりと。

それに比べ殺傷処分される事を取り上げている番組は遥かに少ない。

せめてテロップで流すなりして、飼い主に対する心得などの啓発をしてもらいたい。

マスメデアに義務化すれば良いくらいだ。

そう「不適切な言葉使い」「暴力」等など、映画の冒頭に書かれている文言の様にだ。

アパートの一階で一人暮らしをしていた頃、隣の部屋には中年の男性が一人で住んでいた。

会えば挨拶する程度で、交流は無かった。

アパートなので動物は飼えないのだが、その男性の部屋からよく猫の鳴き声が聞こえていた。

ある日を境にその男性の姿を見かけないようになった。

換気扇は回っているのだが、電気はついていない。

心配になりドアの郵便受けから声を掛けても返事がない。

アパートの奥の引き戸を開けると風呂場とトイレがあり、屋根はついてはいるが外と同じ環境になっている構造で、隣の裏に回り少し引き戸が開いていたので覗く事にした。

引き戸のガラスの内側に大量のハエが止まっている。

恐る恐る開けてみると、ゴミ屋敷状態で猫が2匹死んでいた。

大家さんに通報し、私は何も考えずに何故か猫の屍を私の部屋の下の基礎部分に潜り込み、穴を掘り、埋めてやった。

しばらく月日が流れ、異臭がするので下の基礎の方に懐中電灯を当てると、別の猫が死んでいた。

きっと、死に場所に私の部屋の下を選んだのだと思うと、不気味と言うより不思議な感じがしたのを覚えている。

死期が近づくと他の動物に狙われやすくなり、身を隠すと聞いた事がある。

安住の住み家として私の部屋下を選んでくれたのかと思うと、切なくなってしまった。

そして二日ほどしてから、知人からオスの子猫をいらないか?と連絡があった。

何かの縁と思い飼う事にした。

「ピート」と名付け、小さいうちは家の中で飼っていたが、大きくなるにつれ可哀そうになり、元来動物は外で飼うものと考えていたので、出入りを自由に出来る様にしてやった。

首輪は付けておらず、リードも無いが、散歩すると犬の様についてきた。

毎日楽しそうに出かけていき、アルバイトから帰宅すると彼も戻ってくる生活。

楽しくもあったが、おかげで家の中は蚤がピョンピョン跳ねるぐらいで私の足は、赤い点々だらけに。

薬を飲ませたり、病気になれば7万円という当時の私にとっては大金を払って治してもらったりしたものだが、ある日首輪が付いている事に気が付いた。

彼はどうやら二重生活をしていたようだ。「この浮気者」「恩知らずめ」と叫んでも目も合わせない(笑)

そして、ついに戻ってこなくなった。

何度も探しに行ったが見つからず、数日間はとても寂しい思いをした。

「猫なんか絶対に飼わない」と誓った日だった。

多分、浮気先で家中、蚤だらけにしている事だろう。ざまあみろだ!はははっ!

ただ、その後も懲りずに捨て猫を拾って、ピートと名付け育てていたが。

フィリピンでは玄関に水槽があるとお金持ちになると言われているので、結婚当初から魚を飼っていた。

水質や温度、餌、掃除など気を遣う事が意外と多い。

残念ながら引っ越す事になり飼っていた数匹の魚は引き取ってもらった。

が、15年近く飼っていたが、お金持ちにはならなった。(笑)

管理が難しい熱帯地方の淡水魚だったので、薬を入れたりしてもどうしても死んでしまう。

勉強不足が原因で今でも悔やむところだが、飼っていた当時、よくペットショップに足を運んで安い魚を選んで買っていた。

ペットショップには当然、犬や猫、蛇やトカゲと色々な動物がいたが、特に犬猫ケージには休日ともなると沢山の人が集まって覗いている。

「可愛い」「欲しい」そんな言葉が飛び交っている中、「いつか死ぬんだぞ」「飼うのは大変だぞ」とつぶやいていた。

 

動物好きが多い国フランスでは、動物の扱いに関する法律の改正案を可決し2024年にペットショップで犬や猫の販売が禁止されることが決まった。

動物保護団体によると、毎年10万匹もの犬や猫などが捨てられて、特に「バカンス」の時期に多いと報じられている。

一概にペットショップだけが悪いと言えないが、目の前で見て動物を安易に購入できる今のショップの在り方をそろそろ考え直さなくてはいけない。

近年はインターネットでも販売され、簡単に手に入る事も大きな問題だ。

また移動販売も少なからず行われている。

ペット博覧会の様な名称で、売れ残りを減らす為も兼ねて価格も安く売っているのだが、ネット販売と同様、移動販売も返品や苦情などのアフターケアが出来ないケースも多々あり、また悪質業者もいる事から注意が必要だ。

加えて、移動の際にペットへの負担がかかる事も問題で全面禁止にすべき時期だ。

パンダの様に特別チャーター便では運ばれないのだから。

 

日本も動物愛護の視点から環境省もやっと重い腰を上げ、展示販売は、生後56日を過ぎてからとか、飼育頭数の制限、飼育環境の見直しや購入者への注意喚起、マイクロチップ導入などの動物の扱いに対する規制を強化したが、お金が絡む事もあって悪質業者も後を絶たず、効果はあまり期待できない。

(買う時に生後何日か、確認すれば業者の質も解る)

当たり前だが、物言えぬペット達は窮状を訴える事が出来ないのだ。

役所が決めても監督する能力が有るのか甚だ疑問だし、またおざなりの監査で責任を取らないという繰り返しにならないのか、そっちの方も心配だ。

動物を買う、すなわち命を買う時には最後まで看取るという誓約書を書いてもらい、賃貸契約と同じように同居者以外の保証人のサインも必要とするべきではないか。

同時に動物病院とも連携し、保険を義務化し登録。

推し進めようとしているマイナンバーと紐づけするぐらいの法律を制定すべきだ。

(お役所仕事にならなければ良いが)

ペットは飼っている人にとっては家族同然であるのだから、当然の義務だと思う。

あくまでも「買う」という行為に対してであり、無償による引き取りや保護する場合は、登録(マイクロチップ)と予防接種だけでそれ以外は免除すればよい。

そもそも、そのような人達は身勝手に捨てる様な事をしないと思う。

 

犬や猫といった身近な動物は、人間の手で品種改良されてきた。

しかしその裏で見栄えを良くする為、すなわち美容目的や室内犬にも関わらず、怪我からの感染症を防ぐ為と称して尾を切断(断尾)したりする事が今でも行われている。

例えばトイプードルやヨークシャテリアなど、人気の高い犬も見た目の良さだけの理由で断尾されているのだ。

考えて見れば、人間は残酷な動物なのだ

人間は動物をコントロール出来ると思っている。

このブログ内の記事「人間、生物は、なぜ存在しているのか?⦅牛や豚の命は⦆」でも書いたが、彼らもまた人間を利用している。

絶滅危惧種に指定される事で、種の保存にも繋がっている事から分かる様に、遠い昔なら絶滅してもおかしくない動物達が、人の手で守られている。

考えて見て欲しい。

地球の環境が人間にとって住みにくい状況になれば人類は絶滅危惧種になる。

誰が保護してくれるのであろうか?

そう、愚かにも人類は自らの手で絶滅危惧種の方向へと進んでいるのかもしれない。

地球に住んでいる動植物は相互関係、つまり依存され依存している。

それは思っているほど深く、そしてもろい。

絶妙なバランスの上で成り立っているのだ。

無駄に殺したり、虐待したりする事はそのバランスを崩す事となる。

パンダも犬や猫もそして人間も同じ命で、一回こっきりの人生だ。

彼らから学ぶも事は沢山ある。

多くの事を無言で教えてくれる。

もし良き友達、家族としてペットを迎え入れるのなら、どうか最後まで見てやって欲しい。

同じ星に住む生き物として!

いつも傍に君がいた

君から見た僕の時間は

無駄遣いが多いらしい

僕から見た君の時間は

あまりにもそそっかしい

僕の容姿も

僕の性格も

無言で見つめる君は

気にもしない

ただ僕の傍にいて

生れ出た命の喜びを

振りまいている

流れの違う時間の接点に

ありったけの想いをぶつけ

短すぎる夏休みの終わりの様に

遊び足りない子供の様に

静かに君は目を閉じた

 

君が教えてくれた事

今でも絶対忘れない

生れたその優しさと

遊ぶ事の大切さ

何より自由なぬくもりを

 

パンダはその愛くるしい姿からニュースになるのは仕方がないが、一方でパンダ外交と言われるような政治にも利用されている事も忘れてはいけない。

考えて見れば、彼らの未来は人間の都合次第という訳だ。

 

多種多様な生物が生まれ、この星の住人として生物は生き残りをかけて今も死と常に向き合い闘っている。

同じ星の住民として私達人間の都合でその命を絶たれるとするなら、こんな悲しい事は無いだろう。

その事を常に頭に入れ、見守っていきたいと思う。

 

kenpa.blue

 

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